0831話
ブリッサ平原を出発してから数日、レイが心配していたような盗賊やモンスターの襲撃もないままに街道を進み続けた一行は、いよいよ帝都の姿が見える場所までやってきていた。
「……帝都、か。少し前に来たばかりなのに、随分と昔の出来事に思えるな」
遠くからでも見える帝都を眺めながら、レイが呟く。
フリツィオーネを護衛する為にやって来たのは、その言葉通りそれ程前のことではない。
だがそれでも、こうして帝都の姿を見るのは随分と久しぶりのように思えた。
それだけメルクリオ軍として活動していた時間が濃密だったことの証なのだろう。
「レイ隊長、テオレーム様がお呼びです。凱旋パレードの件で一旦来て欲しいと」
帝都の姿を見ていたレイに、不意に後ろから声が掛けられる。
そちらに視線を向けると、そこにいたのはペールニクス。
いつものように厳しい表情を浮かべているように見えるが、口の端が微かに曲がっているのを見れば、ペールニクスも帝都に戻ってきたのが嬉しいのだろう。
微妙な表情の変化が分かるくらいには、レイもペールニクスとの付き合いはあった。
「分かった。じゃあ、俺はちょっと後ろの方に行ってくるから、暫く指揮を頼む」
「は!」
生真面目に馬の上で返事をするペールニクスに頷くと、レイはそっとセトの首の後ろを叩く。
それだけでレイが何をして欲しいのかを理解したセトは、喉を小さく鳴らして踵を返す。
その際、近くにいた遊撃隊の乗っている馬が怖がったりしなかったのは、ここ数日ずっとセトと一緒にいた為に多少は慣れたからだろう。
そのまま街道を進む軍の流れに逆らうように、中央の、主に幹部が集まっている場所へと向かって行く。
そんなレイを……いや、セトを見掛けたメルクリオ軍の兵士が手を振ったり、セトの可愛らしい姿を見ようとしているのだが、この軍にいるのはメルクリオ軍だけではなく、討伐軍もいる。
寧ろ、人数としては討伐軍の方が多い。
それだけに、レイやセトに対しては未だに恐怖や畏怖を抱いている者の方が多く、全体的に見ればセトの人気は下がっているようにも見えた。
「グルゥ……」
セトの姿を見て身体を強張らせた数人の兵士を眺め、悲しそうに鳴くセト。
レイは、セトの首の後ろを撫でてやる。
「少し前までは敵対してたんだから、こうなってしまうのもしょうがないだろ。ほら、これでも食って少しは元気出せよ」
ミスティリングの中から取り出した干し肉をセトに与えるレイ。
クチバシで干し肉を咥えて口の中に放り込むと、先程よりも少しだけ元気の出た鳴き声がセトの口から漏れる。
(現金というか、何というか……いやまぁ、セトが喜んでくれれば俺も嬉しいからいいんだけどな。もっとも、不機嫌になったセトとか、ちょっと見たいとは思わないけど)
セトを可愛がっているだけに、レイとしてもセトの不機嫌な姿を見たいとは思わなかった。
レイから視線を外しながら、どうしても気になってレイの方を見てしまう。それでいながら、レイと視線が合うと再び視線を逸らす。話し掛けたいけど、自分は今不機嫌なんだというのをレイに対して示したい。そんな風にいじけている姿はそれなりに可愛らしいものがあるのだが、不機嫌な様子はレイにとってもあまり好ましいものではない。
干し肉を食べて元気を取り戻したセトは、そのまま軍の流れに逆流して進みながらやがて中央部へと到着する。
メルクリオやテオレームといった面々が馬に乗って移動しているのを確認したレイへと、その周囲を囲んでいた護衛の騎士のうち、近くの一人が馬に乗ったまま近づいてくる。
「レイ隊長、メルクリオ殿下がお待ちです。どうぞお通り下さい」
そう告げ、馬を横に移動させてセトが中へと入れるような隙間を作る。
兵士の殆どが歩きである以上、馬の移動速度もそれ程速いものではない。
だがそれでも、こうして歩きながら自由自在に馬を操れるというのは、メルクリオの護衛を任されているだけはあるのだろう。
また、その馬もセトと接している時間はそれ程多くないというのに、怖がって暴れたりもしていないのが目の前にいる騎士達が正真正銘の精鋭……それこそ、遊撃隊に負けない程の精鋭なのだと示していた。
「ああ、分かった」
短く言葉を交わし、メルクリオやテオレーム、ヴィヘラやティユールといった面々の集団へと近づいて行く。
何故かその中にはディグマもいるのだが、特に問題視している者の姿はない。
水竜の異名を持つディグマの人望が物を言った形だ。
既に負けを認めているのだから、この場で妙な真似をしたりはしないだろうと。
貴族の中にはフリツィオーネのように馬車に乗っている者もかなりの人数がいるが、こうして馬に乗って移動している者も多い。
この辺はメルクリオやテオレーム、ヴィヘラといった面々が馬に乗って移動しているのが影響しているのだろう。
もっとも、メルクリオ自身は別に他人に対して馬での移動を強要している訳ではない。
自分が馬に乗っているのは軍を率いているのが自分であると皆に示す為であり、同時に姉のヴィヘラが馬車でじっとしているよりも馬に乗って移動している方が気が楽で、そのヴィヘラと共に同じ時間を過ごしたいというのがあった。
「やぁ、来てくれたね。……それで、早速だけど用件に入ってもいいかな?」
「凱旋パレードのことだって話を聞いて来たんだけど?」
「うん、そう。その凱旋パレードの件なんだけど……」
何かを言い掛けたメルクリオだったが、それを遮るようにしてテオレームが口を開く。
「メルクリオ殿下、ここは私が……」
「……うん、分かった。任せるよ」
「ありがとうございます」
メルクリオに一礼したテオレームが、視線をレイの方へと向けてくる。
その表情に浮かんでいるのは、どこか口を開きにくいような躊躇い。
微妙に嫌な予感がしつつ、レイはテオレームへと視線で先を促す。
「凱旋パレードに関してだが……本来の予定であれば、先頭を進むのは遊撃隊の予定だったが、他の部隊に変更になった」
「……何でだ? 昨日までは俺達が先頭ということになっていたと思うが」
「城からの要望だ。具体的には、宰相のペーシェ殿からだな」
テオレームの言葉に、闘技大会に出場する為の交渉で会った男を思い出す。
非常に太っている人物で、頭は禿げており、鼻の下にはナマズのような髭の生えている人物。
外見だけで見れば典型的な能なしの貴族にみえるのだが、ベスティア帝国という国の宰相を務めていることを考えても、間違いなく有能な人物。
「理由は?」
「やはり凱旋パレードという形である以上、先頭を進むのが他国の人間であるというのは国の面子として些か問題があるというのがあった。また、他にも色々と理由は言っていたが、やはりそれが一番大きいらしい」
内乱が終わった直後から、メルクリオやテオレームは帝都と連絡を取り合っていた。
メルクリオ軍の中にも召喚魔法を使える者やテイマーがおり、空を飛ぶモンスターや鳥をテイムしている者に協力して貰って手紙を送っていたのだ。
これ程の規模の内乱である以上、当然帝都の方でも色々と情報を欲しているし、それによりベスティア帝国上層部の力関係も色々と変わってしまうのだから当然だろう。
ベスティア帝国軍では、自分達が支持していたシュルスが負けてしまったことに大きな衝撃を受けていた。
それでも周辺諸国に対して睨みを利かせるという自分達の仕事を怠らなかったのは、自分達こそがこの国を守っているという自覚があった為だろう。
「……なるほど」
色々と政治的な理由があるというのを察したのか、レイは反論もせずに頷きを返す。
そのまま何かを考えるようにして十秒程目を閉じた後、改めて口を開く。
「そうだな。一応聞いておくけど、別に遊撃隊が凱旋パレードに参加出来ないって訳じゃないんだろ?」
もしそうだとすれば、絶対に納得は出来ない。
そんな視線を向けてくるレイに、テオレームは頷きを返す。
「勿論だ。遊撃隊はこの軍の中でも最精鋭部隊の一つ。そんな者達を凱旋パレードに参加させないなんてことは絶対にない」
断言したテオレームに、レイは頷く。
「なら構わない。ちょっと思うところはあるけど、それでもこれはこのベスティア帝国の件だからな。遊撃隊を蔑ろにするつもりがないんなら、それでいいさ。……ただ……」
「分かっている。遊撃隊に関しては、きちんとこちらで相応の対処をさせて貰おう。ワイバーンの件で多少騒ぎになったのは事実だが、その後は相応の手柄を挙げているのだから」
「……なら、いい。それで順番に関してはどうなるんだ?」
言葉通り、多少思うところがない訳でもないレイだったが、今回の件はベスティア帝国という大国の今後に関わることだ。
それを理解している以上、そこまで無理を言うことはなかった。
「悪いね、こっちとしても出来れば遊撃隊には目立つ場所にいて欲しかったんだけど」
メルクリオの言葉に、レイは小さく肩を竦める。
例えこの内乱で勝ったとしても、今のメルクリオはまだ次期皇位継承者という扱いに過ぎない。
現役の……しかも皇帝の信頼が厚い宰相と比べると、これまでの実績がない分立場は弱いのだろう。
(カバジード殿下が勝っていれば、話は別だったかしれないが)
テオレームは内心でそんなことを思う。
メルクリオと違い、カバジードは以前から第1皇子として仕事をこなしてきた実績がある。
その実績があるだけに、宰相であっても蔑ろには出来ない。
それに比べると、メルクリオは素質はともかくとして、実績がない分だけ立場が弱くなってしまうのは当然だった。
(もっとも……それは今だけだ。宰相や他の貴族達がメルクリオ殿下をどう見ているのかは分からないが、もし何も知らない象徴に過ぎないなどと思えば、その後悔はいつか己の身に降り掛かることになるだろう。その時にどう思うのか……今から楽しみではあるな)
そんなテオレームの思いとは裏腹に、話が纏まった以上はもう用はないとセトの首を軽く叩くと、レイはそのまま去って行く。
だが……そんなレイを追いかけてくる姿があった。
「レイ、私には何もないの?」
拗ねたように呟くヴィヘラに、レイはどこか困ったように口を開く。
「何もないというか……休憩の時には俺のところに来るんだろ? なら、わざわざメルクリオの前で話さなくてもいいかと思ってな」
「あのね……もう少しは女心を学んだらどう?」
溜息を吐きながら告げてくるヴィヘラ。
レイはそんなヴィヘラに意表を突かれた表情を浮かべる。
そんなレイの姿に、ヴィヘラは再び溜息を吐く。
「まぁ、いいわよ。……それより、レイは凱旋パレードが終わったらもうミレアーナ王国に帰るのよね?」
「ああ、そのつもりだ。ただ、実際に向こうに到着するまではそれなりに時間が掛かりそうだけど」
遊撃隊の中でもレイに同行することを希望している者達がいる以上、その者達と、そして共に来る者達。
人数にすれば恐らく二十人から三十人程になると思われる者達と共に馬車で移動するのだから、移動にはどうしても時間が掛かることになる。
その辺を説明すると、ヴィヘラは納得したように頷きを返す。
「テオレームから話は聞いてるわ。出来れば、私もレイと一緒にギルムに行きたかったんだけど……」
言葉を濁すその様子は、レイと共にギルムへと行けないということを意味していた。
「ベスティア帝国に残るのか?」
メルクリオが次期皇位継承者に決まったとしても、軍事面ではともかく政治面では甘く見る者がいないとも限らない。
また、今回の内乱に参加していない者でメルクリオを認められないと思う者もいるだろう。
そのような者達を相手にする為にベスティア帝国に残るのかと尋ねたのだが、ヴィヘラは首を横に振る。
「いえ、私は国を出奔した身よ。今回の内乱みたいな緊急の時ならともかく、普通の時にはこの国にいない方がいいわ」
「……メルクリオは寂しがるんじゃないか?」
「そうね。でも、あの子も次期皇位継承者になったのなら私に甘えてばかりもいられないでしょう。それにテオレームもいるのだから、身の危険は考えなくてもいいでしょうし」
「魔獣兵、か」
テオレームのみが従えることが出来ている魔獣兵。
今回の内乱でもメルクリオ軍の大きな戦力となった異形の兵士達は、この軍の中には存在しない。
いや、メルクリオの警護を担当する極少数のみはいるのだが、魔獣兵という集団では存在していない。
本来は魔獣兵も凱旋パレードに組み込むつもりのメルクリオだったが、魔獣兵達自身がテオレームを通して目立ちたくないと告げてきたのだ。
その容姿を考えれば理解出来ることであり、同時に魔獣兵の力をあまり見せつけたくないという考えもあったのだろう。
今回の内乱でその力を見せつけた魔獣兵だったが、その力を知るのはあくまでも直接戦った者のみ。
勿論情報を完全に封じることは出来ないだろうが、それでも姿を見せなければ、より派手な話題の方へと人々の注意は向く筈だった。
「で、それはともかくとして……お前はどうするんだ?」
「エグジルに行こうと思ってるわ。ビューネの顔を見ておきたいし……」
レイの問いに、ヴィヘラは少し残念そうな表情を浮かべつつ、そう答える。