0862話
「じゃあ、ダンジョンの正確な位置はここでいいのか?」
そんなレイの言葉に、レノラは頷く。
「ええ。そうなります。ですが、本当にいいんですか? このダンジョンでの稼ぎは殆ど期待出来ませんよ?」
ギルムの近くに新しく出来たそのダンジョンは、今までにも何人かの冒険者が探索に向かっている。
だが、中で遭遇するモンスターから取れる素材や魔石は安いものばかりであり、殆どの者が赤字だと言っていたのをレノラは知っており、それ故の忠告だった。
ダンジョンまでの交通費は、歩いて移動すれば掛からない。だが、どのような敵であったとしても戦えば武器は摩耗し、攻撃を受ければ怪我を負う。ダンジョンが狭いということもあって、武器を通路にぶつけて破損させた者もいる。
そのようなことを考えれば、レノラとしてはレイにダンジョンの攻略をお勧め出来なかった。
また……
「それに、セトちゃんもダンジョンの中に入るのは無理だと思いますよ? 入り口とかは相当小さいらしいですから」
「その辺の話は聞いてる。まぁ、一応試してみるけど、入れないなら外で待ってて貰うよ」
「てっきり、ガメリオンの方に行くかと思ってました。ギルドとしても、今年はガメリオンの肉が少ないので、そちらの方が助かりますし」
レノラ自身もガメリオンは好きであり、数が取れない分今年は値上がりしているのはあまり嬉しくない状況だった。
ギルドの為というのも勿論嘘ではないのだが。
「まぁ、確かにレイ君ならガメリオンを見つけるのも難しい話じゃないしね」
レノラの隣で、ケニーが笑みを浮かべて同意する。
数日前にエレーナと話をしたケニーだったが、特にそれで何かが変わったという訳ではない。
勿論ケニー自身が何かを感じたのは確実だったが、それを表に出すようなことはしなかった。
それ故に、レイから見てケニーは今まで通りだというのは間違いがない。
ただ、長年の悪友にして親友でもあるレノラは、ケニーの様子に若干今までと違うものを感じていたのだが。
「ガメリオンか。それも考えたんだけどな。今はダンジョンの方に興味があるんだよ。もっともダンジョンはそこまで広くないって話だし、一度挑戦してみて攻略出来たらガメリオンの方に手を出してみるかも。……俺もガメリオンの肉は好きだし」
「分かりました。……ダンジョンに出てくるモンスターは低ランクのモンスターが殆どで、強さも大したことはないらしいです。ですが、ダンジョンはダンジョン。中で何が起きるか分かりませんから、くれぐれも注意を怠らないようにして下さいね」
「ダンジョンの一階層は石造りの通路で、二階層が洞窟。どっちも狭くてパーティでの戦闘はしにくい。ってことでいいんだよな?」
「はい。場所によっては、レイさんの大鎌……デスサイズとか言いましたか。あのような武器を振り回すのが難しい場所も多いということですので、気をつけて下さい。ダンジョンというのは少しの油断で命を落としかねない危険な場所です。特にレイさんはソロですから。まだ行けると思っても、冷静に状況を判断して下さいね」
「ああ、分かっている。ガメリオンの方もダンジョンの後でだけど頑張らせて貰うよ」
そう告げ、レイはギルドを出て行く。
いつ雪が降ってもおかしくないこの時期、当然殆どの冒険者は既に冬を越える準備を整え、ギルドに併設している酒場で長めの休日を楽しんでる者も多い。
そんな者達とは逆に、最後の一踏ん張りと依頼を受けている者もいる。
そんな二通りの冒険者がいるギルドだったが、その両方がレイに向けて訝しげな視線を送っていた。
レイがどれだけ腕利きなのかというのは、ここにいる者であれば当然知っている。
だとすれば相当に儲けている筈であり、そんなレイが何故端金程度にしかならないダンジョンへと向かうのかと。
もっとも、今依頼を探している冒険者達にしてみれば、レイのような腕利きが依頼を受けないということは強力な競争相手が減るので文句はないのだが。
尚、レイを知らないで侮っていた冒険者達も、今ではレイがどのような存在なのかを先輩冒険者から聞いており、迂闊に関わるのを避けるようになっていた。
(ま、ダンジョンの説明を聞く限りだと、誰も自分から進んで手を出したくないってのは分かるから、この視線は当然か)
呟きつつも、レイとしてはこのダンジョンは絶対に見逃すことが出来ない。
ベスティア帝国にいた時、ギルムに戻ってきて最大の楽しみはガメリオンの肉だった。
だが、今のレイにとってガメリオンの肉というのは二の次でしかない。
それ程、ダンジョンというのはレイにとってはお宝同然の存在なのだ。
(ダンジョンの核をセトが食べて、どんなスキルを吸収出来るのか……楽しみではあるな)
自分に向けられている視線を努めて無視し、レイはギルドから出て行く。
もしもダンジョンに行くのがレイではなく他の者であれば、間違いなく絡まれたりして面倒なことになったのだろうが……レイに絡むような身の程知らずの存在がいなかったのは、お互いにとって幸運だったのだろう。
「……ああ、そう言えば」
ギルドから出て、相変わらず人が集まっているセトの方へと歩き出したところでふと思い出す。
ノイズから入手した魔剣がそのままだったと。
レイの脳裏を過ぎったのは、一見すると盗賊にしか見えないような強面な顔の鍛冶師。
「確かパミドールの店はここからそう遠くなかった筈だよな」
呟き、ダンジョンに向かう前にちょっと寄ってみることにし、人混みを掻き分けながらセトの方へと向かう。
(セトが喜んでいるからいいけど、そろそろ落ち着いてくれると嬉しいんだけど)
悪意を持って近づいてこない相手に対し、セトが嫌うようなことはない。
また、セト自身がグリフォンである為に体力が有り余っており、生まれてからそれ程経っていない為に好意を示す相手にはセトもまた好意を返す。
セトが楽しんでいる以上は精神的な疲れの類も殆どなく、結局セトに構っている者の方が先に体力切れを起こすことになる。
もっとも大人は時間の問題もあるので、そこまでセトと遊ぶ者は殆どいないが。
(こいつを除いてだけどな)
セトがハムの固まりを食べているのを、幸せそうに眺めているミレイヌにレイは呆れた視線を向ける。
「毎日来てるけど、暇なのか?」
「暇よ。少なくてもこうやってセトちゃんと一緒にいることよりも重要な用件はないわね。それに、冬越えの準備はもう出来ているんだから問題ないでしょ?」
「あまりセトに入れ込みすぎると、途中で蓄えが尽きるぞ?」
レイの目から見ても、今セトが食べているハムはかなりの高級品のように思えた。
そんなハムを一kg単位の大きさでセトに与えているのだから、その値段もかなりのものだろう。
だが、ミレイヌはそんなレイの言葉を意にも介さず笑みを浮かべる。
「大丈夫よ、お金がなくなったらまた稼げばいいんだから」
今必死に働いている冒険者が聞けば、額に青筋を立てるようなことを告げるミレイヌ。
周囲にいる他の者達も、ミレイヌの今の言葉には苦笑を浮かべるしかない。
「ま、それはお前の自由にすればいいさ。けど、残念ながらセトと俺はこれからダンジョン行きだ」
「……ダンジョン? 近くに出来た?」
「ああ」
「何だってわざわざ? あのダンジョンは行っても意味がないわよ?」
ようやくレイの方へと視線を向けたミレイヌが、不思議そうに尋ねる。
セトの周囲にいた中でも、事情を知っている者はミレイヌの言葉に頷きを返す。
「行ったのか?」
「ええ。スルニンがちょっと中を見ておきたいって言ったから。ただ、結局何回か戦闘をしただけで戻ってきたけど」
ミレイヌの言葉に、レイの口から溜息が漏れる。
ダンジョンの情報を集めていたのだが、まさかこんな身近に情報源があったとは……と。
それでもレノラやギルドの酒場、夕暮れの小麦亭の食堂で何人かに聞いた話は決して無駄ではなかった筈だ。
自分に言い聞かせるようにそう思いながら、話の先を促す。
「それで、どうだった?」
「私達が戦ったのは殆どゴブリンとかコボルトだったわ」
「……コボルト、か」
ゴブリンの魔石は既に吸収している。
だがコボルトとは戦ったことがない為、もしかしたら新しいスキルが入手出来るか? と思ってしまい……だが、以前にオアシスで戦っていたということを思い出し、一瞬で期待は砕かれた。
コボルトと戦ったのはそのオアシスの件だけだが、ゴブリンはこれまでに幾度となく戦ってきたので、どうしても印象が薄いのだ。
「そ。まぁ、私達でも何とか出来たんだから、レイなら問題ないと思うわ。……あ、でも」
ミレイヌの言葉が一瞬途切れ、その視線がセトへと向けられる。
「入り口が狭いから、多分セトちゃんだと入れないわ」
「その辺は色々と聞いてる。セトがいれば色々と楽なんだけどな。入り口だけじゃなくて通路もそんなに広くないとなると、セトには外で待っていて貰うことになるな」
「グルゥ……」
残念そうに鳴き声を上げるセト。
円らな瞳が真っ直ぐにレイを見ているが、そんな視線を向けられてもレイはセトをダンジョンの中に連れて行こうとは思わなかった。
サイズ変更のスキルはあるが、それとて無限に使い続けられる訳ではない。
ある程度戦闘が可能なだけの広さがある通路なのだから、セトも移動は出来るだろうが……何かトラブルがあった時には致命傷になりかねない。
「ダンジョンは外にモンスターが出てくることもあるらしい。もしサイズ変更を使ってもダンジョンに入れない場合は、悪いけどセトはそっちを対処してくれないか? 一応ランガを始めとした警備兵がいるらしいけど」
「グルゥ……グルルルルルゥ、グルゥ」
数秒程迷ったセトだったが、最終的にはレイの言葉に頷きを返す。
「というか、セトちゃんがダンジョンに入れないんなら、別にレイだけで行けばいいんじゃない? その間、セトちゃんは私が預かるからさ」
自分の欲望を正直に出してはいるが、ミレイヌの言葉もまた正論ではあった。
だが、レイはそれに首を横に振る。
「セトがいれば、移動に数時間の距離が十分程度で済むし」
「グルゥ!」
「ちぇ」
レイの言葉にセトが任せて! と喉を鳴らす。
それを見ていたミレイヌは、残念そうに呟く。
これが、もしセトを無理矢理連れていこうとしているのであれば、ミレイヌとしても文句の一つでも言えただろう。
だがセト自身がレイと一緒に行きたいと態度で示している以上、何が言える訳でもない。
「ま、取りあえずやるだけやってみるよ。もし本当にどうしようもないくらい俺の利益にならないんなら、さっさと戻ってきてガメリオンを獲りに行くし」
「……寧ろ、私としてはそっちの方をやって欲しいんだけどね」
ミレイヌも、ギルムを拠点としている以上は当然この時期のガメリオン料理を楽しみにしている。
だが、今年はガメリオンの肉が少なく、例年よりも高めの値段設定となっていた。
「なら、灼熱の風でガメリオン退治に行ってくればいいだろ? お前達もランクCパーティなんだから、ランクCモンスターのガメリオンとは十分戦えるんだし」
「そうね、依頼じゃなくて自分達で食べる分なら考えてもいいんだけど……無駄足になるだろうって思うと……」
これまで、ミレイヌの知り合いの冒険者が何人もガメリオンを倒す為に出掛けているのだが、その殆どがガメリオンを見つけることすら出来なかった。
その中でも何組かの運のいいパーティがガメリオンを倒すことが出来たのだが、自分達がガメリオンを目当てにしても多分見つからないだろうという思いが強い。
そもそも灼熱の風には盗賊がいないのだ。
弓術士のエクリルが多少レンジャーの真似事を出来るくらいであり、探索役が圧倒的に不足している。
ただでさえガメリオンはその巨体に似合わず、動きが素早い。
それでいて獰猛なのだから、奇襲を仕掛けてくることも珍しくはなかった。
純粋な戦闘であれば、ミレイヌとしてもそれなりに戦える力は持っていると自負しているが、奇襲を受けるとなれば話は別だ。
ガメリオン自身の高い身体能力や、刃と化している耳、鋭い牙、鞭や槍の如き尾。
唯一の救いは、遠距離攻撃の手段がないことか。
「俺も去年ガメリオンとは戦ったから、その辺は分かっているけど……確かに強さって意味ではなかなかだったんだよな」
「でしょう? これが、正面から挑んでくるような相手なら話は別なんだけど」
言葉を交わしつつ、セトが残っていた料理を素早く口の中に収めて出発する準備を整えると、レイはその場にいる者達へと軽く言葉を掛けてその場を去って行く。
「ああっ、セトちゃん……また後で会いましょうね。レイ、セトちゃんを苛めたら許さないんだから!」
ミレイヌの声が周囲に響くが……殆どの者がその言葉に苦笑を浮かべていた。