0682話
人混みの中から現れたのは、とても反乱軍とされた第3皇子派にいるような人物には思えなかった。
勿論それなりに鍛えてはいるのだろうが、それでもオブリシンという人物とやり合ったレイが一目見た時に感じた第一印象は『文官』というものだ。
だがそれはあくまでも見た目の印象であり、腰にぶら下げているレイピアの収まった鞘はそれなりに使い込まれているように見えるし、足取りにしてもそれなりの心得はあるように思える。
自分自身の身を守る程度の力はある。それが最終的に男を見たレイが感じたことだった。
その人物は、小さく笑みを浮かべながら前へと進み出る。
どこか人目を意識した気取った歩き方に、何となく男の性格を予想するレイ。
レイ以外の、第3皇子派から向けられる視線に侮りの色がないことも、男がどのような立場にいるのかを半ば理解させられる。
「ティユールか。このタイミングで現れるってことは、少し前から出番を見計らっていたな?」
レイの近くにいたオブリシン伯爵が呟く声を聞き、レイはやはりと内心で頷く。
確かにこのタイミングの良さを考えれば、出番を見計らっていたと言われてもしょうがないだろう。
そのティユールと呼ばれた男は、オブリシン伯爵の言葉に嫌そうな表情を浮かべて口を開く。
「グルガスト、君は相変わらず無粋な真似が好きなようだね。この月光降り注ぐ夜の静寂を破るかの如く」
「へっ、相変わらずお前の言ってることは無意味に小難しいな」
言葉だけを聞けば、お互いに棘のあるやり取りと言えるだろう。だが、そこには親しい者同士の気安さというものが存在していた。
年齢的には大きく離れている二人だが、それでもやはり揃ってヴィヘラに仕えていた……あるいは現在も仕えているという経験があるからこそか。
ともあれ、そんなやり取りをした後でティユールはレイの方へと視線を向ける。
その目に浮かぶのは、オブリシン伯爵……いや、グルガストを相手にしていた時のような気安いものではなく、相手を見定める為の光だ。
会って早々いきなりそんな視線を向けられたことに若干眉を顰めるレイだったが、このベスティア帝国で自分がどのように思われているのかを考えれば、それも納得するしかない。
「君がレイ……深紅かい。ちょっと話に聞いていた印象とは違うようだが……」
呟き、ティユールはテオレームの方へと視線を向けるが、戻ってきたのは小さく頷くという行為だけだった。
「間違いない、か。まぁ、そもそもグルガストとやり合って無事に済んでいるのを思えば、確かに並の冒険者ではないのだろうが……」
納得しつつも、どこか含むものがあるティユールの言葉に、レイはテオレームの方へと視線を向ける。
「それで、こいつは?」
「ああ。彼は……」
そう、テオレームがティユールに関して説明をしようと口を開き掛けた時、ティユール本人がそれを遮るようにして声を張り上げる。
大きく手を開き、まるで演劇の役者にでもなったかのような仕草。
「私はティユール・ブーグル子爵。かつてヴィヘラ様に魂を奪われ、その存在に心を奪われた者さ」
ティユールの口から出たその言葉に、レイは一瞬動きを止める。
魂を奪われた。その言葉に、もしかして何らかの魔法やら契約やらを使ったのではないかと思ったのだ。
だがその後に続いた台詞に、レイはそれが杞憂だったことを知る。
一々大袈裟に喋るティユールに、レイは胡散臭そうな表情を浮かべつつ口を開く。
「それで、結局お前は何なんだ?」
「だから言っただろう? ヴィヘラ様という存在に心奪われた者だと」
「いや、だからな……はぁ。テオレーム」
このままではいつまで経っても話が進まない。そう判断したレイがテオレームへと尋ねると、その本人も今のレイとティユールのやり取りに薄く笑みを浮かべたまま口を開く。
「そうだな。以前ヴィヘラ様がまだこの国にいた時に第2皇女派というのがあったんだが、そこに所属していた中心人物だ。文武のうち、文を担当している。ちなみに、武の担当の方はそこにいるオブリシン伯爵だよ。実際、私達が第3皇子派、ヴィヘラ様以外にも戦力があるのは、ティユールの根回しのおかげだしな」
「ほう」
テオレームの言葉に驚きの声を上げるレイ。
確かに武力に関して言えば、ある程度の力しかないだろう。それは物腰や雰囲気といったものを見ていれば分かる。
だが、文を任されていた……つまりは、内政を担当する人物となれば話は違う。
自分がその手の作業が得意ではないだけに、レイにとってはティユールという人物はかなり有益な人材に思えた。
しかし……
(俺を見る目に険があるんだよな。まぁ、理由に関しては大体予想出来るが)
第2皇女派……つまり、ヴィヘラの部下であった人物だ。更にはそのヴィヘラに心奪われたと公言するような人物が自分に対してこのような目を向けてくるということは、恐らくヴィヘラが自分に対して抱いている想いを知っているのだろうと。
どうしたものかと一瞬迷ったレイだったが、先に口を開いたのはティユールの方だった。
「さて、じゃあ君のテントに案内しよう」
確かに自分がテントに案内すると言って出てきたのだから、その言葉を発してもおかしくはない。
だがそれでも、ヴィヘラに対する傾倒ぶりを知っているテオレームは、そう簡単にティユールにレイを任せる訳にはいかなかった。
下手にレイの案内を任せ、ティユールがレイに妙なちょっかいを出し、その結果この陣地が燃やし尽くされる。そんな風になったら目も当てられないからだ。
第3皇子派として立ったというのに、それが全くの無意味になるかもしれないのだから。
勿論、ヴィヘラの下で文官のトップとして活動してきたティユールだ。そうそう下手な真似をするとは思っていないが、ヴィヘラに対する傾倒を思えば、絶対に安全とは言い切れないのも事実ではある。
そんな風に考え込んでいるテオレームに、ティユールは笑みを浮かべて口を開く。
「安心してくれ。幾ら何でもそんな無分別な真似はしないさ。ただ、ちょっと彼と話をしてみたいだけだよ」
小さく頷いて告げてくるティユールの表情を見て、その視線に負の感情の色がないのを見て取り、テオレームは頷く。
「分かった。なら案内を頼む」
「ああ、任せてくれたまえよ。見事にこの難事を乗り切って見せるとも!」
大袈裟な身振り手振りでそう告げると、ティユールはグルガストの横を通り過ぎてレイの側へとやってくる。
「さぁ、行こうか。君のグリフォンがいる以上は陣地の端の方になってしまうが、構わないかね?」
「だろうな。その辺に関しては問題ないさ」
グリフォンのセトを連れている以上、ティユールの意見は当然だろうと判断してレイはそのままその場を後にする。
テオレームが多少心配そうに、シアンスがいつも通りの無表情で、グルガストは面白くなってきたと笑みを浮かべ、多くの兵士達は言葉が出せずに、それぞれが見送っていた。
テオレーム達と別れてから数分。レイとティユールはお互いが無言で陣地の中を移動する。
そんなレイの横を進むセトも、今は特に鳴き声を出さずに沈黙を保っていた。
先程の言葉通りに陣地の中でも端の方を進んでいる為だろう。周囲には見張り以外殆ど兵士の姿はなく、たまにテントから兵士のものと思われる寝言が聞こえてくるだけだ。
煌々と降り注ぐ月明かりの中を無言で進む一行だったが、不意にティユールが口を開く。
「深紅……いや、レイと呼んでもいいかな?」
「どっちでも好きな方で呼んでくれ」
「ではレイと。……で、レイ。君とヴィヘラ様の関係に関しては、テオレームから聞いて知っている」
「……なるほど」
やはりその関係であれだけ鋭い視線を送っていたのか。レイはティユールの言葉に納得の表情を浮かべる。
「私がどういう立場なのかというのは、既にテオレームに聞いたから知っているだろう?」
ティユールの言葉に頷きを返すと、その視線が再び鋭くレイを見据えつつ口を開く。
「では、当然私がヴィヘラ様に心酔しているということも理解はしていると考えてもいいかな?」
「これまでの態度を考えればまぁ、大体はな。自分でも言ってたし」
テオレームとのやり取りを考えても、目の前にいる人物はヴィヘラに対して心酔しているというのは明らかだった。そして、たった今自分でそれを認めることも口にした以上、そのことに疑いはない。
(そしてヴィヘラの想い人は俺、か。……面倒なことにならないといいんだが)
近くを歩いているセトへと視線を向け、そう考える。
セトという存在がいる限り、妙な真似はしないだろうという思いがあるのは事実だ。だが、目の前にいる人物がそんなことも分からない程に頭に血が上っていたりしたらどうするか。
今は冷静に見えるが、もしもそれが怒髪天を衝くの状態を通り過ぎた結果だとすれば……
ふとそんな風に思うが、レイの目から見た限りではそんな風には見えず、普通に冷静なようにしか見えない。
「……どうしたんだ? そんなに慎重に……ああ! 私が君に襲い掛からないかどうかを心配しているのかな? それは大丈夫。少なくても今はそんな風にするつもりはないよ」
「今は、ねぇ……」
つまり、何か理由があればそうするかもしれないということ。
その何かが分からない限り、レイとしても安心は出来なかった。
そんなレイの態度に感じるものがあったのか、ティユールは降り注ぐ月光に身を晒しながら言葉を紡ぐ。
「君がヴィヘラ様の恋する相手であるというのは……確かに正直に言わせて貰えば、あまり面白いとは思わない。だが、私の場合は確かにヴィヘラ様に対して心から慕っているのは間違いないが、それは女としてのヴィヘラ様ではない。ヴィヘラ様という存在そのものに惹かれているのだよ」
「その言い方だと、ヴィヘラに女の魅力がないって言ってるようにも聞こえるんだが」
「冗談ではない!」
それこそ半ば冗談っぽく告げたレイだったが、戻ってきたのは一瞬の間も置かない即座の否定。
先程までよりも鋭い視線で、じっとレイを睨み据えながらティユールの口は開く。
「私にとってのヴィヘラ様というのは、単純にその存在に心を奪われている存在だ。だが、それが異性としての魅力がないという訳では決してない。そもそも、ヴィヘラ様は非常に整った顔立ちをしておられるのは、君が一番よく知っていると思うが?」
「まぁ、確かにそうだな」
ティユールの言葉に、レイは同意するように言葉を返す。
攻撃的な美貌を持っているヴィヘラは、男の好みもあるだろうがまず殆どの男であれば魅力的だと断言するだろう。
それだけの美貌を持っているのは間違いないのだ。
「ともあれ、そのヴィヘラ様に心酔している者としては、これから共に行動する上で君がどのような人物なのかを見させて貰うよ」
ティユールの口から出た言葉を聞き、レイの眉が微かに動く。
見極めるではなく、見させて貰う。それはつまり、見るだけであって最終的には何もしないと宣言しているのに等しいと感じたからだ。
「随分と悠長なんだな。てっきり、俺がヴィヘラの相手として相応しいかどうかを見極めるとか言われるのかと思ったんだが」
「……勿論私個人としては君に対していい感情を持っていない以上は、そういう面があるのも事実だ。だが、ヴィヘラ様がそのような男に対して惹かれるとは思えない」
まるで太陽が西から昇って東へと沈むと聞かされたような、そんな表情を浮かべるティユール。
ヴィヘラに対してそこまで心酔しているのはともかく、実際にはヴィヘラでも色々と間違うようなことはあると思うんだがな。そんな風に内心で考えるレイだったが、この場でそれを言っても話が拗れるだけだろうと判断して黙り込む。
そんなレイに、ティユールは大きく手を真横に一閃するという、相変わらずどこか芝居がかった仕草をしながら口を開く。
「ともあれ、私としては君がヴィヘラ様に相応しい人物であることを祈るのみだよ。くれぐれも私を失望させないでくれたまえ」
そう告げるティユールは、月明かりを浴びつつ優雅に一礼してみせる。
子爵という立場にある者が、一介の冒険者に対してする態度とは思えないような一礼。
だがティユールにしてみれば、この一礼はレイに対しての期待の表れであると共に、もしヴィヘラに対して失望させるようなことがあったら許さないという意味も込められていた。
『……』
お互いがお互いへと無言で視線を送ること、数十秒。
やがてその沈黙を破ったのは、ティユールだった。
「さて、君が休むべき場所はもうすぐそこだ。ほら、あそこに見えるだろう? 物資搬入で集めている場所に入り切れなかったり、今回のように突然来客があった時の為に用意されていた予備のテントだよ。材質的には一般的なテントと同じだから、眠れないということはないと思う」
そう告げ、ティユールの向けられた視線の先にあるのは、確かに一般の兵士達が使うようなテントが幾つも存在していた。
その全てが予備のテントなのだろう。
「ま、詳しい話は明日の朝にしようか。肝心のヴィヘラ殿下も眠っているし……それに、メルクリオ殿下の件もあるからね」
「メルクリオ? それって確か第3皇子の名前だったよな?」
「そうだね。……まぁ、その辺に関してはテオレームにも聞いているだろう? 詳しくは明日にでも分かるだろうさ。さて、じゃあ私もそろそろ眠らないと感性に影響が出てくるから、これで失礼するよ」
そう告げ、去っていくティユールの背中を眺めていたレイは、思わず呟く。
「……感性?」
普通であれば肌に悪いとか頭が働かないとか、そういう風に言うだろうところに、何故感性が出てくるのか。そんな風に思いつつも、取りあえずテントの中へと向かうのだった。