4話 2【友達からお願いします】
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入学式を終え、二か月が経った。うまくやっていけるか不安だった高校生活も、軌道に乗り始めてきたように思う。勉強はさておき。
琥珀は現在、ラブレターの送り主に指定された場所に足を運んでいた。どうやら早く着いてしまったらしく、相手の姿は見えない。仕方なく階段に腰を下ろす。この場所に来て、ようやく緊張の波が襲ってきた。
未だ告白への返事は決まらないまま。好きな人がいるのに別の人と付き合うのは相手に失礼だとは思うが、これは叶わない想いを忘れることができるチャンスなのかもしれない。返事をするにあたり、この際少し時間を貰うことも視野に入れた方がよさそうだ。
そうこうしているうちに、ようやくラブレターの送り主らしき人物が現れた。元は立ち入り禁止にされている場所なのだから、ほぼ本人で間違いないだろう。
橘くんは私の存在を確認すると、目を見開き、口を開き、驚きを露にした。
「あ、橘真広くん?」
私が声をかけると、橘くんはハッと我に返り、早足で階段を駆け上がってきた。
「高橋さん!まさか本当に来てくれるとは思わなくて!すみません、待たせましたよね!?」
黒い縁の眼鏡をかけ、長く邪魔そうな前髪から大きな瞳を覗かせながら、橘くんは私の横に直立した。背は悠希よりも高い。背のわりに細い。少し強く押したら簡単に倒れそうだ。
「ううん。今来たからそんなに待ってないよ。あ、てゆうか初めまして」
「は、初めまして!」
簡略的に挨拶した私に対し、橘くんは深々と頭を下げた。それはもう、体を半分に重ね合わせたように深々と。
緊張しているのが嫌でも伝わってくる。自分より緊張している人間を見ると、自然と肩の力が抜けた。
「はは。そんなに緊張しなくていいし、同い年なんだから敬語とかやめようよ」
「は、はい。あ!うん……そうだね」
「橘くんはすごく頭が良さそうだよね」
私の言葉に橘くんは照れ臭そうに頭を掻いた。
「そんなことない。それなりに勉強してるから……それより高橋さんの友達の七海さんの方が成績は上だと思う。彼女、色々と有名人だから」
色々と。善し悪しが含まれているであろうその言葉に私は反応する。
「七海だって、努力の人だから、一緒だよ。両親が教師なんだって」
「そっか、気を悪くさせてしまいましたかね……」
私は階段に腰を下ろしたまま、ふと思った。完全に話が逸れてしまっている。この場所へ告白の返事をしに来たというのに、あろうことか告白した本人でさえも話が逸れている事実に気が付いていない。
私は重い腰を上げ、未だ直立不動の橘くんの前に姿勢を正して向き直った。
その場に再び緊張感が生まれる。先に口火を切ったのは橘くん。
「あ、ごめんなさい。本題に戻しますね。まず、僕の手紙を読んで今日この場に来てくれてありがとう」
落ち着かないのだろう。橘くんはそわそわ体を動かしていた。けれど次の瞬間にはしっかりとした口調で胸に秘めた想いを紡いでいた。
「もう一度、自分の口から言わせてください。僕は琥珀さんが好きです。お付き合いしてください!」
頭を下げ、私の前に差し出された長く綺麗な橘くんの手。
この手を握れば、それは気持ちに応えたということになるのだろう。やはり、少し待ってもらった方がいいのかもしれない。焦って答えを出すのは失礼だ。
「返事、待ってもらってもいいですか」
つられて敬語になる私に、橘くんは真剣な眼差しで口を開いた。
「迷ってるんですか?」
橘くんの言葉に私は今の思いを正直に口にした。
「分からないの……橘くんの告白は嬉しかったよ。私、告白されたのって初めてだったから。付き合ってから相手のことを好きになるってこともあるだろうし、そう思うのに……」
橘くんは言った。
「それは、やはりあの幼なじみさんとの噂が関係してますか?」
二か月前、私がまだ悠希を「悠ちゃん」と呼んでいた頃。悠希の彼女が希望だと、誰も知らない頃に広まった、私たちが恋人同士だという噂。
「それは違う。だって悠希はただの幼なじみだし、あいつには彼女がいる。知ってるよね、希望ちゃん」
ずっと隠していたのに、私の悠希への想いを橘くんは見抜いているようだった。
戸惑う私に橘くんは先ほどの緊張はどこへやら、落ち着いたような、悟ったような顔で続けた。
「僕、ずっと琥珀さんを見てたんですよ。だから感じたんです。幼ななじみさんが好きなんじゃないですか?」
それでも私は必死に建前をつくる。
「そんなんじゃないよ……男だから、女だからって、幼なじみだからって必ず恋に落ちるとは限らないんだよ。悠希には彼女がいるし、私たちはただの幼なじみなんだよ」
同じ病院で生まれたその瞬間から今まで変わらず続けてきた関係。崩してはいけない禁断の関係。
「琥珀さん、ずっと言い訳してますよね。幼なじみだから、相手に彼女がいるからって。気が付いてました?」
「え」
「それって、今の関係に甘えて、心を殺していませんか?」
開いた口が塞がらなかった。喉から声を絞り出すが、思ったように言葉が見つからない。
そんな私には、彼の言葉に理解出来ない部分があった。
「確認なんだけど、橘くんは私と付き合いたいんだよね?」
「は、はい……」
「じゃあさ、橘くんの言ってることって私と悠希が付き合う結果になるでしょ?それって橘くんが一番嫌なことじゃないの?」
好きな相手に他の男を薦め、自分が失恋するなんて何を考えているのか理解できない。
私は首を傾げる。橘くんは苦笑しながら言った。
「そりゃ嫌ですよ、当たり前じゃないですか……でも、好きな人には本当に幸せになってもらいたいんです」
「橘くん……」
「でも琥珀さんのことを諦めたくはないです。だからまず、僕と友達になってくれませんか?僕はあなたの気持ちが決まるまで、いつまでも待ちますから。焦らず、ゆっくり考えてください」
橘くんの言葉に私は激しく胸を締め付けられた。罪悪感と安心感が混じった不思議な気持ちが胸の中を占める。
「うん、分かった……ごめんね、ありがとう」
私は複雑な感情を抱えながら苦笑した。その胸の内は、新たに生まれた幼なじみへの思いに揺れていた。
そうして青春は、足早に歩き始めるのだ。
次の更新は13時頃の予定です
今日は休日なので目指せ3回更新……!