0800話
討伐軍とメルクリオ軍の決戦の場となっているブリッサ平原。
両軍が激しくぶつかり合っている中央部分。
そのような中央部分以外でも、大きくはないが小さな戦いは幾つも起こっていた。
「来たぞ、メルクリオ軍の奴等だ! 決してここを通すな! 俺達がカバジード殿下、シュルス殿下を守る最後の砦だというのを肝に銘じて戦え!」
林の中に響く隊長の言葉に、その場にいた者達が小さく……しかし絶対の意思を籠めて返事をする。
この場所は、討伐軍側の本陣からそう離れていない林。
ここを抜ければ一直線に本陣へと進むことが出来る為、当然のようにそれを防ぐ為の部隊が配置されていた。
ただでさえ人数の少ないメルクリオ軍にしてみれば、なるべく被害が少ない状態でこの戦いに勝利するには敵の頭を抑えるのが最善の策であるのは事実。
そこまでいかなくても、本陣が攻撃を受けたと知れば討伐軍の士気は間違いなく下がる。
だからこそ、高い戦闘力を誇る部隊により敵本陣の急襲を狙ったのだが……残念ながら、今のところそれに成功する見込みはなかった。
勿論討伐軍側としても一方的にやられている訳ではない。敵大将のメルクリオを捕らえるか仕留めるべく同じように部隊を送ってはいるが、そちらもまた同様に護衛として配備されていた部隊の者に仕留められている。
「奴等は林の木々に紛れるようにして近づいてくる! 特に魔法には注意しろ!」
その言葉が終わるか終わらないかといったタイミングで、隊長は空気を切り裂く音に気が付く。
林の中に生えている木々の隙間を縫うようにして飛んできた短剣を、隊長は長剣であっさりと弾いた。
甲高い金属音と共に、近くに生えていた木の幹へと突き刺さる短剣。
「ふんっ、向こうも腕利きを送ってきているな。いいな、奴等を通すな!」
『は!』
短く返事をすると、そのまま林に紛れるようにして討伐軍側の部隊も散っていく。
数秒後、決して広いとは言えない林の、いたる場所で戦闘が始まる。
自ら名乗りを上げたり、正々堂々といった言葉をどこかに置いてきたかのような、そんな戦い。
敵の背後から襲い掛かり、怪我をした敵を餌に誘き寄せといった戦いが繰り広げられていた。
「敵戦力が徐々に減ってきています」
「こちらの被害は?」
「予想の範囲内かと。向こうの方が人数が少なかった影響もあり、このまま進め……」
最後まで言葉を発さずに倒れた副官。
それを見た隊長は、咄嗟に長剣を振るう。
何かあるようには見えなかったが、それでも熟練の兵士とでも呼ぶべき経験が長剣を振らせたのだ。
それが正しかったというのは、すぐに判明する。
目には見えないが、それでも何かを断ち切ったという感触が刀身から伝わってきたのだから。
「何だ?」
その隊長の疑問は、秋晴れの太陽から降り注ぎ、林の木々の隙間から漏れ出た光によって判明する。
煌めくように光を反射する、細長い何か。
それは、凝視しなければ見えない程に細い糸だった。
(糸? それがなんで……いや、違う。そうか、こっちにも!)
隊長の脳裏を、魔獣兵という単語が過ぎる。
「気をつけろ、魔獣兵がいるぞ! それも、恐らく蜘蛛型のモンスターの能力を持っている奴だ!」
隊長の声が林の中に響き、周囲の部下達へと危険を告げる。
討伐軍では使われていない、メルクリオ軍のみが擁する異形の存在。
本陣に入ってきている情報によれば、前線に魔獣兵の部隊が出てきているという報告を受けていた。
それだけに、魔獣兵は全てそちらに振り分けられたのだとばかり思っていたのだが……
(けど、考えてみれば魔獣兵というのは画一的な存在じゃない。一人……いや、一匹ずつが全く違う能力を持っている。つまり、集団で使うよりも個として使った方がいい存在。例えば、敵の陣地へと密かに接近し、強襲するとか!)
周囲を厳しい視線で見るが、先程の太陽の光のようなものでもなければ糸を見つけることが出来ない。
かといって、このまま放置しておく訳にもいかず……
「くそっ、誰か本陣に連絡を! 確かあそこには腕の立つ人物が何人かいた筈だ! すぐに呼んで……」
斬っ、と。
隊長が最後まで言葉を発する前に、自分のすぐ近くを長剣による一撃が通り過ぎる。
一瞬敵か? とも思った隊長だったが、先程の一撃に自分を攻撃する意図が全くないのは明らかだった。
それどころか、今の一撃を放った人物の顔を見るや、嬉しげに口を開く。
「ブラッタ様!」
「何だかこっちの方で怪しげな感じがしたからな。来てみれば案の定か。……魔獣兵だな?」
「はい、恐らく」
「分かった。魔獣兵は俺に任せろ。お前は他の兵士を仕留めていけ」
「お願いします。魔獣兵はブラッタ様に任せろ! 俺達はこの林に侵入してきている兵士の相手をする!」
その声に従い、隊長と部下達は去って行く。
それを見送ったブラッタは、手に長剣を握りながら口を開く。
「ほら、どうした? 姿を現せ化け物。お前達は俺の敵だろう? 深紅を不動に取られて、色々と苛ついてるんだ。ほら、掛かってこい。俺の憂さ晴らしに付き合って貰うぞ!」
叫んだブラッタだったが、それに返ってくる言葉はない。
だが言葉の代わりにという訳ではないだろうが、ブラッタへと放たれたのは糸。
先程の隊長を襲ったのと同じ糸が、ブラッタへと向かって襲い掛かる。
「そんな見え見えの攻撃で、俺をどうにか出来ると本気で思ってんのか!」
振るわれる長剣。
その一振りで、ブラッタへと襲い掛かろうとしていた糸は全てが切断されて、地面へと落ちる。
「ぐぐぐぐっ、お前、許さない。殺す、絶対」
ブラッタの目には見えない場所にいるのだろうが、自分の糸が切断されたというのは理解してるのだろう。
半ば殺気の籠もった声が、林の中で木々に反射しながら聞こえてくる。
「ふんっ、やれるもんならやってみろよ。結局俺の前に姿を現すことすら出来ない臆病者が」
「許さない。お前、殺す」
言葉を話せる程の知能がないのか、それとも単純にそういう癖なのか。
ともあれ、相手は片言ながらも殺気の籠もった言葉を発した。
その言葉と共に放たれた糸を長剣で斬っていると、不意にブラッタはその場から後方へと跳躍する。
同時に、たった今までブラッタのいた場所へと、頭上から紫色の液体が降ってきた。
その紫の液体が地面に触れると同時に、周囲には紫の煙が姿を現す。
「毒か!? 厄介な真似をしやがって!」
幾らブラッタが腕利きだとはいっても、結局は戦士だ。
魔法使いのように広範囲に影響を及ぼすような魔法を使える訳でもなければ、竜騎士のようにワイバーンの翼で毒の煙と思しきものを散らすことも出来ない。
「お前、殺す。確実」
「はっ、だったらこんなチマチマとした真似をしてないで、姿を現してみろよ。結局お前は俺の前に姿を現すことすらも出来ないような臆病者の弱者なんだろ!」
「俺、臆病、違う」
その言葉とともに姿を現したのは、ブラッタの予想通りでありながら、予想外の存在。
以前魔獣兵を纏めていた人物も、蜘蛛型モンスターの特徴を持った魔獣兵だった。
その人物は巨大な蜘蛛の身体から人間の上半身が生えているといった形だったのだが、今ブラッタの前にいるのは、蜘蛛の顔を持ちながらも、それ以外は人間に近い。
勿論細かい違いは多くある。
例えば、手足や顔には蜘蛛と同じような毛が生えており、手の指は三本しかなく、その先端には鋭い爪が生えている。
また、獣人の持つ尻尾のようなものが腰の辺りから伸びているのが、正面から見ているだけでも分かった。
魔獣兵と呼ぶよりは、蜘蛛の獣人とでも呼んだ方がいいような、そんな姿。
(いや、蜘蛛だから獣じゃないか)
そんな風に考えつつ、長剣を握っていつでも斬り掛かれるように準備を整え……相手が尻尾を振るって糸を飛ばしてくるのを見た瞬間に、ブラッタは地面を蹴って距離を詰める。
先程同様に、動いていれば見えにくい程に細い糸が飛んでくるのを感じつつ、長剣を振るってその糸を切断していく。
「生意気。お前。食らえ」
次に振るわれたのは、右手。
鋭い爪による攻撃をするにしては、まだ距離がある。
そんな疑問を抱いたブラッタだったが、振るわれた右手の爪から、紫の液体が放たれる。
「ちぃっ!」
舌打ちをしながら、強引に進行方向を変えて林の木を盾にしながら相手へと回り込んでいく。
先程同様紫色の液体が触れた場所からは煙が噴き上がっており、無害な液体ではないというのは明らかだった。
(紫の液体って時点でそれは分かってたけどな! にしても糸は尻尾から出す癖に、何だって毒は爪からなんだよ!)
内心で魔獣兵の儀式をした者に罵声を浴びせつつ、木々を盾にしながら相手との距離を詰めて行く。
もっとも、魔獣兵の儀式というのはどのような形で現れるのかは本人の資質によるものが大きい。
儀式を行った者にしてみれば、責められるのはお門違いだと言いたくなるだろう。
「逃げる。卑怯。死ね」
林の木々を縫うように移動するブラッタに苛立ちを覚えたのだろう。右手だけではなく、左手も使って紫の毒液を放つ。
手数が倍になった毒液に苛立ちを感じつつも、ブラッタは確実に魔獣兵との距離を縮めていた。
そして再び毒液が放たれた時、一気に地を蹴って魔獣兵との間合いを詰める。
「くたばれ、化け物がぁっ!」
胴体を両断せんとして放たれたその一撃は、両手で毒液を放った直後だった魔獣兵に対処出来ないと思われた。
毒液を放った後に一秒程度ではあるが、魔獣兵の動きが止まるという隙を突いた一撃。
尾を使って防ぐのであれば、それはそれで良かった。
厄介な糸を飛ばす尾を切断出来るのだから。
だが……魔獣兵は全く動きを見せず、寧ろ自分から胴体を切断して下さいとでも言いたげに両手を大きく上げて攻撃を迎え入れる。
何か危険だ。一瞬脳裏をそんな予感が過ぎったが、今はとにかく魔獣兵を殺して先程行かせた兵士達の応援にも向かわなければならない。
自らの中に生まれた不安を押し殺し、望み通りに胴体を一刀両断にしてやろうと長剣を振るい、刃が胴体へと触れるかどうかという、その時。
まだ刃が胴体に触れる前だというのに、魔獣兵の脇腹が突然裂け、そこから触手が飛び出して刀身へと巻き付き、絡め取るようにして長剣をブラッタの手から奪い取る。
「なっ!?」
一瞬何が起きたのか理解出来ず、動きを止めるブラッタ。
魔獣兵にしてみれば、その一瞬だけでもあれば十分だった。
「愚か者。死ね」
その言葉と共に放たれたのは、爪による一撃。
毒液を放つのではなく、直接身体の中に流しこもうという動き。
……もしブラッタが普通の強さしか持たなければ、動きの止まった瞬間にその攻撃を食らっていただろう。
だがブラッタは第1皇子派の中でも有数の強さを持っている人物だ。
一瞬何が起きたのか分からずに身体の動きを止めたものの、自分に向かってくる爪による一撃が命中しそうになっていると判断すると、咄嗟の動きで腰を落として地面へと尻餅をつく格好で魔獣兵からの攻撃を避ける。
同時に、懐から短剣を取り出すとその切っ先を目の前にある足へと突き立てた。
「ギャビィッ!」
足から血が吹き出るのと同時に、魔獣兵の口から上がる聞き苦しい悲鳴。
ブラッタはそのまま魔獣兵の足を掬い上げるように蹴り飛ばし、その場に転倒させる。
「死ねよ!」
地面に転び、無防備に露わになった頭部目掛けて短剣の切っ先を振り下ろそうとしたが、再び魔獣兵の脇腹から伸びた触手がブラッタへと襲い掛かる。
鞭のように叩きつけられようとした触手を、短剣を振るって切断する。
その勢いで斬り飛ばされた触手の先端は、そのまま近くに生えている木にベチョリとした音をたてながらぶつかり、地面へと落ちた。
「ギュピョォッ!」
触手を切断された痛みに呻く魔獣兵。
だが、その痛みの声は決定的な隙となる。
次に魔獣兵が気が付いた時には、既に短剣が目の前まで迫っており……そのまま自分の頭部へと短剣の切っ先が突き刺さる音と感触を最後に、その命は消え去るのだった。
「……ふぅ、手こずらせやがって」
魔獣兵と一緒に倒れ込んでいたブラッタが、溜息を吐きながら立ち上がる。
そのまま短剣を一振りすると、切っ先についていた血や魔獣兵の体液と思われる液体が地面へと吹き飛ばされる。
「頭蓋骨の類がないのは、蜘蛛型のモンスターだからか? まぁ、おかげでこんな武器でも容易く仕留められたんだが」
周囲を見回し、短剣の刃を拭くものがないかと探すが、既に木々は枯れており、葉のようなものはない。
面倒臭そうに舌打ちし、懐から出した布で乱暴に刃を拭う。
吹き飛ばされた長剣を拾い上げて周囲を見回し……戦闘の気配が感じ取れる方へと向かって歩き出す。
この林からメルクリオ軍の刺客の姿が一掃されるのは、そう遠くはなかった。