0930話
炎帝の紅鎧を使用したレイだったが、全くといって何の反応もないまま時間が過ぎていく。
それでももう少しは待っていた方がいいかと考え、少し離れた場所にいるサマルーンの為を思って炎帝の紅鎧から発せられる熱気を調整し、暖かい空気を送る。
当然そんな真似をすればレイの周辺にあった雪は次々と溶けていき、最初に来た時は二十cm程積もっていた雪が見る間に減っていく。
勿論雪が溶ければ水となり、その状態でレイがいなくなれば、その水が再び冬の夜という気象条件から氷となるのだが……
元々あまり人がいない場所ということでサマルーンにこの場所を選んで貰った以上、レイにとってはその辺を気にする必要はない。
「暖かい……? これは、レイさんが?」
「言っておくが、熱量のコントロールはまだ完璧に極めたって訳じゃないんだ。あまり近づくと即座に焼死ってことはないと思うが、それでも火傷くらいはするかもしれないぞ」
その言葉を聞いたにも関わらず、尻餅をついていたサマルーンが起き上がる。
幾らレイが意識を向けず、威圧していなくても、こうも簡単に動けるようになるというのはレイにとっても予想外だった。
(好きこそものの上手なれ……いや、違うな。こけの一念岩をも通すだったか? これも違うような気がする。ともあれこの状況でこっちに近づいてくるというのは普通に凄いな)
魔法馬鹿、ここに極まれり……と表現したくなるようなサマルーンの様子に、レイは小さく笑みを浮かべる。
その理由が何であれ、ここまでやれるのであればそれは凄いとしか言いようがない、と。
恐る恐るレイへと近づいたサマルーンが炎帝の紅鎧へと手を伸ばすのを見て、出来る限り温度を下げる。
まだ精密にとまではいかないが、それでもある程度温度を操ることは出来るようになっていた。
少なくても先程レイが口にしたように即座に焼死ということにならなかったのは幸運だろう。
「これは……凄い。レイさん、これは魔力なんですか?」
「ああ。俺の魔力が濃縮、圧縮……まぁ、そんな感じで可視化出来るようになったものだ」
「どんな、一体どんな効果が!?」
「単純に言えば身体強化とか、そういうのだな」
他にも色々と攻撃手段はあるのだが、それはこの場で口に出来ることではない。
(……ん?)
サマルーンと話していたレイは、ふと視線を感じる。
素早くそちらへと振り向くと、そこにいたのはレイを狙っている存在……ではなく、小鳥。
レイにも見覚えのあるその小鳥は、近くに生えている木の枝に立っており、苛立たしげに足の爪で枝を蹴っていた。
見るからに機嫌が悪いというのを態度に表しているその様子は、小鳥を操っているエリンデのものだ。
それも当然だろう。
夜も更けてきて、そろそろ寝ようかと思っていた時間……それこそホットワインを手に、リラックスをしていたところで突然士官学校の敷地内で莫大な魔力を感じ取ってしまったのだから。
リラックスしていた気分は瞬時に吹き飛び、もしかして敵が……昼にレイを毒矢で狙った相手が何か仕掛けてきたのか? と動揺を収めながら学園長室へと向かい、使い魔の小鳥を送ったのだ。
……尚、エリンデによって生み出されたこの小鳥は、当然夜になっても目が見えなくなるといったことはない。
そんな優れた視力で魔力を感じた場所の様子を見てみれば、そこにいたのは敵……ではなく、狙われている本人のレイ。
レイのすぐ側にはサマルーンの姿もあり、もしかしてサマルーンが敵の手先だったのかと思いきや、和やかに会話をしている様子が見える。
これで怒らない程、エリンデは人が出来てはいない。
そんなエリンデの怒りが、今の小鳥の様子だった。
「チチチチチチ」
普段であれば心地よい鳴き声と呼べるのかもしれないが、今の小鳥は見るからに不機嫌そうな様子だ。
とてもではないが、軽く流せるような態度ではない。
「あ……そ、その、すいません学園長。これはちょっとした手違いというか、まさかここまでのことになるとは思わなかったので……」
「チィッ、チチチチチッ! チチチィッ!」
レイにも……そして叱られているだろうサマルーンも、小鳥が何を言っているのかというのは全く分からなかった。
だがそれでもエリンデが怒っているというのだけは十分に理解出来、どうしたものかとお互いに顔を向き合わせる。
無言で視線を交わすこと、数秒。
結局負けて先に視線を逸らしたのは、サマルーン。
元々レイに対して尊敬の念を抱いているサマルーンだけに、強く出られれば負けてしまうのだろう。
そっと……小鳥を刺激しないように、木の方へと近づいていく。
レイの炎帝の紅鎧により雪は溶け、歩く邪魔はしない。
それどころか、周囲の気温すら二十度近くまで上がっていた。
雪が降っていたような気温から、いきなり春……もしくは初夏といった気温になり、雪が溶けた水蒸気により蒸し暑さすら感じられる。
そんな中、木の近くまで移動したサマルーンは、小鳥へと深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、学園長。ちょっとレイさんのスキルを見せて貰えるということで、気になってしまい……」
「チチチチッ!」
小鳥が何と言っているのかレイには分からなかったが、それでも怒っているというのだけはサマルーンにも、そしてレイにもきちんと理解出来る。
「チチチチチィッ!」
再び苛立たしげに鳴き声を上げた小鳥だったが……
(今、この小鳥舌打ちしなかったか?)
小鳥の様子を見ていたレイが、最後に舌打ちしたように聞こえた。
だがそんな風に感じたのはレイだけであり、サマルーンは特におかしな様子を見せていない。
気のせいだったのか? と疑問に思いつつ、レイは小鳥とサマルーンのやり取りを見守る。
「チチッ、チチチチチッ!」
クチバシをどこかへと……具体的には学園長室の方へと向けて小鳥は鳴き声を上げる。
本来であれば可愛らしい鳴き声と表現してもいいのだろうが、今はエリンデの不機嫌さによるものか、その小さな身体にも関わらず、ある種の迫力が存在していた。
猛禽類だと言われれば思わず納得してしまうだけの鋭さを持った視線を向けられたサマルーンは、やがて渋々とレイの方に顔をむける。
「レイさん、申し訳ありませんが僕と一緒に来て貰えますか? 学園長がお呼びですので」
「いや、それはいいけど……言葉を交わした訳でもなく、鳴き声しか聞いてないのに良く言いたいことが理解出来るな」
「あははは。この程度はここでやっていく為の必須技能と言ってもいいですから」
「……ここ、士官学校だよな?」
とても士官学校で必要な技能とは思えず、レイは確認の意味を込めて尋ねる。
もっとも、既に授業をしている以上はここが士官学校であるというのは確定済みなのだが。
「勿論そうです。……それより、少し急ぎましょう。今のこの状況で学園長を怒らせると、後々色々と大変なことになるかもしれません」
「チチッ?」
何か言ったかな? とでも思わせる雰囲気のその鳴き声に、サマルーンはビクリと肩を竦める。
そんなサマルーンの様子を哀れに思ったのか、レイはその言葉に同意する。
「分かった、このままこうしていてもしょうがないだろうし、行くか」
そう告げ、踵を返したところで……
「チチチチチチチチッ!」
エリンデの使い魔でもある小鳥が、激しく鳴く。
いや、それは既に泣くと表現した方がいいかもしれない。
「どうしたんだ?」
「レイさん、えっとその……赤い魔力のスキルが発動したままなので、多分それじゃないかと……いえ、僕としては非常に興味深いので、ずっと使ってても構わないと思うんですけど」
その言葉にレイは自分の手へと視線を向けると、確かにその手は炎帝の紅鎧に包まれたままだった。
襲撃者……もしくは自分を監視している者を誘き出そうという狙いでの行為――ついでに炎帝の紅鎧を使いこなす修行という面も少なからずある――ではあったが、あまりに予想外の方向へと話が飛び、完全に現在自分が炎帝の紅鎧を展開していたということを忘れていたのだ。
その状況でもエリンデの使い魔である小鳥が普通に行動出来ていたのは、レイが小鳥に対して敵対心を抱いていなかったというのもあるが、それ以上にエリンデが今回の件で怒っていたというのが強いのだろう。
「悪い、そうだな。この状態のままで学校の中を移動すれば、色々と不味いことになるか。夜だから、かなり目立つし」
炎帝の紅鎧を展開している現在のレイは、赤い魔力が身体を覆っている。
その様子は、夜だからこそ周囲に明かりを発していて非常に目立っており、もし現在のレイが校舎の中を歩いているのを誰か他の者が見れば驚く……いや、レイから放たれる圧倒的な気配に、下手をすればその場で意識を失ってしまう可能性もあった。
(七不思議とかがこの世界にあるのかどうかも分からないけど、もしあれば間違いなく俺がその七不思議に入ってしまうだろうな。……いや、魔力とか魔法とか普通にある世界だし、七不思議とかはないのか?)
そもそもレイの存在自体が七不思議以上の不思議存在と言えるのだろうが、本人はそれを棚に上げて炎帝の紅鎧を解除する。
同時に暗闇が戻り、周囲を照らすのは月明かりのみとなった。
その月明かりの下、新月の指輪を指に嵌め、サマルーンに向かって声を掛ける。
「さ、行くか。……出来れば学園長室に行く前に動きを見せてくれればいいんだけど」
「はい? 何ですか? 動きって……何のことです?」
「その辺はこれから学園長室に行ってから説明するよ。何度も説明するのも面倒臭いし、俺よりも学園長の方がこの手の説明は上手いだろ。エルフなんだし」
「チチチチチッ!」
エルフだからと言えば何でも許されると思うな! と、エリンデが怒りも露わに小鳥に鳴き声を上げさせる。
だが、レイはそんなエリンデの言葉を意図的に流し、サマルーンを連れて歩き出そうとして……その動きを止め、暗闇の方へと視線を向けた。
「あれ? レイさん、どうしたんですか?」
「いや……そう言えば、この件を教えていなかった奴がまだいたなと思って」
「はい?」
レイが何を言っているのか理解出来ない様子のサマルーンだったが、不意に姿を見せたその存在に動きが固まる。
「グルルルルゥ!」
そんな鳴き声を上げながら姿を現したのは、当然の如くセト。
レイの方を見ると、そのまま勢いよく走ってきて、頭を擦りつける。
「グルゥ、グルルルゥ、グルルゥ」
「あー、うん。心配掛けさせて悪かったな。ほら、何でもないから気にするな。心配はいらないって」
擦りつけられたセトの頭を撫でながら、レイは落ち着かせるように告げる。
セトとレイは魔獣術により繋がっている。そのレイが新月の指輪を外して隠蔽していた魔力を露わにし、その上で炎帝の紅鎧までをも使ったのだ。
セトにしてみれば、レイに何かあったのかもしれないと考えてしまうのも当然だろう。
だからこそ、厩舎の中から飛び出してレイの下へとやって来たのだ。
だが……実際にやって来てみれば、レイは特に何がある訳でなく、ただサマルーンと話をしているだけ。
心配していたセトが少しいじけても仕方がないだろう。
もっともそのいじけ方が頭を擦りつけるというものなのは、それだけレイに撫でて欲しいという思いが強いからこそか。
それを理解しているからこそ、レイもセトに付き合ってそっと頭を撫で続ける。
「グルルルルゥ……」
レイに撫でられ、大分機嫌が良くなってきたのだろう。喉の鳴らし方も、拗ねているものから純粋にレイへと甘えたものへと変わっていく。
(グリフォンをこんなに簡単に……レイさんはテイマーだという話を聞いてたけど、もしかしてテイマーというのは魔力も関係していたりするのか? もしそうなら、魔法使いは誰でもテイマーになれる可能性が?)
レイとセトの様子を見て、もしかしたらテイマーというのは魔力が関係しているのでは? と考えるサマルーン。
それは、ある意味正解で、ある意味間違っていた。
モンスターの中には魔力を好む者も多い。それは事実だ。
だからこそ、自分と波長の合う魔力の持ち主に対してであれば、懐く可能性というのは十分にある。
事実、テイマーと呼ばれている者の中には自分の魔力を好むモンスターをテイムしているという者も一定数いるのだから。
だが、テイマーというのはそれ以外にも純粋に仲良くなってテイムしたり、中には餌付けして、力を示して、小さい頃から育てる等々、テイマーごとにモンスターをテイムする手段というのは異なっている。
その辺を考えると、サマルーンの考えは必ずしも間違っていない。
しかし、ある意味決定的に間違っているのは、表向きテイムされたモンスターという扱いになっているセトだったが、実は魔獣術という古の魔術によるものだったことか。
「サマルーン、そろそろ行くぞ? 急いでるんだろ?」
「チチチチッ!」
レイの声と、小鳥の苛立たしげな鳴き声に、サマルーンは我に返って学園長室へと向かって歩き出すのだった。