0823話
「これは……随分と激しい戦いがあったようだね」
戦場を進み、周囲の様子を眺めながらメルクリオが呟く。
その視線の先では、多くの兵士の死体が地面に転がっていた。
内乱が終わったのはいいが、この兵士達の死体を片付けなければモンスターが寄ってきたり、アンデッドとなるのは間違いない。
それでも今の季節が秋……どちらかと言えば既に冬に近いのを考えると、春や夏に戦いが行われたよりも腐敗の速度が遅い分、疫病の心配をしなくてもいいというのは幸いなのなのだろう。
もっとも雪が降る前に片付けなければ、来年の春には腐って疫病が発生する恐れがあるのだが。
「ベスティア帝国の民同士で争うなんて……いえ、それを率先して行った私達が言うべきことではないわね」
討伐軍の本陣へと向かうということで、カバジードとの別れを済ませたいというフリツィオーネもまた、メルクリオと同じように呟く。
深い優しさを持っているだけに、フリツィオーネの目には悲しみの光が宿っている。
この戦いは防ぐことが出来ず、どうしようもなかった。
それが分かっていても、やはり悲しみを覚えるのを止めることは出来ない。
「フリツィオーネ殿下……」
心配そうに呟くのは、白薔薇騎士団の騎士団長であるアンジェラ。
右翼で起こっていた白薔薇騎士団とシュルス直属の騎兵隊の戦いも既に終息しており、シュルスの命によって既に撤退している。
その結果、アンジェラも討伐軍の本陣へと向かう一行に加わることになった。
この集団は、メルクリオやフリツィオーネ、テオレーム、アンジェラを始めとして、数人の貴族やその護衛の面々。そして討伐軍に対する抑止力として、レイとセト。
最終的には合計二十人近い集団での移動となっていた。
普通であれば、戦闘が終わった直後の戦場をこの人数で移動するのはかなりの危険を伴う。
だからこそ、ここでレイとセトという存在が意味を持つ。
この戦場にいる殆どの者が、レイとセトがどれだけの力を持っているのかをその目で確認させられ、心の奥底へと刻みつけられた。
春に行われた戦争の時のように多数の相手へと精神的な傷を負わせるようなことはなかったものの、それでも炎帝の紅鎧を発動したレイによって叩きのめされ、半死半生の重症を負った者は多く、特にレイが突っ込んで行った時にまともにぶつかって、結果的に火傷を負ってしまった者もいる。
そして、セト。
ただのグリフォンですらランクAモンスターで並大抵の冒険者の手に負える相手ではないというのに、数々のスキルや魔法を使いこなす希少種という話が広まっており、そんなセトが共に行動しているこの一行へと攻撃を仕掛けるような馬鹿な真似をする者はいなかった。
勿論、セトに関してはメルクリオ軍側にも情報は伝わっており……
「レイ、セトのことだが……」
セトの背に乗って移動しているレイに向け、同じく馬に乗っているテオレームが呟く。
尚、この一行は安全の為に出来るだけ早く戦場跡を通り過ぎた方がいいということで、レイ以外の全員が馬に乗っての移動となっている。
その馬も、セトに対して怯えはしたもののすぐに逃げ出すようなことはせず、高度な訓練を受けてきた馬であることを示していた。
「ああ、何を言いたいのかは大体分かっている。希少種ってのを秘密にしていたのは悪かったと思うけど、セトは元々怖がられていただろ? その上、更に希少種だって話を知られればもっと面倒なことになると思ってな。……まぁ、今回は色々とあってそれを明かす必要があった訳だけど」
ノイズのせいでな、と言葉を続けるレイに、テオレームとしても納得するしかない。
グリフォンを従魔にしているだけで大きな騒ぎとなるのだから、当然ランクSモンスター相当のグリフォンを従魔にしているということが広まれば、また色々と面倒な事態になるのは避けられない。
そして、ここまで大勢の前でセトのスキルを見せてしまった以上、噂になるのを防ぐというのは確実に無理だった。
(まぁ、希少種だと思い込んでくれるのなら、寧ろこっちとしては願ったり叶ったりだけどな。魔獣術を連想させるよりは、希少種って認識が広がった方がいい)
魔獣術というのは、ゼパイルが生きていた遙か過去に一時期広まっただけの魔術だ。
本来であれば、時代の徒花として歴史に埋もれていただろう魔術。
だが……魔人とも呼ばれたゼパイルと、そのゼパイルが率いた一党。
当時魔術の天才と呼ばれた者達の中でも、更に天才と呼ばれるような者達の集団。
一人で一軍を、一国を落とすことが可能だと言われた者達。
そのような、伝説の中の伝説の集団が使った魔術だけに、歴史に埋もれるというのはまず無理だった。
それでもレイにとって幸いだったのは、魔獣術というのは天才の中の天才であるゼパイル達が総力を集めて開発した魔術であり、それを継ぐ者はゼパイル一党以外にはまず不可能だったということか。
おかげで、魔獣術という名前は歴史を研究している者達の中では知る人ぞ知るというレベルで広がっているのだが、その実態を知っている者は皆無と言ってもいい。
ゼパイル達と同じ時を生き、リッチとなって生きているグリムもいるが、そのグリムという存在を知っている者がまずいないのだから、魔獣術に関しての知識が広まる心配はなかった。
(そういう意味では、ゼパイル達が生きていた時代から遙か未来のこの時代に俺が呼び出されたのは、幸運だったんだろうな)
魔獣術により生み出されたセトを撫でながら、考えるレイ。
「こうして見ると、やはり同じ国の民だけあって協力し合っているのね」
アンジェラの隣で馬に乗りながら、フリツィオーネが呟く。
その視線の先では、メルクリオやテオレームの命令が下っているのだろう。討伐軍、メルクリオ軍の区別なく、それぞれが怪我人に肩を貸している姿が見える。
勿論、これは兵士達の自発的な行動……というだけではない。
メルクリオやテオレームによって、出来るだけ戦後にお互いの遺恨を残さない為に出された命令だ。
当然自発的に行っている者もいるが、中には殺気立ったまま、何か妙な真似をしたらすぐに攻撃しようと考えている者もいる。
だがその殆どの者達は、自分が出来ることを精一杯やろうと行動に移していた。
「そうですね。この戦いが終わった後で恨み辛みが残るのはしょうがないでしょうが、それでも出来ればそのようなものを残したくはありませんね」
フリツィオーネの隣で、アンジェラが呟く。
言葉程に簡単なことでないというのは、当然知っている。
それでも、自分達から変わっていかなければどうにもならない……と。
「そこまで簡単に遺恨をなくすことは出来ないと思うけど。まぁ、やるだけはやってみる価値があると思ったんだよ」
フリツィオーネとアンジェラのやり取りを聞いていたメルクリオが呟き、テオレームも同感だというように頷きを返す。
実際、この戦いは内乱であり、自国民同士の戦いであるが故に恨みが残りやすい。
内乱で勝者となり、自分が次期皇位継承者となった今となっては、メルクリオとしてもその辺に配慮しない訳にはいかなかった。
「こうして見る限りだと、メルクリオが勝って喜んでいる者の方が多いように見えるけどな」
セトの背に乗ったまま周囲を見回して呟くレイ。
そこではメルクリオ軍の多くの者達が、戦場を馬に乗って堂々と移動しているメルクリオへと向かって歓声を上げている。
戦闘が終了した直後で興奮しているというのもあるのだろうが、レイの目には半ば熱狂的に映っていた。
……中には、当然メルクリオ以外の者を目当てにして歓声を上げている者もいるのだが。
例えばフリツィオーネに心酔している者、メルクリオの腹心でもあるテオレームや、白薔薇騎士団の団長であるアンジェラに憧れている者、セトの愛らしさに心を射貫かれた者、レイの強さに信服している者、等々。
そんな風に歓声を浴びながら戦場を通り過ぎていると、ふと思いついたかのようにレイが口を開く。
「そう言えば、遊撃隊はどうなった? どこの戦線で戦ったのかは分からないけど、相応の手柄は立てたんだろ?」
何気なく……本当に何気なく出た、レイの質問。
あれ程自分が鍛えた者達なのだから、間違いなく大きな手柄を立てているだろう。その確認の意味を込めて出た質問だったのだが、テオレームから戻ってきたのは無言で首を横に振るという仕草だった。
「……何があった? あいつらは十分に鍛えた。メルクリオ軍の中でも最精鋭と言っても過言じゃないくらいにな。なのに、手柄の一つも立てられないってのはおかしいだろ」
「ああ。勿論全く手柄を立てていないって訳じゃない。最終的には討伐軍に対してそれなりに大きな被害を与えることに成功はした。ただ……」
言葉を濁らせるテオレームに、レイの鋭い視線が向けられ、先を促す。
そんなレイの様子に、これ以上話を誤魔化しても意味はない。それどころか無用な騒動すら引き起こしかねないと判断したテオレームは憂鬱そうな表情を浮かべつつ口を開く。
「討伐軍との戦闘が本格化して、暫く経ってからだ。遊撃隊の中で急に暴れて味方を攻撃する者が現れ、それで部隊が大きく混乱したらしい」
「裏切ったってことか?」
「いや、裏切りじゃない。だが、事態はもっと悪かった。暴れていた者達は半ば混乱状態に陥っていたらしい。それこそ、敵味方が判断出来ない程にな」
テオレームの言葉に、ようやくレイは事態が自分の予想していたものより悪いのだと悟る。
てっきり、報酬に目が眩むか、身内を人質にされたかして裏切った者が出たのかもしれないと思ったのだ。
更に……
「その話を聞く限りだと、混乱状態に陥ったって奴等は一人や二人じゃないのか?」
「そうだ。正確な人数は判明していないが、かなりの数だったらしい」
「理由は?」
レイの口から出た問い掛けに、テオレームは言いにくそうにしながらもしっかりと口を開く。
「フリツィオーネ殿下の護衛をしている時に、お前が戦った竜騎士のワイバーン。その素材から作ったレザーアーマーを装備した者達だ」
「ワイバーン、だと? いや、だが……何でそうなる?」
「どうやら、ワイバーンには前もって仕掛けがしてあったらしい。それも、特殊なマジックアイテムを使った時に初めて機能するような、そんな仕掛けがな」
その言葉に、レイは眉を顰める。
特殊なマジックアイテムというのが何を示しているのか、すぐに分かったからだ。
本来であれば時間を掛けてワイバーンの皮をなめして革にするのだが、その時間を縮めるマジックアイテム、ドリムの滴。
「つまり、最初からそこまで読まれていたってことか」
「そうなるな。不幸中の幸いと言うべきか、仕掛けが施されていたのはあくまでも皮だけであって、爪や牙を使った武器の方は特に問題がないらしい。おかげで、何とか混乱を収めることが出来た訳だが」
「厄介な相手だな。……いや、厄介な相手だった、か」
過去形で語るレイの言葉は、誰がその仕掛けを考え、実行させたのかを現している。
既にこの世にはいない存在であり、今まで幾度となく自分を困らせてきた人物。
(カバジード、か。どこまでも謎の多い男だ)
自分と同じ存在……とまでは行かずとも、似たような存在なのかもしれない。
既にレイの中では、カバジードが口にした言葉によってそれは既定事項となっていた。
「……それで、混乱したっていう遊撃隊の奴等は?」
「何とか鎮圧することには成功したから、今は治療所にいる筈だ。……見なかったのか?」
ロドスの様子を見に行った時に気が付かなかったのか。そう言外に尋ねてくるテオレームに、レイは首を横に振る。
治療所には行ったが、結局ロドスはまだ意識を失ったままで、ディグマと話をしているところに兵士が呼びに来たのだ。
「そうか。まぁ、あいつ等のことだし、何かあっても特に問題はないだろ。多分、すぐに元に戻る筈だ」
「だと、いいけどな。遊撃隊の指揮を執っていたペールニクスもショックを受けているようだったし」
軍人らしい軍人といった印象の男の顔が、レイの脳裏を過ぎる。
そのような性格をしているだけに、仲間思いの人物。
「……そうか」
同じ言葉を口にするレイだったが、そこに宿っている気持ちは真剣なものへと変わっている。
そのまま数秒程黙って考え込んでいたレイだったが、やがて視線の先にどことなく見覚えのある者達の姿を見つけた。
討伐軍の、本陣。
戦場の様子を見ながらの移動であった為に時間は掛かったが、それでもようやくその場所へと到着したのだ。
討伐軍とメルクリオ軍が離れて待機しており、丁度その真ん中のカバジードの遺体の側に、シュルスとヴィヘラの姿があった。