0730話
「……なるほど。フリツィオーネに怪しい動きあり、か。確かにその考えは分かるし、理解も出来る。だが……些か動くのが遅かったようだね。いや、フリツィオーネの性格を考えれば無理もないのかな?」
部下から提出された報告書に目を通しつつ、カバジードは呟く。
口元に浮かんでいる微笑は、見た者が思わず目を奪われるだろう美しさを持つ。
優雅さと気品が混ぜ合わさった表情は、窓から降り注ぐ秋の柔らかな太陽の光もあって一枚の絵画の如き姿だった。
「……はっ! あ、いえ。はい。フリツィオーネ殿下の性格を考えると、やはり血縁者同士での戦いは受け入れられなかったのだと思います。その為に反乱軍へ……いえ、メルクリオ殿下に使者を送っている節があります」
報告書を持ってきた男は、数秒程自らの主君に目を奪われていたのを知って慌てて答える。
別にこの男は同性愛者という訳ではない。だというのに、思わず目を奪われた自分に慌てていた。
だが、カバジードは全く気にした様子もなく頷きを返す。
「だろうね。確かに私でも現状で戦いを起こさせたくないのであれば、その手段を選ぶだろう。だが……既に時は遅い。これが、まだブラッタ達が負ける前であれば、可能性がない訳でもなかったんだけど」
「そんな可能性があったのですか?」
「ああ。勿論その場合は色々と今より面倒な事態になっていたとは思うけどね。それに、メルクリオが受け入れるかどうかという問題もある。ただ……」
ふい、と視線を逸らしたカバジードの視線は、窓の方へと向けられる。
外に見えるのは、美しく調和した木々の生えている庭。
秋晴れというべき太陽の光に煌めく木々は、秋だというのに全く枯れた様子がない。
もし相応の知識のある者が庭を見れば、大きく目を見開くだろう。
庭に生えている幾つもの木々は、春や夏に芽吹くものですらも未だに枯れず、瑞々しいままそこに存在しているのだから。
庭師としての知識がある者、そして魔法に関しての知識がある者。これらの者が見れば大きく目を見開くような光景に、カバジードは愛おしげな視線を向ける。
そのまま数秒。やがて窓から見える景色に満足したのか、カバジードは改めて部下へと向かって口を開く。
「一度私と敵対したんだ。こちらとしてもそう簡単には引けなかっただろうしね」
「……はい」
主の声に頷き、男は次の報告へと移る。
「ロドスに関してですが、ペルフィールの訓練により力を増しています。カバジード殿下が示されたファイア・イーターを使いこなせるようになるのも近いかと」
「使用者の負担はかなりのものがあると聞いているけど、そちらはどうなのかな?」
「それが……」
言い淀む男だったが、カバジードの先を促す視線にやがて口を開く。
「驚きました。さすがに雷神の斧の血を引く者ということなんでしょうね。多少の損耗はあるようですが、これまで試験をしてきた者と比べると段違いです」
男の表情に浮かんでいるのは驚愕。
それも当然だろう。カバジードがロドスへと与えたマジックアイテムは、ベスティア帝国が抱える錬金術師が作り上げた物ではあるが、それを使いこなせる者はこれまで一人もいなかったという曰く付きの代物だった。
運が良くても全身を疲労感が襲い数日は身動きが出来ない状態になり、運が悪い者はそのマジックアイテムの名前通りに命の炎すらも喰らい尽くされる。
ファイア・イーター。今年の春の戦争においてベスティア帝国軍が敗北する切っ掛けとなった、巨大な炎の竜巻。それに対抗する為に生み出されたマジックアイテムだった。
つまり、最初からレイの火災旋風に対応する為に作られたものなのだから、レイに対する勝利を望んでいるロドスにしてみれば、これ以上を望むべくもないマジックアイテム。
その効果は、名前の通りに魔力によって生み出された炎を喰らう……吸収して自分の魔力に変えるというもの。開発当初は使用者の魔力許容量を超える魔力を吸収すると身体が破裂して死亡するという事態もあったが、今は魔力許容量を超える魔力は外へと逃がすという風になっている為に、魔力の過剰吸収で死ぬ者はいなくなった。
もっとも、それでも使用者に多大な負担を掛けるのだが、今回はロドスという高い才能を持つ者が使用者である為に、報告に来た男の言葉通り問題にはならなかった。
「それにしても、驚きました。まさか春の戦いから一年も経たずにこれ程のマジックアイテムを作り出すとは……やはり我が国の錬金術師は優秀ですね」
「そうだね、勿論我が国の錬金術師が優秀だというのは事実だ。けど、元々ファイア・イーターの基礎理論に関しては前々から研究していたのも事実なんだよ」
「……そうなのですか? 以前から深紅のことを知っていたと?」
男の中では、炎とレイがイコールで結ばれているのだろう。驚いたようにカバジードへと尋ねる。
確かにレイはここ最近出てきた炎の魔法を使う者では他に類を見ないだけの実力を持っているのだから、当然だろう。だが、カバジードは首を横に振って男の言葉を否定する。
「いや、別にそういう訳ではないよ。ただ、知っての通り魔法というのは幾つもの種類がある。それこそ細かい違いで分類すればその筋の専門家でも迷うくらいにね。しかし……何種類、何十種類、数え方によっては何百種類とあるだろう魔法のうち、もっとも戦闘の中で使われている魔法はどんな魔法だと思う?」
「それは……炎」
良く出来ましたとでも言いたげに、微笑を浮かべて頷くカバジード。
「勿論戦闘する場所や周囲の環境によっても色々と異なっては来るだろう。海辺や、それこそ船の上での戦いであれば、水や氷といったものを使う魔法が有効だし、山では土系統の魔法といった具合に。けどベスティア帝国が軍勢として向かい合った場合、やはり殺傷能力が高くて、広範囲に攻撃出来る魔法となれば炎なんだよ」
確かに、と頷く男。
ベスティア帝国が海を擁していれば、多少は話が違ったかもしれない。
だが不幸なことに、ベスティア帝国の周辺にあるのは山や草原といったものが殆どであり、結果的に水系統の魔法を使う者の数はそれ程多くはない。
「つまり、炎の魔法に対処する為に以前から研究させていた、ということでしょうか?」
「そうなるね。こういうマジックアイテムは、昨日今日研究させて明日には結果を出せるというものじゃない。長年の技術的な蓄積こそが大事なんだ。もっとも、中には天才的な閃きをする者がいないとも限らないけど」
そう、これが……このファイア・イーターこそが、カバジードがレイの放つ火災旋風に対処する為の切り札として考えていたもの。
使い手がいない場合は命の危機を承知の上で他の者に使わせなければならないと思っていたのだが、そこに丁度現れたのがロドスだった。
異名持ちのランクA冒険者の父親の血を引き、高い潜在能力を持つ。同時にレイに対して憎悪にも近い感情を抱いており、ファイア・イーターを使わせる為にはこれ以上ない程の存在。
何より、元々自分の部下ではなかったのだから、ファイア・イーターを使いこなせなくて死んだとしても直接的な被害が出ないというのも大きい。
(色々と怪しい動きをしているという報告も得ているが……それを補ってありあまる程の成果をもたらしてくれている)
一瞬カバジードの脳裏をロドスの顔が過ぎったが、部下の男の言葉ですぐに消える。
「ですが、深紅が使うのは炎の竜巻。言葉通りに炎と竜巻が融合した存在です。もしも炎の竜巻からファイア・イーターで炎を吸収したとして、竜巻がまだそこにあるのは変わりないのでは?」
「確かにそうだね。けどこれまでの彼が戦ってきた戦いを見る限り、基本的に彼は炎に特化した魔法使い……いや、魔法戦士であると考えてもいい。確かにあの大鎌から放つ幾つもの魔法は多彩だけど、深紅の異名を持つに至った炎の魔法に比べると明らかに数段落ちる」
カバジードの説明に、男は闘技大会で幾度か見た炎の魔法や風の魔法を思い出し、やがて納得する。
だがそれは当然だった。確かにレイは炎の魔法に特化している存在であると見抜いたカバジードの推測は正しい。しかし、より正確にはレイが使えるのは炎の魔法だけしかないのだ。
それ以外の、レイが周囲には風の魔法と説明している飛斬のような攻撃は、魔獣術により生み出されたデスサイズのスキルによるものであり、莫大な魔力を使って威力を増すことが出来る魔法と違ってスキルレベルが威力に直結する。
だからこそ、レイがデスサイズにより放つスキルによる多彩な攻撃方法は炎の魔法に比べると格段に威力に劣る。
もっとも、魔獣術という存在についての知識がないカバジードにそこまで見通せというのが不可能な話だろう。
「ですが、竜巻がある時点で色々厄介なのでは?」
「確かに竜巻が厄介であることに変わりはないだろう。だが、竜巻が炎と融合しているのがもっと危険なのだよ。熱で人は死に、炎で周囲は焼き尽くされる。また、炎というのは本能的に人に恐れを抱かせる」
そこまで告げると、喋って喉が渇いたのか執務室の端の方に置いてある水差しからコップに水を汲んで喉を潤す。
当然ながら、この水差しもまたマジックアイテムである。
それも、毒が混入させられたとしても限界はあるが無効化出来るという、暗殺防止用のものだ。
第1皇子であり、皇帝を除くと最大の派閥を率いるカバジードには敵も相応に多い。
そうである以上は当然暗殺に対する対処は必要だし、この執務室にも密かに護衛の者が潜んでいる。
水で喉を潤すと、カバジードの口は再び言葉を紡ぐ。
聞いているだけでも耳に心地よい声は、相手に強く自分の印象を刻み込む。
「それに、今回の夜襲ではブラッタも炎の竜巻になった瞬間を見ていた訳ではなかったけど、春の戦争の時にどのようにして炎の竜巻が生み出されたのかというのは既に判明している。炎の竜巻と風の竜巻が融合して一つになり、初めてあの威力を出せるということは、その前に炎を除去してしまえば……」
「なるほど! 炎の竜巻が消える可能性が高い!」
「恐らく、としか言えないけどね。けど反乱軍と……いや、深紅と戦う以上は炎の竜巻にしろ、他の魔法にしろ、とにかく炎をどうにかしないといけない」
「それが、ファイア・イーター……」
男の唖然とする言葉に頷くカバジードだったが、その内心は多少複雑だ。
(確かに普通の炎の魔法を使う相手であれば、ファイア・イーターでどうとでもなるだろう。けど、深紅は並大抵の使い手ではない。全く、ヴィヘラもどこであんな男を見つけてきたのやら)
カバジードの部下には、当然魔法使いもいる。そして、相手の魔力を感じ取る能力を持った者もまた。
その部下達から闘技大会の時に聞いた話が真実で――勿論カバジードは部下の言葉を無意味に疑ったりはしないが――あれば、深紅という人物の魔力は正真正銘の化け物クラスということになる。
そんな相手の放つ魔法を、幾ら炎を吸収させる為に作られたマジックアイテムであってもどうにか出来るのか? そう思っている自分もいるのだ。
(もう一つの奥の手……こっちを本気で使うことになるかもしれないな)
カバジードの脳裏を過ぎる、残るもう一つの奥の手。それを使えば、恐らく確実に戦いは自分達の勝利で終わるだろうというのが、半ば確信できていた。
何故最初からそれを使わないのかと言えば、使った時に支払う代償が大きい為だ。
それこそ、勝つ為には冷酷なまでに判断を下すカバジードにして、内戦後のことを考えれば、現状では出来るだけ使いたくないと思うだけのもの。
(けど、それを躊躇ってしまったせいで負けてしまっては意味がない。となると……さて、どうしたものかな)
頭の中でリスクとリターンを素早く計算し、そこにロドスとファイア・イーター、シュルスと協力して派遣する討伐軍、雪辱に燃えるブラッタといった面々を付け加え……
「次の戦いで仕掛けてみるのも一興かな」
「カバジード殿下?」
呟いたカバジードに男が尋ねるが、返ってきたのは何でもないという笑み。
男もそれ以上は詮索せず、討伐軍編成の件へと話は移っていく。
前回はソブルが一人でその辺の手配を全て済ませたのだが、反乱軍に捕らえられた以上は当然ソブルに任せる訳にはいかない。
だからこそ、カバジードの部下の中でもそれなりにこの手の作業が得意な男が執務室へと呼ばれていたのだ。
もっとも、呼ばれた本人は光栄に思いながらも、前任者であるソブルの有能さをこれでもかと思い知らされることになるのだが。
「出発は半月後くらいを考えている。出来ればそれまでに全ての準備を整えて欲しい」
カバジードからの言葉に、男は了解しましたと頭を下げるしかなかった。