0752話
ベスティア帝国の帝都にある城。その庭の一つに、現在多くの者達が集まっていた。
貴族、兵士、冒険者、傭兵、そして……皇族。
「皆、知っての通りこれから私達は城を脱出し、帝都を脱出し、反乱軍と呼ばれている私の弟のメルクリオ達と合流します」
中庭にフリツィオーネの声が響く。
いつもは皇女らしいドレスを着ているフリツィオーネだが、今その身を包んでいるのはドレスではなく、戦装束とでもと呼ぶべきものだ。
もっともフリツィオーネ自身は特に武勇に優れるという訳ではない。
王族の嗜みとして身を守る程度には戦えるが、妹のヴィヘラとは比べものにならない。……勿論フリツィオーネの方が弱い、ということでだが。
その割りにヴィヘラは微妙にフリツィオーネを苦手としているが、戦闘力云々ではなく純粋に性格によるものなのだろう。
ともあれ、そんなフリツィオーネである以上、戦装束とはいっても白薔薇騎士団のように白い金属鎧を身につけているでもない。
現在フリツィオーネの身体を包んでいるのは、斬撃や衝撃、魔法による攻撃といったもののダメージをある程度減らすことが可能となっている、マジックアイテムの服だ。
それに若干ではあるが常時回復効果を持つティアラに、高い魔法防御力を与えられたマント、腕力を上げる腕輪に、体力そのものを上げるネックレス等々。他にも多種多様なマジックアイテムを身につけているフリツィオーネは、それだけで一財産……いや、二財産、三財産と表現してもいいような状態になっていた。
フリツィオーネを誘拐すれば、子々孫々金に困ることはないだろう程に。
……もっとも、それだけのマジックアイテムで身を固めているフリツィオーネを誘拐出来るのかという問題や、今ここにいる戦力をどうにか出来るのかといった問題もあるが。
現在フリツィオーネの前にいる戦力は、全員合わせて四百人程。他にここにはいないが、補給部隊とその護衛として百人程がいる。
本来のフリツィオーネの派閥の大きさを考えれば、この三倍、四倍は戦力を集めることが可能だっただろう。
だがフリツィオーネは派閥の貴族達に対し、今回の件は内乱を止めるというのもあるが、兄弟同士で戦わせたくない自分の個人的な感情からの行いだから、と。共に来るのではなく自分の領地へと戻ることを勧めていた。
それでも、結局はこれだけの人数が自分と共に来ることを選んだのだが。
今フリツィオーネの目の前にいるのは、そんな貴族達……そしてフリツィオーネを慕い、義勇兵として行動を共にすることを決めた兵士、冒険者、傭兵といった者達。
(馬鹿ね……)
自分の言葉を聞いている相手へと向かって内心で呟く。
ただし、そこに悪感情はない。寧ろ、慈しむような色すらあった。
そこまで自分を慕ってくれていると思えば、当然だろう。
この場にいる全ての者達が純粋に自分を慕っている訳ではないのは理解している。何らかの目論見があってここにいる者もいるだろう。
だがそれでも……純粋に自分を慕ってくれた人が多いのも事実だった。
(それに……予想通りね)
チラリと視線を向けたのは、以前にアンジェラとの話で出てきた貴族数人。
どこの勢力かは分からないが、恐らくは自分を裏切っている者達。
(好きにはさせない。こうして私が行動を起こしたからには、当然その行動には私が責任を持つ。だから……彼の力を借りることには何の躊躇もないわ)
周囲で自分の話を聞いてざわめいていた仲間達が静まってきたのを見計らって再び口を開く。
「私達の人数は少ない。そうなれば、シュルスやカバジード兄上の手の者が追ってくるかもしれません」
再びのざわめき。
だが、今度のざわめきは先程と違い、微かな不安のようなものを感じさせた。
その不安を払拭する為に、フリツィオーネは大きく声を上げる。
「ですが、心配することはありません。メルクリオから私達に協力するように派遣された人がいます」
フリツィオーネがそう告げるのと同時に、進み出たレイは兵士達の前に姿を現すと、ミスティリングからデスサイズを取り出して一振りする。
轟っ、というデスサイズの刃が空気を斬り裂く音が周囲に鳴り響き、嫌でもその男に並んでいる者達の意識が集まる。
「おい、あれ……もしかして」
「ああ。あの身の丈以上の長さの柄を持つ大鎌。間違いない。従魔にしているっていうグリフォンの姿はないけど……」
『深紅』
何人かの声が同時に同じ単語を呟く。
ベスティア帝国にとっては不吉の象徴でありながら、つい先日行われた闘技大会ではランクS冒険者、不動のノイズを相手に一歩も引かない戦いをした人物の異名を。
もっとも、驚いているのは一般の兵士や騎士、冒険者、傭兵といった者達だけであり、貴族の中には苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている者もいるが、驚いている様子はない。
貴族達は、前もってレイの存在をフリツィオーネから知らされていたのだから当然だろう。
自分の親族や友人を殺された者達もここにはいるが、それでもフリツィオーネの前だからと、態度には出していない。
「この、深紅のレイがどのような力を持ち、どれだけの強さを持っているのか。それを一番知っているのは、春の戦争で直接対峙し、そして先頃行われた闘技大会でランクS冒険者、不動のノイズを相手に戦ったのをこの目で見た私達でしょう」
庭に流れるフリツィオーネの声は、不思議な程に皆の耳に入る。
これもまたフリツィオーネが身につけているマジックアイテムの効果の一つだが、それを知らない者達にとってはフリツィオーネの言葉が直接聞こえてきたということで心酔する者も多い。
「アンジェラ、補給部隊に関しては?」
「既にここに集まった部隊からの物資を受け取り、準備は整っています。すぐにでも合流出来るかと」
すぐさま返ってくる言葉にフリツィオーネは小さく笑みを浮かべ、再びこの場所に集まっている者達へと向けて声を発する。
「では、行きましょう。この度の行動は、私の我が儘によるもの。けど、その我が儘で一人でも死なない人が、そして傷つかない人がいるのであれば、私は嬉しく思います。同時に、この地に集まった貴方達にも私は決して死んで欲しくはありません。皆、どんなに不格好でも、みっともなくても、生き残って下さい。そして私と共に、内乱が終結した後のベスティア帝国を共に見ましょう」
『うおおおおおおお!』
その場にいた者の殆どが雄叫びを上げる。
フリツィオーネの言葉に感銘を受け、自分も共にこの内乱を生き残っていくという決意を込めて。
そのまま一分程が経ち、やがてフリツィオーネが再び口を開く。
「では、行きましょう。私達は私達らしく。堂々と城を……帝都を出て行きます」
そう告げ、フリツィオーネはアンジェラや白薔薇騎士団を伴い、庭から外へと出て行く。
「あれは……フリツィオーネ殿下? 何だってあんなに大勢を……いや、違う! 白薔薇騎士団だけじゃなくて兵士や騎士、貴族まで引き連れてるぞ!?」
最初にフリツィオーネ達を見つけたのは、城の警備を任されている兵士達だった。
「何だ、一体何が起きてるんだ?」
「まさか……反乱!?」
同僚の言葉に一瞬動きが止まる兵士だったが、すぐにフリツィオーネ達が向かっている方を見てそれを否定する。
「いや、フリツィオーネ殿下が向かっているのは玉座の間じゃない。あのまま行けば……城の外に出るぞ?」
「うん? 城の外? ああ、じゃあ演習とか、そういうのじゃないのか? ほら、今は反乱で忙しいし」
「……そう、なのか? 一応俺は上に報告してくる。お前は迂闊に手を出さずに様子を見ててくれ」
「いや、手を出すって……フリツィオーネ殿下にどう手出ししろと?」
「それもそうか。じゃあ、とにかく様子を見て、おかしなところがないかを確認してくれ」
「あいよ」
そう言葉を交わして分かれる兵士達。
この場に残った兵士は、フリツィオーネの方を見て表情が強張る。
先頭を進むフリツィオーネのすぐ側に、白薔薇騎士団がいるのはいい。
第1皇女派の貴族の姿があるのも、不自然はない。
兵士を引き連れているのに疑問は覚えるが、それでも皇族である以上納得も出来る。
しかし……
「あのフリツィオーネ殿下の側にいるのって……」
兵士が見ているのは、先程の兵士が去って行った時には他の者達の影になって見えていなかった人物。
どこにでもあるようなローブを身につけ、フードを下ろしているその顔は整っているが、どちらかといえば女顔だ。
そして何よりも兵士の目を引いたのは、そのローブの人物が肩に担いでいる大鎌。
柄の長さだけで二mはあるだろうという大きさであるにも関わらず、それを持っている人物はまるで重さを感じていないように気楽な表情を浮かべている。
その人物を、兵士は知っていた。
当然だろう。無理に休みを取って、闘技大会の決勝を見に行ったのだから。
絶対的強者のランクS冒険者、不動のノイズを相手にして互角に渡り合った人物。
そして。春の戦争でベスティア帝国敗北の最大の要因となり、今起きている反乱軍を鎮圧するために派遣された第二次討伐軍をたった一人で燃やし尽くした男。
正確にはレイが率いている部隊も参加していたのだが、この兵士はそこまで詳しい情報を知らされてはいなかった。
だが……それでも、レイの姿を見逃す筈はない。
(ま、不味い。絶対的に不味いんじゃないか、これ? 何だってこんな場所に深紅が紛れ込んでるんだ? いや、そもそも深紅は反乱軍に協力している訳で、その深紅がフリツィオーネ殿下と一緒にいるってのは……え? あれ? え?)
元々難しいことを考えるのが得意ではない兵士は、あまりに予想外の事態を見て思考がショート寸前になっていた。
このままであれば、考えるのを放棄してフリツィオーネ一行が視界から消えるのをただ見ていただけだっただろう。
だが……
「おいっ、どうした、おい!」
先程上司に報告に行くと行っていた同僚の兵士がいつの間にか戻ってきており、思考を放棄する直前に兵士を正気に戻す。
「あ、うん。いや……その、だな。もう戻ってきたのか」
「ああ。丁度少し行った場所で小隊長にあってな」
「小隊長、は?」
「自分では判断出来ないから、上役に話を通してくるって言ってたよ。で、俺は一応こっちに戻ってきたんだけど……それで、何を惚けている?」
「……あれ」
兵士の視線の先を見た相棒の兵士は、デスサイズを肩に担いでいるレイを見て表情を強張らせる。
「ば、馬鹿な……深紅だと……」
それでも大声を出さなかったのは、兵士の中でも城に勤めているだけのことはあるのだろう。
信じられない、とばかりに目を見開く。
「……どうする?」
自分より驚いているのを見て、逆に冷静になった兵士が尋ねるが、驚いている方の兵士は一瞬返事に躊躇う。
実際、ここで騒いで本格的にレイを暴れさせれば、城そのものが消滅することにもなりかねないというのを理解しているからこそ、即断出来なかった。
「……小隊長に知らせてくる。まぁ、この様子を見る限りだともう俺以外にも既に動いている奴がいると思うけどな」
デスサイズを持っているレイは当然の如く目立つ。それ故に、周辺でフリツィオーネ一行を見ている者達も、レイに気が付いている者は多数いた。
その殆どが何故ここに、と動きを止めた後で自分の上にいる者や仲間に知らせる為に動き出しており、当然それはレイを含めた第1皇女派にも見られている。
「どうやら、向こうも動き出したようだな」
デスサイズを肩に担ぎながら告げるレイに、ウィデーレが頷きを返す。
「うむ。さすがにレイ殿の姿を見ては向こうも慌てざるを得ないのだろう。まさか、城の中にレイ殿がいきなり姿を見せるというのは、向こうにとっても完全に予想外だった筈」
そう告げるウィデーレだが、第1皇子派にしろ第2皇子派にしろ、レイが城の中にいるという情報は、上の方にいる者であれば知っていた。
だがそれを全ての者に告げなかったのは、自分達が情報を知っているという情報を第1皇女派に知られないようにする為だ。
……もっとも第2皇子派のデューンのように、色々な意味で迂闊な相手もその情報を知ってしまったのでシュルスにより監視の目を付けられてしまった者もいるのだが。
「まぁ、向こうがどう動こうとも城や帝都で襲撃してくることはないと思う。レイ殿の出番は、やはり帝都から外に出た後ということになるだろう」
城の中を進みながら、レイの方へと視線を向けるウィデーレ。
「準備はどうか? と聞きたいところなのだが……」
デスサイズを出して肩に担いではいても、とても戦闘準備が整っているようには見えない。
いや、武器を出してはいるのだが、心の面での話だ。
「その辺に関しては、実際に戦闘になったら見せてやるとしか言えないな。それに帝都から出ればセトも気が付くだろうし」
小さく肩を竦め、そう告げるのだった。