0782話
レイとセトが陣地を包囲していた部隊へと襲い掛かってから二十分程。
そのたった二十分間に討伐軍が受けた被害は、目を覆わんばかりのものだった。
最初にレイが突入した部隊は既に壊滅状態であり、続けて二つの部隊が壊滅状態に陥っている。
ただし壊滅状態とは言っても、レイが火災旋風を使って燃やしつくした部隊のように一人の生き残りもいない訳ではない。
いや、寧ろ生き残り自体はかなりの数だ。
もっとも、その生き残りも恐怖や絶望で完全に戦意をへし折られており、とてもではないが隊長の下へと集まって再度行動を……という訳にはいかない。
ここまで死者が少なかった理由は、やはりレイが使ったのが覇王の鎧だった為だろう。
確かに覇王の鎧を展開して敵へと突っ込んで行けば、それに触れた相手は良くて骨折、下手をすればその衝撃で死ぬという強力なスキルだ。
だが、その効果範囲はあくまでも自分の触れられる範囲……つまり、レイの至近距離でしかない。
広範囲を一気に攻撃する、レイが得意とする炎の魔法とは効果範囲が大きく違う。
だからこそ、レイが部隊へと突入しても死者自体はそれ程――レイの使う魔法に比べれば――多くはなかった。
もっとも、その分レイの攻撃でショックを受けて混乱する者が多くなるという効果はあったのだが。
「退けぇっ! 退け、退けぇっ! 上からの命令だ! とにかくこの場は退け!」
そんな声が聞こえて来たのを機に、レイは動きを止める。
周囲には残り数人の兵士しかおらず、ただじっと恐怖を宿した目でレイへと視線を向けていた。
このまま自分達も死ぬ……あるいは怪我を負う。
恐怖以外にそんな諦めすらも滲ませ始めた兵士達だったが、レイはそんな相手に軽くあっちへ行けと手を振ると、覇王の鎧を解除する。
「ふぅ……やっぱり魔力の消費が激しいな」
実際に使用したのは二十分かそこらでしかなかったが、レイの魔力はかなり消耗されていた。
その消耗が疲れとなって身体を押し包んでくる感覚に目を細める。
(多分、このまま眠ったら気持ちいいんだろうな)
そう考えるが、戦場で眠るような真似をする筈もない。
覇王の鎧を使った大規模な戦闘はこれが初めてだったが、そのおかげで色々と問題点が見えてきたことに満足したレイは、未だに固まっている敵の兵士へと向けてデスサイズを軽く振るう。
飛斬、と呟かれたその飛ぶ斬撃は、兵士達のすぐ近くの地面を斬り裂く。
「ひっ、ひぃっ!」
その一撃でようやく我に返ったのだろう。
それ以上レイが攻撃をしてこないと知ると、持っている武器ですら逃げるのに邪魔だと言いたげにその場に投げ捨て、その場に残っていた兵士達は走り去ってく。
「ま、追撃部隊から逃げ切れるといいけどな」
見る間に走り去っていく兵士達の後ろ姿を見送りながら、デスサイズを肩に担いで周囲を見回す。
レイの視界に入ってきたのは、地面に転がって呻いている大量の兵士達。
覇王の鎧を発動したレイとぶつかって死んでいる者も多いが、手足がなくなっていたり、単純に折れて身動きが出来なくなっている者も多い。
この辺も敵を纏めて焼き殺してしまう魔法とは大きな違いだろう。
「捕虜を大量に取るって意味でも、結構使えるのかもな。ただ、今の反乱軍の状況で捕虜にしてもいいのかどうかは微妙だけど」
そもそも、街道を封鎖されて兵糧攻めも受けているのだ。
恐らくこの本陣襲撃の為の見せかけの行動だったとしても、街道が封鎖されていること自体は事実。
ヴィヘラが街道の封鎖を解除すべく軍を率いて戦っている以上、遠からずその封鎖も解かれるのは確実だったが、それでも今はまだ物資は貴重なのだ。
「ま、その辺は俺が考えることじゃないか。結局俺は雇われているに過ぎないんだし」
翼を羽ばたかせ、嬉しげに鳴きながら自分の方へと向かってきているセトに軽く手を振りつつ、レイは呟く。
そのまま地上へと降りてきたセトは、レイへと顔を擦りつける。
「グルゥ、グルルルゥ、グルルゥ!」
「相変わらずセトは甘えたがりだな」
擦りつけられている頭を撫でながら呟くレイに、周囲で足が骨折して動くに動けないでいた兵士達は、ただ唖然としてそんな一人と一匹の様子を見ているしか出来なかった。
そんなレイとセトの下へと、一騎の騎兵が近づいてくる。
「やはり、レイ殿でしたか」
その声に振り向くと、そこにいたのはテオレームの副官のシアンス。
馬に乗っているその姿は、凜々しいと表現してもおかしくはない。
相変わらず表情を殆ど動かさず、無数に討伐軍の兵士が倒れている中でレイとセトが戯れているという異様な光景を目にしても、特に驚いた様子はない。
レイもシアンスの性格は理解している為に、特に驚いた様子もなく頷き、言葉を返す。
「ああ。反乱軍から伝令がやってきて、今攻められているって話を聞いたからな。急いでこっちに来た。余計な手出しだったか?」
「いえ。正直。あのままでは間違いなくいずれ押し込まれていたでしょうから、これ以上ない程の絶好のタイミングでした。おかげで、向こうも撤退してくれましたし」
「それで、追撃部隊は出すのか?」
「出来ればレイ殿に追撃部隊を指揮して欲しかったのですが、その様子だと無理そうですね」
見て分かる程……とまではいかないが、それでも明らかにレイは疲れた雰囲気を醸し出していた。
ここまで長時間覇王の鎧を使い続けたのが初めてだったというのも大きいだろう。
反乱軍での訓練の時は、数秒から十数秒程度を何度も繰り返すといったような形であった為、ここまで長時間覇王の鎧を使い続けた消耗の激しさを見誤っていたというのもある。
「悪いな。じゃあ、遊撃部隊でか?」
セトの頭を撫で、その感触を楽しみつつ告げるレイに、シアンスは首を横に振る。
「遊撃部隊には今回無理をさせ過ぎました。他の者も討伐軍の攻撃を迎撃するのがやっとで、レイ殿が戻ってきた時に上がった士気にしても、討伐軍が退いた今では……」
「そうなると、追撃部隊は?」
「レイ殿が無理であれば、このまま見逃すしか。個別に体力の余裕がある者はまだいますが、まさか少数の者を集めた部隊で追撃させる訳にもいきませんし」
「だろうな」
一瞬でその言葉に同意するレイ。
そんな人数で追撃に出したとしても、その者達がレイのような強さを持っていない限りは逆に討ち取られるだけだろう。
「……ま、しょうがないか。俺も無理をすれば追撃が出来るかもしれないけど、今はそこまで無理をする必要はないしな」
「そうですね。こちらとしても、そこまで無理をする必要もないでしょうし」
レイの言葉に同意するシアンスだったが、その胸中ではレイの……深紅という男の実力をその目で見た討伐軍が、次の戦いに参加する時にどこまで今日の戦力が使えるのかと、計算高く考えていた。
(間違いなくレイ殿の戦を近くで見た者は、次の戦いに出るのを拒否……そこまでいかなくても、躊躇はする筈。そして自分が見たものの恐怖を紛らわせる為に酒を飲み、周囲に戦いの様子を告げる)
自分が感じた恐怖を誤魔化す以外にも、臆病者と呼ばれることを避けたいが為に話す者が出てくるのは間違いない。
そうなると、討伐軍の中ではレイに対して虚像とも言える程の恐怖心を持つ者すら出てくる可能性があった。
(そうなれば、その話を聞いた者達にしても戦いに不安を覚える。討伐軍の中に不和の種とも呼ぶべきものを撒くことが出来るかもしれないと考えると、寧ろ追撃部隊は出さない方がいいでしょうね)
頭の中で素早く考えを纏めると、改めてシアンスはセトを愛でているレイに向かって口を開く。
「それで、メルクリオ殿下とテオレーム様がレイ殿から話を聞きたいと。一緒に来て貰えますか?」
「分かった」
セトの頭を撫でていたレイは、シアンスの言葉にあっさりと頷く。
元々フリツィオーネ軍の護衛として派遣されていたのが、幾ら待ち構えていた部隊を攻撃しながらとはいっても、護衛対象を放り出してきたのだ。
当然メルクリオやテオレームにしてみれば話を聞く必要があるのだろう。
そう判断したレイの言葉だったが、まさか自分の要望をあっさりと聞いて貰えると思わなかったシアンスは、眉をピクリと揺らす。
結局表に出した表情はそれだけで、すぐにその馬首を返す。
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
「ああ。セト、もう少し頼むな」
「グルゥ!」
レイの言葉に短く喉を鳴らし、その背をレイの方へと向ける。
デスサイズをミスティリングの中へと収納したレイがその背に跳び乗ると、いつもより少しゆっくり目にセトは移動を開始する。
やはりいつもレイの側にいるだけあって、今のレイがかなり疲れているというのを理解しているのだろう。
それを理解出来たレイは、自分を背に乗せているセトの首を感謝を込めてそっと撫でる。
「ありがとな」
「グルルルゥ!」
嬉しげに喉を鳴らすセト。
シアンスはそんなセトとレイの様子に、何が起こってるのか分からなかったのだろう。微かに首を傾げつつも、とにかく今はレイをメルクリオやテオレームの下へと連れていくのが先決だとばかりに陣地内を進む。
そんなシアンス達の周囲では、皆が陣地内で疲れた身体で戦後処理を開始していた。
怪我人は集めて治療し、死体は集めて燃やし、捕虜は取りあえずとばかりに武装解除して一ヶ所に纏めておく。
他にも夜に備えて柵の補修を行い、壊れたテントや木箱、樽といった物を片付ける。
その類の片付けであれば、兵士ではなく陣地内に留まっていた商人や娼婦といった一般人であっても可能なので、陣地にいる皆が協力して片付けていく。
そんな中、レイとセトを見た兵士達は思わず動きを止めて視線を向ける。
自分達が助かったのが誰のおかげなのか、理解している為だ。
以前にもその傾向はあったが、既にレイを見る目には崇拝の色が強くなっている。
「おい、あれ……」
「ああ。深紅だ。あの人のおかげで俺達は生き延びることが出来たんだよな」
「俺、あそこまで戦場で相手を蹂躙しているようなの、初めて見た」
「ああ、あの身体から何か噴き出している奴な。凄かったよな、あれ」
そんな声が聞こえてくるが、レイは特に気にした様子もなくシアンスと共に陣地の中央にあるマジックテントへと向かう。
「セト、悪いけど外で待っててくれ」
「グルゥ……」
もっと一緒にいてと言いたげなセトだったが、マジックテントの中には連れて行ける筈もなく、大人しくテントの近くで寝転がった。
セトにしても、レイ程ではないにしろ疲れていたのだろう。そのまま目を閉じる。
マジックテントの護衛をしている騎士は、そんなセトに一瞬感謝の視線を向けた後で再び警備へと戻る。
マジックテントの中に入ったレイは、周囲を見回す。
そこには反乱軍の幹部達が集まっていたが、その人数は明らかに減っていた。
(戦後処理の指揮を執っているのか、それとも……)
あれだけ激しい戦闘だったのだから、当然反乱軍にも多くの死者が出ている。
そして死というのは、身分の上下によってその矛先を緩めたりはしない。
……いや、身分の高い者程相手に狙われやすいと考えれば、身分の高い者程死に魅入られやすいと言ってもいい。
「それで、俺を呼んだ理由は? まぁ、俺がここにいる件に関してだろうけど」
「そうだね。フリツィオーネ姉上の護衛の件はどうなったのかな? ここに来ている以上は問題ないと判断したんだろうけど」
「ああ、一応街道上のこっちを待ち伏せていた部隊に関しては攻撃してきた。壊滅状態……とまでは言わないけど、混乱していたからな。まともに動くのは無理だろ。それに、もし攻撃しようとしても、向こうの戦力を考えれば殆ど無意味に近い筈だ」
「白薔薇騎士団、か」
レイの言葉を続けるようにテオレームが呟く。
白薔薇騎士団の名前は、ここにいる者であれば当然皆が知っている。
貴族だけではなく、冒険者や傭兵であっても知っている程に有名な名前だ。
もっともその実力ではなく、見目麗しい女騎士だけで結成されているという側面の方が強調されていたりもするのだが。
それでも皇族直属の騎士団である以上、一定の技量があるのは当然と思っていた者も多かったのだが、反乱軍にやって来たウィデーレを見てその実力に目を見開いた者も多かった。
……ウィデーレの場合は、次期白薔薇騎士団団長に名前が上がる程の人物ではあるのだが。
「とにかく、フリツィオーネ達は今日の……それこそ、もう数時間程度もすればここに到着すると思う。まぁ、今の状況だと受け入れるのは難しいかもしれないけど」
討伐軍との戦いで反乱軍が受けた被害は大きい。
それは人的被害というだけではなく、陣地の中に形成されていた街のような建物やテントにしても同様だ。
討伐軍の兵士が直接陣地の中に攻め込んできたのはそれ程多くはなかったが、それでも多少はいたし、何より弓兵や魔法、投石機のような攻撃手段で攻撃され、受けた被害も大きい。
「ともあれ……レイ、フリツィオーネ姉上を連れてきてくれて感謝してるよ」
メルクリオは少し疲れた表情を浮かべつつも、そう告げるのだった。