0812話
「向こうの一部隊が突出してるわ! 一気に駆け抜けて回り込むつもりよ! 包囲して殲滅を!」
メルクリオ軍の右翼、白薔薇騎士団とシュルス直属の騎馬隊の戦いは、徐々に白薔薇騎士団側へと傾いていた。
少し前までは互角……いや、寧ろ歩兵の多さでシュルス直属の騎馬隊の方が有利だったのだが、そこに突然グルガスト率いる部隊が乱入して歩兵を蹂躙。更には討伐軍の主力である中央が著しく混乱している状態になり、その結果右翼の戦況は白薔薇騎士団優位へ徐々に変わっていく。
勿論シュルス直属の騎馬隊も、自分達が不利になる戦況をそのまま受け入れた訳ではない。
精鋭の名に相応しいだけの行動を見せ、何とか白薔薇騎士団を崩そうとしてはいたのだが、そもそも白薔薇騎士団は第1皇女であるフリツィオーネ直属の部隊であり、ベスティア帝国全体で見ても精鋭の部隊だ。
一度覆った戦況はそう簡単にどうにか出来るものではなく、それを覆すためにシュルス直属の騎馬隊は無理をせざるを得なかった。
「私達の部隊を突破するとは、甘く見られたものですわね。皆、あのような行為を許してはなりません!」
第一部隊の隊長が叫び、部下を率いて自分達を突破しようとした部隊を半包囲しながら攻撃を加えていく。
第二部隊もその包囲に加わり、突破しようとした部隊は見る間に数を減らし……
「違う、それは囮だ! 本命の攻撃を仕掛けてくるぞ!」
第三部隊の隊長でもあるウィデーレが、仲間を囮とした敵の攻撃を見破り阻止しようとして動く。
だが既に第一部隊、第二部隊共に動いている状態であり、それをどうにかするには時間が足りなさすぎた。
第三部隊、第四部隊だけでは敵騎兵隊の突撃を止めるだけの戦力を維持するのも難しく、それは援護を専門としている第五部隊、第六部隊の手を借りても厳しい。
(突破される!?)
一瞬ウィデーレの脳裏に弱気な思いが過ぎるのと……
「グルルルルルルゥッ!」
周囲に雄叫びが響き、敵騎兵隊の本隊へと向かって上空からファイアブレスが降り注ぐのは殆ど同時だった。
「うわあああああああああっ! 何だ、何だ、何が起こった!?」
「上だ! 上に……ひぃっ、グ、グリフォンだ、グリフォンがいるぞ!」
「だとすれば、深紅もこっちにいる筈だ。皆、気をつけろ! 情報によれば、不動殿と同じスキルを使うことが出来るらしい。迂闊に近接攻撃を挑まず、遠距離から……ええいっ、くそ!」
騎兵隊の指揮官の一人は、叫びながら持っている槍を振るう。
瞬間、自分に向かって降り注いできたアイスアローが弾かれ、その破片が空中で秋の日差しに煌めく。
(指揮官である俺を狙ってきたのか? 厄介な真似を!)
全員に指示を出した瞬間、まるでそれを待っていたかのように放たれたアイスアロー。
指揮官を優先して叩くべきというのは、軍隊にとっては当然だった。
だが、まさかグリフォンにまで同じような真似をされるとは思わず、その指揮官は憎々しげにアイスアローを飛ばしてきた相手へと視線を向け……ふと気が付けば、目の前に鉤爪が存在していた。
「けきょっ!」
奇妙な悲鳴を上げつつ、前足の一撃で砕かれる頭部。
セトの前足から生えている鉤爪は、指揮官の頭を容易く……それこそ卵を砕くかのように破壊した。
「グルルルルゥッ!」
落下しながらの一撃で指揮官の一人を葬ったセトは、そのまま攻撃の手を緩めずに指揮官が乗っていた馬をも地面に叩きつける。
「ブルゥッ!?」
何が起きたのか理解出来ないまま、背骨をへし折られて絶命する馬。
その馬を踏みつけたまま、セトは再び高くなく。
「グルルルルルルゥッ!」
セトが使ったのは、王の威圧。
その声を聞いた者は動きを止め、何とか抵抗するのに成功した者も動きが鈍くなる。
ノイズのようにセトよりも強ければ、王の威圧に対抗することも不可能ではなかっただろう。
だが討伐軍にとっては不幸なことに……そして白薔薇騎士団にとっては幸運なことに、この場にセトよりも強き者は存在していなかった。
白薔薇騎士団に所属する者達も突然のセトの登場と雄叫びには驚いたが、討伐軍が動きを止めたという決定的なまでの隙を見逃すことはない。
「今です!」
「奴等をここで止めろ!」
「討ち取りなさい!」
そんな風に叫ぶ白薔薇騎士団の騎士が、一気に攻勢へと出る。
更に……
「グルルルルルゥッ!」
動きの止まったシュルス直属の騎馬隊へと向け、セトのクチバシからファイアブレスが吐き出される。
白薔薇騎士団には被害が及ばないようにして放たれたファイアブレスは、一撃で全てを消し炭にする……という程に強力な訳ではないが、それでも無視出来る程に威力が低い訳でもない。
それも、動きの止まっている場所に放たれたのだ。
シュルス直属の騎馬隊が受けたダメージと精神的な衝撃は、並大抵のものではなかった。
そして、セトの攻撃はまだ終わらない。
「グルルルルルゥッ!」
その叫びと共に、セトの周囲に現れた五本の氷の矢が一斉に放たれる。
アイスアロー自体はレベル一と低レベルではあるが、鋭利な切っ先と化した氷の先端は皮膚くらいは容易に貫くだけの威力を持っていた。
その鋭利な切っ先をしたアイスアローが騎馬隊の騎士の方ではなく、乗っている馬の方へと突き刺さる。
「グルルルルゥッ!」
続けて水球やウィンドアロー、バブルブレスまでもが放たれて、騎馬隊の馬へと向かって攻撃が集中する。
勿論ベスティア帝国にも馬に金属の鎧を身につけさせた重装甲の騎兵というものは存在しているのだが、シュルス直属の騎馬隊は多種多様な任務に用いられる。
その際に機動力が低くなるのは避けたいということで、鎧を身に纏った馬というのは採用されていなかった。
結果として、それが原因でセトの放つ無数の攻撃は金属鎧に身を包んだ騎士ではなく、その馬へと集中することになった。
「ヒヒヒヒヒィン!」
「ブルルルル!」
「ヒヒヒィンッ!」
そんな悲鳴を上げ、身体を抉られ、斬り裂かれ、粘着性のある泡によって身動きが出来なくなる馬達。
仕上げとばかりに、援護を得意とする第五部隊、第六部隊から矢や魔法が放たれ、騎馬隊の面々を仕留めていく。
勿論、援護攻撃でセトに攻撃を当てるような真似をする者はいない。
レイに対して思うところがある者はまだ残っているが、それでもセトを嫌っている者は少ないのだから。
何より、本来であればグリフォンが使えない筈の各種スキルに唖然としながらも、今が好機と難しいことを考えるのは後にして攻撃を加えていく。
セトが戦いに参加した結果、大きな被害を受けた騎馬隊へとアンジェラから全軍突撃の命令が出されるのは、それから五分後のことだった。
セトが参戦したことにより、一気に形勢がメルクリオ軍に傾いた右翼。
だが、レイが戦いに参戦した左翼でも、戦況は大きく動いていた。
「うわああああああぁっ!」
「何だ、何だ、何が起こっている!?」
魔獣兵を相手に数の差を活かして何とか互角に戦っていた討伐軍だったが、突然遠くの方から聞こえてきた悲鳴に動きを止める。
数人の兵士が槍でリザードマンとケンタウロスが混じり合ったような魔獣兵を牽制しながら、声の聞こえてきた方へと視線を向ける。
そこでは、まるで冗談か何かのような光景が繰り広げられていた。
鎧を身に纏った兵士が、空を飛んでるのだ。
勿論自分達が何らかの手段を用いて空を飛んでいるというようなものではなく、吹き飛ばされてだが。
更には周囲の温度が急激に上がってきているのも、兵士達には不安を感じさせる。
かと思えば、時々味方の集まっている場所から唐突に炎の柱が現れ、被害をもたらす。
「くそっ、おい、何が起きてると思う?」
「知るか!? あまりそっちに気を取られるな! こっちだって死に物狂いな……あああああああっ!」
同僚に対して戦闘に集中するように言おうとした兵士だったが、その隙を突いて上半身のリザードマンの部分が大きく口を開け、小さいが鋭い牙の生え揃った口で、男の右肩をレザーアーマーごと食い千切る。
それを見ていた兵士は、戦友が攻撃されたことで頭に血を上らせて槍を突くが……
「二人でようやく俺に対抗出来ていたのに、一人でどうにか出来るとでも思ったのか?」
魔獣兵が口の中に残っていた兵士の肉を地面に吐き捨てて呟き、右手に持つ曲刀で兵士が繰り出した槍の穂先を受け流し、そのままの勢いで首へと刃を滑らせる。
喉を斬り裂かれたことにより激しく吹き出る血を目を細めて気持ちよさそうに浴びると、魔獣兵は次の獲物を……と見渡した、その瞬間、唐突に背筋に冷たいものが走り、咄嗟に手にした曲刀を横へと振るう。
激しい金属音が響き渡り、同時に火花を散らす。
「やるな」
魔獣兵の口から出るのは感嘆の言葉。
だが、それを聞いた襲撃者のペルフィールは、相手からの感嘆の言葉にも特に感銘を受けた様子もなく口を開く。
「これ以上私の部下を殺させる訳にはいかない。それに、中央の方が少し怪しいのでな。こちらはさっさと勝負を決めて、向こうに乗り込みたいのだ。故に……その命、貰い受ける」
「はっ、折角拾った命なんだ。そう簡単にやる訳に……は……」
ゾクリ、と。
数秒前に目の前の女から感じたものと同種の、それでいて圧倒的なまでに質の違う悪寒を感じ取り、魔獣兵は目の前に強敵と分かる存在がいるにも関わらず、視線をそちらへと向ける。
一瞬前に感じた寒気とは裏腹の、真夏の日差しに炙られるかのような熱気。
それは、魔獣兵だけではなくペルフィールもまた同様だった。
目の前にいる魔獣兵は、間違いなく強敵だ。
そうであるにも関わらず、本能に命じられるままに視線を熱気の漂ってくる方へと向ける。
「魔獣兵と……なるほど、そっちの女が討伐軍だな。確か帝都で見た顔だな」
ペルフィールと魔獣兵の二人に全く気が付かれることなくいつの間にかそこにいた人物は、大鎌を肩に担ぎながらそう口を開く。
「……深紅……」
ペルフィールの口から漏れ出たのは、畏怖の込められた呟き。
第1皇子派の中でも最精鋭であるが故に、目の前に立つ人物……レイの強さを理解してしまう。
闘技大会で戦った時とは全く違う迫力。
身に纏っているのも、闘技大会で見た覇王の鎧とは似て非なるもの。
見ているだけで背中に流れる汗は、決してレイから漂ってくる熱気によるものだけではない。
レイの周囲には熱気から逃れるようにして距離を取っている兵士達がいるが、それ以外にも感じる何かがある。
もっとも、それを感じているのはペルフィールを含めて相応に腕の立つ者だけであり、それ以外の一般の兵士達はただレイの発する熱気から少しでも離れようとしているのだが。
そんな周囲の様子には構わず、レイの視線はペルフィールと戦っていた魔獣兵の方へと向けられた。
ビクリ、と。先程までは傲岸不遜な態度を取っていた魔獣兵が、それだけで動きを止める。
強いからこそ、レイとの間にどれだけの実力差があるのかというのを、この魔獣兵は理解していた。
覇王の鎧を習得する前……それこそ春に行われた戦争で、自分とレイの実力差というものははっきりと理解していたのだ。
そう、この魔獣兵は春の戦争に参加した魔獣兵の生き残りであり、だからこそお互いの格付けはこれ以上ない程につき、その上で更に覇王の鎧などというスキルを習得して実力差が広がり、そして今はその覇王の鎧よりも尚強力なスキルを身につけて自分の前に立っている。
味方だと分かっているのに、畏怖を覚えざるを得なかった。
それ程の存在。
「この左翼では、メルクリオ軍が押し込まれている。それで俺が派遣された訳だが……暴れても構わないか?」
「どうぞ、お好きなように暴れて下さい」
逆らう、などということは一切考えられず、ただ粛々とその言葉に従う魔獣兵。
ペルフィールにしてみれば、つい先程まで自分と刃を交えていた、自らの力に誇りを持つだろう魔獣兵がこうまで唯々諾々と相手の言葉に従うというのが理解出来ず……おかしな話だが、同時に理解が出来てしまった。
見ただけで分かる程の、圧倒的な力の差。
それを感じ取ってしまったのだ。
だが、事態はペルフィールが考えるよりも先へと進んでいく。
「分かった、なら俺の攻撃に巻き込まれないように注意しろ。残念ながら、まだこのスキルを完全に使いこなしている訳じゃないからな。近くにいるだけで巻き込んでしまうかもしれない」
「はい、すぐに。……一旦敵と距離を取れぇっ! レイ殿の戦いに巻き込まれるぞぉっ!」
魔獣兵の声が周囲に響く。
それを聞いた他の魔獣兵は、即座に退く。
逆らうということは考えもしない。
レイがこの戦場に姿を現してから、この周辺にいる魔獣兵でその強大な力の奔流を感じ取っていない者はいなかった為だ。
普通の兵士ではなく、人間とモンスターのキメラに近い存在である魔獣兵だからこそ、より鋭敏にレイの危険性を感じ取ったのだろう。
魔獣兵の大半は元犯罪者だったりするのだが、そんなのは関係ない程に圧倒的な力をレイは放っていた。
それはレイの周辺にいた魔獣兵だけではない。
地上ではなく、地下にいた魔獣兵も同様だった。
木の根を操る能力を持つ魔獣兵を筆頭として、モグラのように地中を自由に移動出来る能力を持つ魔獣兵達も地上の魔獣兵同様、素早く後方へと下がる。
まだ戦っているのは、レイがいる場所からは離れた場所で戦っている魔獣兵達のみ。
討伐軍の兵士達は、目の前の敵が突然いなくなったことに気が付き、驚いたものの……数秒後には、その理由を自らの身体で知ることになる。