0718話
夜空から滑空してきたレイとセトは、そのまま音を立てずに陣地の中央付近へと着地することに成功する。
そのまま息を潜めて周囲の様子を確認するが、幸い見張りに見つかった様子はない。
ただでさえ宴会に近い夕食を終えた後の夜の見張りであり、帝都から一日程度の距離しか離れておらず、完全に自分達の勢力圏内であるという認識もあって、緊張感が足りないのだろう。
もっとも全員が弛んでいる訳ではなく、中にはきちんと真面目に見張りをしている者もいる。
それでも、まさか夜に空を飛んで陣地内に侵入してくるような相手がいるとも思っておらず、夜空へと注意を向けている者は少なかった。
あるいは、レイが反乱軍に協力している可能性があるという情報が広まっていれば、上空を警戒していた者も少なからずいたかもしれない。
だがレイが反乱軍に協力しているというのはまだ確認されていない情報であり、もしもその情報を知っていれば、春の戦争や闘技大会でのレイの活躍を知っている者達の中に逃げ出す者が出てくるのは間違いないだろうし、逃げ出すところまでいかなくても士気が下がるのは避けられない。それらの事情から、未確認のその情報は未だに伏せられていた。
寧ろ、上空から侵入してきたレイとセトに気が付いたのは、陣地の端の方に存在していたワイバーン達だった。
討伐軍の中でも数少ない竜騎士が乗るワイバーンは、その優れた五感でレイとセトの存在に気が付いていたのだが……格の違いに圧倒され、騒ぐのではなく逆に怯えて縮こまる。
パートナーである竜騎士がいれば、ワイバーンを励まして何らかの行動に出ていたかもしれない。
だが竜騎士とワイバーンが別々の場所にいたのが災いした。
「……よし、誰にも見つかった様子はないな。セト、いけるな?」
「グルゥ」
夜の闇に紛れて尋ねるレイに、セトは小さく喉を鳴らす。
セトも、ここがどのような場所かは分かっているのだ。
もしここでしくじれば、自分達はともかく、この陣地に馬で向かっているだろう遊撃部隊の者達の姿も見つかり、包囲殲滅されて恐らく全滅するだろう。
そうさせない為にも、ここは確実に夜襲を成功させなければならないと。
(火炎鉱石があれば被害をもっと大きく出来るんだろうが……いや、そこまで強力にしてしまえば、遊撃部隊の方を巻き込んでしまうかもしれないか)
遊撃部隊が討伐軍の陣地の入り口付近に集まっているところに、火炎鉱石の効果で致命的なダメージを受ける。
ふとそんな予想をしたレイは、小さく首を振って意識を集中する。
聞こえてくるのは、近くにあるテントから兵士のイビキと、秋の夜を象徴するかのような虫の音。
そのまま三十分程。やがてレイは前もって約束してあった時間が過ぎたのを確認してから、改めて視線をセトへと向ける。
その視線の意味を理解したのだろう。セトは目標に……陣地の中央部分と思われる場所へと向かって短く鳴き、トルネードを発動する。
生み出されたその竜巻を見ながら、レイもまたデスサイズを手に呪文の詠唱を開始した。
『炎よ、汝の燃えさかる灼熱の如き力を渦として顕現せよ』
その呪文と共に、デスサイズの石突きの部分に生み出された炎の塊を竜巻目掛けて投擲する。
『渦巻く業火!』
風の竜巻と、炎の竜巻。その二つが重なり合うようにして存在しているのを見ながら、次にレイはデスサイズのスキルでもある風の手を使用し、風と炎の竜巻へと風の触手が触れ、今にも炎に燃やされて消滅しそうになっていた風の竜巻へとレイの魔力を流し込む。
その瞬間、炎により浸食されそうだった風の竜巻は威力を増し、炎の竜巻と同じくらいの大きさへと成長した。
炎と風という二つの竜巻が同じ大きさとなり、重なり合うようにして存在し……次の瞬間にはその二つが融合し、火災旋風へと姿を変える。
この頃になると見張りの兵の声で陣地内の異常を察知した兵士達が起き出しており、慌ててテントの外へと出てきている者もいた。
だが、テントの外に出た瞬間に目の前に存在する火災旋風を見ては、何が起きているのかを理解出来ないままに唖然、呆然とするしかない。
それでも、火災旋風から遠く離れた兵士達はまだ幸運だったと言えるだろう。
火災旋風の近くのテントにいた兵士は、表に出た瞬間何が起きたのか分からないままに焼き尽くされてその生命を終えたのだから。
それは表に出た兵士だけではない。火災旋風の近くに存在したテントは、中でまだ眠っていた兵士、外の騒ぎに気が付き起きようとした兵士、何か異変が起こったと判断し、急いで鎧を着ようとしていた兵士といった者達を纏めて火災旋風の中に飲み込み、燃やし尽くす。
更にレイの魔力により生み出されたその火災旋風は、時間が経つにつれて威力を増していく。
そんな状態で兵士達が我に返ったのは、唖然とした兵士達のうち何人かが悲鳴と共に火災旋風に飲み込まれた時だ。
陣地の中央付近で生み出された火災旋風は、この時点で既に千人近い人数の兵士達を燃やし尽くしていた。
だがそれもまだまだ序の口だと言いたげに、火災旋風は時間と共にその姿を大きくしていく。
人を飲み込み、テントを飲み込み、物資を積んでいる馬車を飲み込み、不幸なことにそれらの近くにいた馬車を引く馬や軍馬をも飲み込む。
轟々と燃えるその火災旋風は、風の手のレベルが前回よりも上がっている影響もあるのか、セレムース平原で使われたものとは違って一ヶ所で留まっては居らず、まるで自らの重さに耐えかねるかのように討伐軍の陣地の中を動き回る。
その速度は非常にゆっくりしたものではあるが、火災旋風の大きさが大きさである為、そして何よりも火災旋風の周囲に見える炎よりも広い範囲に息も出来ない程の熱が放射され、火災旋風へと触れなくても命を奪うその光景は、人が何かをするものではなく文字通りの意味で災厄や天災と呼ばれるに相応しい。
火災旋風が生み出されてから数分……ほんの数分で、第1皇子派が用意した精鋭の揃った討伐軍は半ば半壊に近い程の被害を受けていた。
「退避しろ、退避ぃっ! 一旦陣地の外に出て態勢を立て直すんだ。急げ、急げぇっ!」
そんな声が、陣地のそこら中で発せられる。
だが……討伐軍の不幸はまだ終わらない。
火災旋風が発している轟々とした音により、撤退を叫ぶ声が周囲の兵士達に聞こえないということが多発したのだ。
それでも火災旋風から離れた場所では何とか退避しようとする者も現れたが、その声が聞こえなかった者はただ自分達に迫ってくる巨大な火災旋風に魅入られるように動きを止め、あるいは恐怖で身体が動かなくなり、そのまま火災旋風に飲み込まれて生命を燃やし尽くされる。
そして、退避の声を聞いた者にしても災厄の時間はまだ終わっていない。
陣地を盗賊やモンスターから守る為に設置された防護柵が、討伐軍の兵士達の迅速な避難を妨げたのだ。
火災旋風により蹂躙されている陣地から脱出しようにも、陣地を覆っている防護柵のない場所へと向かわなければならず、その混乱によって死んだ者も多数存在する。
更に討伐軍の不運は続く。
防護柵から出ようとしても、当然その出入り口用に作られている場所は十数人、そして数十人を同時に出せる程の広さは存在しない。
その狭い入り口から、自分だけでも脱出しようとした兵士達により起こる殺し合い。
そこには、第1皇子派の精鋭部隊と呼ばれていた者達の姿はどこにも存在していない。
いつ後ろから火災旋風が気紛れに襲い掛かってくるのかという恐怖により、とにかく自分だけでもこの場を脱出しようとして恐慌状態に陥り、数時間前までは共に酒を酌み交わして笑いながら料理を食べていた戦友達を押しのけるようにして陣地の外へと出ようとする。
押しのけられる方にしても、ここで手間取ればそれで支払う代償は自分の命だ。当然そんな運命を黙って受け入れる筈もなく、相手を排除する為に自らの武器を抜く者もいた。
冷静に考えれば、皆で協力して防護柵を破壊するという方法もあっただろう。
幾らモンスターや盗賊に対処する為に頑丈に作ってある防護柵であったとしても、十人も力を合わせれば防護柵を抜き去るなり倒すなりすることも出来た筈だ。
だが……背後から迫る、天災や災厄としか呼べないような巨大な火災旋風が、そこまで冷静に判断を下させなかった。
それに、やはりここが帝都から一日程度の距離であり、まだまだ安心出来ると完全に気を抜いていたのも影響しているのだろう。
幾ら精鋭ではあっても、気を抜いた状態ではそこらの雑兵にも劣るというのを証明するかのように、討伐軍は致命的なまでの混乱に叩き込まれていた。
特に混乱が酷かったのは、春の戦争に参加した者達だ。その極悪と表現してもまだ足りない程の威力で火災旋風が戦場を蹂躙した様子を直接自分の目で見たことがあった為に、半ば恐慌状態に陥っている者も少なくない。
春の戦争で見た火災旋風よりも大きく、以前は殆ど動かなかった筈が縦横無尽に陣地内を動いている。……より脅威度が上がった火災旋風の姿は、以前の火災旋風の姿を知っている者に対してはより強い恐怖を与えていた。
そんな者達は、既に精神の限界を超えて武器を振り回し、周囲にいる者達へと手当たり次第に斬りつけている者も少なくない。
「奴だ……奴が来たんだああああああああっ! 死ぬ、死ぬ、死ぬ、皆死ぬんだぁぁっ!」
「ええい、落ち着け! くそっ、とにかく今は落ち着かせなければ……ええいっ、柵は、防護柵はまだどうにか出来ないのか!」
討伐軍に参加している貴族の一人が、何とか暴れている兵士を取り押さえると周囲にいる自分の部下達へと叫ぶ。
そうしている間にも、陣地の中は火災旋風が好き勝手に動き回って被害を拡大し続けている。
既にこの時点で討伐軍の七割程の人員は既にその命を失っていた。
もっとも、混乱した兵士同士の諍いにより命を失った者の数も百人を超えていたのが現在の討伐軍の様相を現している。
混乱……そんな言葉では言い尽くせない程の、どうしようもない程の大混乱に見舞われていた討伐軍の陣地は、既に陣地と呼ぶよりも討伐軍を閉じ込める為の檻と表現すべき状況になっている。
……そう。これこそがレイの狙ったこと。
陣地の周囲には盗賊やモンスターに対処する為の防護柵を設置するのが当然であり、その防護柵は陣地の外からの攻撃を防ぐのと同時に、中にいる者達を閉じ込める為の檻にもなり得る。
火災旋風が間近まで迫っている状態で協力し合うことが出来るなら、より多くの者が生き残る道もあっただろう。
だが、自分の命が懸かっている時にそんなことが出来る者は少ない。騎士や貴族といった者達であれば多少の冷静さを保ってはいただろうが、一般の兵士達にそれを求めるのは無理があった。
その結果が防護柵の出入り口へと殺到する兵士達であり、運良くその出入り口から抜け出ることが出来た者にしてもまだ安全とは言えなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ。……おい、何とか無事に生き延びたな!」
「ああ。それにしてもあれは一体何なんだ? 炎の竜巻なんて……」
「俺、ちょっと聞いたことがあるんだけどよ。ほら。春の戦争でうちが負けたっていう……」
「おい、待て! それは何か? つまり深紅が反乱軍に協力してるってのかよ!?」
「反乱軍に協力しているかどうかは分からないけど、少なくても俺達と敵対しているのは間違いないだろ。でなきゃいきなり陣地に炎の竜巻を作り出したりなんかげぴゅっ!」
話の途中で突然妙な声を上げた仲間に視線を向けようとした兵士は、陣地で燃えている火災旋風と地上に降り注ぐ月光により一瞬何かの影が見え、次の瞬間には意識が闇へと落ちる。
「おい、どうし……矢!?」
「がひゅっ!」
また一人、額に矢が突き刺さり命を落とす。
そこまでして、ようやく残りの兵士達は自分達が弓による攻撃を受けていると気が付く。
周囲でまだ生き残っている数人に慌てて声を掛けようとしたものの、山なりに放たれて真上から降ってきた矢に頭頂部を貫通され、一瞬にして命を絶たれて地面へと倒れ込む。
そう。この攻撃をしているのはレイ――実質的にはペールニクス――が率いる遊撃部隊だ。
人数こそ三十人程度と少ないが精鋭が揃っており、連日レイやセトによる死に物狂いにならなければ生き残れないような訓練を施された者達にしてみれば、夜間ではあっても煌々と月光が降り注ぎ、火災旋風の明るさもある中での弓による射撃というのはそれ程難しいことではなかった。
陣地にある出入り口は約五ヶ所。そこに六人ずつ派遣されており、それぞれが弓矢を使ってその防護柵の出入り口から出てきた討伐軍の兵士を狙って弓を射続ける。
勿論人数を考えると、逃げ出してきた者を全員射殺せる訳ではない。
だがそれでも、混乱の中からようやく生き延びたという安堵の隙を突くかのような矢の一撃は、幾人もの命を奪い続ける。
……討伐軍にとって災厄の夜にして最悪の夜はまだ終わらない。
夜は未だに明けないのだから。