0661話
城門の近くで起きた爆発の粉塵が風によって流されると、その光景を見てまだ意識を保っていた騎士達は大きく目を見開く。
てっきり自分達の同僚が怪我を……最悪死んでいるのではないかと思ったのに、そこにいたのは粉塵で汚れはしているものの、致命的な怪我をした様子のない同僚達だったからだ。
その代わり、ティユールの部下の騎士達が盾を手に持ち、気を失っている騎士達の前に立っている。
目の前の光景を見れば、何が起きたのかは一目瞭然だった。
「あいつ等を……助けた、のか?」
ポツリと呟いた一人の騎士。
何気なく呟いただけに過ぎなかったのだが、それだけに次の瞬間すぐ近くから言葉が返ってくると、驚きに思わず足を止める。
「別に私達は貴方達を殺そうと思っている訳じゃないんだから、当然でしょう?」
「ヴィヘラ様!?」
誰の声かを理解した騎士が反射的にそちらへと視線を向けると、そこでは地面に倒れ伏している魔法使いと、ヴィヘラの姿。
「全く。魔法使いが稀少なのは分かるけど、それでもあの程度で混乱するようなのが役に立つのかしら? 今回みたいに仲間を無駄な危険に晒すだけのようにも思えるけど」
「は、はぁ。その……貴族の方からの紹介という話ですし、実際に今の魔法を見て貰えば分かるように、魔法の威力自体はそれなりにあります。性格に関しては追々矯正していけばと」
「そう。まぁ、今のを見る限りだと色々と大変そうだけど頑張って頂戴ね」
「ありがとうございます」
つい数分前までは敵対していた相手とのやり取りは、和やかに進む。
そんな会話をしながら、ふっとヴィヘラが手を伸ばして騎士の鎧の上に手を当て……
「ふっ!」
気合いの声と共に、体内へと衝撃を通す。
「……え?」
騎士は何が起こったのか理解しないまま意識を閉じていき……
「敵対している相手に気を許しすぎたのは減点ね」
ヴィヘラのそんな言葉を聞くとはなしに聞き、完全に意識が失われる。
「ま、予想外のことが起こって、意識がそっちに向きすぎたんでしょうけど」
気を失って地面に倒れている騎士を眺め、小さく呟いたヴィヘラは周囲を見回す。
既にこの場で意識を保っている者は、自分とティユール、その部下の騎士達のみ。
普段であれば城の入り口である以上は、もっと大勢の人で賑わっているだろう。だが、今日は闘技大会の決勝が行われている為に城の者達も多くがそちらへと出向いている。
勿論何かあった時の為にある程度の人員は残っているのだろうが、それでも普段に比べれば段違いに警備が緩くなっていると言っても良かった。
「ティユール、これで私達に城にいる者達の目を引きつけられたと考えてもいいかしら?」
死屍累々――死んでいるのではなく、気絶しているだけだが――と地面に倒れている騎士達を見ながら尋ねるヴィヘラに、ティユールは配下の騎士に気絶している者達を日陰になっている場所へと運ぶように命じながら頷く。
「そうですね。これだけの騒ぎが起こったのですから、まず間違いなく気が付いてはいるでしょう。それはつまり、こちらに相手の注意を引きつけていることと同じかと」
「そ。じゃあ、後はテオレームが上手くやってくれるのを期待するとして、私達はもう少し暴れておきましょうか」
「確かにヴィヘラ様の美しい戦いを見ることが出来るのは嬉しいのですが……よろしいので?」
「どのみちこのままだと内戦状態になるかもしれないんだから、少しでも相手の戦力を減らしておいた方がいいわ」
内戦になるかもしれない。そう口にしつつも、ヴィヘラは気絶した騎士達をこの暑さの中に放り出しておくのが忍びないと、日陰に動かしている姿を見ても特に止めるでもなく眺めているだけだ。
ヴィヘラにとって、敵というのは自分が戦うのに相応しい相手を意味しているのだろう。
そう判断したティユールだったが、元々がヴィヘラに心酔しているティユールだ。余程に納得出来ないことでもない限り、ヴィヘラの言葉に異を唱えることもなく、特に異論を口にしないまま頷く。
「分かりました。では行きましょうか。向かうのはどこにします?」
「……そう、ね。あの子の所に向かいたいところだけど……」
「さすがにそれは」
折角城に残っている戦力の注意を自分達に引きつけているのに、わざわざ目標を教えるのはどうか。そういう意味も込めて告げたティユールだったが、返ってきたのはヴィヘラの苦笑だった。
「確かにティユールの狙いも分かるわ。少しでもあの子の安全を考えての行動だというのも分かる。……けどね、向こうにしてもまさか私がここで暴れているのが、あの子を助け出す為の陽動であるとは確信できていない筈よ? あるいはティユールの代わりにテオレームがここにいれば話は別だったかもしれないけど」
チラリ、とティユールの方に笑みを含んだ一瞥をしたヴィヘラは言葉を続ける。
「けど、そのテオレームは今は私達とは別行動であの子の所に向かっている。なら私達が城の者達の目を引きつけながらあの子の場所に向かっても構わないでしょう?」
「……それは確かにそうかもしれません。ですが、そうなるとテオレームの方が気が付かれる恐れもありますよ?」
「でしょうね。けど、今の城にはいつもより防衛戦力が残っていない。なら、いっそのことあの子を助け出しただろう別働隊と合流して戦力を増し、一気にこの場を脱出した方がいいと思わない?」
確かにそれもありか、と納得するティユール。
帝都から離れた位置には、第3皇子派と自分のようにヴィヘラの求めに応じて兵を出すことを決断した貴族達の騎士団や軍隊が待機している。
勿論、ベスティア帝国の全てと敵対出来るだけの戦力ではないだろう。闘技大会が行われるまでの時間がそれ程長くなかったこともあり、集められた戦力は決して多くはない。
元々第2皇女派とでも呼ぶべきヴィヘラの派閥がそれ程多くないというのもあるが、それでも集まった戦力は極少数と言ってもよかった。
ベスティア帝国の動かせる戦力を20とした場合、1にも満たない……といったところだろうか。
それでも、ティユールとしてはよくここまで集まったと考える。
ヴィヘラは帝国を出奔した皇女なのだ。そんな相手に対し、負けて捕まれば処刑間違いなしだというのに協力する者がこれだけの人数現れたというのは、ヴィヘラの持つカリスマ性を現しているのだろう。
(それこそ、私のように)
最もヴィヘラに心酔しているティユールが呟き、やがてヴィヘラの言葉に頷く。
色々と不安なところはあるが、それでもヴィヘラの力があれば……そして自分がいれば、今の城に残っている程度の相手であればどうとでも出来るという判断だったからだ。
(私達の行動が読まれていたようだが、それでもヴィヘラ様がいるとまでは読めなかった筈。で、あるのなら、もし城の中に戦力がいたとしても対応は出来ないと考えてもいいか? いや、私を捕らえるように命令が出ていたということは、既に私が……そしてヴィヘラ様がテオレームに協力していると判断されているのか? あるいは……)
内心で迷っているティユールをその場に残し、ヴィヘラはさっさと前へと進んでいく。
向かう先は城の中でも奥の方にある、地位のある者を軟禁する為の部屋だ。
「ヴィヘラ様、お待ち下さい。先に進むにしてもお一人では……」
「あら? 今のこの城に、私を相手にどうにか出来る者がいるとでも? まぁ、いるのならそれはそれで楽しめるでしょうけど」
弟の命が賭かっていると知りつつ、それでも強者との戦いを望むのは、最早それがヴィヘラの芯にあるものだからだろう。
これ以上は言っても無駄であり、同時に戦うヴィヘラを近くで見ていたいという思いもあって、ティユールはそれ以上は何を言うでもなく騎士達を率いてその後を追う。
騎士達も、ヴィヘラに心酔しているティユールの性格は分かっているのだろう。小さく苦笑を浮かべると、その場を後にした。
最終的に城の城門付近に残ったのは、気絶した大勢の騎士と魔法使いが1人ということになる。
更にその気絶している者達は、全員が真夏の如き日差しにやられないようにと日陰に運ばれていたのだから、目が覚めれば色々な意味でプライドがへし折られるのは間違いなかった。
城の中を堂々と進み続けるヴィヘラ。そのすぐ後ろを進みながらも、ヴィヘラに対して手を出す者がいないかどうかを警戒しているティユール。
そして一行の後ろを進みつつ、自らの主のティユールのヴィヘラに対する想いに苦笑を浮かべる騎士達。
「ヴィヘラ殿下?」
そんな時、ふとそんな声が聞こえてきて一同の先頭を歩いていたヴィヘラの動きが止まる。
視線の先にいるのは見覚えのある男だった。横に大きいその男は体重100kgを優に超えており、城の中で涼しい空気を送るマジックアイテムが使われているにも関わらず額に大量の汗を掻いていた。
「アクトルか、久しぶりね。随分と汗を掻いているけど、いい加減少しは痩せたらどう? 私が国を出奔する前と比べても、更に太ってない?」
「ははは。これはお厳しい。ですが幾ら私が痩せようとしても、美味しい食べ物がある限りそれは難しいでしょうな」
額の汗を拭いながら告げてくるアクトルに、ヴィヘラは苦笑を浮かべる。
その後ろではティユールの表情が微かに歪められていた。
芸術を愛するティユールは、アクトルのような男を美意識的に好まない。
それでも口出しせずにいるのは、やはり自分の崇拝するヴィヘラが話しているからだろう。
「それにしても、また随分な時に城に戻ってこられたようで……というか、その刺激的な格好は皇女として色々と不味いのでは?」
向こう側が透けて見える程の衣装にそう言葉にするアクトルだが、その表情は言葉とは全く逆のニンマリとした表情を浮かべていた。
だが、この手の男の視線には慣れているヴィヘラだ。そんなアクトルに対して小さく肩を竦めて口を開く。
「私はもう皇女じゃないもの。自分の好きな格好をしても構わないでしょう?」
肩を竦めたことにより、その豊満な双丘がユサリと揺れた光景に目を奪われつつも、アクトルは笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「それで、国を出奔したヴィヘラ様が何故ここに? まさか、戻ってくる気になったとかでしょうか? もしそうであれば、私が皇帝陛下に取り次がせて貰いますが」
「残念ながら違うわ。……そうね、アクトルなら知ってるんじゃないかしら? あの子が軟禁されてると」
ヴィヘラの口から軟禁という言葉が出た瞬間、一瞬……そう、一瞬だが確実にアクトルの視線が鋭くなった。
それを見たティユールはそれに気が付き、意外そうな表情を浮かべる。
ティユールの中では、このアクトルという人物は女と食べ物にのみ固執するような男であるという印象だったからだ。
それでいて、何故かメイドを始めとした女達や民衆からは一定の人気があるという、理解不能な存在でもあった。
「メルクリオ殿下、ですか」
「ええ。色々と危ない目に遭うかもしれないって話だし、いつまでも閉じ込めておくというのは可哀相でしょう? だからちょっと外に出して上げようと思って」
何でもないかのように呟くその言葉に、アクトルはこれ見よがしに溜息を吐く。
それを見ていたティユールが眦を釣り上げるが、本人はそんなのは関係ないとばかりにヴィヘラへと視線を向ける。
ただし、その視線は数秒前よりも更に鋭く……見ているだけで目の前にいる人物へとプレッシャーを掛ける迫力を放っていた。
そう。とても美女と美食にのめり込んでいる放蕩貴族とは思えない程の迫力をだ。
「ブーグル子爵がここにいるということは……つまり、そういうことなのですかな?」
「そうね。そういうことよ」
端的な言葉のやり取りだが、お互いがそれを理解している以上はそれで十分だった。
「下手をすれば内戦になるかもしれませんが?」
「あの子の命を狙うような真似をしなければ、そんな風にはならなかったでしょうね」
「それが、例え皇帝陛下の目論見通りだとしても?」
「ええ。確かに父上の考えは分かる。けど、だからといって血を分けた弟が殺されるような真似を見過ごすことは出来ないわ。それに私自身は皇位に興味はないけど、あの子がそれを望むのなら協力しても構わないでしょう?」
毅然と告げる今のヴィヘラは、間違いなく皇族としての気品に満ちていた。
その服装のミスマッチさと合わさって、いっそ奇妙な程にアクトルに強力な印象を残す。
だが、アクトルはそんなヴィヘラに引き寄せられていた意識を強引に断ち切って口を開く。
「そうですか、非常に残念です。ここは私が引き下がりましょう。何せ、見ての通り私は運動が苦手なものでしてな。ですが……次に会う時は戦場になるかもしれませんね」
そう告げ、恭しく一礼して額の汗を拭いながら去って行くアクトル。
その後ろ姿を一瞥したヴィヘラは、満足そうに笑みを浮かべてその背を見送るのだった。