0948話
怨嗟の言葉を吐きながら胴体が切断されたビセンテだったが、聖域の力があってもその状態で生きられる程に化け物染みてはいなかったらしく、既に息絶えた状態で地面へと転がっている。
ビセンテの命が絶たれてから三十秒程。周囲に広がっていた、レイには全く理解の出来ない聖域と呼ばれていた奇妙な空間はまるで先程までそこにあったのが嘘であったかのように消えていった。
「どうやら本当に死んだ、か」
最後までレイに対して憎悪を抱いていたビセンテだ。魔力というものがあるこの世界では、胴体を真っ二つにされても実は生きてましたとなっても不思議ではない。
だからこそレイもビセンテの様子を警戒していたのだが、ここにいたってようやく死んだと確信したのだろう。安堵の息を吐きながら炎帝の紅鎧と、地面に広がっている探索用の炎を解除する。
すると、周囲は急激に暗くなる。
当然だろう。先程まで明るかったのは、全てがレイの使った炎帝の紅鎧や地面に広がっていた炎のおかげだったのだから。
「グルルルゥ?」
安堵の息を吐いたレイに、セトは大丈夫? と喉を鳴らしながら近づいて行く。
少し歩く様子に違和感があったのは、ビセンテの一撃を受けた影響だろう。
戦闘中はその痛みを無視出来たのだが、今はその戦闘も終わって戦闘中に比べれば落ち着いており、その分痛みも感じるようになってしまっていた。
「俺よりも、セトの方が大丈夫か?」
レイも何度か攻撃を受けたが、それでもセトのように歩くのに支障があるような怪我ではない。
自分の方が明らかに酷い怪我をしているのに、それでも心配をしてくるセトに、レイは感謝の意味を込めて頭を撫でる。
「ありがとな、セト。怪我のこともそうだけど、お前が援軍に来てくれなかったら少し手こずっていたと思う」
幻影を使う老人と、近接戦闘に秀でたビセンテ。
そんなコンビを相手に……それも聖域などという妙なスキルを使用されていたのだ。レイだけで戦っていれば、苦戦していたのは間違いない。
幻影を使う老人を容易く倒したように見えたレイだったが、それはビセンテと連携させないようにして戦うことが出来たからこそだ。
「グルルルルゥ!」
大丈夫だよ! と喉を鳴らしながらセトはレイへと顔を擦りつける。
そんなセトに、レイは笑みを浮かべてミスティリングからポーションを取り出す。
切り傷のような表面上の怪我ではないので、そこまで明確にポーションの効果がある訳でもないだろうが、それでも使わないよりも使った方が傷の治りが早いのは事実だった。
レイの持っている中でもそれなりに高価なポーションは、セトへと振り掛けられるとすぐに一定の効果をもたらす。
ミスティリングの中にはもっと効果の高いポーションもあったのだが、幾らセトが可愛いからといってレイがそれを使うようなことはなかった。
そもそもセトはランクAモンスターであり、自己治癒能力もその辺にいるモンスターとは比べものにならない。
そんなセトの治療をするのであれば、この程度のポーションであっても十分だという理由があった。
「グルゥ、グルルルルゥ……」
身体の痛みが消えていくのが分かるのだろう。セトは嬉しそうに喉を鳴らしてレイへと顔を擦りつける。
「全く、セトは甘えたがりだな。けど、セトのおかげで今回助かったのは事実だし、思う存分付き合うよ」
「グルゥ!」
やった! と嬉しげに鳴き声を上げるセトだったが……
「可愛がるのはいいけど、出来れば後片付けが終わってからにしてくれると嬉しいんだけどね」
唐突にそんな声が響き渡る。
「っ!?」
幾ら戦闘が終了して気が緩んでいても、自分が話し掛けられるまで気が付かなかったというのは信じられず、レイは小さく息を呑み、セトは素早く警戒態勢に入る。
だが、すぐにその声が誰の声なのかを悟ったレイは、唸り声を発しているセトを落ち着かせるべく撫でながら口を開く。
「落ち着け、セト。こいつは味方だ。……こう見えてもな」
「……グルゥ?」
本当? とレイへ視線を向けるセト。
つい数分前までビセンテと戦っていただけに、見ず知らずの相手に強い警戒心を持ってしまうのは当然だろう。
特に今回の戦いでは、自分もレイも多少なりとも怪我をしたので警戒心は高い。
また、それ以外にも目の前にいる人物が非常に高い……それこそ先程まで戦っていたビセンテとは比べものにならない程の力を持っているのを、高ランクモンスターとして察知しているというのもあるだろう。
自分が撫でていなければ、今にでも目の前の人物……サルダートへと攻撃を仕掛けかねないセトの様子に、レイは首を傾げる。
「珍しいな、セトがこうも露骨に相手を警戒するなんて」
「いや、それはそうだよ。レイがグリフォンを従魔にしているというのは色々なところから入ってくる情報から聞いていたし、噂でも聞いていた。けど、こうして直接顔を合わせるのは初めてなんだから、見ず知らずの相手を警戒するのは当然だろう? それも、主であるレイを守る為に」
「……ん? ああ、そうか。セトがサルダートと会うのは初めてだったか」
レイの言葉にサルダートは口元に笑みを浮かべて頷きを返す。
「そうだね。まぁ、私の場合はレイの護衛をしていたから、レイがそのグリフォン……セトだったよね? そのセトと一緒にいる光景は何度も見てるけど、こうして実際に顔を合わせるのは初めてだよ。ああ、それとさっき空を飛んでるのを見たけど」
「悪い、すっかり忘れてた。セト、こいつはサルダートだ。俺の護衛をしてくれていたエルフだよ。で、サルダート。こっちはセトで、知ってると思うけど俺の相棒」
「グルルルゥ?」
レイの言葉で、目の前にいる相手が敵ではないと判断したのだろう。セトは円らな瞳でサルダートを見つめる。
最初に向けられた警戒の視線と、今向けられている無垢な視線。
そのどちらもが同じ相手から向けられているというのは、サルダートにとっても、少し驚きだった。
レイの口から出た一言でこんなに変わるのかと。
「それで、結局何しに来たんだ? 護衛って割りには戦いが終わってからの登場だったけど」
「あー……うん。正直、その辺については申し訳ないと思っている。レイも以前会ったから知ってると思うけど、スティグマはレイが倒した以外にももう一人いてね。そいつに足止めされてたんだ。で、ようやくそいつを倒したからこっちに来たんだけど……」
小さく肩を竦めるその様子は、自分がやって来たのが手遅れだったというのを理解しての態度だった。
だが、レイもその件でサルダートを責めるつもりはない。
スティグマが厄介な存在であるというのは、体験した自分が一番よく分かっていたからだ。
それでも、ふと先程の戦闘で使われたスキルが気になったレイは、胴体を真っ二つにして死んでいるビセンテの死体に視線を向けてから口を開く。
「ちなみに……本当にちなみにだけど、そっちの足止めをしたスティグマも聖域とかいう妙なスキルを使わなかったか?」
それを聞けば、サルダートもここに聖域が発動していたというのはすぐに理解したのだろう。目に驚きを込めてレイを見やる。
「その言葉を知っているということは、君も聖域を使われたのかい? ……よくもまぁ、それで無事だったね。私が言うのもなんだけど、あの聖域というのは非常に厄介な代物なのに」
「知ってるってことは、そっちも?」
セトを撫でながら尋ねるレイに、サルダートはその端整な顔を少し歪めつつ頷きを返す。
「ああ。私の場合は今までにも何度かスティグマと戦っているからね。その中の何人かが似たようなスキルを使ってきた。もっとも、聖域を展開……いや、それを含めてスティグマの効果というのは人それぞれで、大きく違う。全員が画一的なスキルを持っているということではないらしいけどね」
「そう言えば……」
サルダートの言葉に、レイの視線は胴体を真っ二つにされたビセンテではなく、離れた場所に転がっている老人の死体へと向けられる。
聖域を展開するという能力を全員が持っているのであれば、あの老人もそれを使っても良かった筈ではないか、と。
最初は聖域を二重に展開することが出来ない為に老人の方は幻影を使っていたのではないかと思っていたのだが、もしかしてあの幻影こそが老人のスティグマの能力なのではないかと思える。
「あっちで半分になっているもう一人のスティグマが、かなり精巧な……それこそ、実際に触ってみるまでは本物かどうかも判断出来ない幻影を自由自在に使ってたんだけど、それもスティグマの能力なのか?」
「……どうだろうね。私もスティグマについては詳しく知らない。聖光教というのは、それ程に深い闇を持つ組織なんだ。スティグマと戦った経験があると言っても、豊富にって訳じゃないしね。……だからレイの言葉に答えるのであれば、恐らくとしか言えないよ」
戦っている時、殆ど本能的な勘で幻影だと気が付くことが出来たが、それまでは転移魔法を使っているのでは? とすら疑っていた。
そこまで精巧な幻影をつくるというのはレイの目から見ても驚くべき能力であり、セトが応援に来なければ、幻影だと知っていてもそれに翻弄されたままビセンテとの戦いに苦戦していただろう。
改めてレイは自分がこうして無傷に近い状態でスティグマに勝ってここにいるのは、セトが来てビセンテを引き受けてくれたからだということに思い至る。
もっとも、そのビセンテはセトとの戦いに集中して……いや、セトの強さから集中せざるを得ず、その隙を突かれて後ろからレイの攻撃を受けてその命を絶たれたのだが。
(ノイズに一応勝ったと言っても、結局相性が良かったってのもあるんだろうな。自分では天狗になっているつもりはなかったけど、実際に今回の戦いを考えるとそう思ってもしょうがないだろうし。……はぁ)
改めて戦いの相性についてレイが感じていると、サルダートが口を開く。
「……さて、何だかんだとあっても、お互いが無事で何よりだったよ。正直、護衛としての役割を果たしたとは、とても言えないけど」
「ま、聖域なんて代物があったしな。……正直、あんなに戦いにくい相手は久しぶりだった。相性の問題とは言いたくないけど、それでもやっぱり相性なんだろうな」
溜息を吐くレイに、サルダートも苦笑を浮かべて同意する。
「相性の悪い相手というのは当然いるよ。もっとも、相性が悪いからといって苦戦するのはともかく、負けていいという話にはならないけど。それより、この辺の後片付けをするのは色々と大変そうだよね」
サルダートの視線が向けられたのは、つい先程までレイがスティグマと戦っていた戦場。
レイの炎帝の紅鎧により、雪は解けて水となり、水は蒸発して水蒸気となっていた。
先程までは蒸すような熱さだったのだが、炎帝の紅鎧を解除した今となっては冬の夜の冷気が押し寄せ、先程まで暖かかった分だけ、余計に寒さを感じる。
……もっとも、レイはドラゴンローブを身につけており、セトはグリフォンだ。
そういう意味で寒さの被害を最も受けているのは、サルダートなのだが。
「とにかく、ここの後片付けに関してはこっちでやるよ。レイ達は……部屋に戻ってもいいと言いたいところだけど、そんな訳にはいかないかな」
「そもそも、寝ているところをスティグマの連中に襲撃されたから、部屋は相当に荒らされてるんだけど」
「……取りあえずエリンデのところに行こうか。向こうも話を聞きたがっているみたいだし」
そう告げたサルダートの視線が向けられた先には、レイにも見覚えのある小鳥の姿があった。
「使い魔の目でこっちを見ていたんなら、事情を説明する必要もないような気がするけど」
「そうでもないさ。エリンデも、最初からこっちの状況を見ていた訳ではないんだろうし。……だろう?」
問い掛けるサルダートの言葉に、小さく鳴く小鳥。
それは、サルダートの言う通りと態度で示していた。
「それに部屋が被害を受けたのなら、どのみちエリンデに言って新しい部屋を用意して貰う必要はあるだろ? ほら、ここにいると寒いし、さっさと行こう」
「ちょっと待った。取りあえず今のうちに回収出来る物は回収させて貰うから」
サルダートの言葉に、そう返し、ビセンテの死体から光鉱石で出来た鎧や手甲、足甲、老人の死体からは同じく鎧と杖をミスティリングに回収してから、学園長室のある校舎へと向かう。
その様子を確認した小鳥は、サルダートの肩へと止まって同行する様子を見せる。
「あー……出来れば色々と穏便に頼むよ」
「チチチチチ!」
後ろから聞こえてくるそんなやり取りを聞きながら、ようやくレイは自分を襲ってきたスティグマがどうにかなったのだと実感する。
(三人目のスティグマはサルダートと戦ったって話だし、その本人がここに無事でいるんだから、恐らく殺されたか、捕らえられたかしたんだろうな)
無傷に近い状態のサルダートを眺めながら、レイは学園長室での話が長くならず、出来るだけ早く眠れるように祈るのだった。