0625話
二回戦が終わった、その夜。悠久の空亭の食堂でレイやロドス、風竜の牙の3人が食事をしていた。
どこか微妙な空気が漂っているのは、やはりヴェイキュルが負けてしまったせいだろう。
負けたということであればモーストも既に負けているのだが、やはりそこは魔法使いと盗賊の違いといったところか。
そんな中、不意にルズィがパンを口に運びながら口を開く。
「ま、ヴェイキュルが負けてしまったのはしょうがないけど、それは相手が強かっただけだろ。そこまで気にする必要はないと思うがな」
ヴェイキュルの気持ちを慮っているとは思えない一言。
だが、その言葉はどこまでも真実であった。
確かにヴェイキュルが負けたのは卑怯な手を使われた訳ではなく、何らかの反則をされた訳でもない。純粋に正面から戦っての結果だったのだから
……勿論反則はともかく、卑怯な手云々というのは見方を変えれば相手の戦術が上手く嵌まったと見ることも出来る。
特にヴェイキュルが本戦一回戦で使ったような指弾は、正々堂々と戦うのを主としている者にしてみれば卑怯な手以外のなにものでもないだろう。
だが、盗賊であるヴェイキュルがそのような奥の手を持つのはおかしなことではない。寧ろ、当然といえるだろう。
そもそも正面から戦うのを好むのなら、それこそ騎士や戦士にでもなればいいのだから。……騎士や戦士の中にも正々堂々と正面から戦うという以外の方法を好む者もいるが。
それを理解しているのだろう。ヴェイキュルは持っていたコップにエールを注ぎながら、大きく溜息を吐く。
「単純に私の実力が足りなかったってのは分かってるわよ。それでも悔しいものは悔しいんだから、しょうがないでしょ。……何? 負けた私が悔しがるのも悪いって訳?」
「そこまでは言ってない。お前のその負けん気の強さは長所でもあるんだしな。それに、初めて闘技大会に出場して本戦まで出場したんだ。十分に結果を残していると思わないか?」
「……そうですね。だからこそ、ああいう人達も来たんでしょうし」
ルズィの言葉に同意するようにモーストが視線を向けた先にいるのは、見るからに騎士といった格好をした3人。
悠久の空亭の食堂にいるのだから、恐らくはこの宿に泊まっている貴族の手の者であるというのは、容易に想像出来た。
(スカウト……か)
レイもまた、シャキシャキとした歯応えのサラダを口に運びながら内心で考える。
ルズィの言った通り、闘技大会初出場にして本戦二回戦まで進んだとなれば、それは立派な実績だ。将来性を目当てにして接触してくる者がいたとしても、少しもおかしくない。
レイ自身にもその類の話を持ってくる者はいたのだから。
もっとも、レイの場合はダスカーに丸投げして断って貰っているのだが。
ダスカーにしても、もしその引き抜きを受ければギルムからレイがいなくなってしまうだけに、全てを問答無用で断っている。
お互いの利益が見事に一致した形だった。
だが、それはあくまでもダスカーが辺境伯という地位にいて、更には大国でもあるミレアーナ王国の三大派閥の一つ、中立派の中心人物だからこそ出来ることだ。
そのような後ろ盾の存在しない風竜の牙のような者達は、何とか波風を立たせない形で断らなければならなかった。
「風竜の牙のヴェイキュルさんですね? 私の主が少し話したいと言っているのですが、少しよろしいでしょうか?」
騎士の一人が丁寧な口調でヴェイキュルへと声を掛ける。
普通であれば、騎士が冒険者に向けて掛ける言葉ではない。
何故このように礼を尽くしているかといえば、それはやはりヴェイキュルが闘技大会の本戦二回戦まで勝ち進んだことが影響しているのだろう。
「……少しの時間でよければ」
そう告げ、先程までの酔いもどこかに消え去ったかのように、澄まし顔で立ち上がった。
本人としては向こうの誘いに応じるつもりはない。それをはっきりと言いたいのだが、この場合は貴族からの誘いを問答無用で断ったりすれば、相手の面目を潰すことになる。
そのままヴェイキュルが騎士と共に去って行くのを見送り、ふとモーストが呟く。
「酔っ払ってなくて良かったですね」
「……確かに」
ルズィですら、その言葉には同意してしまう。
もしも貴族の前に行った時に、酔っ払ったヴェイキュルの悪癖でもある脱ぎ癖が発動したら色々な意味で大変なことになる。
笑って済ませられるような器の大きい貴族ならいいが、下手をしたらそのままベッドにお持ち帰りされる可能性も……そんな風に考え、ふとヴェイキュルが貴族の愛人になっている様子を想像したモーストが皮肉げな笑みを浮かべた。
(それはそれで見てみたい気もしますが……愛人云々以前に、その貴族は色々な意味で男として使い物にならなくなるでしょうね。もっとも、そうなれば僕達も帝都にいるのは危険になるでしょうが)
ヴェイキュルが去って行った影響で少し落ち着いた雰囲気が訪れたのだが、それを破るかのようにレイが口を開く。
「それにしても、これで風竜の牙の中でも勝ち残っているのはルズィだけか」
「そうだな。ただ、さっきヴェイキュルにも言ったけど、初めて闘技大会に参加して全員が本戦に出場出来たし、手応えはあったな」
ルズィの口から出た言葉に、微かに眉を顰めるレイ。
その口調が、まるで自分も2回戦で負けると言っているように思えた為だ。
「何だ、これ以上勝ち進むつもりはないのか?」
だからこそ、そんなからかうような口調で尋ねる。
だがルズィはレイの言葉に獰猛な笑みを浮かべ、無言で視線を送る。
「まさかな。折角ここまで勝ち上がってきたんだ。それなら行けるところまで行くさ。それに……明日の戦いで勝てば、次はランクSの不動と戦えるんだ。こんな絶好の好機を逃す筈もねぇ」
そう告げてくるルズィからは、自分の力がどこまでランクS冒険者に通じるのか……はたして勝つことが出来るのか、あるいはまだまだ壁は遠いのか、そんな風に思っているのが見ているだけで分かる。
(羨ましいようで、羨ましくない。何なんだろうな、この微妙な気持ちは)
ルズィを見ながらそう考えるレイ。
確かにノイズと先に戦えるというのは羨ましい。だが、そのノイズと直接会ったことがあるだけに、今のままではまだ及ばないというのも実感として分かるのだ。
ノイズと互角に渡り合う為には、今よりももっと自分という刃を鋭くしなければならない。そうでなければ、ノイズという刃にあっさりとへし折られる……いや、斬り裂かれる未来しか感じられない。
「……不動、か。父さんより上のランクSってのは初めて見たけど、色々と言葉が出ないな」
レイと同じようなことを思ったのだろう。ロドスもまたワインの入ったコップを口元に運びながら、うんざりとした溜息を吐く。
エルクという人物と長年同じ時を過ごしてきただけに、ノイズという人物の得体のしれなさを理解しているのだろう。
自分では遠く及ばないと。
(けど……それもこれも、全てはレイに勝ってからなんだけどな)
そもそも、ロドスがこの闘技大会に出場する最大の理由は、レイという壁を超えたいからだ。それこそ、レイがノイズを壁として見ているように、ロドスもまたレイを自らが超えるべき壁として見ている。
それも、ただの壁ではない。一目惚れした相手が恋心を抱いている壁だ。
戦いも恋も、そのどちらもが圧倒的に低い勝率だが……それでもロドスは負ける訳にはいかない。負けたくない。そんな思いで闘技大会に出場したのだ。
「……何だか色々と白けちまったな。肝心の主賓もいなくなってしまったし、今日はお開きにするか」
ルズィのその言葉に皆が頷く。
特にルズィは、明日が二回戦の試合だ。万が一にも二日酔いのままで試合に挑む訳にはいかないという思いもあるのだろう。
体調が万全ではない状況で勝ち残れる程に甘い大会ではないのだから。
「じゃ、明日は試合を見に行くから頑張れ。俺の弟子としてみっともない戦いだけはするなよ」
ルズィの緊張を解そうとしたのか、レイがどこか冗談染みた口調で告げ、食堂を去って行く。
それを見送り、苦笑を浮かべるルズィ。
「何が弟子だよ。ちょっと一緒に訓練しただけじゃねえか。それも、殆ど一方的に攻められた感じで。弟子だとか言うなら、せめて何か技術を教えておけよな」
そんなルズィの言葉に、モーストは煎った木の実へと手を伸ばしながら笑みを浮かべる。
「あはは。じゃあ短剣の使い方を習った僕はレイさんの弟子ってことになるのかな? ……ああ、でもそう考えれば、ロドスがレイさんの一番弟子ってこと? 雷神の斧の子供にして深紅の弟子とか、色々と凄いのかもしれないね」
「……ああ、そうだな。だが、弟子は師匠を超えていくものだ」
それだけを告げ、ロドスも去って行く。
どこかいつもと様子の違うロドスに首を傾げたモーストだったが、本戦で勝ち残っていることによる緊張だろうと判断すると、体調を整える為に戻っていくルズィを見送り、ヴェイキュルが戻ってくるまで待つことにする。
幸い、一時間もしないうちに戻ってきたヴェイキュルは、特に不機嫌そうな様子も見せていないことから変に話が拗れることもないまま終わったのだろうと、安堵の息を吐くのだった。
「うおりゃあああぁぁっ!」
ルズィの放つ気合いの声と共に振るわれる、クレイモア。
普通のクレイモアよりも大きめに作られているその大剣は、ルズィの腕力によりかなりの速度で相手へと向かう。
「はあああああああぁっ!」
それに対するのは、ルズィと同じくらいの身長と体格を持つ……女。
レジュルタという名前を持つその女は、これでもかとばかりに筋肉が付いている。その身体は決してルズィに力負けをしないだろうと思わせるものであり、事実ルズィと互角にやり合っていた。
手に持つのは、長柄の武器。先端には緩やかに反った大きな刃がついており、長い柄もついている。
ハルバードや槍のような長柄の武器の一種であり、グレイブと呼ばれているものだ。
間合いではグレイブの方が有利であり、一撃の重さは武器の重量が勝っている分クレイモアの方が有利。
そんな戦いが繰り広げられている場で、何故かルズィの顔には笑みが浮かんでいた。
また、それはルズィだけではない。対戦相手のレジュルタも、ルズィ同様に笑みを浮かべている。
「どりゃああぁっ!」
ルズィが両手で握ったクレイモアを振るう。
「させないよっ!」
それをレジュルタがグレイブの刃で受け止める。
刃と刃がぶつかるも、威力ではやはりルズィの方が上なのだろう。グレイブが押し込まれそうになると、レジュルタは手首の力を抜いてクレイモアの刃を受け流し、同時にその動きをも利用して石突きの部分でルズィの足下を狙う。
「っと!」
瞬時に反応し、クレイモアを構え直しながら数歩分程後ろへと跳躍するルズィ。
後の先とも言える、自分が得意としていた攻撃をあっさりと回避されたレジュルタは、小さく目を見開いて驚きの表情を露わにする。
それに、してやったりといった笑みを浮かべるルズィ。
「こっちの攻撃を受け流してそれを利用して足下を払うってのは、俺の訓練相手に何度もやられたんでな。対応するのはそれ程難しくないんだよ」
その言葉は事実だ。上半身に攻撃を集中させ、その隙を突くかのように石突きの部分で足払いを繰り出す。
長柄の武器だからこそ可能な攻撃であり、ロドスが何度もやられていたのを見たルズィだったが、いざ自分がやられるとそれを察知して回避するのは難しく、幾度となく足を払われて地面を転がる羽目になったのだ。
それだけに、一連の攻撃は半ば反射的に回避出来るようになっていた。
「ふんっ、なかなかやるね。……けど、こっちもそう簡単に負ける訳にはいかないんだよ!」
ルズィのしてやったりとした笑みに鼻を鳴らし、レジュルタは大きくグレイブを振るう。
隙だらけのようにも見えるその一撃に、ルズィは咄嗟に攻撃しようとして様子を見ることを選ぶ。
クレイモアで受け止めるのではなく、数歩後方へと下がる。
だが……その動きこそがレジュルタの狙いでもあった。
ルズィの目の前を、轟音を立てながら通り過ぎていくグレイブの一撃。
それを見送ったルズィの目の前で、レジュルタはグレイブを振るった一撃の勢いを利用して身体を回転させる。
その結果、ルズィを襲うのは先程よりも高い威力を宿した一撃。
それを回避したルズィに、グレイブを振り回した勢いを利用して再びその切っ先が襲い来る。
グレイブの刃の部分だけではない。石突きまで使って攻撃を仕掛け、次々と振るわれ続ける攻撃の数々。
クレイモアを盾のように構えて防ぎ続けていたルズィだったが、このままでは完全に押し込まれると判断したのか、次の瞬間には半ば被弾覚悟で前へと踏み出す。
「うおおおおおおっ!」
雄叫びと共にクレイモアを振り上げ、ひたすらに目の前へ。
「なっ!」
まさかそんな手段を取るとは思っていなかったのだろう。事実、これまでレジュルタが自らの奥の手ともいえるこの攻撃を使った時の対処法は、弓や魔法といった遠距離からの攻撃が主だったのだから。
しかし……その一瞬の戸惑いが勝負を分けた。
ほんの少しとはいっても攻撃が緩んだその隙を見逃さず、ルズィは前に出る。
勿論それでグレイブの一撃を回避出来る訳ではないが、それでも威力は確実に弱まっていた。更にルズィに迫っていた一撃がグレイブの刃の部分ではなく、柄の部分だったことも幸いしたのだろう。
クレイモアを盾としてその一撃を打ち落とし、レジュルタの動きが一瞬止まったその瞬間、力の限りを込めた体当たりでレジュルタの胴体に肩からぶつかり、その一撃でレジュルタの姿は舞台の外まで弾き飛ばされたのだった。
「勝者、ルズィ!」