0893話
決闘の件が決まった翌日、夕暮れの小麦亭にあるレイの部屋にはレイだけではなくレントの姿もあった。
ガメリオン狩りの報酬でもあるチーズを持ってきたのだが、今その無精髭が生えている顔に浮かんでいるのは、ガメリオン狩りが無事に終わったという安堵の表情でもなければ、自分の家で作っている秘蔵のチーズが手元から消えてしまったという虚無感でもなく……
「はぁ? お前と決闘? 誰が?」
「エリエル伯爵家だな。ただ、その代表というか、このギルムにいる中でも一番偉いキープとかいう貴族じゃなくて、向こうが雇った代理とだけど。俺もシスネ男爵家の代理だし」
「……何でまたそんなことになったんだ?」
「エリエル伯爵のキープって奴が、シスネ男爵の家のメイドを気に入ったらしくて強引に引っ張って行こうとしたんだよ。で、それをシスネ男爵が止めたら諍いになって、決闘で決着を付けるってことになった」
「何だそりゃ。そのキープって奴は何を考えてるんだ?」
心の底から理解出来ないといった様子でレントが呟く。
当然だろう。誰が聞いても完全にキープの言い掛かりであり、権力にものを言わせて強引にメイドを連れ去ろうとしたとしか思えないのだから。
「さぁ? でも、絶対に自分が勝つという自信はあるみたいだぞ。自分が負けたらエリエル伯爵家の財産の半分をシスネ男爵に譲渡するって、ダスカー様の前で書類を作って法的に形式を整えてたし」
「……その男、正気か? レイを相手にするんだろ? 確実に財産の半分がなくなるぞ?」
首を傾げて尋ねるレント。
当然だろう。今のこのギルムで、レイと正面切って戦いたいと思うような者がいるとは思えない。
いや、多くの冒険者が集まるギルムだ。もしかしたらレイと戦ってみたいと思う者がいるかもしれないが、それでもレイを相手にして勝てるとは思えなかった。
「ま、向こうが何を考えてるのかは分からないが、それでも俺としてはただ戦うだけだ。こっちはもういつでもいいんだが……決闘の日までは暇でしょうがない」
「決闘はいつなんだ?」
「うん? 四日後の昼過ぎだな」
「……相手の貴族、完全に終わったな。今このギルムでレイよりも強い相手なんて……」
いないだろう。そう言い掛けたレントだったが、すぐに悩む。
「いや……今は冬だ。普段なら外に出ているランクA冒険者も戻ってきている者が多い筈。中には異名持ちもいるし、そういう腕利きを雇えば……」
それならレイと互角に戦えるかもしれない。そう思ったレントだったが、すぐに首を横に振る。
確かにランクA冒険者であれば、最終的に勝つか負けるかは不明だが、それでもレイと戦えるだけの実力はあるだろう。
だが今回の場合、レイと戦うということはメイドを連れ去ろうとした悪徳貴族に味方をするということになる。
レイと……より正確にはセトの飼い主であるレイと敵対して、ギルムの住人に悪感情を抱かれてまで向こうに協力する者がいるとは、レントには思えなかった。
「ま、向こうが誰を用意してこようと、俺はそれに対処するだけだよ。勿論負ける気は全くないし」
自信を感じさせる笑みを浮かべて告げるレイ。
それを見ていたレントは、そりゃそうだろと内心で呟く。
「とにかく、何だって急にこんなことになっているのかは不思議だが……お前って、つくづく騒動に好かれているんだな。正直、好かれるというか呪われている感じしかしないが」
「そうか?」
レントの言葉に、レイは自分がギルムに来てから起こった騒動の数々を思い出す。
オークの集落の件から始まり、エレーナとダンジョンへ向かったのもそうだし、アゾット商会の件、魔熱病の件。
それ以外にも数え切れない程の騒動に巻き込まれてきた、あるいは自分から進んで巻き込まれに行ったのだから、確かに騒動に好かれている、愛されている……そして呪われていると言われても、納得せざるを得なかった。
「それでも俺は結構満足してるんだけどな。そんな騒動のおかげで、こんな極上のチーズとかを入手も出来たんだし」
テーブルの上に置かれているチーズへと触れ、ミスティリングへと収納する。
それを見ていたレントは、微妙な表情を浮かべて天井を見上げていた。
レントにとっては、自分がレイに頼んだのもそんな騒動の一つになるのかという思いが強いのだろう。
「そうだな、ヨハンナ辺りを誘って決闘を見に来たらどうだ? あのキープとかいうのの言動を見ている限りだと、俺の負けを決定的に周囲に見せつけて、誰にも文句を言わせずにアシエを奪っていくってのを狙ってるだろうから、恐らく大々的に人を集めるだろうし。それに昨日のやり取りを見た限りだと、ダスカー様もそれを狙ってるっぽいな」
「ダスカー様も? ふーん、なるほど。それは確かに面白そうだな。なら、ヨハンナを誘って……なぁ、レイ。ヨハンナは決闘とかに興味があると思うか? そもそもヨハンナは元々お前の部下だったんだから、当然お前の強さをこれ以上ない形で知っている筈だ。つまり、ヨハンナにしてみれば完全に勝利が見えているんだが」
勝敗の見えている戦い程つまらないものはない。
そんな風に告げてくるレントに、レイは雪の降っている窓の外へと視線を向けながら口を開く。
「ヨハンナの場合、俺の戦いじゃなくてセト目当てで来るんじゃないか?」
「ああ、なるほど!」
それは予想外だった、と小さく叫ぶレント。
もっとも……
「ちょっと待った。セトがいて、多分大勢の人が集まるってことは……もしかしてミレイヌも来るんじゃないのか?」
その可能性に行き着くと、レントの表情は絶望に染まる。
ヨハンナとミレイヌ。共にセトを愛する二人の女が、両雄並び立たずと言わんばかりに仲が悪いのは、初対面の時に居合わせたレントは身に染みている。
「ま、多分来るだろうな。ただ、ヨハンナと付き合いたいならセトを外すことは出来ないし、セトを外すことが出来ないとなると、当然そのセトを可愛がっているミレイヌを外すことも出来ない」
「それは……そうだけど……」
レイの言葉には反論出来る要素が存在しない。
ヨハンナ、セト、ミレイヌ。この二人と一匹は間違いなく後々まで縁が続くのは明らかだった。
それが悪縁が良縁かは別にして。
「それに、多分決闘とかになると賭けとかもあると思うし、屋台も店を出す筈だ。冬の祭りって感じになるんじゃないか? そんな祭りをヨハンナと一緒に楽しんでみたらどうだ?」
「祭り、か。そう考えると、良さそうに思えるな」
「だろう? 差し詰め雪祭りってところか」
「雪祭り、ねぇ。厄介物の雪を祭りの理由にするってのはちょっと珍しいが」
「いっそ石像ならぬ雪像なんかを作って出来の良さを競うとかやってみたら面白いかもしれないな」
レイの言葉の裏にあったのは、日本にいた時の記憶。
大々的にTVで放映される程ではないが、雪の多い地域だけに毎年のように雪祭りが行われていた。
それに参加して盛り上がったのを思い出してのものだ。
「まぁ、今はかなり雪が降ってるし……それこそ、ついこの前までは雪が降ってなかったのは何だったのかってくらいに雪が降ってるからな。そういう意味では、レイの言いたいことも分からないではないけど。俺に言うよりは、ダスカー様と親しいお前が言ってみた方がいいんじゃないか?」
「……そうだな、なら早速だ。ちょっと行ってくるよ。お前はどうする?」
もし一緒に行くのなら、ギルムの領主に顔を覚えて貰えるかもしれない。そんな意味を込めて口にした言葉だったが、レントは首を横に振る。
「いや、俺はちょっとこれから用事が……」
口籠もったその理由を察したレイは、納得したようにニンマリとした笑みを浮かべる。
「そうか。まぁ、ヨハンナを振り向かせるのは大変だろうけど頑張ってくれ」
「どうなっている!? 何故俺の代理となる者が誰もいないのだ!」
苛立ちの籠もった叫び声と共に、キープは手を大きく振るう。
その際、机の上に置いてあったコップが手で弾かれ、壁に当たって中に入っていたホットワインを絨毯の上に零す。
和やかと表現してもいい夕暮れの小麦亭の一室とは裏腹に、こちらは苛立ちの籠もった雰囲気が漂っていた。
その報告を持ってきたフルトスは、顔を真っ青にしている。
キープの癇癪の対象になるのが怖い……という訳ではない。
勿論それもあるが、四日後に行われる決闘の代理人が見つからないことに恐怖しているのだ。
より正確には、このままでは自分達が負けてエリエル伯爵家の財産の半分が失われてしまうことの責任を取らされることに。
当初はフルトスも多少不安を覚えていたが、決闘の代理人くらいはすぐに見つかると思っていた。
キープはミレアーナ王国の中でも最大派閥である国王派に所属するエリエル伯爵家の次期当主だ。
中立派の本拠地たるギルムでの影響力はそれ程高くないが、それでも一般の冒険者にしてみれば縁を作っておいて間違いのない相手ではある。……と、フルトスもキープも、そして部下の騎士達も全員が思っていた。
「あの貧乏貴族が出してくるのは、護衛役のひ弱な男だろう? ……もし誰も集まらない場合、お前達に任せることになると思うが、構わないな?」
キープが騎士達へと視線を向けながら告げる。
騎士達はキープにとって気心の知れた側近だ。決闘のような下らない出来事で万が一にも怪我をさせたくはなかったが、誰も来ないのであれば仕方がない、と。
「お任せ下さい! キープ様に逆らうような愚かな奴等は、この私が!」
「いえ、私こそがキープ様の剣となって立ち塞がる者を斬り裂きましょう」
「我が槍でキープ様に仇為す者を貫きます」
騎士達も、自分達が負けるとは一切思っていないのか自信に満ちた笑みと共にそう告げる。
この部屋の中にいる者で、微かにではあるが不安を感じているのはフルトスのみだった。
(この者達の言う通り、あの護衛は背も小さく体格も筋肉が付いているようには思えなかった。であれば、まず間違いなく勝てる筈。だが……それでも心の中にあるこの不安はなんだ? 情報を得る為に放った者が、上手く情報を集めてきてくれるといいのだが)
決闘で戦うことになるであろうレイを散々に貶しているキープや騎士達を眺めながら、フルトスは考える。
「失礼します!」
そんな時だった。血相を変えた男が、ノックもせずに部屋の中へと飛び込んできたのは。
「ひっ、……な、何だ、この馬鹿者が! ノックもせずに俺のいる部屋に飛び込んでくるとは、何を考えている!」
一瞬悲鳴を上げたキープだったが、すぐに自分の醜態に顔を赤くし、羞恥を怒りに転化して部屋の中に飛び込んできた男へと怒鳴りつける。
その男は、キープがギルムに送られる際に雑用として連れてこられた者だった。
そして、フルトスがレイの情報を集めるために街中に向かわせていた者の一人でもある。
「キープ様、申し訳ありません。この者には、決闘相手の小僧がどのような者なのかを探らせるために街中に放っていたのですが……おい、貴様。常識を弁えろ! キープ様のいる部屋に何を……うん? どうした?」
怒鳴りつけたフルトスだったが、部屋に飛び込んできた男の顔が酷く緊張しているのに気が付く。
自分やキープに叱られたからかとも思ったのだが、それにしては緊張の度合いが強過ぎる。
その男は、自分を落ち着かせるように深く息を吸ってから口を開く。
「フルトス様が調べるようにと仰った男を調べたのですが……名前が判明しました」
「はぁ? 名前くらいしか調べられなかったのか? お前、それは無能過ぎだろ」
名前だけしか分からなかったという言葉に、キープは苛立ちを露わにする。
だが、フルトスは男の能力を知っている。
何でもそつなくこなすこの男が、相手の名前を聞き出しただけで戻ってくるとは思わない。
だとすれば、その名前に何らかの意味があるということになり……
「誰だ」
「……レイ、と」
その名前を聞いた瞬間、フルトスは自分の顔から急速に血の気が引いていくのを自覚する。
ミレアーナ王国の住人である以上、当然その名前には聞き覚えがあったから。
貴族に仕える身として、国の情報を集めるのは当然の仕事だった。
そして集める情報の中には、当然この何らかの事情で名声を得た人物というのも入っている。
そう、例えばたった一人で春に起こった戦争の勝敗を決定づけ、ランクAモンスターであるグリフォンを従魔としているような人物のように。
「フルトス、どうした? あの小僧の名前が分かったからといって、どうかしたのか?」
自分のことにしか興味のないキープはレイの名前に全く聞き覚えがなかったらしく、突然動きを止めたフルトスを不審そうに眺めている。
他の騎士達も同様にレイという名前に聞き覚えがなかったのだろう。心配そうな視線をフルトスへと向けていた。
そんなキープの視線を受けながら、フルトスはその頬の肉を震わせながら口を開く。
「深紅」