0839話
「レイ隊長、これをお願い出来ますか?」
帝都の中にある宿の一つ。
そこでレイは遊撃隊の一人から頼まれ、荷物をミスティリングの中に収納していた。
「ああ、構わない。お前は一人でいいんだな? 他に連れていく奴はいないのか?」
「あ、はい。元々孤児だったので、身寄りはいないんですよ」
「パーティは? それとも、俺と同じくソロで活動してたのか?」
「いえ、勿論パーティは組んでましたよ。ただ、内乱が始まる少し前に分け前の件で色々とあって……」
「なるほど」
部屋の中にあった予備の鎧をミスティリングに収納しながら、レイは男の言葉に頷きを返す。
より確実に依頼を達成し、自分が生き残る確率も上げることが出来るのが、複数の冒険者で行動を共にするパーティだ。
だが、パーティということは当然多くの冒険者の集まりであり、パーティが大きくなればなる程に人間関係も複雑となる。
その結果パーティが解散するということは、レイとしても冒険者である以上は知っていたし、実際に分け前の問題やパーティ内部での人間関係といったことで揉めているのを何度か見たことがあった。
「そういう意味だと、俺みたいなソロは楽なんだけどな」
「……低ランク冒険者ならともかく、ある程度上のランクまで来ればソロでやっていくのは難しいですよ。それこそ、レイ隊長みたいに圧倒的な実力があるとか、もしくは誰にも真似出来ない特技があるとかじゃないと」
「そうか? ……まぁ、そうなんだろうな。俺の場合はセトがいるから、そんなにパーティを必要とはしてないけど。おい、これもか?」
野営用の道具が纏められているリュックに視線を向けて尋ねると、男は頷きを返す。
「はい、それで最後ですね。後は普段使うような物なのでこっちで大丈夫です。報酬の馬車に詰め込むだけですし。……まぁ、正直俺がレイ隊長と一緒にミレアーナ王国に行きたいって思ったのは、パーティ間で起きた問題を思い出す帝都で行動するのが嫌だっていう理由もあるんですけどね」
「心機一転って奴か。……ま、一緒に来るのなら好きにすればいいさ。待ち合わせ場所は分かってるな? 二日後の午前九時の鐘が鳴った頃に正門の外で、だぞ。帝都を出る手続きは早めにしろよ」
「はい、ありがとうございました」
「……言っておくが、急に行けなくなったとかになったらしっかりとそれを言いに来いよ。もしそれを言わないで行方をくらませた場合、預かった荷物はこっちで勝手に処分することになる」
「ええ、その辺は前もって聞いてるので」
「ならいい。じゃあ、二日後にな」
短く言葉を交わし、レイは部屋を出て行く。
十人以上の荷物を預かるのだから、遊んでいる暇はないのだ。
特に今回は独身で宿を拠点にしている冒険者だけあって、荷物自体はそれ程多くはなかった。
更には前もって荷物を纏めていたこともあったのだが、それでも三十分程が掛かっている。
もっとも、色々と話をしつつミスティリングに収納するというような真似をしていたからというのもあるが。
宿屋を出たレイは、外で待っていたセトと合流……する前に、そのセトを遠巻きにしている者達の隙間を縫ってセトへと近づいていく。
メルクリオ軍の中では愛らしいペット的な扱いを受けていたセトだったが、それはあくまでもセトという存在に慣れている者達がいるからこそだ。
帝都にいる者達にしてみれば、グリフォンという存在は生まれて初めて見るものであり、ランクAモンスターという印象が強い。
そうである以上、どうしても近寄りがたくなるのは当然だろう。
遠巻きにしている者の中には兵士もいるが、手を出さないのはセトの首に従魔の首飾りがあるのと、何より……
「悪いけど、ちょっと退いてくれるか」
「しっ、深紅のレイ……」
グリフォンを従えている冒険者、レイのことを知っていた為だろう。
春の戦争でベスティア帝国が負ける原因を作り、闘技大会ではノイズに負けたとしてもほぼ互角に見える戦いをして準優勝となり、先頃起こった内乱では間違いなく勲功第一位と言われるだけの活躍をした人物。
今ではレイが所属するミレアーナ王国よりも、ベスティア帝国での方がレイの名前は広まっていると言われている程の人物。
そんなレイを前に兵士が何か出来る筈もない。
そもそも、レイは何か罪を犯した訳でもないのだから。
「グルルゥ」
レイの姿を見つけたセトが、嬉しそうに喉を鳴らして立ち上がる。
そんなセトに周囲の者達は驚き、囲んでいる輪が広くなる。
(セトが怖いってだけなら集まったりはしないんだろうけど……少しでもセトに対して興味を持っていたりするのか? だとすれば嬉しいんだけどな)
周囲を見回しながら考え、皆に見えるようにしてミスティリングから取り出したサンドイッチをセトへと差し出す。
「グルゥ?」
食べてもいいの? と首を傾げるセトに、レイは構わないと頷きを返し……次の瞬間には、レイの手の中からサンドイッチは消えていた。
「グルルゥ、グルルルルゥ!」
嬉しそうに喉を鳴らしながらサンドイッチを食べるセト。
その姿は、傍から見れば愛らしいペットのようにも見える。
周囲で様子を窺っていた者達は、最初何が起こっているのか分からないままにそんなセトへと視線を向けていた。
(これでセトに対する恐怖心が少しでも消えてくれればいいんだけどな)
サンドイッチを一心不乱に食べているセトを撫でながら、レイは次に向かうべき場所へと思いを馳せる。
「ちょっと、何を勝手に決めてるのよ! 私は帝都を出る気なんかないからね!」
セトにサンドイッチを与え終えたレイが次にやって来た家の扉をノックしようとすると、中からそんな声が聞こえてきた。
「そんな、いいだろ。大体ベスティア帝国にいれば、最悪戦場でレイ隊長と戦わないといけないかもしれないんだぞ? そっちの方が絶対に危険だって」
「なら、あんたが冒険者を止めればいいだけじゃない。前から私の実家で手伝いを探してるって話はしてたでしょ? そっちで仕事が出来るんなら、冒険者なんて危険な仕事をしなくてもいいじゃない!」
「稼ぎが違いすぎるだろ!?」
「それは……けど、稼ぎがいいって言ったって、それはあくまでも危険を対価に貰ってる稼ぎじゃない。命を売ってるようなものでしょ? そんな仕事、いつまでも続けられる訳ないわ!」
「それは分かってるさ。俺だっていつまでも冒険者をやっていけるとは思ってない。けどな、今はまだやっていける。なら今のうちに金を稼いで……」
「馬鹿言わないでよ! 稼いだ分を片っ端から使ってる癖に!」
家の中から聞こえてくるその声に、ノックしようとする手を止める。
とてもではないが、今声を掛けてもまともな話し合いになるとは思えない。
夫婦喧嘩か、恋人同士の喧嘩かは分からないが、それに巻き込まれるのは確実だった。
「……他の場所を回ってから、後でここに来るか」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトが同意するように喉を鳴らす。
触らぬ神に祟りなし、とばかりにレイはその場を後にする。
もしかしたら、今中で喧嘩している冒険者の男は来ないのかもしれないな、と考えつつ。
「あ、セトちゃん! ……ん、コホン。レイ隊長、早速来てくれたんですね」
扉を開けるなりセトを見て相好を崩す女に、レイは溜息を吐く。
「俺はついでか? まぁ、いい。それより随分といい家に住んでるようだが……なんでまた冒険者なんかやってるんだ?」
「あはは。まぁ、それなりに大きい店をやってますから色々とあるんですよ」
「……じゃあ、俺と一緒にくるのは? 店をやってるのなら、家族は無理だろ?」
「はい。だから私一人でミレアーナ王国に行くことになりました」
笑みを浮かべて告げるその言葉は、家族との一生の別れになるかもしれないというのに、全く悲壮感がない。
「いいのか?」
「ええ。……あ、別に私が家族を嫌っているって訳じゃないですよ? ただ、うちの店はミレアーナ王国との取り引きもやってるので、連絡を取るのはそんなに難しくないですから」
「分かった。お前がそれでいいのなら、俺は何も言わない。それで、荷物は?」
「もう纏めてあります。上がって下さい。……あ、セトちゃんはごめんね。さすがにグリフォンを家に入れるのは無理だから……」
そう告げ、一旦家の奥に引っ込んでいった女は、すぐに戻ってくる。
その手には大きめに切られた肉の煮込みが入った皿があった。
濃厚なソースの香りと湯気を見れば、出来たての料理だというのは誰の目から見ても明らかだ。
「ちょっと時間が掛かりそうだから、このオーク肉のシチューを食べて待っててね」
「グルルルルゥ!」
嬉しそうに喉を鳴らし、早く早く、と女に向かって円らな瞳を向けるセト。
その瞳に撫で回したいという欲求を覚えつつも、女は荷物をレイに預かって貰うのが先だと我慢して地面へとシチューの入った皿を置く。
早速喉を鳴らしながらシチューを食べているセトをそのままに、女は何かを吹っ切るような……それこそ、未練のある別れた恋人の前から立ち去るかの如く、レイを連れて家の奥へと入っていく。
途中でメイドと思しき四十代程の中年の女が頭を下げてきたりされつつ、レイは家の奥、女の部屋へと到着する。
「さ、レイ隊長。これが私の荷物なのでお願いします!」
「……お前……どこに行くつもりだ?」
部屋の中にある荷物を見ながら、レイが呆れたように呟く。
部屋の広さは十畳程で、レイの感覚で考えれば広いが、エルジィンの感覚で考えればそれ程大きくはない。
いや、ここが帝都であるというのを考えれば土地の値段は自然と上がるのだから、十分広いと言えるかもしれない。
だが……レイが呆れたように呟いたのは、部屋の中に纏められた荷物の量だった。
明らかに多い。多すぎる。
一般的な冒険者が泊まる宿には、確実に入らないだろう量だ。
「幾らなんでも多すぎないか? お前、ギルムで一体どんな宿に泊まるつもりだ?」
「あ、いえ。その辺は大丈夫です。友人達と一緒に一軒家を借りるつもりですから。この荷物も、売ったりする物が入ってたりしますし」
「……なるほど。それならいい、のか?」
一軒家を借りる。その発想はレイにはなかった。
日本にいる時は、自分の家が父親の持ち家だったこともその理由だろう。
(借家か。金に余裕はあるんだし、家を買ってみてもいいかもしれないな。セトを厩舎に入れなくて庭とかを自由に散歩出来るように。……ただ、夕暮れの小麦亭は設備が整ってるんだよな)
宿の中には各種マジックアイテムが用意されており、現代日本並みの快適な生活が可能となっている。
それに比べると、一軒家を借りたり買ったりした場合は、そこまで快適な生活が出来ないのは間違いがなかった。
(それに、自分で掃除とかもやらないといけなくなるしな。……メイド? いや、色々と秘密が多い以上はそれもちょっと不味い)
色々と頭の中で考えたレイだったが、結局は夕暮れの小麦亭を拠点にするのがベストだということになる。
……ギルムの中でも最高級の宿に慣れてしまった以上、そう簡単に生活の質を落とすことは出来そうになかった。
「レイ隊長、どうしたんですか?」
「あ? ああ、うん。ちなみに、借りる予定の家ってのは、何人くらいで住むんだ?」
荷物をミスティリングへと収納しながら尋ねるレイに、女は少し考えてから口を開く。
「まだ正式には全員分決まってませんけど、取りあえず女は全員入る予定ですね。男は……うーん、どうでしょう。そっちは応相談ってところです」
「男と住むのも、そんなに抵抗ないんだな」
「そりゃそうですよ。こうして冒険者をやってるんですから、依頼の最中は男と雑魚寝なんて珍しいことじゃないですし。……まぁ、中には血迷って手を出してくる奴もいますけど、そういうのは身体に教え込んでやればいいだけですから」
精鋭を揃えた遊撃隊に所属していた女らしいその言葉に、レイは思わず納得する。
その辺の男が襲い掛かっても楽にあしらえる。
それだけの力があるからこそ、遊撃隊に選抜されたのだったと。
もっとも、喋りながら何かを握り潰す仕草をしていたのは、色々と視線を逸らして見なかった振りをしたが。
「一応言っておくけど、ギルムで冒険者をやるつもりなら辺境だけあって結構厳しいぞ? 特に俺達が向こうに到着すればもう完全に冬だろうし、そうなればギルドの依頼も厳しいものになる」
「あー……そうですね。ただ、レイ隊長に預かって貰った荷物をあっちで売り払えば、冬を越すくらいは何とかなりますから。それに、今回の依頼で貰った報酬もかなりの額でしたし。それこそ、特別報酬として貰った馬車を抜かしても、半年くらいは遊んで暮らせるくらいに」
笑みを浮かべて告げてくる女に、遊撃隊が精鋭部隊なら確かにそのくらいの報酬を貰ってもおかしくないだろうと判断する。
自分だって古代魔法文明の遺産……それこそ唯一無二と言ってもいい、光金貨数枚分の価値はあるだろう新月の指輪を貰っているのだから。
「さ、それより隊長。私の荷物は終わったから、他の人の場所に行って下さい。他にも待ってる人がいるんでしょう?」
「……その言葉だけを聞けば、ちょっと意味深だな」
呟き、レイの言葉に笑い声を上げる女をその場に残して次の家へと向かう。
取りあえず、さっきの言い争いをしていた場所は最後に回すか。
そう思いながら。