0734話
「フリツィオーネ殿下、現在のところ私達の動きにカバジード殿下、シュルス殿下共に気が付いた様子はないようです」
自らの直轄でもある白薔薇騎士団の団長でもあるアンジェラからの報告に、フリツィオーネは微かに安堵の息を吐く。
この城から……より正確には帝都からの脱出には、当然危険が伴う。
まだ反乱軍へと派遣したウィデーレ達は戻っていないが、戻ってきてから準備を進めるとなると間違いなく時間が掛かって兄や弟達に自分の行動が露見するかもしれない。
なら今のうちから少しずつ……ということで準備を進めてきた。
最後の希望とも言える会談では、結局再度の討伐軍の編成を止めることは出来なかった。
そうである以上、自分が出来る最良と思われる手段……戦力の均衡を保って膠着状態に持ち込むしかないという手に出ることにしたのだ。
純粋な戦力という意味では、寧ろ現時点でも討伐軍側と反乱軍側では拮抗している。だが、大義名分という意味では反乱軍側にはメルクリオしかいない。
それに比べると、討伐軍側には皇族が三人もいるのだ。
……正確には反乱軍側にはヴィヘラもいるのだが、本人が既に国を出奔した身として大々的に表に出ることを望んでいない。
それ故、フリツィオーネが反乱軍側に付けば膠着状態になるのではないか。
そう考えたフリツィオーネの行動が今回の動きへと繋がっていた。
幸いと言うべきか現在は内戦状態であり、自分の派閥の貴族達と会ってもおかしなことは一切ない。
だからこそ、こうして信頼出来る相手には今回の計画を話すことが出来ていた。
勿論全員が賛成している訳ではない。それでもフリツィオーネを慕っている者は多く、渋々ではあるがその言葉を聞き入れる者は多い。
しかし……
「それで、入り込んでいたのはどのくらいになるの?」
アンジェラへと尋ねるフリツィオーネの声は、悲しげな色を宿している。
自分の派閥の中でも怪しげな動きをしている者達に関しての話なのだから、それも当然だろう。
理想主義者であるフリツィオーネにとって、アンジェラから告げられた自分の派閥の中にシュルスやカバジードの手の者がいるという報告は悲しむべきことだった。
もっとも、カバジードはともかくシュルスの方は副官であるアマーレが独自に行動した結果なのだが。
「確定なのが三人、怪しくはありますが決め手がないのが五人程でしょうか」
「全部で八人、ね。喜ぶべきか、悲しむべきか……」
フリツィオーネの派閥は、皇女であるということもあって皇子であるシュルスやカバジードよりも少ない。
その少ない派閥の中の八人。これを多いと見るか、少ないと見るかは人によって変わるだろう。
「その八人には、当然今回の件は知らせていないのでしょう?」
「はい。信頼出来る者達を派遣して見張らせています。ただ、それもいつまでもという訳には……」
「分かっているわ。今はなんとか誤魔化すとして、なるべく早くウィデーレに戻ってきて貰う必要があるわね。メルクリオ達のところに他の人も派遣した方がいいと思う?」
「いえ、そこまで派手な動きをするとなれば、確実にシュルス殿下やカバジード殿下に気が付かれるかと。今はウィデーレを信じて待ちましょう」
首を振るアンジェラに、フリツィオーネもそれ以上言葉を発することなく頷く。
「まぁ、いいわ。それより……他の人達はどう? こちらの要望を聞いてくれた?」
気分を変えるように次の話題に移ったフリツィオーネだったが、こちらも再びアンジェラが首を横に振る。
ただし、その表情には微かに嬉しさが滲んでいた。
「フリツィオーネ殿下の味方で間違いない方々へと話をしたのですが、殆どが行動を共にしたいと」
「……そう、困ったわね。今回の件は話が大きくなってしまっているけど、元々は家族同士の問題。それに、反乱軍の方に向かうというのも私の個人的感情からよ。出来れば他の人達を巻き込みたくはないんだけど。全く、困った人達ね」
アンジェラへと言葉を返しつつ、フリツィオーネの表情に嬉しげな色が浮かんだのは、つい先程自分の派閥の中から他の派閥と通じている者がいるという話を聞いていたからだろう。
だが喜んでばかりもいられないのも事実。
「何とか説得出来ないかしら? 私達についてきても、下手をすれば……いえ、間違いなく反乱軍扱いになるのよ? 確かに今からシュルスやカバジード兄上の派閥に入れとまでは言わないけど、それでも一旦領地に戻ってくれれば……」
「そうですね。ですがそれも難しいかと。彼等にしても貴族です。自分の判断で選んだ道なら、その道を進むでしょう」
「アンジェラ、貴方のお父様は……ルクシノワ伯爵はどうなの?」
アンジェラがフリツィオーネ直属の白薔薇騎士団の隊長を務めている以上、当然その父親であるルクシノワ伯爵も第1皇女派に所属している。
そんな父親の名前を出されたアンジェラは、小さく笑みを浮かべて口を開く。
「フリツィオーネ殿下と共に行くと真っ先に言ったのは、父上ですよ」
「……まぁ」
アンジェラの言葉に小さく驚きの表情を浮かべるフリツィオーネ。
それでもすぐに言葉を続けられたのは、ルクシノワ伯爵であればあるいはと思っていたのだろう。
娘のアンジェラと同じく、一度決めたことには頑固な伯爵の顔を思い出し、フリツィオーネは笑みを浮かべる。
それが不満だったのだろう。アンジェラは小さく頬を膨らませる。
凜々しいと表現するのが相応しい美貌を持っているアンジェラだが、頬を膨らませると不思議な程にその表情は幼いものに見えた。
二十代も半ばを過ぎているのに、まるで十代のような表情……というのは言い過ぎだろうが、それでも間違いなく今の年齢よりは若く見えている。
「とにかく、ウィデーレがいつ戻ってきてもいいようにこちらも準備を整えておきましょう。私に同行するのは、白薔薇騎士団と有志の兵士達だけね?」
「はい。白薔薇騎士団の方は全員が同行するのが決定していますが、兵士の方は……」
口籠もるアンジェラ。
有志の兵士。こう言えば精鋭揃いにも思えるが、実際には何となくフリツィオーネに従っている者が多く、決して精鋭揃いな訳ではない。
また当然人数に関してもそれ程多くなく、冒険者崩れの者がいたりと、文字通りの意味で寄せ集めと言ってもいい。
だがこの者達は、これまでフリツィオーネにより助けられたことがあるという共通点を持っており、裏切るという心配はしなくても良かった。
少なくてもフリツィオーネやアンジェラにとっては、裏切っているかどうかが怪しい貴族よりは信頼が置けると言ってもいいだろう。
「そう。全く、馬鹿な人達ね」
口では貶しつつも、フリツィオーネの胸の中にあるのは嬉しさだった。
自分でも馬鹿な真似をしようとしているのは分かっているが、そんな自分に付き合ってくれる者達がいる。
自分の派閥の貴族、白薔薇騎士団、兵士達……
「本当に、馬鹿なんだから」
「そうですね。ですがフリツィオーネ殿下はそんな馬鹿の頂点に立つ御方ですよ?」
「ふふっ、そうね。なら精々頑張って馬鹿を演じて見せましょうか。私と共に来る人達には、いつ帝都を出てもいいよう準備を整えておくように言っておいて。シュルスやカバジード兄上の手の者に何をしているのかと聞かれたら……」
「討伐軍が出発した後でこの地を守るのは私達だから、その準備を。そういうことですね?」
「ええ、お願い」
こうして、ウィデーレやレイが到着するまでの間に準備を整えるべく奔走する第1皇女派だったが、当然その動きをシュルスやカバジードが見逃す筈がない。特にカバジードは以前からフリツィオーネの動きを探らせていたのだから。
確かにその二人に繋がっている者達は幾人か捕まったが、それで全員という訳ではないのだ。中には殆ど行動を起こさずにじっと潜んでいた者もいる。
そんな者達は自分の雇い主や上司へと連絡を取り、フリツィオーネ率いる第1皇女派の動きを伝えていく。
だが……それを知った者達はこの状況を自らの利とする為に、特にこれといった行動は起こさなかった。
明確な証拠がないというのも、動かない理由ではあっただろう。
今の状況で第1皇女派に詰め寄ろうと、前もっての計画通りに帝都を守る為の準備だと言われれば、それを否定は出来なかったのだから。
帝都から一時間程の距離にある場所。それも、街道から少し外れた場所にレイやセト、そしてウィデーレ達白薔薇騎士団の姿があった。
何故わざわざ街道から外れた場所にいるかと言えば、セトと一緒にいるところを街道を進んでいる者達に見られる訳にはいかなかったからだ。
言うまでもなくグリフォンという存在は非常に稀少であり、グリフォンを従魔にしている存在となれば、真っ先にレイの名前が挙がるだろう。
特に闘技大会が終わってからまだそれ程の時間が経っていないこともあり、その傾向はより強い。
だからこそ、反乱軍に合流したレイという情報が間違いなく伝わっている以上、そんな真似は出来なかった。
(あの夜襲で一人も逃亡者を出していなければ話は別だったんだろうけどな。少なくてもソブルと一緒に逃げ出した奴がいる以上、間違いなく俺の情報は向こうに伝わっていると考えてもいい)
それがなければ、ふらっと帰ってきたという言い訳も使えたのだが……と、どう考えても怪しまれるだろうことを考えながら、レイはセトの頭を撫でる。
「セト、俺はこれから帝都の中に行く。具体的にどれくらいの日数が掛かるか分からないけど、恐らく数日程度は必要になるだろう。その間、悪いが帝都の外で待っててくれ。お前ならこの辺のモンスター……は帝都の側だからいないかもしれないけど、動物とかを狩って食べることは出来るだろ?」
「グルゥ」
寂しそうに鳴き声を上げるセトだが、これ以上言ってもレイの邪魔になるだけだというのは理解しているのだろう。大人しく後ろへと下がり、レイから距離を取っていく。
「悪いな、セト。お土産として帝都の中で美味そうな料理とかがあったら買ってくるから、楽しみに待っててくれ」
「グルルルゥ」
レイの一言で若干だが元気を取り戻したのだろう。そのまま後ろを向き、レイから離れるようにして去って行く。
……その途中、何度も後ろを向いてはレイの方へと視線を向けていたのを見た白薔薇騎士団の騎士達が、涙を浮かべて歯を食いしばっていたりしたのだが……保護欲を誘うセトの仕草を見た者としては当然だったのだろう。
空を飛ぶと目立つと分かっているのか、セトはそのまま地を走って去って行く。
(春や夏の青々とした草原の中なら絵になっただろうな)
セトの後ろ姿を見送り、ふとそんな思いが頭を過ぎったレイだったが、すぐに気を取り直してウィデーレの方へと視線を向ける。
「じゃあ、昨日の約束通りに頼む」
「うむ、任せて欲しい」
昨日の夕食の後の話の中、帝都の側でセトと別れた後にどうやってレイが移動するかという話題になった。
レイとしては、帝都からそれ程離れていない場所でセトと別れるのだから、普通に走るなり歩くなりすればいいのでは? と提案したのだが、食事をご馳走になった礼を返したいとウィデーレに言われ、最終的にはせめてレイが移動する時に手伝うということになった。
その約束を早速守るべく、ウィデーレは馬上から手を伸ばしてレイを引き上げ、自分の後へと座らせる。
レイ自身の体重はそれ程重くない為、馬も特に疲労を覚えているようには見えない。
……もっとも、これがデスサイズを持っていれば話は別だったのだろうが。
「では、行こうか」
ウィデーレが自分の後に座っているレイに対して若干照れくさそうに告げたのは、鎧越しではあってもレイが自分に密着している為だろう。
フリツィオーネ直属の白薔薇騎士団の騎士という立場である以上、ウィデーレ達にはどうしても男と親しく付き合うという事はあまりない。
それ故、戦ったり訓練したりするのはともかく男と間近に接するという機会は殆どない為に、こうして密着すると男慣れをしていないウィデーレは内心で緊張する。
部隊長という立場故に表情に出したりはしないが、どうしても内心では緊張するのだった。
「これは、白薔薇騎士団の皆様。お帰りなさいませ」
帝都の門の中でも、貴族用に用意された門。
丁度レイがダスカー達と共に帝都へとやってきた時に潜った門だ。
門の担当である警備兵が、ウィデーレの姿を見て恭しく頭を下げる。
ウィデーレ達が着ている真っ白な鎧から、白薔薇騎士団であるのはすぐに分かった。
また、ウィデーレ自身も白薔薇騎士団の部隊長として比較的有名である為に、警備兵が間違うようなことはなかった。
ただし……
「ウィデーレ様の後ろにいる者はどなたでしょうか? 装備からして白薔薇騎士団の者ではないようですが」
「この者は確かに白薔薇騎士団の者ではないが、協力者ではある。責任は私が持つ」
断固とした言葉使いに、警備兵の男は若干怪しみながらもそれ以上は詮索できない。
「では、その者に関してはウィデーレ様が責任を持つということで……」
結局はウィデーレの言葉を受け止め、小さく頭を下げる。
レイの顔を直接見れば兵士に渡されている似顔絵でレイの顔が分かったのだろうが、今は隠蔽効果のあるドラゴンローブを着て、フードも被っている。そして白薔薇騎士団の部隊長の言葉もあって、そのまま門を通す。
レイは白薔薇騎士団の預かりということで、手続きは完了し……こうして、再び帝都へと足を踏み入れるのだった。