5話 1【恋心の純度】
自覚のない好意を認識させられるというのは、一種の催眠のようだと思う。
最初はその気がなくとも、周りから囃し立てられることによって「もしかして」という思い込みが生まれる。
それがきっかけで相手に対して好意が生まれることもある。
それは本当に恋なのだろうか。
恋愛感情は脳の勘違いによって引き起こされると前に本で読んだことがある。
それは前記のような現象のことなのではないだろうか。
「好き」という感情を自分で自覚するか、第三者によって自覚させられるか。それが純愛度数によって大きく関わるのだと思う。
橘 真広は前者。
高橋 琥珀は後者だ。
「あ、琥珀さん。幼なじみさん、交代みたいですね」
体育館の二階ギャラリーにて、柵に手をかけながら、橘くんは選手交代で出てきた悠希を指差した。
「橘くんさ、その呼び方やめようよ。もっと気さくに二宮とか、悠希でいいと思う」
「あ、そうですよね!じゃあ二宮さんで」
橘くんは苦笑しながら首をすくめた。
「あ、ほら悠希がこっち見てる。あはは……さすがに橘くんと一緒に来たのはまずかったかな」
夏の県大会をかけた高校バスケットボール予選決勝。部活に青春をかける彼にとって大切な一戦であるに違いない。
事前に必ず応援に行くと約束していたのだから、彼が私の存在に驚いた可能性は低い。原因は幼なじみの隣にいる見知らぬ男に、だろう。
私は苦笑いを浮かべる。隣では申し訳なさそうに小さくなる橘くんがいた。
「やっぱり僕、お邪魔でしたかね。二宮さん、すごく睨んでませんか?」
遠くからでも分かるほど、悠希はこちらを凝視していた。ベンチからこちらを見つめる様はホラーに近い。
「あーあれは、ある日突然妹に男の影が!って感じの兄の心境、もしくは弟かな」
「兄?弟?」
「周りの皆が私たちのことをそういう目で見たいのは分かるんだけどさ。私が悠希のことを好きだって自覚しても、あいつにとっての私は生まれた時から一緒の兄弟って認識しかないんだよ」
それが、今まで私たちが続けてきた関係。私が必死に自分の気持ちを隠して築いた今。
力無く笑うと、橘くんはさらに体を小さく丸めてしまった。
「でも!橘くんには本当に感謝してる。自分の気持ちに正直になるって、気持ちいいね」
そもそも、どうして私たちが悠希の試合を一緒に観戦しているのか。事の始まりは一週間前に遡る。
橘くんに告白され、結果として友人になった私たち。彼は隣のクラスにも関わらず、私の教室に顔を出すようになった。なし崩しに七海に経緯を話すこととなり、結果的に七海と橘くんも友人になった。
「へえ。まさか琥珀のことを好きな男の子がいたなんてね」
「七海、酷くない?」
「あはは、ごめん。橘は琥珀のどこがいいの?」
七海の質問に、橘くんは即答した。
「全部です」
予想外の答えに私は飲んでいた苺ミルクを盛大に吹き出しそうになった。七海は大爆笑。
「あはは!橘おもしろい!えー付き合っちゃえばいいのに。大切にしてくれそうじゃん」
「簡単には決められないよ」
私は口元を拭きながら言った。
「琥珀……さてはやっぱり悠希くんのことが……」
「なんでも全部恋愛に話引っ張るのやめてよ」
「だって学校で楽しいことってこれくらいしかないし」
「……」
「あ、七海さんって彼氏とかいるんですか?」
話題を変えようとしてくれた橘くんの質問に私は凍り付いた。七海は気にすることもなく、言った。
「あー。いたけど別れた」
当然。橘くんは青ざめる。彼は空気が読めない人種なのかもしれない。
「すすす、すみません!」
「あー気にしないで。円満破局ってやつだから。友達に戻っただけ」
「そ、そうなんですか……ちなみにお相手は」
本当に空気が読めないらしい。おまけに野次馬精神まで持っているとは。
「相手?あんたの真後ろに立ってる男」
必然的にこちらの会話が聞こえていたであろう場所に立っていた廈織くんは笑いをこらえて盛大に肩を震わせた。原因は驚きのあまり、悲鳴に近い声を上げた橘くんのせいもあるかもしれない。
「ひい!」
「うわ!?」
反射的に振り向いた廈織くんは満面の笑みを浮かべる七海に困ったように苦笑した。
「か、彼氏さんがこんな近くにいたとは知らずに僕……!」
「元ね、元」
七海と廈織くんが破局したと聞いた直後は心底心配したが、それも偽装交際だと知り、今ではこうして笑い話になっているのだから心配はいらないだろう。お互いが現状を認めているのだから、そこは他人が口を出す問題ではない。
「そうだ、琥珀ちゃん。来週の悠希の試合は見に行くの?」
廈織くんは思い出したように言った。
「うん、行くよ。昔からの恒例だから」
「そっか。ボクは残念だけど部活の試合と被って行けないんだ。だから、ボクの分も応援してやって」
「分かった。まあ県大会進出がかかってるし、気合入るよね。ここは帰宅部らしく精一杯応援するよ」
「七海の分もよろしく」
「はいはい」
「あの、琥珀さん」
「橘くん、どうしたの?」
「僕も一緒に行っていいですか?」
橘くんの発言に、その場全員の視線が彼に集まる。一見大人しそうな彼が女の子をスポーツ観戦に誘うなど、想像できなかったのだろう。
私は知っている。彼は転んでもタダでは起きない肉食系男子なのだ。
「別にいいけど」
了承した私に今度は視線が移る。自分の問題発言に気が付いた橘くんは慌てて弁解した。
「あの、これはそういう意味ではなく……バスケ部には僕の友達もいて、どうせ行く場所が同じならと思っただけで……他意はないんです」
そうは言うものの、好意を寄せる相手と休日に会うのだから、淡い期待がないはずがない。七海はおもしろいものを見つけた子供のように笑った。
「よかったね、橘。デートじゃん」
「こら七海、変なこと言わないで」
「すみません……嫌ですよね」
子犬のような目で橘くんに見つめられ、言葉に詰まった。そもそも百八十センチ近い男相手に「子犬のような」という形容詞は似つかわしくないが、彼の場合、所作が小動物にしか見えない。文章で説明すると、彼が長身だということを時々忘れてしまいそうになる。
「嫌じゃないよ。一緒に行こう」
橘くんとバスケ部の試合を見に行く約束を友人たちの前でしてから一週間。こうして彼と並んで試合観戦をする最中、私は自分の失敗に気が付いた。悠希に橘くんの存在を報告していない。 家でご飯を食べる時も、学校にいる時も、話をするタイミングはいくらでもあったのに。
頭を抱える私を見て、橘くんは悠希の方に向かって頭を下げた。
「琥珀さん、二宮さんすごいですね」
「なにが?」
「普通、夏の大会なんて二、三年生が主力でしょう。それなのに、入学して数カ月の一年生がスタメンなんて、すごいことですよ」
考えてみればそうなのかもしれない。今まで悠希の試合を数多く観戦しているが、彼がボールに触れない日を見たことがない。それが当然だと思っていたが、ベンチには一度もボールに触れない選手もいるのだ。
「そっか……そうだよね。まだ一年生なんだよね」
確かめるように言葉を反芻する私に、橘くんは言った。
「今あの場に二宮さんが立っているのはすごいことなんです。努力の人なんですね」
橘くんと話すと、今まで気が付けなかった幼なじみの一面が次々と垣間見える。人を見る目は一緒にいた時間の長さだけでは計り知れないのかもしれない。
「そうだね、橘くんの言う通り。あいつの青春全部バスケだもん。努力しないはずがない。私と違って、悠希は本物」
「琥珀さんもバスケやってたんですか?」
「小学生までね。でも、全然上手くならなくて、やめちゃった」
当時友達に言われた「下手なんだからやめた方がいい」という言葉で、私はすんなりバスケを止めてしまった。
思えば昔から周囲の言葉に影響を受けやすい子供だったのかもしれない。
「そうなんですか。琥珀さん、運動神経良いですもんね」
「私、いつも人の言葉に流されてばっかり。だから、本当にあいつのことが好きなのか不安になってきた」
思えば悠希に抱いたこの気持ちも、流されて生まれたものなのではないだろうか。疑心暗鬼に陥る私に橘くんは言った。
「そんな顏しないでください。僕につけこまれますよ?」
「え?」
橘くんは苦笑しながら言った。
「隙があれば僕はいつでも攻めますよ?って言ってるんです」
「私、今どんな顏してる?」
「自分の気持ちを認めたいのに認めたくないって顏してます」
「……その通りです」
心中を言い当てられ、私は言葉に詰まってしまった。橘くんの洞察力は人並み外れているようだ。空気は読めないけど。
私は体育館の中を見渡しながら、ホッと息をついた。いつもは体育の授業で使っているこの場所で、彼は戦っている。まるで違う場所に来てしまったようだ。空気が違う。
試合も終盤に差し掛かり、このまま決着すると思った矢先。ドンッと鈍い音がして、審判の笛が鳴った。コートの中では走っている最中に転倒してしまった選手が足を押さえて蹲っていた。
「えっ……待って、今倒れたのって……悠希!?」
ぼんやりとしていた意識がコートの中で倒れる悠希へと集まる。彼をブロックしようとしていた相手選手と足が絡まり、そのまま体勢を崩してしまったようだ。
悠希はかろうじて立ち上がったものの、足を引きずっていた為、係の人と共に体育館の外へ出て行ってしまった。
一部始終を二階ギャラリーから見ていた私の体は衝動的に動いていた。
「ごめん、橘くん。私、ちょっと行ってくる」
「え、琥珀さん!?」
橘くんは、私が去った後、同じように慌てて体育館の外へ走っていく少女の姿を見た。
「あの人は……確か」
走り去っていった少女の名は春田希望。
ケガをした選手の彼女だった。
次の更新は夕方の予定です
橘を幸せにしてあげたいなぁ