0846話
セレムース平原の空を、黒い雲が覆う。
見るからに雨雲であり、このままではいつ雨が降ってきてもおかしくはなかった。
更に今までより気温も低くなっており、風が馬車の御者台にいる者達の体力を奪っていく。
そんな状況にありながら、馬車を先導するように先頭を進むレイは自分の右手が握っているデスサイズへと視線を向ける。
昨夜入手した新しいスキル、飛斬Lv.四。
夜の見張りをしている時に再びスケルトンが数匹やって来た時にこれ幸いと使ってみたのだが、確かに飛斬はパワーアップをしていた。
デスサイズの刃から飛ばされた斬撃は、その大きさも威力も、両方が以前よりも増していたのだから。
スケルトンの肋骨をあっさりと切断し、その中で守られていた魔石をも破壊している。
……おかげで、魔石を得ることは出来なかったのだが。
(にしても、何だってリビングアーマーで飛斬なんだ? 今朝ディーツに聞いた話だと、あの魔石の持ち主であるリビングアーマーはバトルアックスの使い手だった。だとすれば、どう考えてもパワースラッシュを習得するのが自然だろうに)
内心で疑問に思いつつ、それでもレイの口元に浮かんでいるのは笑みだ。
当然だろう。飛斬というのはレイが使うスキルの中でも非常に使い勝手のいいスキルでもある。
デスサイズを振るうだけで遠距離へと攻撃出来るのは、レイにとっても非常にありがたい。
遠距離攻撃という意味では、魔法やマジックアイテムのネブラの瞳で生み出した鏃、槍の投擲といったように幾つもの手段を持っている。
特に槍の投擲はレイにとって遠距離で攻撃する際には主力に近いと言ってもいい。
だが、槍の投擲はミスティリングから槍を取り出して、構え、狙いを付けて投擲するという行程が必要であり、魔法は呪文の詠唱が必要だった。
その点では魔力を通すだけで鏃を生み出すネブラの瞳というのは非常に使い勝手がいいし、ドラゴンローブの下に装備しているということで意表も突ける。
しかし、鏃の射程距離は決して長くはない。
それを考えれば、狙いを付けてデスサイズを振るうだけで放たれる飛斬というスキルの使い勝手は非常に良かった。
だからこそ、何故バトルアックスを装備したリビングアーマーから習得したのかは疑問に思いつつも、レイは満足そうな笑みを浮かべる。
尚、魔石はセトが貰ったが、リビングアーマーの使用していたバトルアックスはディーツの物となっている。
夜の見張りをやるにしても、当然何の旨味もなければ真剣にならないだろうと、夜の間に自分が倒したモンスターの素材や魔石、討伐証明部位といった換金出来る物は倒した者に所有権を認めるとレイが決めていたからだ。
勿論、本来であればレイはこの集団の正式なリーダーという訳ではない。
だがこの集団の基本が遊撃隊である以上、レイの指示に異を唱える者はいなかった。
元遊撃隊のメンバーが連れて来た者の中には多少不満を抱いていた者がいたが、それでもレイとセトを相手に何かを言える程ではない。
よって、リビングアーマーを倒した最大の功労者であるセトが魔石を貰い、それ以外の物をディーツが貰うという結果となった。
もっとも、リビングアーマーの本体でもある鎧の部分はセトのパワークラッシュにより破壊されていたので、得ることが出来たのはバトルアックスのみだったが。
ただ、そのバトルアックスもリビングアーマーが使っていた代物だけあって、決してただのバトルアックスではない。
怨霊の力により、半ばマジックアイテムに近い存在となっていた。
……若干呪われている武器の一種ではあるのだが。
それでも売れる場所に持っていけばそれなりの値段になる筈であり、レイのミスティリングにバトルアックスを収納したディーツは満足そうに頷いていた。
「レイ、もう少し急いだ方がいいんじゃない? このままだとセレムース平原の中で雨に降られそうよ?」
セトに併走している馬の上から、ヴィヘラがレイへと声を掛ける。
その声に上を向いたレイは、先程よりも雨雲が濃くなっているのを確認するとヴィヘラへと頷きを返し、後ろを振り向いて口を開く。
「少し速度を上げるが、大丈夫だな!?」
その言葉に反対する者はいない。
当然だろう。このセレムース平原の中で雨に降られると、視界が悪くなった状態で走らなければならないのだから。
そうなると、雨に紛れてアンデッドが襲ってきても気が付かない可能性が高い。
また地面もきちんと舗装されている訳ではない以上、ところどころに穴が空いていたり、大きな石が落ちていたりもする。
そんな場所を雨の中で移動するのが嫌だというのは全員に共通した思いであり、レイの言葉通りに少し無茶をしながらも速度を上げて突き進む。
そのまま約一時間程。幸いなことに空には雨雲が存在しつつも雨が降ることはなく、セレムース平原の終わりが見えてくる。
本来であれば信じられない行軍速度は、やはり馬車に余計な荷物を一切乗せていないという身軽さ故のものだろう。
またアンデッドが姿を現しても、先頭を走っているレイとセトがあっさりと蹴散らし、周囲から迫ってくる相手にはヴィヘラや馬車に乗っている元遊撃隊の面々が対応する。
(ランクSの不動のノイズに勝ったレイさん、ランクAの水竜のディグマに勝ったヴィヘラ様。この二人を護衛にしていると考えると、それこそアンデッドどころか一国の軍隊が攻めて来てもどうにでもなりそうな気がする)
馬車の周囲を警戒しながら、セルジオはそんな風に考える。
人当たりが良く、礼儀正しい。それでいて冒険者としてもソロで活動出来るだけの実力を持っている。
……ソロになったのは、前に所属していたパーティが色々と問題があって解散した為だが。
ともあれそれだけの実力があるセルジオにとって、レイという人物は色々な意味での驚きだった。
レイと敵対したくないというのもミレアーナ王国へと向かう理由の一つだが、それ以上にレイという存在そのものが興味深かったというのもある。
「セルジオ、向こう側にゾンビだ! 弓で攻撃するか?」
ディーツからの言葉に、セルジオはすぐに首を横に振って指示を出す。
「ゾンビの移動速度ではこの速度には追いつけません。無視して下さい」
「分かった!」
考えごとをしながらでも指示を出しつつ、そのまま真っ直ぐにセレムース平原を進み……
「出口だ!」
レイの声が全員の耳へと届く。
そうして皆が周囲を見た瞬間、明らかに周囲に漂っている空気が違うものになったことに気が付く。
「よっしゃあああぁぁあっ!」
誰かが叫んだ喜びの雄叫び。
それに続くかのように、他の者達も喜びの声を上げる。
「やったあっ! 抜けたわ! ここはもうミレアーナ王国よ!」
「うおおおおおおおっ!」
「いーやっほぉっ!」
その声を上げているのは、元遊撃隊の面々だけではない。馬車の中で緊迫しながら周囲の様子を窺っていた者達も同様だ。
いや、荒事に慣れていない者の方が多い分だけ、喜びはこちらの方が多いだろう。
馬車の先頭を走っているレイも、周囲の様子を確認しながら周囲に異常がないかを眺める。
アンデッドは基本的にセレムース平原から出てくることはないのだが、それも絶対ではない。
こうしてミレアーナ王国に入って走っていても、何かの間違いで外に出ていたアンデッドと遭遇する可能性は決して皆無ではないのだから。
「ここから一番近いのは、ゴトという村だ。今日はそこで一泊することになる」
これからの予定については既に話してあったが、確認の意味も込めて告げるレイ。
その言葉で我に返ったのか、皆も一斉に真面目な表情で頷く。
「ゴトもそれ程大きい村じゃない。宿もないから、馬車の中で寝るか、どこかの家に金を払って泊めて貰うか……今までと同じ、いやそれ以上に窮屈な寝床になるだろうが……」
「それはしょうがないですよ。この時期に外で一晩中見張りをしなくてもいいだけ運が良かったと思わないと」
セルジオの言葉にレイが頷く。
「さて、じゃあ行くぞ」
その言葉と共に、レイはゴトを目指して出発する。
(ミレアーナ王国に……戻ってきたんだな)
内心の感慨深さを胸の奥に秘めながら。
ゴトで警備兵として立っていた者達は、この寒さの中で夜になったら暖かい料理を食べるというのだけを想像しながら、村にモンスターや盗賊が入らないように立っていた。
寒さ対策として防寒具を身につけてはいるが、それでも身体の芯から冷えるような寒さを完璧に防げる訳でもない。
その為、少しでも暖まろうと足踏みをしていたのだが……
「お、おい! あれ!」
二人いるうちの警備兵の片方が、視線の先に現れたものに声を上げる。
その言葉にもう片方の兵士が視線を向けると、こちらは声も出せない程に目を大きく見開く。
それも当然だろう。二十台近い馬車の集団が自分達の村へと向かってくるのだから。
ちょっとした商隊でも数台の馬車が精々であり、この警備兵達にとっては二十台近い馬車と言われれば、思いつくのは戦争の時に軍隊が通り過ぎるものくらいだった。
「な、何だ? 盗賊か!?」
「まさか、盗賊があんなに馬車を……いや、待て。おい、見ろ。馬車の先頭!」
相棒の言葉に馬車の先頭へと視線を向けると、そこにはグリフォンの背に乗った人物の姿があった。
小柄な人物で、フードを被っている為に顔は確認出来ない。
だが、グリフォンに乗っている人物というだけで、警備兵達にとっては誰なのかというのはすぐに理解出来た。
暫く前にゴトの村に一時期滞在した人物で、同時にラルクス辺境伯と共にベスティア帝国へと向かった人物。
少し前にラルクス辺境伯は戻ってきたが、その時にグリフォンの姿はなく、ゴトで一晩を過ごした時に村の者達……特に子供達が酷くがっかりとしたのを警備兵達は覚えていた。
「レイ……戻ってきたのか」
「ああ。グリフォンに乗っている以上は、間違いなくレイだ。けど、何がどうなればあんな風に馬車の集団を率いてくることになるんだ?」
この村の住人が知っているレイという人物は、確かにグリフォンを従魔にしていたが、それでもこんな風に部下を大勢率いているような人物ではなかった。
だが、今見てみる限りだと、レイが後ろの馬車を率いているようにしか見えない。
更にレイの隣には、これまた見覚えのある人物。
もうすぐ冬となるだろう寒空だというのに、見るからに寒そうな薄衣を身に纏ったヴィヘラ。
レイの隣という位置が、副隊長的な役割に見えていた。
実際には傭兵団や商隊といった訳ではなく、引っ越しをする集団でしかないのだが……この状況でそれを察しろというのは無理だった。
「どうする?」
「いや、どうするって言ったって……どうするよ?」
そんな風に悩んでいる間にも、レイが率いる集団はどんどんと近づいてきている。
本来なら村長なりなんなりを呼びに行けば良かったのだろうが、あまりに予想外の光景に混乱している間に、とうとうレイが率いる一団は門の前へと到着する。
「久しぶりだな。……覚えているか?」
特に緊張した様子もなくフードを下ろしながら声を掛けるレイに、警備兵もようやく我に返ったように口を開く。
「ああ、覚えている。グリフォンを従魔にしている人物をそう簡単に忘れる訳ないだろ。にしても、お前はラルクス辺境伯と一緒にベスティア帝国に行った筈なのに、何だってこんな集団を引き連れて戻ってきたんだ?」
「ま、色々とあってな。後ろの奴等は、ミレアーナ王国に移住を希望した者達だ」
「……もしかして、噂に聞こえてきたベスティア帝国の内乱とかに関わってないだろうな」
田舎にある村ではあるが、同時にゴトはセレムース平原を挟んでベスティア帝国に最も近い村でもある。
当然ベスティア帝国からセレムース平原を通って来た者は、ゴトで一休みすることが多い。
そのような者達から、内乱についての話は伝わっていたのだろう。
「さて、どうだろうな。ただ、結構儲かったとだけは言っておくよ」
レイの口から出た言葉に、警備兵は苦笑を浮かべる。
「その言葉だけで大体分かった。……それより村に入るんだろう? なら、それぞれ身分証を出してくれ」
その言葉に従い、レイはミスティリングから取り出したギルドカードを門番へと渡す。
同時に、レイの背後にいた他の者達も同様にそれぞれの身分証を警備兵へと見せ、特におかしなことはないままに手続きを終える。
セト用の従魔の首飾りも受け取り……こうして、レイ達は無事ゴトに入る手続きの全てを完了するのだった。