0697話
真っ赤に染まる秋の夕暮れという、どこか郷愁を誘うような寂しげな景色。
だが反乱軍の陣地は、そんなのは関係ないとばかりに喜びに沸き返っていた。
それも当然だろう。自分達より千人も多い討伐軍相手に、殆ど被害を出さず一方的に打ちのめしたのだから。
勿論反乱軍が完全に無傷というわけではない。死者の数もそれなりに出たし、怪我人はその数倍、数十倍にも達している。
それでも、現在戦場となった場所から少し離れた場所では、皆が勝利の喜びに沸き返っていた。
戦友がいなくなったのを悲しまない訳ではない。だがそれに拘って勝利を喜ばないのは、その戦友と共に戦い抜いた戦場を蔑ろにしていると思っている為だ。
そんな風に勝利の宴を楽しんでいる反乱軍から少し離れた場所。そこにレイとセトはいた。
「……随分と賑やかだな」
「グルゥ?」
いつも通りと言った様子で寝転がっているセトに寄りかかっているレイが呟き、セトはそんなレイに顔を上げて視線を向ける。
「まぁ、人数的に劣勢な状況から逆転勝ち。しかも限定された戦力で圧倒的な勝利だ。沸き立たない訳がないのは分かるけどな。それも……」
セトの頭を撫でながらレイの視線が向けられた先にあるのは、大量の馬車だ。
討伐軍から奪い取った馬車であり、その中には大量の物資が積み込まれていた。
今回の討伐軍は大量の貴族で構成されており、その貴族が使っていた馬車や野営をする時に使う豪華なテント、酒、糧食と呼ぶには豪華すぎる程の食材の数々、金、宝石といった財宝、長剣や槍、盾や鎧といった武器防具。その他諸々が馬車の中にはあったのだ。
多数の貴族で構成されるという討伐軍の編成上、他の貴族に対する見栄を張る必要もあったのだろう。
中には、自分の家の資産の半分を使ってまで用立てた物すらもあったのだが、生き延びるために必死に逃げ散った討伐軍の貴族にしてみれば、それを持って逃げる訳にもいかず……結果的にそれらの馬車は積み荷ごと全てが反乱軍に鹵獲され、徴収されることになった。
逃げ延びた貴族にしてみれば、兵力差で自分達が勝てる。絶対に自分達が負けることはないと判断したからこその積み荷だったのだろうが、それが完全に徒となった形だ。
また、今回の戦いで討たれた貴族もそれなりの数になり、逃げ延びた貴族にしても馬車や積み荷のことを気にしていれば逃げ延びるのは不可能だったということもあるだろう。
今回の戦いに参加した貴族のうち、討たれた者は二割、捕虜となった者が七割。無事逃げ延びた者は一割程度でしかない。
それだけ必死に……一目散に逃げなければ討たれるか捕まっているかしたのだ。そんな積み荷を気にしている様子がある者は誰一人としていなかった。
いや、自分の積み荷……多くの金を使って得たそれを気にしていた者、何とか持って逃げようとした者は反乱軍の手により命を奪われるか、捕まるかしたといった方が正しい。
その為、反乱軍には予想外の収入が大量に入り、一般の兵士達には生まれてから今まで一度も食べたことがないような食材を使った料理、飲んだことのないような美酒といった代物が振る舞われている。
殆ど完勝という形の勝利の祝勝会に、美酒美食の数々。
兵士達が浮かれるのも、無理はなかった。
ちなみに食料や酒の類は反乱軍の者達に大盤振る舞いされたが、それ以外の物……具体的には宝石や金貨、銀貨といった財宝に関しては、反乱軍として接収するとメルクリオが自らの名前で宣言した。
普通であれば、上層部が全てを独り占めするのかと騒ぐ者がいるのは間違いない判断。
だが、この反乱軍に限って言えば話が違っていた。
そもそも、この反乱軍には大きく分けて三つの勢力がある。
一つ目は言うまでもなく、反乱軍の中心となっている第3皇子派の面々。この勢力に関してはほぼ全員が旗頭のメルクリオなり、その信任厚いテオレームなりに心酔し、忠誠を誓っている者が多い。そんな状況である以上、財宝に関しての処遇で不満を抱く者は少ない。
二つ目は、ヴィヘラの要請によって反乱軍に参加した者や、ヴィヘラを慕って集まってきた者達。ティユール、グルガスト、カラザといった面々。こちらに関しても、ヴィヘラに心酔している者が多い為に今回の件で不満を抱く者は少ない。
三つ目は、上記二つに当て嵌まらない者達。金の臭いを嗅ぎつけて集まってきた冒険者といった者達であり、それ以外の様々な理由で集まってきた者達。ヴィヘラの為ということもあるが、覇王の鎧を使いこなす為の戦場を求めて合流したレイもこれに当たるだろう。
唯一今回の反乱軍上層部の判断に不満を抱いているのがこの三つ目の者達なのだが、その者達にしても自然とレイという存在が重しとなっている為か、派手に騒いではない。
この辺に関しては、反乱軍全員の前でメルクリオがレイに向かってきちんと問い掛け、それにレイが頷いたことが大きく影響しているのだろう。
既に反乱軍の中でも深紅という異名は知れ渡っており、闘技大会でランクSの不動のノイズを相手に渡り合ったという情報も広まっている。
何より訓練でレイの実力をこれでもかと見せつけられている者も多い為、今回の件に不満を抱いていたとしても、レイに逆らって……自らの命よりも宝石や金貨、銀貨の方が大事だという者はいなかった。
また、今日の戦闘はなるべく反乱軍の手札を隠しての戦闘である以上、レイ以外の冒険者達も参加していなかったというのも大きいだろう。
自分達が働いた訳でもないのに取り分を求めるのかと。
「レイ、どうしたの? こんな場所に一人で」
声の聞こえてきた方へと視線を向けたレイが見たのは、夕日に照らされてどこか神々しい雰囲気すら放っているヴィヘラの姿。
丁度背後にある夕日が、ヴィヘラの薄衣のような衣服を通してどこか後光のようにすら見える。
そんなヴィヘラが透き通るように綺麗な笑みを浮かべており、その美貌を幾度となく見ていたレイですら思わず目を奪われた。
「レイ?」
不思議そうに尋ねてきたヴィヘラの一言で我に返ったレイは、セトの頭を撫でながら口を開く。
「別に俺一人って訳じゃないさ。セトもいるしな」
「グルゥ!」
そうだよ! とレイの言葉に同意するように喉を鳴らすセト。
もっとも、そのクチバシには少し前にレイから渡されて食べた串焼きのタレがついているのだが。
「あら、そうね。セトを忘れてたわ。ごめんなさい。それよりも折角の祝勝会なんだから、レイやセトも一緒に楽しまない?」
セトのクチバシを拭いてやりながら、ヴィヘラは手に持っていた皿をレイとセトの方へと突き出す。
そこに乗っているのは、オークの肉の料理。それもただ焼いただけではなく、蒸し上げて余分な脂を落とした後、表面を強火で焼いてカリッとした歯応えを楽しめる料理だ。
蒸してから焼くという一手間を掛けた料理であり、皿の上には茶色いソースも存在している。
そのソースの芳醇な匂いに惹かれ、ヴィヘラから渡されたフォークで肉をソースにつけてから口に運ぶ。
まず口の中に広まったのは、ソースの濃厚な風味。次に肉のカリッとした食感と、内側の柔らかく蒸し上げられている食感。
それらが口の中で渾然一体となり、その美味さに思わず目を見開く。
「これは……木の実を使ったソース、か?」
「正解。よく分かったね」
レイの言葉に小さく驚きの表情を浮かべたヴィヘラだったが、すぐに笑みを浮かべて口を開く。
「元々俺が暮らしていたのは山だったからな。木の実とかは普通に食べてた」
呟いたレイの口の中にあるのは、間違いなく木の実……クルミの味だった。
今口にしたように、日本にいる時は山のすぐ近くに住んでいたのだ。当然クルミを始めとした木の実を食べるのは珍しいことではない。
それ故にクルミのソースだということに気が付けたのだろう。
「なるほど。確かにこれは木の実を使って作ったソースらしいわ。肉の方も脂が多いからくどい味になるかと思ったけど、予想外に合うのよね。メルクリオも美味しそうに食べていたし」
ヴィヘラの口から出た言葉で、レイは今食べた料理が高級食材が詰まっている積み荷の中でもそれなりに貴重な品だと悟る。
もっとも、セトにしてみれば稀少なのかどうかというのは特に考えていないらしく、ただ美味ければそれでいいとばかりにクチバシで肉を摘まんでは口の中に収めているのだが。
「いいのか?」
「いいのよ。この料理は反乱軍の幹部には全員行き渡るだけの数があるんだから」
「……俺って、別に幹部って訳でもないんだがな」
このまま幹部という形で反乱軍にいれば、最終的にはそのままメルクリオの部下として組み込まれるのではないか? そんな風な危惧を覚え、そう告げる。
だがヴィヘラから戻ってきたのは、どこか呆れた様な表情だった。
「何言ってるのよ。そもそもレイはセトと一人と一匹で遊撃戦力って形になったでしょ。なら、部隊長的な扱いじゃない」
「……そう言えばそうだったか?」
言葉を返しつつも、確かに以前そういう風に言われたということを思い出す。
だがレイにとっては、部隊長といった地位は特に興味がない。ただ覇王の鎧を使いこなす為により多くの、そしてより強い敵との戦いが出来ればいいのだ。
「そうよ。別にこんなことでレイをベスティア帝国に引き込むとかは考えてないから安心しなさい。それに、この内乱が終わった後で、もしどうしてもあの子がレイをベスティア帝国に引き留めようっていうなら、私も一緒に逃げてあげるから。……そうね、またエグジルに行く? ダンジョンの攻略も途中だったし、ビューネにも会いたいし」
一瞬、それもいいかもしれないと思ったレイだったが、すぐに首を横に振る。
いや、ダンジョンの攻略をするというのはいいのだ。だが、それをやるのがヴィヘラと二人となると、色々と後が怖い。具体的にはエレーナとか、エレーナとか、エレーナとか。そして更にエレーナとか。
その辺を考えると、もしエグジルに向かうにしても、出来ればエレーナも一緒にいる方がいい。
パーティの戦力的に考えても、バランス的に考えても、ヴィヘラとエレーナ、ビューネの三人とパーティを組むのがベストなのだから。ついでに自分の精神的な安定の為にも。
そんな風に思ったレイの内心を読んだ訳ではないだろうが、小さく笑みを浮かべたヴィヘラはそのままレイの隣へと座る。
「ねぇ、レイ。将来的にはともかく、これからは色々と忙しくなるわよ」
「……だろうな。今日の戦いそのものは、討伐軍……というよりもお前の兄弟達がこっちの戦力を確認する為の戦いだった。向こうの騎兵を意図的に全滅させなかった以上、次からは向こうもある程度本気を出して攻めてくるのは間違いない」
「でしょうね。だからこそ、次の戦いが私達反乱軍の試金石になる筈よ。その際には当然レイにも出撃して貰うことになると思うけど」
「俺としては問題ない。ただ、ちょっと……ふと、思いついたことがあるんだけど」
「思いついたこと?」
ヴィヘラと話しているうちに、ふと……本当にふと思いついた、作戦とも呼べないような作戦をヴィヘラへと告げる。
それを聞いたヴィヘラは納得の表情を浮かべるも、レイへと視線を向けて疑問を口に出す。
「いいの? 確かにそれをやるとなるとこっちは楽だけど、レイの目的の戦いそのものが出来なくなるわよ?」
「何、問題はないさ。最初の戦いでここまで圧倒的に負けて、次の戦いでも同じように負ける。二回連続の負け戦ともなれば、ベスティア帝国としての面子が完全に潰れる筈だ。そうなれば、三回目の戦いでは間違いなく負けることを考えられないような布陣で攻め込んでくる筈だ」
「……そう都合良く行くかしら?」
呟くヴィヘラの脳裏を過ぎるのは、第1皇子でもあるカバジードの顔。
(今回のようにシュルス兄上が主導権を握っていれば、レイの目論見通りにいくかもしれないけど、カバジード兄上だとどんな手段を使ってくるか……)
第3皇子派が城を襲撃するという行為を予想したのは、メルクリオの命が狙われているという噂が流れている以上おかしくない。
だがその時期として闘技大会を行っている時だと読み、更にはメルクリオを助け出すという行為をそのまま向こうに利用されたという雰囲気すらある。
そんな風にどのような手を打ってくるか分からないカバジードが相手であれば、レイの考えている通りに話が進むかと言われると、疑問を抱かざるを得ない。
(それでも……確かに次の一戦でこちらに被害が出ないままに勝てれば、次以降はかなり有利に戦いを進められるのは間違いないのよね)
第1皇子派、第2皇子派、第1皇女派という強大すぎる敵と、自分達反乱軍。圧倒的な勢力の違いを考えれば、確かにレイの提案に乗るというのは色々な意味で都合が良かった。
「分かった。あの子にその辺を話してみるわ。テオレーム辺りなら賛成するでしょうし。……グルガストは自分も混ぜろって言いそうだけど」
小さく笑みを浮かべて告げるヴィヘラに頷き、太陽が完全に沈んで夜になる光景を眺めながら、再びレイは皿の上にある料理へと手を伸ばす。