0824話
そこに流れている空気は、当然だが悲しみの色が濃かった。
それでもカバジードが自らの命を絶ってからある程度時間が過ぎたおかげか、多少は落ち着いているようには見えたが。
「……カバジード兄上」
最初に呟き、馬から降りて地面に敷いた布の上に寝かされているカバジードの死体へと向かって駆け出していったのは、フリツィオーネ。
少し遅れてアンジェラがその後を追い、地面に寝かされているカバジードの遺体から離れた場所で待機する。
「そんな……何で、カバジード兄上。幾ら何でも、自分の命で敗戦の責を負うなんて真似をしなくても……何で、こんな……こんな……私は兄弟同士で殺し合うのが嫌だったから、こうしてメルクリオの方に付いたのに……」
フリツィオーネの目から流れ出た涙が地面を濡らす。
近くでそれを見ていたシュルスは、そんな姉を見て微かに瞳を揺らす。
それはヴィヘラも同様であり、普段は妖艶な瞳を今は戸惑いと悲しみに濡らしていた。
「……カバジード兄上、貴方は結局何を思ってこんな真似をしたんでしょうね」
悲しみに静まり返った中に、こちらも馬から降りて近くまでやって来ていたメルクリオの声が響く。
その声にはいつもの軽い雰囲気はなく、戸惑いと悲しみの色が濃い。
近くでは、テオレームもどこか信じられない様子でカバジードの遺体へと視線を向けていた。
そんな風に信じられないとカバジードの遺体へ視線を向けているのは、何もメルクリオやテオレームといった者達だけではない。
ここへと共にやって来たメルクリオ軍の貴族や、護衛として付いてきた者達も同様だ。
そんな中で、唯一違う感情を抱いていたのがレイだった。
恐らく……いや、間違いなく自分と同じ世界からこのエルジィンへとやって来ただろう人物。
だというのに、結局何も話すことなく……それこそ、自分の出自を話すこともないままに死んでしまった。
勿論、自分が日本出身だということを話せば、それは色々と面倒な出来事が巻き起こった可能性もある。
それこそ、レイにとっては最も隠しておきたい出来事である魔獣術に関しても知られてしまったかもしれない。
そうなってしまえば、レイとしてもベスティア帝国から逃げ出すしかなかっただろう。
だが……それでも、レイにとっては自分と同じ出身地という相手は非常に貴重な存在だった。
(もっとも、カバジードが地球出身であった以上、もしかしたら探せば他にも地球の出身者はいるのかもしれないな。出来れば会ってみたい……けど、それにしてもどうやって見つけるか。それに見つけても、どうやってセトのことを隠し通すかという問題もある)
色々と微妙な思いを抱くレイの前で、ようやくカバジードに対する別れを終えたのだろう。メルクリオとシュルスがそれぞれに向かい合う。
フリツィオーネも目を悲しみの色に染めながらメルクリオとシュルスから少し離れた場所に立ち、二人の様子をじっと見守っている。
ヴィヘラはそんな三人とは違って、メルクリオ軍の近くにいた。
これは、この場にいるベスティア帝国の皇族がメルクリオ、シュルス、フリツィオーネの三人だけであり、自分は既に皇族ではないというのを態度で示しているのだろう。
「シュルス兄上、こうして会うのは久しぶりだね」
「……そうだな。俺も、まさかこういう形でお前と再会するとは思わなかった」
先程カバジードの遺体に対して告げたのとは違う軽い口調のメルクリオに対し、シュルスは特に感情を高ぶらせることなく言葉を返す。
そんな兄の様子を一瞬疑問に思ったメルクリオだったが、カバジードが自ら命を絶ったのが理由なのだというのを何となく理解し、そこには言及せずに言葉を続ける。
「さて、カバジード兄上が敗戦の責任を取ったってことになっているけど、シュルス兄上に何も……いや、その前にこれを明確にしておく必要があるか。シュルス兄上。今回の内乱では私達の勝利で、シュルス兄上の敗北。そういう認識でいいんだよね? 実はまだ負けてないとか、そんなことを言ったりする?」
どこか挑発するように訪ねるメルクリオだったが、シュルスは一瞬だけ離れた場所でセトの頭を撫でながら自分を見ているレイに視線を向け、首を横に振る。
元々、ここに至ってまだ抗うというつもりは一切なかった。
それでもレイの方へと視線を向けたのは、もしここで自分が何か行動を起こそうとしていたとしても、レイによってあっさりと鎮圧されたと思っていたからだろう。
「いや、そんなつもりはない。ここで抵抗したところで、無駄に兵の命を散らすだけだ。戦の勝敗を認められないなんて馬鹿な判断をして、無為に命を散らすような真似はしないさ。そっちにも聞かせて貰おう。俺達討伐軍はお前達に降伏したという形になっているが、捕虜としての待遇に関してはしっかりとしたものを期待してもいいんだな?」
「その辺はきちんと対応させて貰うよ。特に兵士達はそこまで厳しい罰則にはならないと思う。……正確には出来ないんだけど」
討伐軍の戦力は総勢四万人を超える。
勿論この戦いの中でメルクリオ軍と戦って大きく数を減らしていたし、レイやセトの攻撃でも同様に大きなダメージを受けている。
また、これ以上の戦闘は嫌だと言って戦場から逃げ出した者も多い。
だが……それでもまだ二万人以上の戦力が残っている。
その者達全てを捕虜として捕らえ、最低限ではあっても食事を与えるとなると、多くの食料が必要になる。
メルクリオ軍としても、食料にそこまでの余裕がある訳ではない以上、討伐軍全員を捕虜とする訳にはいかないのは事実だった。
「まぁ、それでも何も罰を与えずに解放するって訳にはいかないだろうし……そうだね、冒険者、傭兵、義勇兵といった貴族とは直接の関係になかった者達に関しては、幾らかの罰金を徴収した上で即時解放ってことになるだろうね」
「それについては異論がない」
特に抗弁することなく、頷くシュルス。
そもそも、ベスティア帝国内でもかなりの数の冒険者や傭兵がこの戦争には参加している。
つまり、元々そのような者達がいた場所では現在冒険者や傭兵の数が減っているということだ。
短期間ならそれも構わないだろうが、捕虜となって長期間拘束されるようなことにでもなれば、それはモンスターや活発に動いている盗賊の討伐、商隊の護衛、素材の採取といった様々な依頼で手が足りなくなるだろう。
メルクリオ軍にしても事情は同じであり、討伐軍側が勝利した場合もシュルスとしては今のメルクリオと同じ措置を取るつもりだった。
もっとも、その際の罰金はメルクリオ軍のものよりも高く設定しただろうが。
「で、貴族だけど……こっちは相当に重い処罰になるよ。少なくても、討伐軍に参加していた貴族の当主は交代。領地を幾つか取り上げるか、それに応じた賠償金の支払い。数年はこちらから派遣した人物が査察をして、税に関しても今までよりは重くなると思う。ああ、それと一定以上の軍事力の制限……かな。それと査察で違法な行為が明らかになった場合は、それに対する処置もさせて貰うよ。多分こっちは余程重い罪ではない限り、罰金という形になると思うけど」
メルクリオの言葉に、第1皇子派、第2皇子派の貴族はそれぞれが驚愕の声を上げる。
その声に含まれているのは、怒り……ではなく驚き。
確かにメルクリオが口にした処罰はかなり重い。
だが、この場にいた貴族は自分の家が潰される……爵位剥奪すらもあると思っていた為だ。
それに比べれば、メルクリオの口にした処罰は決して受け入れられないものではなかった。
もっとも、査察で違法な行為が見つかるというのは、ほぼ全ての貴族が当て嵌まるだろうことは容易に予想出来たのだが。
ただし、その違法な行為にしたところで、全てが私利私欲の為に行われているものではない。
例えば、貴族が有している軍を拡充する為、領地内の治水事業や道路整備といったものに対する費用、飢饉の場合に備えて食料の備蓄等々。
それらに使われる費用に、主に流用される。
違法行為ではあるのだが、一律に罰することが出来ない理由だ。
シュルスが大きく目を見開き、驚きの表情を浮かべて口を開く。
「本当にいいのか?」
「ええ。まぁ、ここで無意味に貴族の数を減らすようなことをすれば、また色々と騒動が起きてしまうでしょうし」
貴族達も、自分達が負けたというのは知っている。
それでも爵位剥奪ともなれば、納得出来ない者が出て来たに違いない。
そう考えれば、メルクリオからの提案は決して悪いものではなかった。……いや、内乱で負けた者に下される処罰としては法外に軽いものだと言えるだろう。
貴族達の顔に、喜びの色が浮かぶ。
カバジードの後を追うことになるかもしれないと思っていただけに、笑みを浮かべている者も多い。
「ただし……」
そんな貴族達が喜びの声を上げる寸前、メルクリオの言葉が割り込む。
「次に反乱のような罪を犯した場合は一族郎党皆殺しとなる、というのを覚えておいてね。私も、二度も敵対した相手に対して寛容に対応出来る訳じゃないし、こっちの足を引っ張るような存在は邪魔でしかないから」
笑みすら浮かべて告げたメルクリオの言葉だが、その内容は穏やかなものではなかった。
事実上の最後通告。
次に今回のような騒動を起こせば、メルクリオの口から出た言葉通りに自分の一族やその部下も含め、文字通りの意味で首を切られることになる。
そう実感するのに十分な迫力を持っていた。
普段であれば下手に笑みを浮かべているだけに、どうしてもそれを信用出来ない者もいるのだが、今そんな馬鹿な真似をする者はいない。
「分かった。俺達は敗者なんだ。寧ろ、罰は軽いと言ってもいいだろう」
「カバジード兄上が自分の死を以て敗戦の責任を取ったからね」
悲しみに納得、若干の嬉しさといった複雑な表情でメルクリオは告げる。
その表情の中に嬉しさがあったのは、自分の兄であると知ってはいても、やはりどこか不気味なものを感じていた為だろう。
「助かる」
シュルスも、短く感謝の言葉を告げた。
カバジードから第1皇子派の貴族について任されていた以上、どうしても大人しく処刑や爵位剥奪のような厳しい処分を受け入れることは出来なかった。
だがそれでも、今のこの内容であればなんとか受け入れることが出来た。
「……シュルス兄上」
そんな中で、改めて呼びかけてくる弟の声に、シュルスは視線を向ける。
それを待っていたかのように、メルクリオは感情を感じさせない声で話し掛ける。
「貴族の者達は今の処罰でいいと思う。けど、シュルス兄上にはこれから色々と面倒なことになるだろうけど、それは承知の上だよね?」
「ああ」
「待って下さい」
メルクリオの言葉に、シュルスが頷くのとアマーレが口を開くのは殆ど同時だった。
「カバジード殿下は、自らの命を絶つ前にシュルス殿下を助けて欲しいと仰っていました。その願いを、どうか聞いて貰えないでしょうか?」
普段は殆ど感情を表に出さないアマーレだったが、今はそれが嘘のように悲痛な表情でメルクリオへと訴える。
アマーレにとって、ここがシュルスの命を助ける正念場。そんな思いでメルクリオに訴えたのだが……
「ああ、安心してもいい。レイからその話は聞いている。勿論カバジード兄上が自らの命を以て願ってきたことだし、姉上も約束したことなのだから、反故にはしないよ」
どちらかと言えば、ヴィヘラが約束した方に強い意志を込めて告げた言葉に、アマーレは意表を突かれた表情を浮かべる。
「では、シュルス殿下は……」
「うん、シュルス兄上の命を奪うことは絶対にない。……ただ、そこで今言った面倒なことになるという話になる。シュルス兄上には私の方から何人か人を送って、一緒に行動して貰うことになるだろうね」
つまり監視役。
だが、シュルスの命を助ける以上、それは絶対に必要なことだった。
ここで迂闊にシュルスを自由にし、そこにまた貴族が集まってきて……となれば、攻守を入れ替えて今回と同じようなことにならないとも限らない。
また、監視という名目は確かだが、同時にそれはシュルスが後ろ暗いことをしていないというのを証明する人物でもある。
そのことを理解したのか、アマーレは若干残念そうな表情を浮かべ、それでも黙ってメルクリオへと頭を下げる。
「さて、じゃあこれで目出度く終戦だ。貴族は自分の軍を領地へと戻して、ここにいる人は私達と一緒に帝都へと向かう必要があるだろうね。ああ、勿論怪我をしている人の治療とかを考えると、すぐにここから全員帰らせるって訳にはいかないだろうから、ある程度の人数は残す必要があるだろうけど。それには、私達の軍も協力しよう。死体の処理をする必要があるのを考えると、実際に帝都に向かうには何日か掛かるだろうね」
こうして、ベスティア帝国の内乱は終わりを告げることになる。