0961話
サブルスタの宿で朝を迎えた一行は、少し早めの朝食を取って宿を出る。
……その際、レイの手がまだ眠そうに目を擦っていたのは単純に朝に弱いというのもあるだろうし、昨夜遅くまで対のオーブを使ってエレーナと話していたということもあるだろう。
「ん!」
馬車に乗るのではなく、セトと共に街中を歩いていたレイは、元気を出せと言いたげに馬車の窓から告げてくるビューネの言葉に小さく頷いて答える。
(子供ってのは朝から元気がいい奴が多いけど、羨ましいよな。俺も小さい頃は朝早くから小学校に行ってグラウンドで遊んでたし。……今思えば、何だってあんなに元気だったんだろうな?)
我がことながら、と小さい頃の自分と今の自分のあまりの違いに――レイとなったことも含めて――考えながら門へと向かっていたのだが、門の近くに到着すると何か騒ぎが起きているのに気が付く。
「おいおい、騒動は御免だぞ」
御者台に乗っていたぶっきらぼうな商人が呟く声が聞こえてきたが、それでもサブルスタから出るにはこのまま進むしかない。
レイもまた、微妙に嫌な予感を覚えつつセトを撫でながら門の方へと進んでいくと、数人の警備兵が誰かを囲んでいるのが見えた。
なるべく騒動には関わり合いになりたくないと考える商人は、少しでもその騒動から離れたいと考えたのだろうが、それでも正門の近くで起きている騒動だけにサブルスタから出るのに近くを通らざるを得ない。
そして一行がその騒動の場所の近くを通った、その時……
「師匠! 俺を弟子にしてくれ!」
不意にそんな声が周囲に響く。
師匠? 不意に出て来た言葉に首を傾げたレイは、そちらを振り向く。
……それが失敗だったのだろう。そこには、自分を見ているマギタの姿があったのだから。
レイにとっても、昨日会ったばかりの相手を忘れるようなことはない。
その人物が昨日戦った相手だというのは分かったが、それでも何故自分を師匠と呼んでいるのかというのは疑問に思う。
昨日の件を考えれば、寧ろ恨まれているのではないかという思いが強かった為だ。
だが、自分を見るマギタの目に恨みの類は一切感じられない。
マギタに対してどう反応すればいいのか。それを迷っている間に、マギタの周囲にいた警備兵のうち何人かがレイ達の方へとやって来る。
「すまないけど、ちょっと事情を聞かせて貰ってもいいかな?」
高圧的という訳ではない問い掛けだけに、レイや他の者達にしてもそれを拒否するのは憚られた。
そもそも、何か後ろめたいことをした訳でもないので、断る理由がなかったと言える。
……この件でサブルスタを発つのに時間が掛かるということになった二人の商人が若干嫌そうな表情を浮かべたが、そもそも昨夜レイにマギタと戦って見せろと言ったのが自分達である以上、それを拒否することも出来ない。
結局昨夜の事情を話し、マギタがレイに負けたというのを聞くと警備兵達は納得した表情を浮かべる。
サブルスタの警備兵だけに、レイの顔を知っている者もある程度いたおかげだろう。
その警備兵達は、寧ろマギタの方に興味深い視線を向ける。
あの深紅に戦いを挑むとは、と。
マギタの方も、レイが深紅の異名を持つランクB冒険者だと聞いて驚愕の表情を浮かべていたが、それでもすぐにその鋭い視線に似合わぬような笑みを浮かべる。
「そうか、やっぱり師匠は強かったんだな」
「いや、だから俺は別にお前を弟子にするつもりはないぞ。そもそも、俺とお前だと強さを求める意味そのものが違うだろ」
「強さを求める意味?」
レイの言葉が理解出来ないといった風に告げてくるマギタに、理解していなかったのか……と溜息を吐きながらレイは口を開く。
「お前は昨日酒場で何て言ったか覚えてるか? 自分の強さを人に見せつけて優越感に浸りたいって言ってたんだぞ? 残念ながら俺はお前のそういう主義には賛成出来ない。そんな相手を鍛えるのはごめんだ」
そう言って断ったのは、つい最近まで士官学校で模擬戦の教官をやっていたというのも理由にあるだろう。
師匠と弟子というのは教官と生徒という立場とは微妙に違うかもしれないが、それでも似たようなものなのは間違いない。
レイの気分的にも、再び戦い方を教えるというのは飽きてしまうというのがある。
元々人に教えるのが好きな教師向きな性格であれば、ここでマギタを引き受けて更正させたりといったことをするのだろう。
だが、レイはとてもではないがそんな性格の持ち主ではない。
寧ろ敵対する相手は力で叩き潰せばいいという、マギタの力を見せて優越感云々というのと似ている考えすら持っている。
「そんな、師匠! 頼むから、俺を鍛えてくれ!」
「だから師匠じゃないって。大体そんなに強くなりたいのなら、もっと戦闘のある場所に行けばいいだろ。ギルム……とまでは言わないが、アブエロとか」
よりギルムに……正確には辺境に近い位置にあるアブエロには、当然サブルスタ周辺よりも強力なモンスターが姿を現す。
盗賊のような人型の相手と戦うという意味ではサブルスタの方が相応しいのかもしれないが、純粋に強力な敵と戦いたいというのであれば、サブルスタよりもアブエロの方が向いている。
「それは……俺より強い奴がいないと思ったんだ」
「何をどう判断してそう思ったのかは分からないが、俺から見ればお前は強くなる手段が色々とあったにも関わらずそれを無視して、相手を倒して優越感に浸っているようにしか見えない。大体、俺がお前を鍛えて何の得がある?」
「俺が師匠の仕事の手伝いをする」
即座に告げるその言葉は、普通の……それこそマギタと同じくらいの強さの冒険者であれば好条件と言っても良かっただろう。
実際マギタはサブルスタでも騒動を引き起こしていたのはともかく、多少は腕の立つ冒険者としてそれなりに有名な存在だ。
それを自分で理解しているからこそ、マギタも自分がレイの手助けをするというのが条件になると思ったのだろうが……
「断る」
再びレイはあっさりとマギタの提案を断る。
「そんなっ、何でだよ師匠!」
「だから師匠じゃないって言ってるだろ。そもそも、今回はヴィヘラやビューネと行動を共にしているけど、基本的に俺はソロで活動している冒険者だ。相棒って意味ではこいつがいるしな」
「グルルゥ?」
セトの背をそっと撫でると、嬉しそうな声が返ってくる。
グリフォンがレイの側にいるというのは分かっていたが、それでもレイだけしか目に入っていなかった為だろう。マギタの視線は改めてセトへと向けられ、驚きの表情が……浮かばない。
「何だこのモンスター」
『え?』
マギタの口から出た言葉に、その場にいた者……それこそレイやヴィヘラといった面々だけではなく、警備兵や二人の商人までもが声を揃えてそう呟く。
当然だろう。冒険者をやっている以上、有名なモンスターというのは知っていて当然だと思っていたからだ。
いや、冒険者ではなくても、一般人であってもグリフォンの名前やどのような姿をしているのかくらいは知っている。
「……俺の従魔。グリフォンのセトだ」
「グルゥッ!」
セトの口から出た鳴き声は、決して相手を威嚇するようなものではなかった。
それでも獣人の野生の勘とでも呼ぶべきものが目の前にいるのがどれ程強力なモンスターなのかというのを悟ったのだろう。
反射的に数歩後退る。
(セトの姿を見ただけで強さを推し量れないけど、鳴き声を聞けば後退る……か。色々と変わっているってのは間違いないな。セトを見ても驚かなかったのは好評価だけど、それもセトを……グリフォンを知らなかったと考えれば当然かもしれないし)
その歪さに多少興味を引かれたものの、それでもわざわざ弟子を取るところまではいかない。
「今回のように大勢で行動する時は別だが、基本的に俺はセトに乗って空を飛んで移動している。そうなればお前はどうする? ちなみにセトに乗ることが出来るのは基本的に俺だけだ。まぁ、子供くらいなら一緒に乗せても大丈夫だが、お前みたいに大きな奴は無理だな。……爪に引っ掛けて運ぶのは出来るけど、それを希望するか?」
レイの口から出た提案はマギタにとっても有り得ない選択肢だったのだろう。即座に首を横に振る。
この世界で生きている人間のうち、空を飛ぶという経験をする者は竜騎士のような例外を除けば驚く程に少ない。
怖い物知らずのマギタであっても空を飛ぶというのは……それもセトの爪に引っ掛けられて空を飛ぶのは、絶対に遠慮したかった。
それを見て、満足そうに頷くレイ。
「だろ? つまり、そういう訳だ。俺がお前に戦い方を教えることはない。どうしても強くなりたかったら、それこそアブエロ……いや、ギルムに行った方がいい。向こうにはお前より強い奴は幾らでもいるしな。大体、ビューネはともかくヴィヘラだってお前よりも強いぞ?」
「ちょっと、何でそこで私の名前が出るの?」
「ヴィヘラは戦うのが好きだろ? なら、マギタの相手をしてもいいんじゃないかと思ってな」
レイの言葉に、ヴィヘラは一瞬マギタに視線を向けるが、すぐに首を横に振る。
「残念だけど、私が求める強さじゃないわ」
「何だとこの女!」
ヴィヘラの言葉が気にくわなかったのだろう。即座にマギタはヴィヘラへと向かって凄む。
マギタの目から見れば、ヴィヘラは踊り子や娼婦……良くてレイの情婦といった認識でしかない。
その美貌や肢体に目を奪われはするが、それでも自分を格下に見るその言動は許せるものではなかった。
だが、ヴィヘラへと向かって一歩進み出ようとしたマギタを止めたのは、唐突に目の前に突き出された槍。
刃から柄まで全てが深緑一色のその槍は、見ているだけで意識を奪われるだけの何かがある。
「だからお前は未熟だって言うんだ。俺が言ったのを聞いてなかったのか? ヴィヘラはお前よりも強い。正確にはお前より少し強いとかそんなところじゃなくて、圧倒的に強い。お前だと戦いを挑んでも数秒持てばいい方だよ。ま、同じ格闘を使うと考えれば、ヴィヘラの方がお前を鍛えるという意味では向いてるんだけどな」
「……俺が? この女よりも?」
「ああ。間違いなく」
納得出来ないといった視線を向けてくるマギタだったが、レイは茨の槍をミスティリングへと戻しながらあっさりと言い切る。
「大体だな、お前は格闘を武器にしてるんだろ? なのに、なんで俺に弟子入りしようなんて考えたんだ? 俺の武器は……」
レイが自分のことを知っている警備兵に視線を向けると、このままここで長い時間を掛けられるよりはいいと考えたのだろう。警備兵が頷くのを確認し、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
突然目の前に現れた、レイの身長よりも巨大な鎌にマギタは大きく目を見開く。
「俺が普段使っている武器は、このデスサイズだ。こんな長物を使っている俺に、格闘家のお前が弟子入りしてどうするんだ? どうしても弟子入りをするのなら、寧ろ俺じゃなくてヴィヘラの方だろ」
「……ちょっと、レイ。私に押しつける気?」
レイの言葉で自分がマギタの師匠に担ぎ出されようとしているのに気が付いたのだろう。ヴィヘラは据わった視線をレイへと向ける。
「そう言われてもな。今も言ったけど、格闘は俺にとって手慰み程度でしかない。なら、本物の格闘を知っているヴィヘラに頼むのが最善だろ?」
「……そうね、最善かもしれないわね。私の都合を全く考えなければ」
「気軽に戦える相手を用意しておいてもいいと思わないか?」
「思わないわよ。このくらいの強さなら、それこそ一人で訓練していた方がまだいいわ」
自分の実力を問題外と評され、更には今までのやり取りでも自分より格上だと言いたげなヴィヘラの言葉に、マギタはいよいよ我慢が利かなくなる。
「師匠! 俺とこの女を戦わせてくれ! そうすれば俺が師匠の弟子になるのを認めて貰える筈だ!」
「……だ、そうだが?」
マギタの言葉に、レイは視線をヴィヘラへと向ける。
もう戦わないと収まらないといった様子のマギタに、やがてヴィヘラは溜息を吐く。
「分かったわ。戦ってあげるから街の外に出ましょう。いつまでもここにいては、他の人達の邪魔になるわ」
正門付近はそれなりに広く、レイ達がいても通れないということはない。
だが、そんな場所で目立つような真似をしていれば注目を集めるのは当然だった。
特にヴィヘラは男を魅惑する肢体を薄衣で包んでいるような姿だし、レイも近くにはセトがいる。
……この中で最も目立たないのはビューネだが、そのビューネも十歳程度でしっかりと武装しており、立ち居振る舞いに隙がないのを見れば、濃い三人がいるからこそ目立っていないと言えるだろう。
取りあえずヴィヘラの言葉に全員が頷き、一行とマギタはサブルスタから出て行くことになる。