0666話
「静まれぃっ!」
闘技場の中に、声が響く。
圧倒的な迫力をもって放たれたその声は、実況のようにマジックアイテムを使っている訳でもないのに闘技場の隅々まで響き渡った。
声を聞いた一般の観客や、貴賓席にいた招待客達が次第に落ち着いていく。
その様子を同じく貴賓席で見ていたダスカーは、ほう、と感嘆混じりの溜息を漏らす。
「さすがにベスティア帝国の皇帝、この存在感は桁違いだな」
その言葉通り、今の一声を放ったのは皇族用の貴賓室で決勝戦を見ていたベスティア帝国皇帝、トラジスト・グノース・ベスティアその人だった。
獅子の鬣の如き髪の毛を振りかざしつつ告げるその声は、圧倒的な迫力を持って闘技場内で混乱しつつあった人々を、一時的にであるにせよ落ち着かせる。
「ベスティア帝国の者がこの程度の騒ぎでみっともなく狼狽えるな! 先程の爆発音は遠くから聞こえてきた。この場にいる者に危険はない! もし何か危険があるとしても、この場には闘技大会で優勝したランクS冒険者、不動のノイズがいる」
その言葉を聞くと、一時的に落ち着いていた者達が完全に落ち着く。
ランクS冒険者というのはそれだけの存在感があるし、更にはつい先程自分達の目でその実力を確認出来たというのもあるだろう。
……もっとも、正確には覇王の鎧によって行われた移動速度を目で捉えられた者は殆どいなかったのだが。
それでも実際に目の前で行われた戦いというのはそれを見ていた観客達を納得させるのに十分過ぎる説得力があった。
更に……
「そして、不動のノイズには破れたものの互角に渡り合った深紅のレイもいる! この深紅のレイについては、ベスティア帝国の人間であれば知っている者も多いだろう。故に心配する必要はない!」
闘技場内へと響き渡ったその言葉を聞いた時、ダスカーはしてやられたと感じる。
今の言葉は色々と虚実入り交じっていたからだ。その中でもここにレイがおり、自分達に協力すると捉えることの出来るニュアンスは大きい。
この大勢の前でこのように発言された以上、それを断ることは出来ないだろう。
もしも断れば、色々な意味で後日面倒事になるのは確実だった。
「互角に、ね。分かっているのかいないのか。……いや、絶対に分かった上で言ってるんだろうな」
そう呟いたのはエルク。
反応したのは、レイがノイズと互角に戦ったという表現。
確かにこれまでに行われた試合に比べれば、ノイズはある程度力を出したのだろう。だが、それはとてもではないが本気ではなく、更にはレイと互角というのも有り得ない表現だった。
(さすがに皇帝、強かだな。利用出来る戦力は躊躇なく利用するか)
そう内心で呟くダスカーをよそに、トラジストの話は続く。
「今、迂闊に外に出るのは危険! この騒動が収まるまで、一旦は皆ここに残っていて貰おう。当然余もここに残る故に、お主等は心配することはない。幸い、表彰式はまだ始まっておらぬ。である以上、ここで闘技大会の表彰式を止める訳にもいかんだろう」
堂々と宣言するその言葉に、再び観客席がざわめく。
いや、それは観客席だけではない。貴賓席ですらも同様だった。
驚いていないのは、皇帝の性格を知っている者達だけ。周辺諸国から招待された者達はただ唖然と堂々たる姿を見せるトラジストへ視線を向けている。
「これが、ベスティア帝国の皇帝か。まさか自分が率先してここに残るとはな」
呟くエルクに、ダスカーは小さく肩を竦めて口を開く。
「実際、この状況で混乱が巻き起こっているだろう街中を通って城に戻るよりは、ここに残った方が絶対に安全だろうからな。その辺を考えれば寧ろ当然の判断だろ」
「ですが、防備が整っている城と違い、ここはあくまでも闘技場。安全面では十分とは言えませんが?」
「確かにミンの言いたいことも分かる。だがな、ここには防御設備が整っていない代わりに、ノイズがいる。更にはさっきの皇帝の言葉で迂闊な行動が出来なくなったレイもいる。それを考えれば、寧ろ城よりもここの方が安全だろう」
そこまで呟き、一旦言葉を止め、貴賓室にいる者達が全員ざわつき、自分達に注意を向けていないのを確認したダスカーは、改めて口を開く。
「それで、どう思う? やっぱりこれは……」
「ええ。恐らく……いえ、間違いなくこれは第3皇子派の行動でしょう。ただ、向こうにしてもなるべく秘密裏に軟禁されている第3皇子を助け出したい筈。となると、恐らくは」
見つかって戦闘になった。そう言いたいのを途中で止めたミンの言葉に、ダスカーが頷く。
「となると、これからは忙しくなる。こっちもすぐにでも悠久の空亭を出る準備をしておいた方がいい。……レイのことだ、恐らくこの騒動はともかく、その後はテオレーム達に協力するだろうし」
「ふふっ、ダスカー様にしてみればこれも予想通りですか?」
ミンのどこか揶揄するようなその言葉に、ダスカーが浮かべるのは苦笑だ。
「まさか。そこまで俺の手が伸ばせるようなら、もっと色々と便利ではあるんだがな。今回のことに限っては完全に俺には関係ない出来事だ。それより、問題はいつまでこの闘技場にいなければならないかだが」
「恐らくもう暫くはいる必要があるでしょうね。それに、闘技大会に出場したレイが表彰式に出る以上、レイと関係の深いダスカー様や私達がお先に失礼しますとはいかないでしょうし」
何より、このベスティア帝国の皇帝であるトラジストがまだ残っているのだ。そんな中で、招待客である自分達だけが好き勝手に帰る訳にもいかない。
「しょうがない、か。取りあえずこの場は暫く様子を見るとしよう」
すると、ダスカーの口からその言葉が紡がれるのを待っていたかのように選手の入場口に幾つもの泡が生み出される。
それはこの闘技大会で幾度か見てきた光景であり、それでありながら何度見ても視線を奪われるかのような、幻想的な光景。
無数の色に煌めく泡が降り注ぐ真夏の太陽の如き日差しにより、一層幻想的な雰囲気を醸し出す。
そんな泡の中を進んでくるのは、二人の人物。
一人はこの闘技大会の優勝者にして、ベスティア帝国の英雄でもあるランクS冒険者、不動のノイズ。
身につけている装備品は決勝で戦った時と同様のものであり、その装備品にはレイとの戦いでも殆ど無傷で勝ったということを示すかのように、傷が存在していない。
『わああああああああああああああああああっ!』
ノイズの姿が現れた瞬間、闘技場内に響き渡る大歓声。
ノイズという存在そのものに対する憧れもあるが、それ以外にもやはり先程の爆発と、それに伴う皇帝の言葉が効果を現しているのは確実だった。
そして、ノイズの後に続くようにしてレイが姿を現すと……
『わあああああああああああああっ!』
ノイズの時よりは小さいが、それでも十分過ぎる程の歓声が闘技場内へと響く。
(これは……意外な効果だな)
そんな観客達の様子を見ながら、ダスカーは内心で呟く。
確かにここまで勝ち抜いたことにより、レイも観客からそれなりに応援の声を貰うようにはなっていた。だがそれでも、ここまでではなかった筈なのだが。
しかし今のこの歓声は、紛れもなくレイに向けられたもの。
ノイズとレイの二人は、そのままお互いに武器を持ったまま舞台の上へと上がる。
普通であれば表彰式に武器を持って参加するというのはまず考えられないのだが、今回は闘技大会という、一種の祭りであるという状況。
更には皇帝が直接舞台で表彰式に参加するのではなく、貴賓席からの参加ということもあって、武器の所持が認められていた。
もっとも、皇帝にしてみれば友人でもあるノイズが自分に対して害意を抱いているとは思っていないし、もしもレイが自分に攻撃を仕掛けようとしてもノイズがあっさりとそれを潰すことは分かりきっている。
更に、もし何かの間違いでノイズがレイの攻撃を止められなかったとしても、近くに控えている護衛がその攻撃を防ぐだろうし、それが無理でも自らの身体を盾とすることは考えるまでもなく明らかだった。
それ故の、皇帝である自分が闘技大会の優勝者、準優勝者に対して信頼しているというのを示すのにも丁度いい行為。
『闘技大会優勝者、ランクS冒険者不動のノイズ、前へ』
先程の実況の声とは違う声。式典を進める為に貴族が変わって発したのだろうその声に従い、舞台の袖にレイと並んで立っていたノイズは前に歩みを進める。
そのまま向かうのは、舞台の中央。運営委員の中でも幹部と呼べる者達が集まっている場所だ。
そんな者達の前へと進み出たノイズは、そのまま無言で立ち尽くす。
その姿を見てざわめく観客席。
本来であれば、ここで貴賓室にいる皇帝へと一礼して跪くのが式の流れなのだが、ノイズはただ立ったままじっと皇帝へと……自らの友であるトラジストへと視線を向けていた。
「ノイズ、皇帝の御前だ。跪け」
舞台の中央にいる運営委員の者がそう告げるが、ノイズはただじっと視線をトラジストへと向けるだけ。
『……』
ノイズの態度に最初はざわめいていた観客達も、次第にことの成り行きを見守るかのように静まり返っていく。
「ふわぁっはっはっはっは!」
そんな沈黙が続いて、約一分。それを破ったのは、皇帝であるトラジスト本人の愉快そうな笑い声だった。
『陛下!?』
表彰式の進行を任されていた貴族の声が響くが、トラジストはそれを気にした様子もなく哄笑を上げる。
そして十分に笑って満足したのか、やがてノイズの方へと視線を向けて口を開く。
「よい。この者はこの世に三人しか存在しないランクS冒険者。言わば人外の輩よ。そうである以上、皇帝である余に頭を下げる必要もないわ」
その言葉は真実であり、嘘でもあった。
確かにノイズが人外の輩であるというのは事実であるが、やはりトラジストにとっても自らの友人に頭を下げるという態度を取らせることが面白くなかったのだろう。
ともあれ、トラジストの口から許容するという言葉が出た以上は、貴族もノイズの態度を咎めることは出来ない。
これ以上は言っても自分の主君を怒らせるだけだろうと判断した貴族は、そのままノイズへと向かって口を開く。
『闘技大会優勝者、ノイズ。優勝の賞品として何を望むか』
静寂。
闘技場の中にいる者達も、ノイズが闘技大会の賞品として何を望むか想像も出来なかったのだ。
名誉? ランクSに到達した時点で、既にこれ以上ない程の名誉を得ている。
金? そもそもランクSになる過程で大量の金を得ているし、その気になれば幾らでも稼ぐことが出来る。
仕官? ランクSという境地に達した者が、わざわざ自ら仕官を望むとは思えなかった。
女? 確かに普通であれば望むかもしれないが、ノイズの性格的にそれはないというのは、誰が見ても明らかだった。
マジックアイテム? これが一番可能性が高いというのが、周囲で成り行きを見守っている者達の予想だった。
確かにノイズは幾つもの属性を刀身に纏わせることの出来る魔剣や、今も身につけている鎧といったマジックアイテムを持っている。だがそれでも、もっと強力なマジックアイテムを求めるのではないか。
……これが、実戦で使えるマジックアイテムの収集という趣味のあるレイであれば、その考えは当たっていたかもしれない。
だが、ノイズは何も言わぬままじっと貴賓席にいる皇帝のトラジストへと視線を向ける。
その視線には、自分が求めるものが何か知っているだろうという意思が込められている。
そして実際、トラジストは自分の友が何を欲しているのかを知っていた。刺激。それも、命を賭けるに値する刺激だ。
ランクSという高みに到達したからこそ、今のノイズは刺激に餓えている。
そういう意味では、決勝で戦ったレイとの一戦こそが報酬だったと言ってもいいだろう。
やがてそのお互いが視線で言葉を交わしていることに気が付いた貴族や観客達がざわめき始め……無言の視線のやり取りでお互いに意見の擦り合わせが終わったのか、ノイズが口を開く。
「魔の山の探索許可を頂きたい」
ノイズの口から出た言葉に、周囲がざわめく。
魔の山。それはベスティア帝国の中でも辺境にある山であり、ランクBやランクA。更に中にはランクSの竜種ですら存在していると言われている場所だ。
レイがこの世界で目覚めた魔の森と似たような場所と言えるだろう。
実際、レイもまた舞台の袖で今の話を聞きながらそう予想していた。
刺激を求める為には、既に生半可な相手では意味がない。それこそ、レイと同等の相手でなければならないのだ。
そんな相手がそうそういる筈もなく、まさか他のランクS冒険者を相手に戦いを挑む訳にもいかない。
だが……魔の山であれば、確実に自分の命を奪えるだけの実力を持つモンスターがいるのだ。
そんな思いで告げられたノイズの言葉に、やがてトラジストはゆっくりと頷きを返す。