0705話
秋の夕焼けの空の中、空を飛んでいる存在があった。
夕焼けに紛れて飛んでいる為か、それに気が付く者はいない。
いや、そもそも空高くを飛んでいるのだから、地上から上を見上げてその存在に気が付いたとしても、恐らく鳥か何かだと判断するだろう。
じっとよく見れば、鳥とは全く違うシルエットをしていると気が付くかもしれないが、そんなことをする者は農民では少ない。
考えられるとすれば冒険者や兵士、騎士。もしくは狩人といったところだろうか。
「……まぁ、そんなのはこうして見る限りだとどこにもいないんだけどな」
空を飛んでいる影、セトの背の上に乗ったレイは、そんな風に呟く。
「グルゥ?」
どうしたの? と自分の背に乗っているレイの方へと顔を向けて尋ねるセト。
その翼はゆっくりと、大きく……そして力強く羽ばたいている。
そんなセトの首をそっと撫でながら、レイは首を横に振って口を開く。
「いや、別に何でもない。ただ、テオレームに要請されてこうして偵察に出てきたのはいいけど、全く異常がないというのがつまらないだけだよ」
普通の人間であれば、周囲を真っ赤に染めるかのような秋の夕焼けの光景に、地上にいる者の姿を判別することすら困難だろう。
だが空を飛んでいるのはグリフォンのセトであり、同時に人外の身体能力や五感を持つレイだ。
夕焼けは何の障害にもならないとばかりに地上の様子を見ながら偵察活動をしているのだが、だからといって特に見つけるようなものはない。
そのまま五分程の間を空を飛んで地上を眺める。
これが普通の騎兵による偵察であれば、まだ五分程度かと考えるだろう。
だが、セトに……グリフォンに乗っての五分なのだ。
その速度を考えると、テオレームが要求した偵察範囲は十分以上に見て回ったといえる。
「こうして地上を見る限りだと、いてもゴブリンとかそういう奴等だな。討伐軍の姿は影も形も見えない」
「グルルルゥ?」
どうするの? と再び後ろを向いて聞いてくるセトに、数秒程考えたレイが口を開く。
「そうだな、もう頼まれた範囲の偵察は終わったんだから、陣に戻るか。ただ、この時間だとまだ陣地は出来上がってない……ん?」
そこまで口にした時、地上に異変を感じる。異物感といってもいいそれは、人間の集団だ。
討伐軍か? 一瞬そう思ったレイだったが、よく見ればその集団同士で戦闘が行われている。
いや、集団同士という表現は正しくない。少数の者達が大勢の者達に襲われていたのだから。
ただし、戦力的には互角。それは少数の方の者達がそれなり以上の力を持っており、一騎当千……とまではいかないが、一人で襲っている方の数人程度は何とか対応出来る能力を持っていた為だ。
もっとも、包囲されている状況で間断なく繰り出される攻撃を全て防ぎ続けるというのも難しい訳で、かすり傷程度の傷を徐々に負っているのが分かる。
「このままだと人数の少なすぎる方が最終的には物量に押し負けるな。そうなると、色々と悲惨な目に遭うのは間違いない、か」
呟くレイの視線の先にいる少数の者達の正確な数は五人。それも全員が女。
それに対して襲撃している者達全員が男。人数は三十人程か。
「……さて、どうするか」
「グルゥ?」
助けないの? そんな風に喉を鳴らすセトに、レイは難しい表情でセトの首を撫でながら考える。
(確かにいつもの俺であれば間違いなく助けているだろうな。大抵このパターンだと、相手は盗賊なんだし。ただ……)
それを躊躇う理由。それは、襲っている方も襲われている方も、そのどちらもが盗賊や冒険者には思えなかった為だ。
普通冒険者であれば、それぞれが自分に最も適した装備をする。
だが視線の先にいる者達は違っていた。
襲われている女の集団は揃って白い金属鎧を身につけており、男達の方は黒い金属鎧を身につけている。
そう、まるで軍隊の如く。
「如くと言うか、あからさまにどこぞの軍隊か騎士団って感じだよな。大穴で傭兵団ってところか?」
そう言いつつも、傭兵団の可能性は低いだろうというのがレイの認識だ。
傭兵団も冒険者と同じく小さな集団で完結している存在だ。つまり、索敵、回復、遠距離、前衛といった風に役目が分かれているのが普通だし、何よりも傭兵では女達が身につけているような白い高級そうな鎧を五つではあっても揃えるのは大変だろう。
「まぁ、高名な傭兵団であれば話は別かもしれないが。……にしても、本当にどうするか」
溜息を吐きつつ、レイは上空から地上の様子を窺う。
幸いにも現在セトが飛んでいるのは秋の夕焼けで真っ赤に染まった空だ。地上から見つけられる心配はないからじっくり考えることは出来る。
ただしそれを考える時間はあるが、地上で行われている戦いは女の方が相手の物量に押されて既に敗北の時を引き延ばしているだけに等しい。
そして、レイの視覚だからこそ捉えることが出来た、男達の下卑た笑顔。
そんな様子を見れば、負けた女達がどのような目に遭うのかというのは一目瞭然だった。
「確かに可哀相だとは思うが、俺がここで助けに入れば色々と不味い事態になる可能性が高い」
前回の討伐軍との戦いでレイが戦闘に参加しなかったのは、レイが反乱軍に所属しているというのを討伐軍に……延いてはそれを派遣したシュルスに知られない為だ。
そして現在地上で行われている戦いは、冒険者と盗賊のものではない。
この時期に反乱軍の目と鼻の先とも呼べる場所で起きている戦いが、冒険者の盗賊討伐というのは絶対に有り得ない……とは言えないが、それでも恐ろしく低い確率なのは事実だった。
「そうなると、もしも助けた場合は全員の口を封じる必要が出てくるんだが……」
呟くレイだが、別に口を封じるといっても全員を殺すという訳ではない。
一時的に反乱軍に拘束する必要は出てくるかもしれないが、それだけだ。
だがそうなると、不穏分子を抱え込む必要があり……恐らくテオレームやティユールといった者達には喜ばれることはないだろう。
(残念だが……見捨てるか。あの女達にしても、騎士か傭兵か冒険者かは分からないが、戦場で負ければどんな目に遭うのかは理解した上でこうした職についたんだろうし)
そう判断し、セトにそろそろ陣地に戻ろうと促そうとした、その時。
「負けられないのよ! メルクリオ殿下に会うまでは!」
そんな叫びが地上にいる女の一人から聞こえてきた。
その叫びが耳に入ったのは、女の魂からの叫びだった為か。
どんな偶然が重なった結果なのかは分からないが、間違いなくその叫びはレイの耳に届いた。
勿論叫んだ女としても、レイの耳に入るのを意図した訳ではないだろう。そもそも、ここにレイとセトがいるというのを知らないのだから。
それでもこうして女の叫びがレイの耳に届いたのは事実であった。
そして、叫びの内容を……メルクリオに会うという話を聞いた以上、反乱軍に協力しているレイとしては助けないという選択肢はない。
元々が女達に対して、出来れば助けたいとは思っていたのだ。
なのに手を出さなかった……出せなかったのはレイが反乱軍に協力しているからであり、それを他の者達に知られるのを出来るだけ避けたかった為。
だが、襲われている女達が反乱軍に用があるとなれば話は別だ。
デスサイズをミスティリングから取り出し、軽くセトの首を叩く。
「行こうか、セト」
「グルゥ!」
デスサイズを手にしたレイを見れば、何を望んでいるかというのは一目瞭然だ。
セトは、短く喉を鳴らすとそのまま翼を広げて降下していく。
滑空とでも表現すべきその飛行方法は、翼を羽ばたかせないだけに殆ど音を立てずに男達の背後へと回り込む。
自分達の目の前にいる女に意識を集中している男達は、背後から迫る致死性の脅威とも呼ぶべきレイとセトに全く気が付いた様子はない。
寧ろ気が付いたのは、男達と向かい合っている女達の方だろう。
その視線の先で夕焼けの中から突然姿を現したグリフォンの姿に、思わず目を見開く。
驚愕の声を漏らす者もいたが、男達にとっては自分達の敗北を予想しての絶望に呻いたのだろうと判断し……
「グルルルルルルゥッ!」
突然背後から聞こえてきたその声を聞いた瞬間、殆どの男達の動きがその場で止まる。
セトのスキルでもある王の威圧。
聞いた者の動きを止めるという効果を持つスキルだが、レベルそのものはそれ程高くはなく、ある程度の強さを持つ者であれば抵抗するのは難しくない。
だが……それも、きちんとセトの存在を認識して気を張っていればのことだ。
もう少しで戦闘力を失うだろう五人の女を前に、獣欲に濁った視線を女達へと向けている。そんな状況で背後からいきなり王の威圧を使われては、男達に抵抗出来る筈もなかった。
そして動きを止めたその瞬間……男達にとっては絶望としか言えない存在が突っ込んで来る。
「はああああああああぁっ!」
セトの滑空してきた速度のまま、動けない男達の背後から突っ込んで行く。
そこで振るわれるのは、当然の如くレイの代名詞とも言えるデスサイズ。
いっそ滑稽な程にレイの身体と比べて巨大な大鎌が振るわれる度、男達は胴体を上下に分かたれ、首を斬り飛ばされ、手足が転がる。
そのまま男達の中を背後から突っ切り五人の女の前まで到着したセトは、そのまま翼を大きく羽ばたいて速度を殺して着地した。
一瞬……男達にしてみれば、本当にほんの一瞬の出来事でしかなかったというのに、真後ろから突っ込んできたレイとセトにより、三十人程いた兵力のうち半数程が戦闘不能に陥っている。
幸い命を落としたのはその中の半分程度でしかないが、手足を失っている者達がこの先も冒険者や傭兵、兵士、騎士といった仕事が出来るかと言えば、答えは否だろう。
ほんの一瞬にして、レイは男達の人生すらも大きく斬り裂いたのだ。
不幸中の幸いだったのは、男達の中でもリーダー格の男が何とか生き延びていたことか。
もっとも、これは実力の類ではなく純粋に運が良かったからでしかない。
もし何か少しでも違っていれば、地面に内臓や血、肉や骨といったものを撒き散らかして絶命していたのは自分かもしれないのだから。
それを理解したからこそだろう。リーダー格の男を含め、誰もが目の前にいるレイとセトに対して何一つ言葉に出すことが出来ない。
「……さて。こんなことをやっておいて今更聞くのも何だが……お前達はどういう関係だ?」
デスサイズを振るい、刃に付いている血を払って尋ねるレイに対して真っ先に口を開いたのは、女達を率いていると思われる人物だった。
「その前に聞きたい。そのグリフォンに巨大な鎌。貴公は深紅のレイ殿で相違ないか?」
どこか時代掛かった口調の言葉に多少驚きつつも、頷くレイ。
それを見ていた男達の顔が、見て分かる程に青くなっていく。
本来であれば、もっと素早く目の前にいるのがレイであると気が付いても良かった。だが、やはりいきなり突っ込んできて自分達を蹂躙していったセトに、半ば思考が硬直していたのだろう。
「そうだ。それで、お前は?」
再度の促しに、女はチラリと男達の方へと視線を向けてから口を開く。
「私達はフリツィオーネ殿下に従う者だ。用事があってこちらに来ていたのだが……まさか本当にレイ殿がいるとは。となると、やはりあの情報は本当だったということか。これは運が向いてきた」
目の前の女の言葉に、先程の声の主がこの人物であることを知ったレイはその用事というのも大体の予想が出来た。
(メルクリオの名前を出していた以上、恐らくは反乱軍に用事があるのは間違いない。それにフリツィオーネという名前にも聞き覚えがある。確か、ヴィヘラの姉……だったな。討伐軍側の人物だった筈だが、どうなっている? いや、今はとにかくそれよりも先に……)
内心で色々と疑問に思うところはあったレイだったが、それでも目の前にいる男達を放っておく訳にはいかないと判断する。
メルクリオに用のある者達を襲っていた。それはつまり、反乱軍にとって敵でしかないのだから。
「生かして捕らえた方がいいか?」
そんなレイの確認に、リーダー格の女は少し迷って頷く。
「一人……敵のリーダー格の男を捕らえることが出来れば、他はいらないかと」
「分かった」
そんなレイの言葉に、このままでは命の危機だと理解した男達はようやく思考を取り戻す。
「ま、待て! 待ってくれ! 俺は別にお前達に敵対する気はない!」
「……なら、武器を捨てろ。武器を持っている男は俺と敵対の意思ありと認める」
その言葉を聞いた瞬間に男達は全員武器を地面に放り投げ……女の言葉とは裏腹に、生き残っていた男達全員を捕らえることに成功するのだった。