0764話
結局ポーションは一瓶では足りず、もう数本使用することでようやくシストイは命の危機を免れた。
勿論命の危機を免れたといっても、デスサイズで斬り飛ばされた四肢がくっついた訳ではない。
命の心配はしなくてもよくなったシストイだったが、この先自分の足で地面を歩くことは出来ないし、自分の手で何かを持つことも出来ないだろう。
(ま、ここは錬金術が急速に発達しているベスティア帝国だ。マジックアイテムの義手や義足は普通にあるから、動くのに問題はないだろ。上手く入手出来ればだが)
ムーラとシストイをそのままに、次にレイが視線を向けたのはソブル。
セトの監視により逃げることも出来ず、今でもじっと佇んでいる。
「さて、折角反乱軍の陣地から逃げ出してここまで逃げてきたところを悪いが、お前にはまた捕虜になって貰うぞ」
「……」
レイの言葉に、ソブルは言葉を発さず沈黙のまま視線を返す。
既にこの場から逃げ出すことは不可能だと理解している為だ。
自分をここまで連れて来たムーラとシストイが一方的にやられたのを見れば、自分が抗ったところで何の意味もないだろうというのは容易に想像出来た。
「さて、じゃあ行くか。そろそろ向こうでも野営の準備に入ってるだろうし、お前達の事も報告しないといけないからな」
「私達の安全は本当に約束してくれるのね?」
デスサイズを片手に告げるレイに、ムーラが尋ねる。
「その辺の詳しい話は俺じゃなくてテオレーム辺りにした方がいいと思うぞ。一応約束した以上弁護はするが、それでも向こうが役立たずだと判断すればどうなるのか分からないしな」
「……ええ、そうさせて貰うわ」
「勿論お前は命の心配をしなくてもいいいから、その辺は安心しろ」
セトの前で動けずにいるソブルへと向かって告げるレイだったが、内心では脱出する時にどんな騒ぎが起きたのかによるかもしれないな、と考えている。
事実、普通の手段ではソブルを奪還することは出来なかったのだろうから。
(まぁ、ここで大人しくそれを言えば、色々と面倒なことになるだろうから言わないけど。そもそも俺の役目はフリツィオーネ軍の護衛であって、脱走してきたソブルを捕らえることじゃないし)
殆ど成り行きでソブル達を捕まえたレイだったが、その役目の本質はフリツィオーネ軍の護衛であることに違いはない。
そういう意味では、ムーラやシストイと戦ったのは完全に余計な出来事であるのは間違いなかった。
もっともソブルの頭脳を考えると、ここで再び捕らえることが出来たのは褒められることではあっても責められることではないのだが。
「……さて、そろそろ行くか。この林の中にいつまでもいれば、そのうちモンスターが寄ってくるかもしれない」
「グリフォンがいてもモンスターが襲ってくるのかしら?」
ムーラの言葉に、レイはセトの方へと近づきながら口を開く。
「大抵のモンスターなら、確かにセトの気配を察すれば自分から逃げていく。けど、中にはセトの強さを察知出来ないようなモンスターとか、察知してもそれが理解出来ないようなモンスターとかもいるんだよ。ゴブリンとかな。そういう奴はセトがいても普通に襲ってくる。……まぁ、結局は一掃されて逃げ出すけど」
その言葉に安堵の息を吐くムーラ。
既に命がどうこうという訳ではないシストイだが、それでも手足がないのは変わらない。
そうである以上、ゴブリンが相手であろうとも襲われれば致命傷になりうるのも事実だ。
その心配がないと知ったのは、ムーラの緊張を解くという意味では正しかったのだろう。
「けど、こっちは足手纏いを何人か連れているからな。それを守りながら林を抜けるとなると、色々と厳しいかもしれない」
ムーラはある程度戦闘が可能であるのは、レイもその身で体験したので理解している。
だが手足のないシストイや、ある程度の護身くらいしか出来ないソブルは、ゴブリンが相手であろうとも決して油断出来る相手ではない。
「そんな話を聞いた以上、すぐに林の外に向かってくれると嬉しいのだけど」
「だろうな」
短く頷き、レイはセトにシストイを背中に乗せるように頼む。
「グルルゥ」
それに対して嫌々ながらも受け入れるセト。
レイの敵であったと知っているだけに、そんな相手に対して背中を預けるというのは気が進まないのだろう。
それが分かるレイだったが、それでも現状ではそうする以外の選択肢はない。
自分は周囲からモンスターが姿を現した時にすぐに反応しなければならないし、ムーラは仮にも女である以上、四肢がないとしてもシストイを運ぶのは厳しく、時間がかかるだろう。ソブルも体力がないという意味では同様だ。
結果的にはセトしか残っていなかった。
幸いにも、セトはレイ以外の人物を背に乗せても、飛ぶのでなければ全く平気なのだから。
「じゃあ、行くぞ。フリツィオーネに今回の件の説明もしないといけないし、少し急ぐ」
第1皇女の名前を呼び捨てにするレイに、ムーラが驚きに目を見開く。
それはソブルも同様だった。
皇族とはベスティア帝国では至高の存在だ。
そんな人物を相手に、このような言葉遣いをするとは、と。
(帝都に戻るのが最善だったが、この男を間近で観察するというのはいずれカバジード殿下の為になるかもしれないな)
そう思えば、ここでレイと共に行動するのもそんなに悪いことではないように思えた。
シストイを背中に乗せたセト、そのシストイを守る為にセトのすぐ側を歩くムーラとソブル。
レイのみはいつモンスターが襲ってきてもすぐに反応出来るように、デスサイズを手にセトから少し離れた場所を進む。
勿論、ソブルが一か八かで逃げ出そうとした時、すぐに捕まえられるようにという狙いもある。
ソブルの心中を察知出来ないレイとしては、未だにこの場から逃げ出す機会を窺っていると判断してもおかしくはなかった。
「……随分と掛かるわね」
静まり返っていた一行の中に、ポツリとムーラの声が響く。
歩き始めてから既に十分程が経つが、未だに林の外へと出ない為だ。
「それはそうだろう。俺達は後先考えず必死に逃げたからな。ムーラが思っているよりも随分と奥の方まで来てしまったんだ」
セトの背の上でシストイが言葉を返す。
その表情にはまだ痛みが浮かんでいるものの、既に死の危険といったものは全く浮かんでいない。
手足がない為に動きにくそうではあったが、斬り飛ばされた手足も既に林の奥深くだ。
(結局俺達はここで終わり、か。いや、それでも深紅を相手にして生き残ったという意味では勝利と言えるか?)
自分の四肢を切断されたことに思った程ショックを受けていないのを、不思議に思いながら内心で呟くシストイ。
その視線は、自らの相棒でもあるムーラへと向けられている。
自分はとにかく、ムーラが無傷で生き残れたのは非常に大きい。
(もっとも、俺達が生きていると知ったら鎮魂の鐘の手の者が送られてくるだろうが。それが救出の為の者か、あるいは情報を漏らさないようにする為に命を奪いに来る者か。どちらにしろ、俺達が生き延びる為なら何だってやってやるさ)
そんな風にシストイが考えていると、ようやく木々の切れ目が見えてくる。
セトを始めとする一行がそこに姿を現すと、最初に見えたのは白い鎧を着けた女騎士達の集団。
それが誰であるのかというのは、その一行の全員が知っていた。
フリツィオーネ直属の騎士団でもある、白薔薇騎士団。
最初に出てきたセトの姿を見て安堵し、その背に乗っている四肢を失ったシストイを見て訝しげな表情を浮かべ、セトの近くにいるムーラとソブルを見て警戒の姿勢に入る。
特に白薔薇騎士団に所属する者であればソブルの顔を知っている者も多い。
それ故の警戒だったが、一行の最後にレイが姿を現すと多くの者が警戒を解く。
……ちなみに警戒を解いていないのは、反レイ派の者達だった。
戦いが終わった時はそうでもなかったが、戦いが終わってからある程度時間が経った為に反感が戻って来たのだろう。
「レイ殿、無事で何よりだ。突然セトと共に林の中に誰かを追って突っ込んで行ったという知らせを聞いた時は、どうなるかと思ったが」
「悪い、心配掛けたか」
それも当然か、とレイは苦笑を浮かべる。
いきなり人が集まっている場所にグリフォンが下りてきて、それを見て林の中に逃げ出した数人を追って行ったのだ。
普通に考えれば、追われていた数人の方を心配するのは当然だろう。
この場にいた者達も、モンスターに襲われた者達を見てどうすればいいのか迷い、追われた者達を何とか助けたいという思いや、このままだともしかして自分達も危ないのでは? という思いから、何人かが意を決してフリツィオーネ軍へと接触した。
グリフォンが人を襲って林の中に入っていったと聞かされれば、フリツィオーネ軍の者であればそれが誰なのかは容易に想像がつく。
そしてウィデーレはレイが偵察に出ているというのを知っていた。
恐らくを敵を見つけたのだろうと判断し、慌ててアンジェラとフリツィオーネの二人に報告し、近くにいた部下を率いて現場へとやってきた。
本来であれば、レイと友好的な第三部隊の部下のみを連れてきたかったのだが、その時はそれぞれが各個に動いていた為、取りあえず近くにいる者達を集め、引き連れてきたのだ。
その中には当然反レイ派の者もおり、嫌々だったり、それ見たことかという表情を浮かべていたのだが……
結果として、ソブルの確保に成功する。
「ソブルか。レイ殿、その者の身柄はどうなさるのだ?」
「そっちで頼む」
「分かりました。ソブルを陣地へ。くれぐれも逃げ出さないように、見張りをしっかりとするように」
『はっ!』
ウィデーレの言葉に、四人の女騎士が返事をしてソブルを陣地の方へと護送していく。
それを見送ったウィデーレは、改めてレイの方へ……いや、正確にはセトの上に乗っている四肢を欠損している男と、男に付き添っている女の方へと視線を向ける。
「それで、レイ殿。こちらの二人は……」
「帝都で俺を狙っていた暗殺者だ。どうやら反乱軍の陣地に忍び込んで、捕虜になってたソブルを助けたらしい」
その言葉を聞いた瞬間、ウィデーレの手は魔剣へと伸ばされる。
だが、それを止めたのはレイ。
いつの間にか間合いを詰めていたレイが、魔剣が抜かれる前に柄を手で押さえつけたのだ。
「安心しろ。既に魔法で縛ってある。もう二度と俺に対して危害を加えたりは出来ない。それより今はこいつらから情報を引き出せるんだから、ここで殺すのは勿体ないだろ」
「……レイ殿がそう言うのであれば信じるが、念の為に監視の者を付けても?」
「それは当然だろうな。情報に関しては、ここでフリツィオーネ側だけが聞けば色々とお互いに不味いだろうし、反乱軍の陣地に到着してからメルクリオやヴィヘラ達と一緒に聞いた方がいいと思う」
「うむ。確かにな。折角メルクリオ殿下達と合流するのだから、ここで妙なしこりは残さぬ方がいいか」
頷くウィデーレを見ながら、レイは軽くセトに合図をする。
その合図を見たセトは、黙ってウィデーレの方へと近づいていくと背中を向ける。
別にレイのようにそこに乗って欲しいと訴えているのではない。背中にいるシストイが邪魔だからとっとと受け取って欲しいという態度だった。
いらない荷物のような扱いを受けたシストイだが、本人は四肢を失っている以上は何が出来るでもない。
寧ろ、ムーラの方がセトのそんな態度に若干面白くなさそうな表情を浮かべる。
もっとも、今の自分の状況がどんなものなのかを理解している以上、それを口には出せないのだが。
「では、この者達もこちらで受け取らせて貰う。レイ殿はこれからどうする? そろそろ日も暮れる。陣地の方でも戦後処理は大体終わって来ているから、そろそろ戻ってきてもいいと思うが」
「そうだな、ならそうさせて貰おうか。俺達も今日は野営をするんだし、準備をする必要もあるから」
「グルルゥ?」
準備? と、ようやく背中のシストイがいなくなったのに清々しながら首を傾げるセト。
そもそも、レイの場合は野営の準備といってもマジックテントを取り出すだけで済む。
見張りに関してはセトがいるし、食事はミスティリングの中に大量に入っており、水は流水の短剣がある。
そんな意味を込めて視線を向けてくるセトに、レイは笑みを浮かべて口を開く。
「熊の解体があるだろ」
「グルゥ!」
レイの一言で、セトも自分が仕留めた獲物を思い出したのだろう。嬉しそうに喉を鳴らす。
「確か熊の死体は馬車にあるんだったよな? 戦闘の影響で食べられなくなってたりしないか?」
「うん? ああ、確かその辺は問題なかった筈だ。こちらの方できちんと確保してある」
ウィデーレの言葉にセトは嬉しげに鳴き、早く行こうとレイに頭を擦りつけるのだった。