0987話
ダスカーから依頼を受けた翌日、レイとヴィヘラ、ビューネの三人とセトは、早速錬金術師を見つけ出すべくギルムの外へと……向かわず、門の側でミレイヌ達を待っていた。
その理由は、レイのミスティリングの中に収納されているサイクロプスの死体だった。
その数、七匹。
殆どはヴィヘラが倒したサイクロプスだが、ミレイヌ達が倒したサイクロプスの死体もその中にはある。
実はそのサイクロプスを倒す時にビューネもかなり貢献しているのだが、ビューネはその権利を放棄している。
もっとも、ビューネの保護者とも言えるヴィヘラが倒したサイクロプスの数を考えれば、決しておかしな話ではないのだが。
「けど、本当にいいのか? いや、俺は助かるけど」
ミレイヌ達が来るのを待っている中で、レイが隣のヴィヘラへと声を掛ける。
現在の時刻は午前九時をすぎており、ギルムから出ていく者達も朝の最も混む時間帯に比べれば大分少なくなっていた。
それでもギルムの立地上出て行く者の数は今の時間帯でも決して少なくはなく、踊り子や娼婦と見紛うようなヴィヘラに目を奪われている者は多い。
中にはあまりにもヴィヘラに目を奪われすぎて、恋人や仲間の女に足を踏まれている男も存在していた。
そんな視線を向けられながらも、ヴィヘラはいつものことと、特に気にした様子もなくレイに頷く。
「ええ、構わないわ。あのサイクロプスを倒すのにセトが協力したのは確かだし、その一匹も素材全部じゃなくて魔石だけなんでしょう? 私も別にお金に困ってる訳じゃないから」
魔石一つくらいなら全く問題ないわよ、とヴィヘラは続ける。
「悪いな」
「いいのよ。それより、魔石は一つだけでいいの? 何なら他のサイクロプスの魔石を分けてもいいんだけど?」
「いや、一つで十分だよ。それに……」
「それに?」
魔石の吸収は自分かセトが戦闘に参加していなければいけない。
そう言おうとしたレイが口を噤む。
魔獣術の件はまだヴィヘラに教えていなかったのを思い出した為だ。
(ヴィヘラがこのまま俺とパーティを組むのなら、そろそろ教えた方がいいのかもしれないな。……この前、エレーナもそんなことを言ってたし)
数日前に対のオーブで話したエレーナの言葉を思い出すレイだったが、その考えは次の瞬間には綺麗さっぱりと頭の中から消えてしまう。
「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃーん! 昨日ぶり。お腹減ってない?」
そんな声が聞こえてくると同時に、ミレイヌがセトへと抱きついたからだ。
「すいません、うちのミレイヌが……」
そう言い、頭を下げてくるスルニンの顔には既に諦観の色が浮かんでいる。
そんなスルニンの横にいたエクリルが、レイを見るとスルニンと慌てて頭を下げてから口を開く。
「その、昨日は助けてくれてありがとう。もしあのままだったら、きっと私は死んでたと思う。本当は昨日お礼を言いたかったんだけど……」
言葉を濁すエクリルに、レイは昨日のことを思い出す。
ベスティア帝国出身の錬金術師が今回の件に関わっていたという話を聞き、ミレイヌ達が帰ってきたところへと出くわすとすぐにヴィヘラを引っ張っていったのだ。
とてもではないがエクリルが話し掛けるような隙はない程に素早い行動で、結局レイに感謝の言葉を告げることは出来なかった。
その為、昨日領主の館から帰った後で食事をする前にギルドによって伝言を頼もうとし……その前に、既にミレイヌによって伝言がされていた。
だが、それは当然だろう。そもそもサイクロプスの討伐依頼を受けた以上、それを証明する為には討伐証明部位や魔石といった物を提出する必要がある。
しかしサイクロプスの死体はレイのミスティリングの中にある以上、まだ依頼完了とはなっていなかった。
もっともレイが援軍に向かってサイクロプスの討伐を完了したという話がギルドに伝わっており、更に依頼の期限まではまだ一週間程あるということで、ミレイヌ達にとっても切羽詰まっているという状況ではなかったのだが。
「気にするな。俺も顔見知りが死ぬのは見たくないし。無事で何よりだ」
「……ありがとう」
レイの言葉に、エクリルは再度頭を下げる。
すると、まるでタイミングを図ったかのように、再び周囲に声が響く。
「セトちゃん、元気にしてたー?」
先程と同じような内容でありながら、その声は全く違う人物の声。
「げ、ミレイヌ」
「ふふん。昨日はあんたの方が早かったけど、今日は私の方が早かったわね」
「ぐぬぬ……」
セトへと抱きつこうとしたヨハンナの前で、ミレイヌがこれ見よがしにセトへと抱きつく。
「グルルルゥ」
そんなミレイヌとヨハンナに、どこか困ったような鳴き声を上げるセト。
「ほら、その辺にしておけよ。セトも困ってるだろ。それに、今日はここで時間を無駄にしている暇はないぞ。お前達からサイクロプスの剥ぎ取りを手伝うって言ってきたんだからな」
レイの声に、その場にいる全員が真面目に頷く。
その中には昨日レイが合流する前にそれぞれ逃げ出した者達の姿もあり、全員が無事にギルムへと到着していたということを示していた。
中には何人か軽い怪我をしている者の姿もあったが、重傷と呼べるような者の姿がないのを見て取り、レイも安堵の息を吐く。
(ま、俺が鍛えたんだから、サイクロプスならともかく逃げている時に出会うモンスターに怪我をさせられたりしないのは当然だけど)
安堵の表情を照れ隠しに混ぜて内心で呟くレイ。
「レイさん? どうしたんすか?」
そんなレイの様子を疑問に思ったのか、ディーツが尋ねてくる。
「いや、何でもない。それよりそろそろ行くぞ。お前達も出来るだけ早い内に依頼を終わらせた方がいいだろ」
レイの言葉に皆が頷き、そのまま全員で門へと向かう。
これだけの人数が纏まって移動していれば……特にその中にレイやセト、ヴィヘラといった目立つ面子がいれば目立つのは当然だった。
特に今は朝の最も人通りの多い時間帯が過ぎて多少落ち着いてきた頃であり、どうしても目立ってしまう。
「レイ君、この面子は……まさか、昨日の件かい? それとも、もしかして……」
もしかしてサイクロプスの件で何かあったのではないかと尋ねてくるランガだったが、特に問題はないと言いたげにレイは首を横に振る。
「サイクロプスの件はもう問題ないよ。サイクロプスから素材を剥ぎ取ろうかと思ってな。あれだけ大きくて、しかも数も多いから、一人や二人だと時間が掛かりすぎるんだよ」
そのレイの言葉に、ランガは安堵の息を吐く。
錬金術師の件については、警備隊の隊長という地位にいる以上当然ダスカーから聞かされている。
ランガの立場としては、悪意ある錬金術師などという存在は厄介以外の何ものでもない。
だが顔も分からぬ相手である以上、まさかギルムへとやってくる相手全てを厳重に取り調べる訳にもいかない。
そういう意味では、現在ギルムで最も緊張を強いられているのは街中への出入りの手続きを担当している警備兵だった。
更にこの件は表沙汰にしたくないというダスカーからの要望により、部下に任せるのも難しいのだから。
しかし、ランガの表情にはそんな思いは一切出ておらず、レイの目から見てもいつものランガと変わりはしない。
「そうかい。じゃあ、気をつけて。特にサイクロプス程の大きさを持つモンスターを複数解体するとなると、どうしても他のモンスターが血の臭いに惹かれてくる可能性もあるからね」
短いやり取りをし、全員が手続きを終えるのを待つと門からギルムの外へと出る。
「よし、向かうのはお前達が昨日行った森だ。ただ、そこまで深い場所じゃなく、ここからかなり近い場所だから安心しろ」
昨日戻ってくるのに時間が掛かったのは、森の奥深くまで入って行ったからであり、レイが目指している場所はギルムからそれ程離れていない場所にある。
ヨハンナやディーツのような元遊撃隊の面々はまだギルムに来たばかりであり、レイの森に行くという言葉で昨日の件を思い出したのか、一瞬嫌そうな表情を浮かべる。
だが、すぐに行くのは近くの場所であるという言葉を聞き、安堵の息を吐く。
そんな元遊撃隊の面々と比べれば、ギルムで長いこと暮らしているミレイヌ達はすぐにどこの場所を言っているのかを理解する。
そうして一行は周囲の注目を浴びながら森へと向かって歩き出す。
自分達に視線を向けている者の中に、サイクロプスの件を引き起こした錬金術師がいないかどうかを視線で探そうとするレイだったが、悪意ある視線は数多い。
レイの行動を考えれば悪意を向けられるのは不思議ではないが、今回の場合は特に嫉妬の視線が多かった。
(多分……いや、間違いなくヴィヘラが原因だろうな)
自分の横を歩くヴィヘラへと視線を向けながらフードの下で溜息を吐くレイ。
今日もいつもと同じく、挑発的なと表現するのが相応しい肢体を見せつけるかのような薄衣を身に纏っており、そんなヴィヘラの隣を歩くレイは、当然のように男からは嫉妬の視線を向けられる。
もし錬金術師がいても見つけるのは不可能だろうと判断したレイは、早々に視線を気にすることを止め、森へと向かうことに意識を集中するのだった。
暖かな日射しが木々の間から降り注ぎ、近くを流れている川の音や青々と生い茂った木々、柔らかな風といったものが今が春であるというのを教えてくる。
ギルムの中にいては嗅げないだろう、圧倒的な緑の匂いと空気が周囲を満たす。
……もっとも、一昨日、昨日と山の中にいたミレイヌやヨハンナ達にとっては、今更春の匂いを嗅いだところでどうということもないのだが。
(山菜……タラの芽とかボンナとかアイコとかあればいいんだけどな。特に小麦粉があって油もあるんだから、天ぷらも作れるだろうし)
日本では山の中に住んでいたレイだ。
当然山の恵みとも呼べる山菜はこの時期のご馳走であり、特に山菜の女王とも呼ばれるタラの芽の天ぷらはレイの好物でもあった。
(あ、でも天ぷら粉って小麦粉以外にも何か入ってたんだったか? 小麦を冷水で溶いて衣にするだけだと天ぷらにならない? 天つゆもないし。……まぁ、味付けに関しては塩があるから大丈夫だろうけど)
タラの芽の天ぷらの味を思い出すだけで、レイは腹が減ったような気がする。
(うどんはあるんだし、天ざるとか? ……出来れば天ぷらと合わせるのは蕎麦の方がいいんだけど、蕎麦ってこの世界だと見たことないしな。蕎麦の実とか……うん、店とかでも見たことないな)
考えている間にやがて川へと到着するも、天ぷらのことを考えていたので既にレイの腹は自己主張をしている。
だが、川に来たばかりで休憩にしようと言える筈もない。
小腹が空いた感覚を我慢しながら、サイクロプスを二匹取り出す。
一匹はミレイヌ達が自力で倒したサイクロプスであり、もう一匹はセトが背後から攻撃をしたサイクロプスだ。
「じゃあ、別れて解体を始めてくれ。前もって言ってある通り、解体した素材とかは俺がアイテムボックスに入れて持っていくから心配はいらない」
レイの言葉に従い、それぞれが二手に分かれて早速サイクロプスの解体を始める。
身長四m近いサイクロプスが二匹地面に並んでいるというのは、かなりの場所を取っていた。
「こうして改めて見ると、やっぱり大きいわね」
解体が始まった為にスルニンの手で強引にセトから引き離されたミレイヌが、気を取り直したように呟く。
その近くでは、同じようにサイクロプスの解体が始まるということで元遊撃隊の面々がヨハンナをセトから引き離している。
「……セト、悪いけどいつものように周囲の警戒を頼む」
このままでは時間が掛かるだけだと判断し、レイはセトに周囲の見張りを頼む。
もっとも、これは特別なことではない。
ギルムの外でレイが何かをする時には、大抵セトがその鋭い五感を活かして周囲の警戒をするのだから。
「グルゥ!」
だから、セトもレイの言葉に短く鳴いてそのまま近くの茂みの中へと消えていく。
自分がここにいれば、サイクロプスの解体で邪魔になると理解しているのだろう。
「ああー……セトちゃん……」
「ほら、ヨハンナ。早くしろ。素材の剥ぎ取りを早く終わらせれば、それだけセトと一緒に遊べるんだぞ」
そんな仲間の声に、ヨハンナは数秒消えていた目の光を蘇らせる。
「さあ、こうしている暇はないわ。さっさとサイクロプスの解体を終わらせるわよ!」
周囲に聞こえるように叫ぶと、解体用のナイフを手にして地面に存在するサイクロプスの死体へと向かって歩み寄っていく。
それを見た他の者達も、ヨハンナらしい行動に苦笑を浮かべつつサイクロプスの解体を始める。
ミレイヌ達、レイ、ヴィヘラ、ビューネといった者達もまた、そんなヨハンナに引っ張られるようにしてサイクロプスの死体へと歩み寄っていくのだった。