0644話
首筋に突きつけられたデスサイズの刃を目にしても、シストイの表情は変わらない。
その視線は一向に諦めた様子もないままにレイへと注がれている。
そんな状態でもマントが周囲の景色に溶け込むかのように保護色を纏っているのだから、傍から見れば一種異様な光景に映るだろう。
「さて、この状況からどうする? 俺としてはお前がこれ以上何が出来る訳でもない以上、大人しく捕まって情報を提供して欲しいんだが」
「残念ながら、これでも組織に関してはそれなりに愛着を持っていてな。そう簡単に裏切るような真似は出来ないんだよ」
シストイの口から出た言葉は真実だ。
確かに数日前に行われたように、子供を使った非人道的な行為をすることもある。だがそれでも、シストイやムーラがここまで生きてこられたのは鎮魂の鐘という組織があってこそであり、その組織を裏切るような真似は出来ないし、するつもりもない。
「なら死ぬか?」
「それは勘弁して貰おう……かっ!」
その叫びと共に、マントの中から一本の短剣が空を走る。
自分の顔面を狙って放たれたその一撃に、小さく驚きの表情を浮かべつつも、シストイに突きつけていたデスサイズの石突きを手元に引き寄せ、弾く。
「ぐぅっ!」
手元に引き寄せた際にデスサイズの刃が傷つけたのだろう。シストイの纏っていたマントが切り裂かれ、同時に短剣を投擲した腕にも傷を負った痛みで苦痛の声を漏らす。
「この状態でそんな真似をしても、ただの悪足掻き以外の……っ!?」
なにものでもない。そう告げようとしたレイは、背後から聞こえてきた風切り音に咄嗟にその場から横に跳ぶ。
一瞬前までレイの身体のあった場所を通り過ぎていく短剣。
空中でその様子を見ながら、着地してすぐに視線を短剣の飛んできた方へと向けて叫ぶ。
「誰だ!?」
思わず漏れたその叫びは、やはりこれ以上ない程に意表を突かれた為だろう。
既に控え室の中には自分とシストイしかおらず、後は情報を引き出してマジックアイテムのマントを奪うだけという認識だったのだから。
だが視線を向けた先に存在した相手に、思わずレイは息を呑む。
何故なら、そこにいたのはデスサイズによって身体を上半身と下半身に切断され、死んだ筈の男だったからだ。
(この状況で生きている? アンデッドの類だったか!?)
その判断に従い、デスサイズを構えて相手へと向き直る。向き直ったのだが……つい数秒前に短剣を投擲した男は、その姿勢のまま力を失ったかのように地面へ腕を下ろす。
まるで、全ての力を使い果たしたかのように。
「……何?」
呟くレイの視線の先に映っている相手は既に生きておらず、ピクリともしない。
正真正銘の死体である。
そもそも上半身だけになって生きている方がおかしいのだが、短剣を投擲してきたのは間違いない。
普通の人間であれば、まず確実に無理な行動。事実、他に生きている死体は存在しない。それでも実際に起きた出来事である以上、認めない訳にもいかなかった。
もしもモンスターの類であれば、上半身だけで動くような真似をしたとしてもそれ程の驚きはなかっただろう。だが、その対象が人であるのがレイの意表を突いた。
同時に、その一瞬を狙っていたシストイにしてみれば千載一遇の好機であり、目眩ましの意味も込めて煙幕を作り出す数cm程の石のようなマジックアイテムを床に叩きつける。
同時に生み出される煙幕。
瞬く間に現れたその煙幕は、控え室の中へと充満する。
そしてシストイの動く気配を察知したレイは、その煙幕に向かってデスサイズを振るった。
情報を聞き出せず、欲していたマントに傷を付けてしまうのは惜しい。だがそれでも、ここでシストイを逃がすという選択をするよりはいいだろうと瞬間的に判断した為だ。
当然自分をそう簡単に逃がしてくれるとは思っていなかったシストイは、本能的な勘に従い身体を動かす。
その奇跡的とすらいえる行為によりレイの一撃を回避し、そのまま控え室の扉へと向かう。
そんなシストイに対してレイが行ったのは、最初に警戒。
てっきり煙幕に塗れて攻撃してくるかもしれないと判断したが故の行動だったが、感じられる気配は自分から離れていく。
それを見て咄嗟にミスティリングから短剣を取り出し、投擲する。
本来であれば投擲の中でも最も得意としている槍が良かったのだが、自分が壁の近くにいる以上は槍を振りかぶることが出来ない。
だが短剣であれば、手首の動きだけで投擲することも可能だった。
更にその短剣は人形とされた男達が使っていた、毒が塗られているものであるのも咄嗟の判断の一助になったことは事実だろう。
「ぐぅっ!」
聞こえてくる苦痛を堪えるかのような悲鳴。
短剣に塗られている毒が具体的にどれ程のものなのかは知らないレイだったが、それでも自分を殺すために用意された毒である以上、生半可な毒ではないのは明らかだった。
「仕留めたか?」
呟きつつも、まだ先程の上半身のみになっても攻撃してきた人形の男の件を思えば煙幕の中で動き回る気にはなれず、周囲で何か動く気配がないかどうかを探りつつ、様子を見る。
そのまま数秒が過ぎても、それ以上に人形の男達が動く様子はない。
同時に、控え室の外から聞こえてくる慌ただしい足音にようやく息を吐く。
その息は安堵の息ではなく、取り逃がしたという思いもまた強い。
「奴を逃がしたのは大きかったな。色々な意味で厄介な相手だったし」
その呟きに含まれているのは苦渋の色。
結局自分の攻撃を回避し続けることが出来た理由が分からなかった為だ。
特に致死性とすらいえる攻撃を幾度となく回避されたのは、色々と思うところがあった。
そして……
「あのマントも結局手に入れられなかったしな」
小さく溜息。
周囲の景色に擬態する、カメレオンマントとでも呼ぶべきマジックアイテム。動けばその違和感は見つかるが、それでも近距離での戦闘をする時に多少なりとも相手に自分の間合いを計らせにくくするというのは、数日後にはノイズとの戦いを控えたレイにしてみれば是非欲しいものだった。
そんな風に考えていると、控え室の扉の方から声が聞こえてくる。
「うわっ、こ、これは一体……中が見えない!? おい、誰かいるのか!」
「ああ、いる! 悪いがもう少し待ってくれ。部屋の中の煙幕が……」
そう呟いた、その時。まるで今まで部屋の中に広がっていた煙幕は夢か何かでしたとでも言いたげに、突然消え失せる。
文字通り、煙の如く消え失せたのだ。
「……これは……」
レイにしても想定外の事態だったのか、思わず言葉に詰まる。
そうして見えてきたのは、控え室の扉から唖然とした表情で自分の方を見ている20代の男。
闘技大会に参加していて、何度か見たことのある運営委員の男だった。
話したことはないが、それでも見知った顔だったというのは、レイにとっても安堵の息を吐かせる要因となる。
「悪いが、人を呼んできてくれ。見ての通り、色々とあったんでな」
「あ、ああ。いや、しかし君は大丈夫なのか? 部屋は物凄い有様だが……」
運営委員の男が唖然として呟くのも無理はない。控え室の中にある棚や箱、テーブル、椅子といった物の殆どが斬り裂かれており、壁にすらも大きな斬撃の跡が幾つも存在しているのだから。
レイを心配するようにして近づいてきたその男に、自分に怪我は何もないと告げようとして……ふと、疑問に思う。
確かに現在のこの控え室はそこら中に斬撃の跡が残っている。それは間違いない。だが、それ以外にも絶対に人の目を引く存在が残っているのではないかと。
そう、上半身と下半身を切断され、血や肉、あるいは内臓を床に撒き散らかしている人形の男達が。
それに疑問を持った瞬間、背筋に氷を入れられたかのような冷たいものを感じ、殆ど本能的に身体を逸らす。
同時に、一瞬前までレイの身体があった場所を貫く短剣。
その短剣の剣先は何らかの液体に濡れており、それが毒だと判断するのは、ここであった出来事からそう難しくはない。
「……何のつもりだ?」
デスサイズを手に、運営委員の男へと尋ねるレイ。
その声に険が籠もっているのは当然だろう。いや、その苛立ちの向かう先は、相手の本性を見抜けなかった己の間抜けさ加減か。
そう思いつつも相手を観察すると、ふと違和感がある。
どこかどうとは言えないが、確実に存在する違和感。
「おや、どうかしましたか? それにしても困りますね。控え室をこうまで破壊されてしまうと、上の者に怒られてしまうんですが」
つい先程自分が行った行為を全く気にした様子もなく告げる男に、更にレイの中に存在する違和感は広がっていく。
まるで言動と行動が別々であるかのような、そんな感覚。
そんな表情のまま、男は再びレイへと向かって短剣を振るう。
「全く、闘技大会に出場している選手の方はどなたも乱暴で困ります。勿論それを否定はしませんよ? そういう方でなければ大勢の前で戦おうとはしないでしょうし。ですが、控え室をこのようにされてしまっては、こちらとしても……」
そう告げつつ短剣が振るわれる。
表情と行動が一致していないが故に、その動きは非常に読みにくい。
短剣に毒がついているというのも、厄介さを増している理由だろう。
自分の肉体が通常の人間とは違い、ゼパイル一門の技術を結集して作られたものであるのは知っている。だが、それでも怪我を負えば痛いのは当然であるし、毒を食らえば死にはしなくてもそれに苦しめられるのもまた当然だ。
そんなのは普通の状態でもごめんだし、何より3日後にはノイズとの試合がある。
こんな場所で余計なダメージを受けるような真似は、絶対に避けたかった。
男の振るう短剣の動きを読みつつ、ふと気が付く。
振るわれている短剣の速度は、とても素人に出せるような代物ではないと。
その割には技の冴えと言うべきものがなく、刺客として訓練してきたわけではないのだろう。
同時に、視界の隅にある人形の男達の死体。
それを見て、理解する。
「なるほど、お前もあいつらと同じか」
「はて、何の話でしょうか? 何か選手間で問題でも起きたのなら、申し訳ありませんが闘技大会は失格とさせて貰います」
完全に話が通じていないにも関わらず、何故か微妙に会話の受け答えが成立しているのに微かに眉を顰めるレイ。
だがそのやり取りで確信を得た。この男も、自分が斬った人形の男達の同類なのだろうと。
「ちっ、二段構えか。さすがに用意周到だな」
「はい、分かりました。では次の対戦相手はハルバードの使い手となりますので、準備が出来たらお呼びします」
自分でも既に何を言っているのかは分かっていないのだろう。そう告げながらも男は短剣を大きく振るってレイにその刃を突きつけんとする。
それを回避しながら、レイは手に握られているデスサイズを突きつけようとし……その動きを止めた。
もしも今ここで自分が目の前の男を殺してしまえば、色々と面倒なことになると理解した為だ。
先程殺した男達とは違い、今目の前にいるのは闘技大会の運営委員なのは間違いない。そうである以上、ここで殺してしまえば闘技大会を失格に……ひいては、ヴィヘラやテオレームから受けた依頼の目立ってベスティア帝国上層部の注意を引きつけるという依頼も失敗に終わる可能性が高い。
(出来れば気絶させて取り押さえたいところだが……無理だろうな)
上半身と下半身を切断されても動いていた人形の男の件を思えば、ここで気絶させるような攻撃をしても効果がないというは簡単に予想がつく。
「厄介だな」
「そうですね。ですがこれも闘技大会を円滑に進めていく為のルールですから」
相変わらずの、噛み合っているようで噛み合っていない会話。
その会話に舌打ちをした、その時。控え室の扉の方から大声が発せられる。
「おい! これは一体……」
叫びつつ扉から顔を出したのは、30代程の男。レイの前で短剣を振るっている男と同じ制服を着ているのを見れば、どのような素性の人物かというのはすぐに理解出来る。
「リロネイ!?」
男の口から出たのは、レイに襲い掛かっている男の名前だったのだろう。
だが、リロネイと呼ばれた男はそんな男に全く反応を示さないままにレイへと短剣を振るう。
「リロネイ、何をやってるんだ! 止めろ……止めろって言ってるんだよ! お前、正気か!?」
「予選から本戦に出場出来るのは、上位三名までとなっています」
必死に呼びかける男だが、その効果は一切ない。
「くそっ、どうなってるんだ……リロネイ!」
「無駄だ……よ!」
自らの顔面を狙って突き出された短剣をデスサイズの石突きの部分で弾いたレイが、そう告げる。
焦ったところがないのは、寧ろこの状況に安堵している為だろう。
つまり、自分が一方的にリロネイを殺した訳ではないというのを証明出来る人物が現れたことを。
「見ての通り、完全に洗脳されている」
「……洗脳? 誰がそんな真似を」
「さて、な!」
その言葉と共に短剣の一撃を回避し、石突きでリロネイの足を払う。
幾ら強化されているとしても、本人の素質までは強化出来なかったらしく、リロネイはその場に転ぶ。
同時に掬い上げるような一撃でリロネイの顔面を殴り、空中へと打ち上げる。
そのまま床に落ちてきたリロネイの背中へと強引に足を乗せ、入り口付近にいる男へと向かって口を開く。
「この男はそっちで引き取って貰えるのか?」
確認する意味を込めて。