0912話
前話の日数、グラシアールまでの距離を二十日、マルカの乗ってきた馬車で十日と修正しました。
「なぁ、セト。何で俺達こんな場所にいるんだろうな」
「グルルルゥ?」
レイの言葉に、セトが翼を羽ばたかせながら後ろを向き、不思議そうに喉を鳴らす。
現在レイとセトがいるのは、ギルムから随分と離れた場所の空の上、上空百m程の位置だった。
雪が降り注ぐ中をセトが飛んでいるのだが、その環境はレイにとってもかなり厳しい。
雪が降っている中で上空百mという高度にいるのだから、当然その気温は凍える程の寒さだ。
その寒さはドラゴンローブのおかげで問題はないのだが、寒さとは別に大きな問題があった。
「ったく、雪が痛いっての!」
そう、レイが口にしたように、雪が降る中をセトの速度で飛ぶと雪が当たって痛いのだ。
温度はどうとでもなるが、バリアのように身体を覆っている訳ではない。
そうである以上、どうしても雪が身体に当たる。
「これならレノラやケニーの言う通り、雪が止むのを待ってから出発した方が良かったかもしれないな」
ギルドマスターの執務室で指名依頼についての話し合いが終わった後、マルカは早速レイに旅立って欲しいと要請してきた。
国王派の一部が既に動き始めているという理由で。
普通であれば旅の準備をする必要があるといって断るのだろうが、レイの場合は幸か不幸か全ての荷物がミスティリングの中に収納されている。
つまり、本人さえその気になればすぐにでも依頼に出ることが出来るのだ。
そして今回は少しでも急いでグラシアールに行って欲しいというマルカからの要望もあり、門番や士官学校、クエント公爵家に対する手紙を持たされた上で、すぐに出発することになった。
冬の間は特に緊急でやるべきことがある訳でもない以上、レイもその要望を聞いてもいいという気分になって、こうして雪の降る中を飛んでいたのだが……
「雪が止むまで待てば良かったな。……おかげで、地図も見るのが難しいし」
錬金術で生み出された特殊な紙に書かれた地図だけに、ちょっとやそっとの雪や風でどうにかなるものではない。
だがそれでも、地図の価値がどれ程のものなのかを知ってしまえば、今の状況で迂闊に地図を広げるのは不可能だった。
下手に風で吹き飛ばされて紛失してしまおうものなら、賠償のしようがない。
それこそ、レイの持っているデスサイズを代わりに寄越せと言われても、断るのが難しくなってしまう。
「えっと……あの山を避けるように街道が通っているんだよな?」
出掛ける前に見た地図を思い出しながら、雪が降っている中を見回す。
「グルルルゥ?」
街道を先に見つけるのは、どうやらセトの方が早かったらしい。
街道ってあれ? と喉を鳴らすセトの視線を追うと、そこには確かに街道が存在していた。
「うん、ありがとなセト。じゃあ、あの街道に沿って進んでいけばいずれ二つに分かれている筈だから、そこまで行こうか」
「グルゥ」
レイの言葉に、分かったと喉を鳴らし、セトは翼を羽ばたかせる。
そのまま街道の上を進んでいくと、不意に街道を走っている馬車の姿がレイの目に入ってくる。
「うわ、この雪の中で馬車を走らせてるのか。マルカみたいな特別製の馬車で、牽いてるのもモンスターみたいな特別製ならともかく、見たところ普通の馬車だし……大変そうだな」
呟いたレイの言葉は、単純に下を見ての感想のようなものだった。
だが、まるでそれが何かの引き金を引いたかのように、次の瞬間には馬車の動きが止まる。
「ヒヒヒヒヒィィンッ!」
聞こえてくる悲痛な馬の鳴き声。
一瞬モンスターが現れたのではないかと思ったレイだったが、馬車の周囲にモンスターの姿は見えない。
そもそも辺境ではないのだから、そこまで強力なモンスターはそうそう姿を現したりもしないのだと思い出すと、改めて今の馬の悲鳴の原因が何なのかと気になって視線を向ける。
「あー……車輪が穴に嵌まったのか」
街道とは言っても、日本のようにアスファルトで舗装されている訳ではない。
いや、アスファルトで舗装されている道路であっても、冬になると道路に穴が開くのは珍しいことではないのをレイは自分の経験から知っていた。
もっとも、アスファルトが陥没するのはアスファルトそのものが雪の冷たさで縮むという現象によるものであり、この街道のようにアスファルトを使っていないのであれば、雪で陥没というふうにはならないのだが。
(代わりに元々陥没していた場所に雪が積もってそれが隠されて、天然の落とし穴になってたりするんだろうけどな)
どうするの? と視線を向けてくるセトに、レイは少し考えた後で地上へと降りるように頼む。
雪のせいで街道がところどころ分かりにくくなってきたというのもあるし、一応道を聞いておきたいと思った為だ。
「グルルルゥ!」
レイの頼みに喉を鳴らし、雪が降る中、翼を羽ばたかせてセトは地上へと降りていく。
そんなセトの姿に気が付いたのだろう。馬車を何とかしようと頑張っていた御者や、馬車から降りてきた人々が、一人、また一人と上空へと視線を向けて、その動きを止める。
普通であれば自分達の方へと向かってきているモンスターがいるのだから、逃げ出してもおかしくはない。
だが、今はそのモンスターの背に人が乗っているのだ。
ただのモンスターの襲撃ではないと判断し、それでも何かあった時の為、すぐに武器を抜けるように準備する。
「へぇ」
セトの背の上で、レイは感心したように呟く。
近づいてくるのがグリフォンであるというのは、そのシルエットを見ればすぐに……とまではいかずとも、徐々に理解出来た筈だ。
だというのに、レイの視線の先では馬車を置いて逃げるような者は誰一人存在しなかった。
それこそ、御者までもが慣れた様子で弓を手にしている。
明らかに戦闘慣れをしているその様子に興味を引かれ、軽く手を振って自分達は敵ではないと合図する。
そんなレイの様子に、地上の方でも戦闘の意思はないと判断したのだろう。見るからに安堵した雰囲気になる。
そしてセトは馬車の近くへと降り立つ。
その頃になると、馬車の周囲にいた者達は完全に警戒を解いた訳ではないだろうが、それでもレイの方を興味深く眺めていた。
「こんな時期に、こんな場所で何をやってるんだ?」
セトの背から降りながら尋ねると、男達の中の一人、三十代半ば程の男が笑みを浮かべて口を開く。
目の前にいるのが敵ではないと理解したからだろう。
……もっとも、その目に浮かんでいる光は浮かんでいる笑みのように楽観的な様子ではなかったが。
「見ての通り、穴に車輪が落ちてしまってな。どうしたものかと思っていたんだよ」
「穴、か。雪で隠れて見えなかったんだろうな。良かったら手伝おうか?」
「いいのか? こっちとしては助かるけど」
そこまで告げると、不意に男達の中の一人が声を上げる。
「グリフォン……あ! グリフォン!? じゃあ、もしかしてあんたは深紅のレイか!?」
その一言に、男達は全員が驚きの表情を浮かべる。
ミレアーナ王国に暮らしており、更には馬車の中にいる人物の護衛を任されている身だ。
当然その筋で有名な人物の名前には聞き覚えがあった。
「あ、そうだよ。グリフォンに乗ってるんだから間違いないって」
「でも、深紅って言ったら、中立派だろ? ここは国王派のギズルス子爵領だぞ? 何だってこんな所にいるんだよ?」
「冒険者だからじゃねえの?」
「こんな雪が降っている中をわざわざか?」
「そう言っても、グリフォンを従魔にしている奴なんて、深紅以外にいると思うか?」
そんな声が聞こえてくる中、レイと話していた男が確認するように口を開く。
「その、あんたは深紅で間違いないのか?」
「ああ。そう呼ばれているのは否定しないよ」
「……そうか。その、何でこんな場所に?」
「道に迷った……いや、迷ってる訳じゃないのか。初めて行く場所だから、こっちでいいのかちょっと聞きたくてな。誰かに確認しようと思ったら、ここで馬車が止まっているのを見つけたんだよ」
「初めて行く場所?」
その言葉に首を傾げる男だったが、レイはそんな男に構わず言葉を続ける。
「そんな訳で、その穴に車輪が嵌まっている馬車をこっちでどうにかするから、そうしたら俺の質問に答えてくれないか?」
「いや、それは構わないけど……最悪、これから馬車の中の荷物を全部出してから馬車を引っ張らなきゃいけなかったんだし……」
この雪の中、馬車を少しでも軽くする為に荷物を取り出すというのは、どう考えても厳しい作業だった。
それも、雪が降っているのだから荷物が濡れないようにする工夫も必要な筈で、この寒さの中でそんな事はしたくないと思うのは当然だろう。
特に馬車の中には、今男達が護衛している相手がいる。
その護衛の相手を雪の中に立たせ、病気にでもさせようものなら上司に叱られるのは確実だった。
下手をすれば罰として給料が少なくなる可能性すらある。
また、護衛相手に対する好意からもそんな真似はなるべくしたくないというのが男達の本音でもある。
そんな時に現れた、異名持ちのランクB冒険者。これに期待しない方が嘘だろう。
「じゃあ、頼む。俺達も協力するから……」
「うん? ああ、別に協力とかはいらないぞ。すぐに終わるから待っててくれ」
男に言葉を返したレイは、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
突然目の前に現れた大鎌に男達は一瞬動きが止まったものの、すぐに再び自分の武器へと手を伸ばす。
それを見たレイは、害意はないと言いたげにデスサイズの石突きを地面へと突く。
「心配するな。別に危害を加えようとしている訳じゃないから」
「……いきなり武器を取り出した相手を信用しろ、と?」
「ちょっとこの馬車をどうにかするのに、これが必要なんだよ」
「何をどうするのか。その辺を説明して欲しいんだがな」
「ま、見てれば分かる。それに心配なようなら、少し離れてからやるから心配するな」
そう告げると、自分の言葉を証明するかのように馬車から距離を取る。
五m程度も距離を取れば、レイが馬車に対して何かをするとは思わなくなったのだろう。男達の緊張も解ける。
……もっとも、レイには飛斬という攻撃手段もあるのだが、幸いなことに男達はそれを知らなかったらしい。
そして緊張が解けると同時に、男達はレイが何をしようとしているのかに興味が湧く。
「行くぞ」
驚かないようにと一応男達に声を掛け、レイはデスサイズの石突きを地面へと突き刺す。
「地形操作」
レイの口からその言葉が出ると同時に、車輪が落ちて斜めに傾いていた馬車が自然と持ち上がっていく。
「なっ! お、おい!」
「あ、ああ。……嘘だろ?」
「土の魔法、か?」
「なるほど、土の魔法……土の魔法? 俺が知ってる限りだと、深紅ってのはその異名通りに炎の魔法を得意としてるって話だったんだけど。ほら、炎の竜巻とか」
「別に炎の魔法が得意だからって、土の魔法を使えないなんてことはないだろ。多分苦手なだけで」
「……あれで、か?」
最後に呟いた男の視線の先では、既に馬車は傾きが消え、平行な状態になっていた。
それはつまり、狙った場所を思い通りに操るだけの力があるということに他ならない。
そのような力があるのに得意ではないと言われれば、とてもではないが信じることは出来なかった。
もっとも、実際にはレイが使っているのは土の魔法ではなくスキルであり、だからこその結果なのだが。
その場にいた男達の視線を集めたレイは、馬車が問題なく動けるようになったのを確認してから口を開く。
「一応馬車は元に戻したけど、穴に落ちたってことは車軸とかが損傷している可能性もある。なるべく早く見て貰った方がいいと思うぞ」
「……あ、ああ。うん。助かった。ありがとう」
レイと話していた男が、呆然とした様子で言葉を返す。
もっとも、自分のスキルを見て驚くという相手には慣れているので、レイはそんな男を気にせず最初の目的を口にする。
「それで、この道はクエント公爵領に続いているのか? 特にグラシアールに続いているのかどうかを聞きたいんだけど」
「グラシアール!?」
レイが口にした言葉に驚きの声を上げたのは、レイの前にいた男……ではなく、馬車の方。
「今、グラシアールと言ったのか?」
これまで沈黙を保っていた馬車の扉が開き、そこから一人の男が姿を現す。
年齢としては、レイと同じかやや年上といったところだろう。
男だというのに、肩まで伸びている青い髪が印象的な男だ。
それでいながら軽薄な様子は見せず、どちらかと言えば真面目そうに見える男。
そんな男が、レイの方を興味深そうに見守っていた。
……尚、馬車を牽いていた馬は、いつものようにセトの存在に驚き、恐怖し、動きを止めている。
だからこそ、こうして馬車の中にいた男があっさりと降りてくることが出来たのだろうが。