0790話
「結局は四日後に全てが決まる訳か。……この戦いも、長いようで短い戦いだったな」
「グルゥ?」
夜、マジックテントの前で、レイは焚き火にあたりながら寄りかかっているセトに呟く。
既に秋も深まり、朝や夜ともなれば涼しいというよりは寒いという季節。
そう遠くないうちに冬になるのは確実であり、それもあってメルクリオ軍にしろ、討伐軍にしろ、戦いの決着を急いだのだろうと。
そのくらいのことはレイにも理解出来た。
「ともあれ、四日後の戦いでこの内乱の決着もつく。そうなれば、変にこの国に残っていれば面倒な事態になりかねないし、戦いの趨勢が決まったら報酬を貰ってとっととギルムに帰るとするか。セトも、ギルムが懐かしいだろ? ミレイヌとか」
「グルルルゥ」
ミレイヌという名前が出て、ちょっと困ったように鳴いたと感じたのは、決してレイの気のせいではないだろう。
いつもセトを可愛がり……それこそレイを抜かせばこの世界で最もセトに対する愛情が強いのではないかと思われる人物。
セトにしても、自分に色々なものを食べさせてくれる相手だけあって決して嫌いな相手ではない。
だが……自分を見る目に時々得体の知れない光が宿るとあっては、多少の苦手意識を持ってもしょうがないだろう。
「レノラやケニーとも随分会ってないように思えるし、そっちとも会いたいよな?」
「グルゥッ!」
こちらには躊躇なく喉を鳴らすセト。
ミレイヌ程に熱心ではないが、十分過ぎる程に自分を可愛がってくれる相手だ。
それに、何よりもセトにとって嬉しかったのは、その二人はレイのことを凄く大事にしているというのが分かるからだ。
勿論自分を可愛がってくれる人も好きだけれども、やはりセトにしてみれば自分の大好きなレイに好意を抱いている人というのが大きい。
……もしもミレイヌがこれを知れば、今度はセトの代わりにレイに好意を剥き出しにする可能性が高いのだが。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。そんな諺がレイのいた日本にはあったが、ミレイヌの場合は馬を欲する為に将を射るといったところか。
「それに……冬になれば、ガメリオンの現れる季節だ」
「グルゥ!」
先程の、レノラやケニーのことを話した時よりも素早く返事をするセト。
そんな相棒の様子に、レイは苦笑を浮かべつつもしょうがないかと納得もする。
外見は凶悪で巨大なウサギといった代物だが、その肉の味は絶品で、ギルムにおける冬の名物とでも言うべき存在。
「……ギルム?」
そこで、ふと気が付く。
もしかしたらベスティア帝国にもガメリオンはいるのではないかと。
ガメリオンは確かにギルムの付近に生息していた。だが、それはギルム周辺だけとは限らない。
ベスティア帝国に住んでいたとしても、おかしくないだろうと。
(となると、上手く動けばより多くのガメリオンの肉を入手出来る可能性もある……か? ベスティア帝国でガメリオンを倒してミスティリングに保存し、急いでギルムに戻ってガメリオンを仕留める。これならいけるような気がする)
そこまで考え、自分が寄りかかっているセトへと話し掛ける。
「なぁ、セト。ガメリオン、どうせなら多く食いたくないか?」
「グルルルルゥッ!」
当然、とばかりに喉を鳴らすセト。
その鳴き声に、丁度レイがマジックテントを張っている場所の近くを通りかかったのだろう。兵士が思わずビクリとする。
それも当然だろう。夜の見回りをしている時に、いきなりグリフォンの鳴き声が聞こえてきたのだから。
勿論この兵士もセトに対しては好意的な気持ちを持っている。
それでも、やはりこうして夜に見回りをしている時に突然鳴き声が聞こえてくれば驚くものなのだ。
幸い、レイがマジックテントを設置しているこの場所は陣地の中でも端の方であり、周囲にあるのは物資を貯蔵しているテントのみだ。
……ちなみに、物資保管所の近くにレイがマジックテントを設置しているのは、単純に人が少ないからという理由だけではない。
メルクリオ軍もこれだけの人数が集まれば、当然それなりの性根の悪い者が入り込む。
そのような者達が物資を盗もうとした時、すぐに対応出来るように……という理由があった。
既にセトが何人かのこそ泥を捕まえており、今ではここに忍び込むような命知らずは存在しない。
それでも兵士が見回りをしているのは、やはり完全にセト任せにしておくのは色々と体面的に問題があるからだろう。
「ほら、少し落ち着け。ならそうだな。今回の件が終わったら、ガメリオンが出没する場所があるかどうかをちょっと調べてみるか。……いや、別にギルドとかに行って聞かなくても、ここに冒険者は多く集まっているからそっちに聞けばいいのか」
「グルゥ?」
本当? と嬉しげに喉を鳴らすセトに、レイは笑みを浮かべて近くにあった薪を焚き火へと放り込む。
パチッ、パチンという音が聞こえてきて、どことなく風情のある光景だった。
「……秋、か」
呟くレイの脳裏を過ぎったのは、日本で食べた秋が旬の食材の数々。
山に住んでいただけあって、栗やキノコ、サツマイモ、梨といったものがある。
他にもレイの好物でもある鮎。
普通、鮎と言えば夏が旬の魚だが、秋になると卵を持った鮎が川から海へと向かう。
その鮎は落ち鮎といい、田舎に住んでいるからこそ食べられる旬の食材といってもいいだろう。
「他にもサンマか。脂が乗って太っているサンマを塩焼きにして、大根おろしと醤油で食べる……とか」
「グルゥ、グルルルルゥ!」
レイの説明を聞いているだけで腹が減ったのだろう。
自分も食べたい! と喉を鳴らすセト。
だが、サンマというのはあくまでも地球の魚であり、このエルジィンにいるかどうかは分からない。
(いたとしても海にはモンスターがいるし、そっちの餌に食われている可能性も高いだろうな。漁をするのも地球とは違って大変だろうし)
当然この世界に魚群探知機のような文明の利器は存在しない。
漁をするとなれば、漁師の経験と勘が全てだ。
「あー……駄目だ。サンマのことを考えたら、凄く食いたくなってきた。脂の乗ったサンマと、さっぱりとした大根おろし。これをご飯と一緒に食うと、幾らでも食べられるんだよな」
ちなみにレイの場合は内臓を食わない派だった。
酒飲みの父親は好んで内臓を食べていたのだが。
「グルルゥ、グルルルルゥ!」
レイの話を聞き、更に食欲を刺激されたのだろう。セトは食べたい、食べたい! と鳴き声を上げる。
「そうは言ってもな。サンマがこの世界にいるとは限らないし……まぁ、梨にそっくりのライオットがある以上、サンマがある可能性は否定しきれないけど。……エモシオンに行ってみれば分かるか?」
以前に行った港街の姿が脳裏を過ぎり、呟く。
「グルルルルゥ」
サンマを食べられるかもしれない。そんな期待に、セトは上機嫌に喉を鳴らす。
そんな声が夜の陣地内に響くのだが、レイ達がいるのが陣地の外れということもあって、思わず首を竦めた見張り以外は特に被害はなかった。
メルクリオ軍の陣地の繁華街とでも呼ぶべき娼館や酒場が集まっている場所では、今夜も戦勝の宴が開かれており、賑やかに騒いでいるだろう。
レイとしては、セトと一緒にそっちで騒ぐ……正確には料理を楽しむことも考えたのだが、自分達が今では色々な意味で目立つ存在になっていることは承知している。
宴会をやっている場所に顔を出せば、間違いなく面倒事が起きるだろう。
特に夜も更けた今、酒場にいる者達は軒並み酔っ払っている筈なのだから。
今いる陣地の端でも、歓声が聞こえてくるのを羨ましげに眺め、レイは立ち上がる。
「ま、サンマを食べるにしろ、ガメリオンを食べるにしろ、結局は四日後の戦いに勝たないと意味はないんだけどな。さて、セト。俺は明日に備えてそろそろ寝るよ。明日はワイバーンの剥ぎ取りとかがあるし、時間も掛かるだろうからな」
「グルゥ!」
レイの言葉に短く返事をし、セトはその場で横になる。
いつものように、レイに対して近づいてくる相手を警戒する為に。
「悪いな、セト。いつも助かってるよ。ああ、腹が減ったらこれでも食べてくれ」
そう告げ、サンドイッチをセトの横に置くとレイはマジックテントの中へと入っていく。
翌日、決戦の時まで残り三日。
その日のレイは、陣地の外で遊撃隊の者達にワイバーンの剥ぎ取りをさせていた。
竜騎士五騎分のワイバーン……つまり、五匹のワイバーンだ。
それだけのワイバーンから取ることが出来る素材の量は、かなり多い。
もっとも、それでも遊撃隊全員に行き渡るだけのレザーアーマーを作るのは不可能だろう。
誰に行き渡るのかは、この後実力順で決めることになっていた。
レイとしてはしっかりと訓練をしたかったのだが、三日後に決戦を控えている以上は無茶な訓練が出来る筈もない。
結果として、レイが訓練をするのではなく遊撃隊同士で模擬戦を行わせることになった。
その餌として、ワイバーンのレザーアーマーがあるのだが。
「レイの旦那、言っておくけどワイバーンの皮を革として使えるようにするには、相応の時間が掛かるんだけどな」
「その為のマジックアイテムがあるんだろ?」
メルクリオ軍の鍛冶師は、レイの言葉に微かに眉を顰める。
本来であれば、皮をなめしてレザーアーマー等に使えるような革にするには、一週間以上の時間が掛かる。
もっとも、それは普通の動物や低ランクモンスターの場合であり、ワイバーンのように下級ではあっても竜種ともなれば数十日掛かることも珍しくはない。
当然それを悠長に待っていては決戦に間に合わない為、レイが取った手段は鍛冶師が持っているマジックアイテムだった。
皮を革にする為の時間を大きく減らしてくれる効果を持つマジックアイテム。
こう聞けば鍛冶師にとっては得がたい性能を持つマジックアイテムではあるのだが……
「ドリムの滴を使えば、確かに時間は短縮出来やすが、その分品質が劣化するんですぜ?」
そう、品質の劣化。
それこそがマジックアイテム、ドリムの滴の唯一にして最大の欠点だった。
それでもレイがそのマジックアイテムを使用することを選択したのは、決戦の日に間に合う方法がそれしかなかったからだ。
「せめてもの救いは、ワイバーンの牙や爪を素材とした武器なら品質の劣化がないままに使えるってことか」
「そう言われても、矢の鏃や槍の穂先にそのまま流用ってのが精々でさぁ。武器を作る際に魔法的な処理をしたワイバーンの骨や血を使えば、魔剣のようなマジックアイテムになるんでやすが……それにしたって、残り三日でってのは無理でさぁ」
「だろうな。ただ、そっちに関してはこの戦いが終わったら作ってやってくれ。遊撃隊ともなれば、間違いなく修羅場を潜ることになるからな。そのくらいの報酬はあってもいいだろ」
「へい、任せて下せぇ」
鍛冶師の言葉に頷くと、レイはワイバーンの解体をしている者達に向かって大きく呼びかける。
「今日の夕食は、ワイバーン料理だ! それを美味く食べる為にも、しっかりと肉を切り分けろよ! 乱暴に解体すれば、その分肉の味が落ちるぞ!」
『分かりました!』
遊撃隊が者達が一斉に返事をしている中、一人の人物がレイの方へと向かってやってくる。
「レイ隊長、そこまで大盤振る舞いしてもいいんですか?」
遊撃隊の副隊長にして、実際にはその遊撃隊の指揮をしているペールニクスだ。
セトと共にワイバーンの解体を眺めつつ、レイは頷く。
「次の戦いは間違いなく大きな戦いになる。その為に英気を養うという意味でも、生き残ったら褒美があるという意味でも、今回の件はもってこいだ」
「その恩恵に預かる自分が言うのもなんですが、勿体ないですね。ワイバーンのような貴重なモンスターは、出す所に出せば相当に高値がつくでしょうに」
「別に金には困ってないしな」
特に気負いなく呟くその言葉に、ペールニクスや近くで話を聞いていた鍛冶師は思わず納得する。
ランクBという高ランク冒険者に入るだけのランクを持ち、セトというグリフォンを従え、尚且つその力はランクAに匹敵し、あるいはそれを上回るかもしれない程。
それだけの実力を持っているレイにしてみれば、確かに金を稼ぐのは難しい話ではないだろうと。
ちょっと高ランクのモンスターを仕留めるだけでもいいし、ダンジョンに潜るだけでも得られる報酬はとんでもないものになるのは間違いなかった。
「さて、じゃあ、レザーアーマーの方は頼むな」
「……へい。こっちとしても、ワイバーンの素材を使えるなんて滅多にないですからね。出来る限りのことはさせて貰いやす」
鍛冶師の言葉にレイは頷き……こうして、この日はワイバーンの解体とその肉を食べる宴を行い、過ぎていく……
決戦まで残り三日。その時が来るのを、不安と期待という二つの感情を宿しながら待っていた。