0847話
「じゃあ、村長。今夜一晩、よろしくな」
レイの言葉に、ゴトの村長が頷く。
その顔に笑みが浮かんでいるのは、これだけの人数を村でそれぞれの家に泊める費用として相応の謝礼を貰った為だろう。
三十人近い見知らぬ人物を泊めるというのは、ゴトにいる人々にとっても当然不安はある。
しかも、その三十人近い人数のほぼ全てがベスティア帝国の出身者ともなれば、戦争の最前線として存在してきたゴトという村の住人が恐怖を覚えても当然だろう。
それでも受け入れたのは、冬を前にしたこの時期に得ることが出来た臨時収入の他にも、レイとセトという存在が大きい。
一時期この村に泊まっていたレイとセトは、当然ゴトの者達もまだ覚えていた。
その滞在していた時期に、レイとセトはゴトの住人達にしっかりと受けいれられていた。
そんな一人と一匹が率いている者達なのだから、何も問題はないだろうと。
勿論、それでもベスティア帝国の住人だと恐怖を覚える者も少なくない。
だからこそ、村長やゴトの住民の前で、もし自分が率いて来た者達が何らかの問題行動を起こした場合は自分の手でしっかりと処罰すると宣言した。
レイの実力を知っているゴトの住人はその一言で安堵し、同時に引っ越し組の方も自分達が何か妙な真似をすればレイから何らかの罰を受けることになる、と気を引き締める。
元遊撃隊の面々はレイに対する畏怖や憧れというものがあるので問題行動を起こす心配はなく、レイとしても安堵していられた。
だが、元遊撃隊以外の者達は……と少し不安に思ったレイだったが、ここまでの旅路でレイが見た目通りの存在ではないというのは思い知らされていたし、闘技大会でレイの戦いを見た者も多い。
そして何よりセトという存在を間近で見て、それでも妙な考えを起こすといった者はまず存在しなかった。
結果的に、皆が大人しく……どこか恐る恐るとではあったが、特に騒ぎになることもなく話は纏まる。
「レイさん、ヴィヘラさん、セトも。お久しぶりですね」
聞き覚えがあったその声に、レイとヴィヘラは視線を向ける。
そこにいたのは、厳つい身体つきや顔をしていながらも、穏やかな言葉遣いをしている人物。
同時に、その人物の横には五歳くらいの少年の姿もあった。
「ルチャード、それにエーピカ。久しぶりだな。元気だったか?」
「グルルルゥ?」
「久しぶりね」
三者三様に、それぞれが言葉を返す。
この二人は、レイがゴトに滞在していた時に深く関わった人物だ。
レイが宿として泊めて貰っていたのがルチャードの家で、レイやセトに懐いていたのがエーピカ。
ゴトで最もレイと親しい二人。
「ええ。おかげさまで、あれから特に何か大きな騒ぎが起きることもありませんでした。他国の貴族が何人かここを通りましたが、幸いラルクス辺境伯が目を光らせていたので」
「他国の?」
首を傾げるレイに、ヴィヘラが納得したように頷く。
「ミレアーナ王国を通ってベスティア帝国から自分の国に帰った人達でしょうね」
「……まぁ、ベスティア帝国と隣接してるんだから、そういう風になるのは当然か」
「そうでもないわよ? 普通なら、敵対しているミレアーナ王国を通ってベスティア帝国に入るなんて真似は殆どしないわよ。実際、私達がベスティア帝国に向かう時にも、ここで誰にも会わなかったでしょ?」
「なら、何で?」
首を傾げるレイ。
その仕草はとても深紅の異名を持つ者とは思えぬ程の愛嬌に満ちている。
少年から青年になろうという年齢特有のものだ。
……もっとも、中身は既に自分は青年だという意識があるのだが。
(私って……もしかして年下趣味だったのかしら? 勿論強いというのは大前提だけど)
レイの姿に、内心で一瞬そんなことを考えたヴィヘラだったが、すぐに我に返って口を開く。
「その理由なんて一つしかないでしょ? 幾ら異名持ちでそれなりに名前が知られていたとしても、一介のランクB冒険者がランクS冒険者と互角に近い戦いをしたのよ? 国を代表してベスティア帝国に来ている人達が少しでもレイの情報を集めようと思ったら、ミレアーナ王国に来るのが一番早くて正確よ」
「そうですね。ラルクス辺境伯の護衛の方達もそのように言ってました。けど、殆ど情報を得ることは出来ないだろう、とも」
「まぁ、基本的に俺はギルムで活動してるからな」
ようやく納得した、と頷くレイ。
強力なモンスターが日夜闊歩している辺境にある街、ギルム。
レイがそこを拠点として活動している以上、例えミレアーナ王国の中でもレイの情報を入手するというのは難しかった。
数少ない例外として、魔熱病の件でバール、この近くにあるセレムース平原で起きたベスティア帝国との戦争で有名になり、一時的に港町のエモシオンに避難し、迷宮都市のエグジルでダンジョンに挑んだ。
一般人にしてみれば多数の街や村に出没しているように思えるが、街から街へ、村から村へと移動していくような冒険者として考えれば、それ程多くの情報はない。
ましてや、レイがギルムで冒険者として登録してから、まだ二年も経っていないのだから。
その状況で他国の貴族がそう易々と情報を集められる筈もなく、わざわざミレアーナ王国へとやってきた者達は殆ど無駄足となる。
ギルムまで行けばレイの情報は色々と入手出来たのだろうが、ここに立ち寄ったのはベスティア帝国から自国へと帰る為であり、辺境まで足を伸ばしているような余裕のある者は殆どいなかった。
「まぁ、それはともかくとして、皆さんが泊まる家に関してはお任せ下さい。こちらで村の皆に話を通してきますから」
「頼む」
セトにじゃれついているエーピカを眺めながら、レイはそう頼むのだった。
「どうぞ、あまり多くは出せませんけど」
レイ一行がそれぞれ他の人の家に散っていき、レイはヴィヘラと共にルチャードの家にいた。
そんな二人にルチャードが出したのは、果物を干したもの。
レイの感覚では、いわゆるドライフルーツに近いだろう。
考えるまでもなく、このような田舎の村であれば貴重な物であるのは間違いない。
「いいのか?」
「ええ、レイさんやヴィヘラさんが無事に戻ってきたお祝いですから。……それに」
視線を向けたのは、玄関の方。
現在ルチャードの家の外では、セトとエーピカが遊んでいた。
この季節に外で遊ぶという元気は、子供だからこそだろう。
(子供は風の子……ってのは、この世界でも正しい表現だってことか)
そんな風に思いながら、ふともしかして今の自分もその中に入るのでは? と考え、首を横に振って否定する。
確かに自分の外見は十五歳程度だが、そこまで幼くはないだろうと。
「レイさん?」
「いや、何でもない。それより、食べさせて貰うよ」
木の皿に乗っている干した果物へと手を伸ばす。
干されたことで果肉が凝縮しているのか、しっかりとした手応えが返ってくる。
そのまま口に入れると、触ったときの感触同様にしっかりとした噛み応えがあり、同時に濃厚な甘みが口一杯に広がった。
「……美味いな」
素朴な味ではあるが、それがレイにとっては嬉しかった。
「そうね、美味しいわ」
ヴィヘラもまた、レイ同様に笑みを浮かべて干した果実に舌鼓を打つ。
尚、ヴィヘラがルチャードの家にいるのは、当然ヴィヘラがこの家に泊まるからだ。
レイだけではなくルチャードもいるということで、レイもそれを受け入れた。
まぁ、他の家に空きが殆どなかったというのもあるし、ヴィヘラの格好を考えれば迂闊な家に泊めることが出来ないという理由もある。
「それにしても本当に驚きましたよ。まさか、レイさんがあんな集団を連れてくるなんて」
干した果実を味わいながら改めて驚いたように告げるルチャードだったが、その表情はとても驚いているようには見えず、笑みを浮かべていた。
「まぁ、色々とあったんだよ」
「ふふっ、そうね。色んな意味で色々とあったわね」
レイの言葉に、同意するというよりもからかうように告げるヴィヘラ。
そんな二人を笑みを浮かべて見守るルチャード。
どこか居心地の悪いものを感じながらも、ふとレイはミスティリングの中から幾つかの食材を取り出す。
その中にはセトが帝都の周辺で獲った熊の姿もあったが……レイはそれを特に気にした様子もなく、ルチャードへと差し出した。
「今日の夕食は、村の連中も集まって宴と行きたいと思うんだが、どうだ? ああ、食材に関しては俺が出す。酒はそんなに多くはないが……」
レイのミスティリングには、当然この旅で必要な物資が大量に入っている。
それ以外にも、レイが自分用にと買った食材や、モンスターの肉といったものも多くあった。
酒がそんなに多くない理由は、レイ自身が酒をそんなに好まない為だ。
それでも多少なりとも酒があるのは、一応こういう場には酒が必要だと判断してたり、料理に使うかもしれないという考えからだった。
それとは別に、レイに預けられた荷物の中に酒が入っているという者もいたのだが。
「いいんですか? いや、勿論こっちとしては嬉しいんですけど」
「ああ。こうやって村にも迷惑を掛けているしな。その辺を思えばどうってことはないさ」
「分かりました。ちょっと村長に話を通してきます。確かに一晩だけではあっても一つ屋根の下に寝るのを思えば、仲良くなっておくに越したことはないですから」
「頼む」
レイの言葉に、ルチャードは嬉しそうに笑みを浮かべて出て行く。
「宴会ね。ま、セレムース平原を越えたというのもあるし、ミレアーナ王国に入ったというのを考えれば結構いいタイミングかもしれないわね」
「ああ、勿論それもある。それに幾ら俺と一緒に行動しているとしても、ギルムに行った当初は多分色々と厳しい目で見られることも多いと思う。それに負けないようにって励ましの意味も込めてだな」
レイと戦いたくない、レイに憧れた、セトと一緒にいたい、その他諸々。
色々とレイと共に行動する理由のある一同だったが、それでもベスティア帝国の出身者であるというのは変えようのない事実だ。
冒険者の者達はともかくとして、ギルムの領主であり中立派の中心人物でもあるダスカーとしては、そう簡単には信用出来ないだろうというのが、レイの予想だった。
「かんぱーいっ!」
『乾杯!』
秋の深まった夜ではあっても、焚き火を中心にしての宴会となれば、皆が楽しい時を過ごすというのは変わらないらしい。
ゴトの人々とレイ一行の者達が、いたる場所でコップをぶつけあって乾杯の声を上げている。
結局この宴では食べ物はレイが、酒はゴトが担当することで話はついていた。
勿論きっちりと決まっている訳ではない。
レイも幾らか酒を出したし、ゴトの方でも食材を幾つか提供している。
そんな状況であった為に、皆が相手の腹の内を気にすることなく宴を楽しめていた。
勿論多少思うところがある者というのはいるのだろうが、それを表に出すような真似はしない。
ゴト側にしてみれば、グリフォンを連れているレイを敵に回すことが出来る訳がないし、逆にレイ一行の方でもここで暴れたりしてレイに恥を掻かせるわけにもいかない。
……もっとも、そんなのは気にせず思い切りこの宴を楽しんでいる者の方が圧倒的に多いのだが。
「グルルルゥ」
レイの横では、セトが嬉しげに喉を鳴らしながら熊肉の炒め物が盛られている皿へとクチバシを伸ばす。
帝都を出発した日には熊肉を食べたがっていたセトだったが、結局それが叶えられることはなかった。
勿論他の料理は十分に美味であり、それを食べて満足していたのも事実だったが、それでも熊肉料理を食べたいという思いは消えていなかった。
だからこそ、この宴でレイがミスティリングから熊肉を提供したことはセトにとって非常に嬉しかった。
「え? この熊肉ってセトが!? うわ、凄い。さすがセト!」
セトが熊を捕ってきた話をレイから聞き、エーピカがセトを嬉しそうに撫でる。
熊肉を食べつつ、撫でられるのが気持ちいいらしくセトの喉が鳴っていた。
「ほらほら、セトも料理を楽しんでるんだから、あまり邪魔をしないの」
エーピカの母親が窘めるように告げる。
エーピカの両親との挨拶も既に済んでおり、レイとも軽く話をしていた。
もっともエーピカにしてみれば、そんなことは関係なくセトと一緒にいられるのが嬉しかったのだが。
「グルゥ?」
食べる? と、熊肉の炒め物が入っている皿から顔を上げてエーピカの方を見るセト。
「うん!」
嬉しそうな声を上げつつ、エーピカも皿に乗っている熊肉の炒め物へと手を伸ばす。
「……宴を開いて正解だったな」
レイ達がゴトにやって来た当初は、若干ながら緊張感があった。
だが、今こうして見ている限りではレイ一行の者達も、ゴトの住民も、それぞれが宴を楽しみながら打ち解けているように見える。
それだけでも、食料を提供した甲斐があったというものだろう。
レイはそう考え、近くの焚き火で焼かれている串焼きへと手を伸ばすのだった。