0678話
「うおおおおおおおおっ! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁっ!」
そんな怒声、いや焦燥の声と共に、レイへと向かってバトルアックスが振り下ろされる。
その一撃は、普通の人間であれば何が起きたのかも分からないままに頭を叩き割られていただろう。
だが男の目の前にいるのはレイだ。これまでに何度も試したようにデスサイズを構え……ることすらもなく、そっと空いている方の左手を頭上へと伸ばす。
それを見た男は、一瞬笑みを浮かべる。
闘技大会が終わり、帝都から自分達の街や村へと戻る者達を狙っての盗賊行為。
これまでにも数十人の旅人達を襲っては稼いできた男の率いる盗賊団だったが、今回も同じような結果になるだろうと判断してその旅人達へと襲い掛かった。
いや、その判断自体は間違っていなかったのだ。事実、その十人程の旅人の集団のうち、護衛として雇われていた三人の冒険者は三十人近くいた自分の仲間が数の差で殺すことが出来たのだから。
そうして護衛を殺し、いよいよ獲物へと牙を向けようとしたところで、その疫病神……いや、死神は姿を現した。
そう、文字通りの死神だ。大空の死神と呼ばれるグリフォンを従魔にしているという人物。
ローブのフードを被っているおかげで顔は見えなかったが、それでも小柄な人物であるというのは理解出来た。
グリフォンという高ランクモンスターに乗って姿を現したのだから、決して油断した訳ではなかった。
先程の冒険者達と同様に数の力で押し込もうとして……どこからともなく出てきた巨大な鎌の一撃により数人があっさりと胴体を真っ二つにされ、周囲に内臓や血を吹き散らかしながら命を絶たれたのを見た時には、自分達の前に立っているのが死の象徴であることを悟った。
だが既に時は遅く、相手が踊るように振るう巨大な鎌が次々に盗賊達を屠っていく。
中には旅人を人質にとろうとした盗賊もいたのだが、その盗賊はグリフォンが振るう前足の一撃によりあっさりと吹き飛ばされ、レザーアーマーの類を着ていたというのに、巨大な鎌によって殺された盗賊と同様に内臓を撒き散らしながら命を絶たれる。
そうして盗賊達の数が次々と減っていく中、この盗賊団のリーダーでもある男は旅人達の話している声を聞く。
即ち、目の前にいるのが闘技大会の準優勝者であり、ランクBの高ランク冒険者の一角であり……そして、深紅という異名を持つ冒険者だということだ。
それを聞いた瞬間、盗賊達のリーダーは愕然とし……その愕然とした数秒間で、既に盗賊団の生き残りは自分一人になっていた。
これまで長年を共に生きてきた自分の部下達は、全てが息絶えている。
どうやっても既に自分はこの場から生きて帰ることが出来ない。そう判断した男は、雄叫びと共に手で持っていたバトルアックスを目の前にいる小柄な人物……レイへと振り下ろす。
渾身の力を込めた一撃。
これが当たれば、例え高ランク冒険者であっても怪我の一つはするだろう。もしかしたら、その隙を突いて逃げ出せる可能性も……あるいは命を奪うことすらも可能かもしれない。
そんな思いが一瞬脳裏を過ぎる。
それは、深紅が手に持っていた大鎌ではなく、何も持っていない左手を身を守るかのように上へと上げたことも関係していた。
咄嗟の行動である以上、左手で自分の攻撃を防げる筈もないだろうと。
だが……そんな盗賊のリーダーの確信は、次の瞬間には消え……そのまま意識が闇へと落ちていくのだった。
「……しまったな。やっぱりまだまだ使いこなせていない、か」
微かに眉を顰めつつ、レイは発動していた覇王の鎧を解除する。
同時に、レイが纏っていた可視化出来る程高密度に圧縮されていた魔力も、霞のように消え去っていく。
覇王の鎧を発動していたのは、ほんの数秒。バトルアックスが振り下ろされた直後に発動し、その刃を受け止めようとしたのだが……力の加減が出来ずに、受け止めるどころか濡れた新聞紙でも突き破るかのようにあっさりとバトルアックスの刃を破壊し、更に勢いは留まらぬままに伸ばされた手は男の頭部すらもあっさりと粉砕してしまった。
「威力の調整はまだまだ、にも関わらず、消費する魔力は膨大、か。先は長いな」
もしもこの場に魔力を直接感じ取ったり、見ることが出来る者がいたとすれば、今レイが覇王の鎧を発動させる為に使った魔力がどれ程のものなのか……それこそ、数十人の魔法使いが全力で魔法を使った時に匹敵するかのような魔力を数秒で消費したことに気が付いただろう。
魔力をどれだけ消費したのかを理解しているレイも、微かに眉を顰める。
「数秒の発動でこれか。……ノイズみたいに好きな時に好きなだけ発動させられるのはいつになるのやらな」
溜息を吐きつつ、頭部を消し飛ばされ……それこそ脳髄は勿論、骨、肉、血すらも破壊されて地面へと散らばっている盗賊の男の死体を見て、首を振る。
「それに、これだとこいつらのアジトがどこにあるのかを聞き出すのも無理だしな」
自分がデスサイズで攻撃した相手は全員が完全に息絶えており、それはセトが攻撃した相手もまた同様だ。
本来であれば、目の前で死んでいる盗賊達のアジトに向かって溜め込んでいるお宝を貰おうと思っていたのだが……その狙いが完全に外れた形だ。
「ここまで加減が出来ないとなると……迂闊に使うのも難しいな」
闘技大会終了後のノイズとの会話では覇王の鎧を使いこなすにしても、ノイズとは違う方向で極めて見せると言ったにも関わらず、その道はどれ程に遠く、長く、彼方にあることか。
どうすればノイズと同じ高さの頂まで辿り着けるのか。それを思うとレイは思わず溜息を吐く。
もっとも、これに関しては覇王の鎧自体の制御の難しさも影響している。
例えるのなら、全速力で走りながら1mmにも満たないネジを持ち、ネジを止める場所の真横を通り過ぎる一瞬でネジを固定してドライバーで回す……と表現すればいいだろうか。
普通であればまず不可能とすら言える行為だが、そのような不可能を可能にすることでようやく使いこなせるようになるのが、覇王の鎧だった。
そして覇王の鎧を完全に使いこなしているノイズは、今の例の他にも左手で卵を割りながら数人から同時に話し掛けられた内容に的確に返事をするといったレベルにいる存在だ。
「グルゥ」
あまりの道の遠さに思わず視線を逸らして秋晴れの空を見上げていると、そんなレイを心配したセトが喉を鳴らしながら顔を擦りつけてくる。
ずっと厩舎に閉じ込められていたセトにとって、レイと一緒に大空を自由に駆け回るというのは非常に嬉しい出来事だ。だからこそ、出来れば今のように悲しい顔をして欲しくなかった。
それが分かったのだろう。レイもまた小さく口元に笑みを浮かべてセトの頭を撫でる。
周囲には盗賊達の死体……というよりは、元盗賊の肉片とでも表現すべきものが地面に転がっている、見る者によっては地獄と表現すべき光景なのだが、一人と一匹は全く気にした様子もなくじゃれ合う。
既に慣れた光景であるからこその行動だったが、それはあくまでもレイとセトにとって見慣れた光景だ。
盗賊達に襲われた旅人達にしてみれば、どう考えてもこの光景で寛ぐことは出来なかった。
だがそれでも自分達が助けられた以上、レイとセトをこのまま放っておいてこの場を離れる訳にもいかない。
また、同時に盗賊達に殺されてしまった護衛の冒険者の代わりになってくれるかもしれないといった下心があったのも間違いないだろう。
そんな思惑を秘めたまま、旅人達を代表する40代程の男がセトと戯れているレイへと声を掛ける。
「あの……深紅のレイ様とお見受けしますが、今回は助けてくれて本当にありがとうございました。護衛をして下さった冒険者の方は残念でしたが、おかげで私達は助かりました。ありがとうございます」
その声に、ようやく気が付いたのかレイがセトの頭を撫でながら視線を向ける。
「ああ、無事だったようで何よりだ。けど、この場所で盗賊が出てくるとはな」
レイの言葉に、その男は確かにと頷く。
「本来であれば、この時期は闘技大会を目当てに来る私達のような者達の安全を守るために帝国軍の方々が盗賊狩りをして下さって、比較的安全な筈なのですが……今年に限って何故盗賊がいるのか。その辺の事情を知らない新参者の盗賊……というのであればいいのですが」
そう告げる男の言葉に、レイは表向き頷きながらも、内心ではそれを否定する。
(恐らく、内乱になり掛けている……あるいはなっているという情報がどこかから漏れたんだろうな。盗賊ならではの情報網とか。だとすれば、恐らくここには多くの盗賊が集まってくるかもしれない。……多くの被害が出るだろうな。その辺に関しては、帝国軍辺りに頑張って欲しいところだ)
レイとしても、目の前に盗賊が出てくればデスサイズを振るうのに躊躇はしない。だが、自分からわざわざ盗賊達を探し出して一々潰して回るというのは、どう考えても手間の方が大きかった。
また、盗賊というのは一人みたら三十人はいると言われる程大量に存在している。
勿論ここは帝都の周辺ということもあってそこまで多くはないだろうが、それでも内乱の話を聞いてどれ程の盗賊が集まってきているのかは想像するのも難しくはない。
「それで、その……助けて貰ってこう言うのもなんですが、レイ様はこれからどうするのですか? ここは帝都からは少し離れていますが」
「ん? ああ、そうだな。ちょっと用事があって、そこに向かうつもりだ」
「用事、ですか? 良ければ詳しい話を聞かせて貰っても?」
男の視線が一瞬だけ鋭くなる。
元々護衛として雇った冒険者が死んでしまった以上、どうにかして新たな護衛を手に入れなければいけない。
そして、目の前にいる人物は護衛として考えればこれ以上ない程に最適な人物だった。
だからこそ逃がして堪るかとばかりに突っ込んだことを聞いたのだが、レイはそれに気が付いているのか、気が付いていないのか。ともあれ、特に気にした様子もなく口を開く。
「オブリシン伯爵の領地にちょっと用事があってな」
果たして、レイの口から出てきたその言葉は旅人達の代表にとってありがたいものだった。
「おお、それはそれは……実は私達の村もオブリシン伯爵様の領地の近くにありましてな。良ければ途中までご一緒にどうでしょう? 勿論無料でとは言いません。お礼は十分にさせて貰います」
「ちょっと、駄目だってば」
笑みを浮かべて告げる男に、近くにいた旅人達の一人が慌てたように告げる。
どうした? そんな視線を男に向けられると、その一人……男と同年代くらいの女は慌てたように言葉を紡ぐ。
目の前に盗賊達の死体や肉片が転がっているのが怖いのだろう。そっとレイとセトから視線を逸らしながら口を開く。
「ほら、レイ様は闘技大会で準優勝したんだから表彰式があるでしょう? 私達はこのまま村に帰るだけだけど、レイ様は表彰式に出ないと……」
そう言いつつも、女の瞳に宿っているのはレイに対する恐怖だ。
勿論女自身が口にしたようにレイが強いというのは知っている。だがそれは、あくまでも闘技大会の……人が死なないようにルールを決められた中での戦いだ。
今年の闘技大会でも死者は数名出たが、それもどうしようもない不可抗力によるものだった。
だが今女の目の前にいるレイは、襲ってきた盗賊達をあっさりと殺した。
そう。それこそ、雑草を刈るかのように巨大な鎌で盗賊達の命を刈っていったのだ。
それを思えば、女がレイに対して恐怖を抱くのも無理はない。
「……だが……」
旅人の代表である男にしても、レイに対して全く恐怖を抱いていないという訳ではない。それでも、この場ではレイの力を借りるのが最善だという確信があった。
「ま、心配はいらないだろ」
不意にレイの呟く声が聞こえると、旅人達の視線はレイへと向けられる。
どういう意味かを無言で問う旅人達に、レイは無言で帝都の方へと視線を向けていた。
その視線を追うと、まだかなり小さいが自分達の方へと向かってくる集団が見える。
ただし、集団とは言っても先程襲ってきたような盗賊の類ではない。皆が揃いの鎧を着て馬に乗っているのを見れば、騎士であるのは間違いないだろう。
「あいつらがいれば、取りあえず護衛の心配はいらないだろ。……で、オブリシン伯爵の領地への道を教えてくれると助かるんだが?」
「……え? あ、はい。分かりました」
騎士が来たとなれば、旅人達の代表にしてもレイではなく騎士を頼りたいと思うのは当然だろう。
その為、あっさりとオブリシン伯爵の領地までの道を教え、それを聞いたレイはセトの背に乗り、空へと駆け上がって行くのだった。