0651話
準決勝が二試合とも終わり、その日の闘技大会は当然の如くそれで終わりとなった。
予選や、本選の一回戦、二回戦ともなれば全てを終わらせるのに数日掛かるのも珍しくはないが、ここまでくれば一日どころか半日、いや数時間と掛からずにその日の日程は終了する。
それだけを聞けば観客達の中に不満を持つ者が出てきてもおかしくはないが、純粋に試合内容という意味で考えると腕利きが勝ち上がってきた今の方が圧倒的に充実しており、見応えがあるのも事実だった。
実際今日の試合でも水で作られた水竜――頭部だけだが――と炎で作られた鳥が正面からぶつかったり、風の魔槍や刀身に氷や炎を纏わせるといった技やマジックアイテムが披露されている。
「いよいよ明後日、か」
「グルゥ?」
レイの呟きが夜の空気に紛れ、消えていく。
それをすぐ近くで聞いていたセトは、喉を鳴らしながらレイの方へと顔を向ける。
そんなセトの頭を撫でながら、何でもないと首を振るレイ。
準決勝に勝利したことで、レイの準優勝は確実となった。
それを祝う為の祝勝会が再び食堂で開かれたのだが、騒ぐ気分でもなかったという理由もあり、レイはさっさと食堂を抜け出してきたのだ。
今はこうして悠久の空亭から聞こえてくる歓声や、うるさい程の虫の音に耳を傾けながらセトの頭を撫でる。
厩舎の近くにある裏庭とでも呼べる場所。そこで現在レイはセトと共にゆっくりとした時間を過ごしていた。
「セトには色々と不便を掛けてるな。しっかりと身体を動かしたいだろ?」
「グルゥ」
勿論、と喉を鳴らすセト。
寝るのも好きだが、身体を動かすのも好きなセトだ。当然、殆ど一日中厩舎の中にいるというのは、色々と辛いものがある。
それでも癇癪を起こして暴れたりしないのは、そうすればレイに迷惑を掛けると理解しているからか。
また、帝都でも最高級の宿だけあって厩舎の世話をする者もセトに怯えずに気楽に接してくれるという点も大きい。
厩舎にいる他の動物や従魔も、一日中一緒にいるということもあって慣れてきてもいる、
……それでもセトと一緒に遊ぶといった真似が出来る訳ではないが。
「もう少しで闘技大会も終わる。それに……」
そこまで告げ、こんな場所で迂闊なことを喋るのは不味いだろうと判断して口を噤む。
だがセトにもレイの言いたいことは分かったのだろう。喉を鳴らしながらレイへと頭を擦りつける。
既に秋という季節であり、更には夜だ。当然周囲の気温は低く、普通の人間であれば肌寒いと感じる者も多いだろう。
しかしドラゴンローブを纏っており、地面に寝転がっているセトに寄りかかっているレイにしてみれば、寧ろ快適な環境だ。
「なぁ、セト。……明後日、勝てると思うか?」
頭を擦りつけてくるセトを撫でていたレイの口から、ポツリと出る言葉。
この場にはセトしかいないと理解しているからこそだろう。その言葉は、普段から自信に満ちているレイのものとは思えない程に弱い。
「グルルルルゥ」
そんなレイに対し、セトは頭を擦りつけたまま喉を鳴らす。
頑張って、とでも言いたげに。
だがそんなセトの行為も、レイに対して自信を取り戻させることは出来ない。
今日の戦いを見て、分かってしまったのだ。自分とノイズの間には、まだ大きな隔たりがあると。
勿論手段を選ばずに戦いを挑めば勝つのは不可能ではないとも思う。
しかし手段を選ばないというのは、闘技大会のルールを無視した戦い方だ。
例えばセトと共に挑むとか、闘技場どころか帝都全域に被害が出るような広域殲滅魔法を使うとかの、そんな手段。
「けど、そんな真似を出来る筈もない」
帝都に来た当初であれば、いざとなったらそんな手段を使うことも出来ただろう。だが、今は違う。帝都で暮らしてそれなりに親しい相手も出来ているし、そもそもそんな真似をすれば再びミレアーナ王国との間で戦争が勃発しかねない。
「正面からぶつかるしかない、か」
「グルルルゥ……グルゥ……グルルルルルゥッ!」
レイが呟いた、その瞬間。突然レイが寄りかかっていたセトが強く鳴き、その鋭いクチバシでレイを突く。
本気を出せば容易く相手の命を奪えるクチバシだけに、当然かなり手加減されている一撃ではあるが、それでもクチバシはレイの頭部に強烈な痛みをもたらす。
セトしかいないということで、ドラゴンローブのフードを下ろしていたのが影響したのだろう。思わず突かれた頭を抑えながらセトへと視線を向ける。
「セト、何を……」
「グルゥッ!」
口から漏れたその鳴き声は、レイに対して弱気になるなという意味が込められていた。……いや、いるように思えたというのが正しいか。
セトはレイの言葉を完全に理解しているが、レイはセトの言葉を理解出来ないのだから。
だが……それでも、レイの目にはセトが気弱になっている自分を励ます為にそんな行動を取ったように思えた。
「グルルルルルゥ」
レイを見ながら、再び喉を鳴らすセト。
そんなセトを一分程じっと見ていたレイだったが、やがて唐突に両手で自分の頬を叩く。
パァンッという甲高い音が、秋の夜長に激しく鳴いている虫の音に混ざるように響く。
「痛っ、ちょっと強く叩きすぎたな。でもまぁ、ありがとなセト。おかげですっきりした。そうだよな。戦う前から気弱になっているようじゃ駄目だろ」
「グルゥ!」
その通り、と言いたげに鳴くセトだったが、すぐに再びレイへと顔を擦りつける。
喉を鳴らしながらのその行為は、先程の自分の行為を謝っているように見えた。
セトの言葉は分からなくても、何となくその意思を感じることが出来るレイは、その頭をそっと撫でる。
「気にするな。別にお前が悪い訳じゃない。寧ろお前は俺の為を思ってやってくれたんだろ? なら俺が怒るようなことはないって」
「グルルゥ?」
本当? と小首を傾げるセトにレイは頷き、ミスティリングの中から取りだした干し肉を渡す。
「グルルルルルゥ!」
その干し肉を食べてもいいのだと理解したセトは、嬉しげに喉を鳴らしながらレイの手に乗っている干し肉をクチバシで咥え、そのまま口の中へと放り込む。
噛めば噛む程に濃厚な肉の味が口の中に広まるその干し肉は、レイから貰ったという点を除いても絶品と言っても良かった。
ただ、人間用の干し肉である為、当然セトにしてみれば量的に物足りない。
もっと頂戴? と小首を傾げるセトに、レイもまた笑みを浮かべつつ再びミスティリングから干し肉を取り出す。
「今日はセトに活を入れられたからな。その礼だ」
この干し肉、実は悠久の空亭の食堂で売られているもので、それなりに高価な代物だったりする。
厳選された肉を複数の香辛料を使い、専用のマジックアイテムを使って干し肉を作るのに丁度いい環境を作り出すというように、かなりの手間が掛かっている代物だ。
それでも悠久の空亭に泊まるような客にしてみれば、特に痛い出費でもないために飛ぶように売れているのが実情なのだが。
特に今は闘技大会が開かれている為に、宿に泊まっている客の酒の肴として、あるいは闘技場で食べる間食として、更にはこの干し肉の味を知っている知り合いのお土産としてといった具合に買われている。
勿論レイにしても、この闘技大会では自分に賭けることによってかなりの儲けを出している。
殆ど労力を使わずに――戦ってはいるが――得た金貨や銀貨だけに、これ幸いと大量に買い占めていた。
他にも悠久の空亭の食堂で鍋ごとシチューや煮込み料理を買ったり、100人分はあろうかというサンドイッチを買ったりもしている。
料理人達は最初レイのその注文に驚き、食べきれないで腐らせるのはごめんだと断ったのだが、レイがアイテムボックスに収納すればその中では時が止まっているという説明をし、実際にそれを実証して見せた結果引き受けてくれることになった。
もっとも、それを引き受けたのはレイが以前に新しい料理を開発したと雑談の際に漏らしたからだろうが。
さすがにミレアーナ王国の辺境でもあるギルムで開発されたうどんや、港町のエモシオンで開発された海鮮お好み焼きはベスティア帝国の……それも首都までは伝わっていなかったらしい。
それでもその料理を紹介するのは特産物的に色々不味いと判断し、後日何らかの新しい料理を教えるという条件で大量の料理を作って貰った。
それこそ、料理を教えるだけでは悪いのでは……とレイが思える程の料理の数々であり、人数的には数百人前はあっただろう。
料理の入った鍋やフライパン、あるいは大皿ごと受け取っている為に、レイとしてもある程度の料金を支払うことになった。
……まぁ、闘技大会で稼いだ金である以上、渋るつもりは一切なかったのだが。
ともあれ、現在レイのミスティリングの中には大量の料理が入っており、干し肉に続いてキノコとオークジェネラルの餡かけ炒めを取り出し、セトと共に分けて食べる。
「オークジェネラルか、懐かしいな。……まだ肉がそれなりに残ってたような気がするけど」
呟き、脳裏にミスティリングのリストを展開すると、確かにそこにはオークジェネラルの肉がそれなりの量残っていた。
外で料理を食べたりする時にはオークの肉もそれなりに消費しているのだが、それでもオークの集落を襲撃した時の戦利品としての肉はまだ全てなくなっていない。
「オークの肉は何だかんだ言って美味いんだよな」
「グルゥ」
レイの呟きに、セトがクチバシで皿に分けられた料理を食べながら、同意するように頷く。
モンスターの肉は、ランクが高くなればそれだけ含有魔力量が多くなり、味も増す。
だからこそ、高ランクモンスターの最高峰とも言えるドラゴンの肉を食べたいと願う者も多くいるのだ。
「ま、確かにドラゴンの肉ってのはいずれ食ってみたいよな。セトもそう思うだろ?」
「グルルゥ!」
即座に返ってくる言葉に、レイはその現金さに苦笑をうかべつつも目の前の料理を口へと運んでいく。
オークジェネラルの肉だけあって、食感は豚肉に近い。だが、噛み締めるごとに溢れてくる肉汁や、何よりも肉そのものが非常に濃い味を出している。
(豚肉の上位互換ってのはこんな感じなんだろうな)
そんな風に考えつつ、レイとセトは一人と一匹だけで秋の月を見ながら、虫の音を聞き、穏やかな時間を過ごすのだった。
レイとセトがゆったりとした時間を過ごしている頃、帝都から一日程度の距離にヴィヘラとテオレーム、ティユールの姿があった。
それだけではない。第3皇子派としての戦力に、ヴィヘラ自身を慕って来た者や、ヴィヘラからの要請によって第3皇子派へと鞍替えした者も多い。
それぞれが、明後日にはこの集団の本来の旗頭である第3皇子を救出する為にここまでやってきたのだ。
パチッ、パチッと音を立てて燃えている焚き火を見ながら、ヴィヘラが物憂げに月を見やる。
それを見ていたティユールが、ヴィヘラの横顔を眺めつつ竪琴を鳴らす。
そこから聞こえてくるのは、どこかもの悲しい曲。
普段であれば兵士達の士気を下げると嫌われそうな音色だが、今のヴィヘラの近くにいる者でそんなことを口にする者は誰もいない。
寧ろ、そのもの悲しい音色こそがこの場には最も相応しいとばかりにその曲へと耳は集中し、目はヴィヘラへと集中する。
ヴィヘラの周囲には焚き火の火の粉が跳ね、ただでさえ幻想的な美貌を更に神秘的なものへと変えている。
戦乙女。
周囲にいる者達は、ヴィヘラの様子を見てふとそんな共通した思いを抱く。
戦いを求め、好み、楽しむ。そうして相手を死後の世界へと誘うかのような、そんな危険でありながら美しい戦乙女の姿を。
だが、不意に月を見ていたヴィヘラの視線がその場にいる者達へと向けられる。
それぞれが兵を指揮する立場にある、指揮官達。
自らの弟を助ける為に集ってくれた仲間達。
そして、これから共に戦場を駆け抜けるだろう戦友達。
内乱の如き有様にはならない、したくないと思ってはいるが、それでも自らの弟が軟禁された状態で、尚且つ暗殺される可能性が高いとなれば、放っておける訳もない。
(けど……レイはどう思うかしらね)
迷宮都市エグジルで出会い、惹かれ、恋した相手の姿が脳裏を過ぎる。
自分よりも背が小さく、女顔と言ってもおかしくない顔。一見するととても強いとは思えないような外見をしているが、その身に秘めた力は凶悪とすら言ってもいい。
そんなレイが闘技大会でベスティア帝国の誇るランクS冒険者、不動のノイズと戦うのだ。
時間とタイミングによっては、その戦いを邪魔することにもなりかねない。
(出来れば決勝が終わった後のタイミングでことを起こせればいいんだけど……レイ、無事でいてね)
ほう、と溜息を吐くヴィヘラのその横顔は、数秒前まで浮かべていた戦乙女と言うべきものではなく、恋する乙女のものだった。
もっとも、その場にいる者達の殆どがその恋する乙女のヴィヘラの顔へと見惚れていたのだが。