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レジェンド  作者: 神無月 紅
闘技大会
674/3865

0674話

 レイが悠久の空亭の料理人達へとハンバーグの作り方を教えた、その夜。帝都から歩いて数日程の距離にある林の中に十人程の人影が集まっていた。


「で、向こうの様子は?」

「駄目だ。かなり周到にこっちに対抗する為の準備を整えていたらしい。どこの勢力の奴かは分からないが、向こうに見つかってすぐさま処理されているのが見えたよ」


 本来であれば月明かりが周囲を照らすのだろうが、林の中にいる為に、煌々と夜空で光っている月から降り注ぐ柔らかい月光も木に遮られて地上までは届かない。

 そんな中で話していた者達は、忌々しげに舌打ちをする。


「くそっ、誰だよオブリシン伯爵はこの手の裏の仕事が苦手だから、簡単に忍び込めるって言ってた奴は」


 影の中の一人が忌々しげに吐き捨てるが、それは他の者達にしても同様だった。

 本来であれば、旗頭でもある第3皇子のメルクリオを含む第3皇子派の戦力を確認する筈だったのだ。

 それが自分達の上司……第2皇子に命じられたことなのだから。

 第2皇子のシュルスは自分の兄と弟の暗闘に近い戦いに当然気が付いていた。

 だからこそ、この機会に自分よりも上にいるカバジードを出し抜こうとして手勢を送り込んだのだが……


「奴等、どこから魔獣兵を引き込んだ?」


 そう、五感が通常よりも発達している魔獣兵が第3皇子派に存在していたのだ。

 幸い自分達は遠くから偵察していたので特に襲われることもなかったが、視線の先ではどこかの勢力の密偵や工作員と思しき者が魔獣兵により捕らえられているのを見た。


「理解出来ないではないがな。そもそも魔獣兵はテオレームが直轄していたんだから」

「けど、その魔獣兵は春の戦争の影響でテオレームの手から既に取り上げられていた筈だろ?」

「そもそも、ベスティア帝国内で反旗を翻そうって奴等だ。それを考えれば、使える戦力を全て使うと考えるのはおかしくない」

「……で、結局どうするのよ? 魔獣兵がいるとなれば、向こうの陣地に忍び込むのは相当に厳しいわよ?」

『……』


 最後の一人の声で、その場にいた全員が黙り込む。

 確かに、このままでは自分達の主君が告げた命令を遂げるのは難しい。そう思わざるを得ないのは事実だったからだ。


「何をするにしても、この人数でどうにかするのは難しい。となれば、援軍を要請するというのはどうだ?」


 林の中に潜んでいる者の一人がそう告げると、不意に自分達のものではない声が周囲に響き渡る。


「そうね。ここを上手く切り抜けられたら、それもいいかもしれないわね」


 その声が聞こえてきた瞬間、その場にいた者達はその場から飛び退る。

 それぞれが林の中に生えている木々の影に隠れて周囲を窺う。

 咄嗟の判断はさすがに影で働く者達といったところか。


「へぇ、なかなか素早い判断ね。私達の様子を探りに来ながらも、全員が無事みたいだし。……やっぱりカバジード兄上の手の者かしら?」


 カバジード兄上。その一言で、この場にいる者の全てが声の主の正体を悟る。


(ヴィヘラ殿下!?)


 驚愕しつつも、内心だけで済ませて言葉に出さなかったのはこの手の仕事に慣れている者としても当然のことだった。

 ピューイ、ピュイ、ピュイ!

 集団の中でもリーダー格の男が指笛で合図を送る。

 指笛の音の高さと長さで簡単な命令を下せるその指示内容は、一旦この場を退いて第二集合地点に集まれ。

 そんな命令だったが、その命令を聞いた者のうち行動に移せたのは数人程度。

 戻ってくる指笛の音が少ないことに気が付いたリーダー格の男は、内心で舌打ちをしながらその場を離脱すべく林の木々に紛れてその場を脱出しようとし……


「あら、どこへ行こうというのかしら? 折角の夜の出会いなんだから、もう少し楽しむべきじゃない?」

「……ヴィヘラ殿下、何故ここに……」


 木々の影から姿を現した相手に、リーダー格の男は思わず呟く。

 前もって聞いている情報通り、鎧の類を着ている訳ではない軽装。

 木々の茂みの隙間から微かに降り注ぐ月光でも、向こう側が透けるかのようなその衣装を見ることは出来る。

 一見すれば、娼婦や踊り子のようにしか見えない服装ではあるが、それでもリーダー格の男は油断するような真似はしなかった。 

 事実、先程までは十人程もいた味方からの返事は半分も戻ってきていない。つまり、この短時間で目の前にいる女はそれだけの味方を倒した――気絶か殺したのかは不明だが――のだから。


「何故ですって? 私達の様子を覗きに来た覗き魔が逃げ出したんだから、淑女としてはそれを追いかけるのは当然でしょう?」

「……そのような服装で淑女というのは、正直どうかと思いますが」

「あら、そうかしら? でも私の意中の人はこういう服装を喜んでくれるわよ? ……多分」

「男として忠告しますが、ヴィヘラ様がしている服装は確かに男の深い部分を色々と刺激します。ですが、刺激しすぎるというのもよくないので、出来れば慎んだ方がよろしいかと。それに、ベスティア帝国の第2皇女としての慎みというものも必要になりますし」


 お互いに言葉を交わしつつも、相手の隙を窺う。

 もっとも、男の場合は何とかこの場から逃げ出す為の隙を探しているのであり、それに比べてヴィヘラは男の意識を奪う為の攻撃を当てる隙を窺っているのだが。

 ただし、どちらの方が有利かと言えば圧倒的にヴィヘラの方だ。

 急速に使いこなせるようになってきた、相手の内部に魔力を通して直接衝撃を送り込む浸魔掌とヴィヘラが名付けたスキル。

 それを使えば、例え相手がフルプレートメイルを身につけていても防御力を無視して相手へとダメージを与えることが出来る。

 そして、今ヴィヘラが相対している男は隠密性を重視して黒く染めたレザーアーマーを装備していた。浸魔掌を使うまでもなく、普通に殴っただけでもある程度のダメージは期待出来るだろう。

 それこそ、手甲や足甲といったマジックアイテムを使えばあっさりと斬り裂ける程度の防御力しか期待出来ない。


「……大人しく捕まってくれないかしら? 兄上の情報を話せば、手荒な真似はしないわよ?」


 この時男にとって幸運だったのは、ヴィヘラが自分をカバジードの部下であると思い込んでおり、第2皇子であるシュルスの部下であるとは思ってもいなかったことだ。


(だが、その有利も今だけだろう)


 チラリ、と男は暗闇に満ちている林へと視線を向ける。

 そこでは自分の部下達が何人も倒れている筈だ。そうである以上、ある程度の情報漏洩は免れない。特に、自分達が第2皇子直轄の諜報部隊であるというのは、遅かれ早かれ知られることになる筈だ。


(捕らえられて情報を吐き出す前に命を絶つ……さて、何人が決断出来るか。唯一の救いは、この場を逃げ出せた者が俺以外にもいることか。シュルス殿下に情報を届けることは最低限出来るだろう。俺達が誰に襲われたのかというのも……)


 男が内心でそんな風に考えていると、ヴィヘラは月明かりに照らされている中で艶然と微笑む。 

 こうして敵対し、向き合っている男であっても一瞬見惚れてしまう程に艶のある表情。

 だが、そんな男を誘うような仕草のヴィヘラが口にしたのは、男にとっても完全に予想外のことだった。


「言っておくけど、貴方よりも先に林を抜け出した者に期待をしても無駄よ? オブリシン伯爵の部下達が周辺を固めているもの」


 その言葉に、男はヴィヘラに魅了されそうになっていた意識を取り戻しながら、内心で舌打ちをする。

 オブリシン伯爵の部下は、集団の連携を取れる者は少ない。……いや、この場合は殆どいないと表現してもいいだろう。だが、それは逆に言えば個人で戦う時にこそ、その実力を発揮出来るということになる。

 ……そう。つまりは今のこのような状況は、オブリシン伯爵の部隊にとってはこれ以上ない絶好の機会となる。


「さすがにヴィヘラ殿下……と言うべきでしょうか」

「そう? この程度のことなら誰でも出来るわよ?」


 何でもないかのように告げるヴィヘラだったが、男にしてみれば冗談じゃないと叫びたい。

 自分達のような者を育てるのには多くの金と時間が必要なのだ。それをこんなにあっさりと倒され、捕獲されでもしたら、自らの主君であるシュルスに対して申し開きが出来ない。

 それを報告しなければいけない屈辱を胸に秘めつつ、それでもここで全員が捕らえられてしまうのは絶対に避けなければならなかった。

 何が何でも自分だけはこの場を乗り切り、シュルスにこの件を知らせなければならない。


(幸い、ここまで桁違いな相手はヴィヘラ殿下だけだ。つまり、ここで何とかヴィヘラ殿下を撒くことが出来れば、無事にここを脱出出来る可能性が高くなる)


 既にこの時点でヴィヘラと戦って勝とうとは思っておらず、脱出することにのみ専念していた。

 それは自分とヴィヘラの実力の差を理解しているからであり、それが分かるだけでも腕利きと言ってよかったのだろう。


「さて……降伏しないようなら、そろそろこっちから行かせて貰うけどいいかしら?」


 ジリ、と地面を踏みしめたヴィヘラが次の瞬間には地を蹴って一気に男との間合いを詰める。

 それを待っていた男は、後方へと跳躍しながら懐から取り出したナイフを投擲した。

 空気を斬り裂きながら飛んできたナイフだったが、ヴィヘラはそれに構わずに手甲へと魔力を流して爪を生成。あっさりと自分に向かってきたナイフを斬り落とす。


「なっ!?」


 自信のあった攻撃方法だけに、まさかこうも容易く防がれるとは思ってもいなかったのだろう。

 そして、ヴィヘラの動きに気を取られた一瞬が男にとっては決定的な隙となる。

 ふと気が付けば既に地面を蹴った男の前にはヴィヘラの姿があり、そっと鳩尾へと手が伸ばされ……


「ふっ!」


 そんな小さく息を吐き出すと共に浸魔掌が放たれ、体内に魔力による衝撃が生み出される。


「しまっ……」


 危険を察知した男だったが、最後まで言葉に出すことも出来ず、意識を失いその場へと崩れ落ちた。

 その様子を見ていたヴィヘラは、念の為とばかりに地面に倒れてからも数秒程様子を見て油断せずに近づき、軽く足の爪先で蹴って、完全に気を失っているのを確認すると安堵の息を吐く。


「どうやら終わり、ね。夜こそがこういう相手との戦いの舞台であるというのは知ってるけど、やっぱり美容に悪いわよね。レイに会った時に肌が荒れてなければいいけど。ねえ、どう思う?」


 視線を向けた先にあるのは、林のみ。


「ヴィヘラ様は今のままでも十分に魅力的だと思うがな。正直、ヴィヘラ様の言うレイ……深紅だったか? そいつにそこまで執心する理由が分からねえな」


 だがそんな状態であるにも関わらず返事が聞こえ、同時に夜の林の中から姿を現したのは五十代程の初老の男。

 ただし、その肉体は筋骨隆々と表現すべき身体つきをしており、身長も2mを優に超えている。

 両の手に持つのは普通よりも一回りは大きいバトルアックスを一つずつ。

 バトルアックスを二本振り回すその膂力は、とても五十代のものでなない。

 そのバトルアックスの刃も血で濡れているのを見れば、伊達や酔狂でそのような武器を持っている訳でないのは明らかだろう。


「レイのことだもの。きっとカバジード兄上との戦いが始まれば顔を出す筈よ。……闘技大会の決勝で負けたんだもの。より力を求めて戦場に来てもおかしくないわ。その時に会えば、何故私がレイに惹かれたのか……それは貴方にもきっと分かるわよ、オブリシン伯爵」


 何かの確信を持っているかのように告げるヴィヘラの言葉に、オブリシン伯爵は厳めしい顔つきを疑わしそうなものへと変える。


「何だってヴィヘラ様はそんなに自信満々に言えるんだよ?」


 その言葉遣いは、呼び名こそ様付けで呼んでいるが、とてもではないがかつて自分が仕えていた人物に対するものではない。

 武辺者。オブリシン伯爵がそう呼ばれる原因はここにあった。

 この態度は、かつて第2皇女派として行動していた時からのものだ。

 普通であれば礼儀のなっていない男として不敬罪に問われてもおかしくはない。だが、オブリシン伯爵自身の武力や武功。そして何よりもヴィヘラ自身がオブリシン伯爵を気に入っていたこともあり、特に処罰されることなくこの態度を取り続けてきたのだ。


「ま、その辺は二人を知っている女の勘かしら。……ただ、出来れば今はレイの側にいてあげたかったんだけどね」


 帝都を脱出してから入って来た情報。即ち、闘技大会の優勝者は不動のノイズという言葉を聞いた時のヴィヘラは、驚愕に目を見開いた。

 普通であれば当然の結果だったと考えただろう。何しろ、ランクSとランクBの戦いだったのだから。

 だが、それでも……それでも、ヴィヘラはレイが勝つと思っていたのだ。

 それが外れたのだから、武人としてのヴィヘラはどんな戦いだったのかと知りたくなったし、女としてのヴィヘラはショックを受けているだろうレイの側にいたかった。

 だが今の自分の立場を考えるとそれは出来ず……レイならその敗北をも糧とすると信じ、オブリシン伯爵の領地へと留まっていた。


「それよりも気絶している人達を連れて戻るわよ。情報収集を急がなきゃ」


 そこまで告げ、ヴィヘラは血に濡れている巨大なバトルアックスに視線を向けて溜息を吐く。


「出来れば殺さないで捕らえて欲しかったんだけどね」

「がははははは。俺に無茶を言うない」


 そんな風にやり取りし、オブリシン伯爵の部下を呼び寄せて気絶している者達を回収し、拠点となっているオブリシン伯爵の領地へと戻っていくのだった。

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