0619話
ドサリ。そんな音を立ててモーニングスターを握ったままの右腕が地面に落ちる。
デスサイズの一撃で切断されたのだが、その一撃の鋭さもあったのだろう。地面に落ちた腕の持ち主であるドレッドヘアの男の右肩から先は、腕が地面に落ちて数秒経ってからようやく血が噴き出す。
だが……右腕を切断されたというのに、ドレッドヘアの男の表情には痛みを示す色は全くない。
いや、寧ろ笑みすら浮かべて口を開く。
「へぇ、なかなかに鋭い攻撃だ。確かに深紅とか呼ばれているだけはあるな」
痛くないのか? そう尋ねそうになったレイだったが、すぐに止める。
ドレッドヘアの男の表情は痛みを我慢している様子が全くなく、寧ろ感心した表情すら浮かべていた為だ。
「褒めて貰って嬉しいが、お前の最大の武器でもあるモーニングスターはなくなった。後は大人しく捕まってくれると助かるんだがな?」
恐らくは無理だろうと承知しつつ告げるレイ。
目の前にいるドレッドヘアの男は見るからに快楽主義者であり、自分が楽しければ他はどうでもいいといった人種に見えたからだ。
それでも裏の組織の一員である以上は鎮魂の鐘の事情についても知っているようでもあったし、何よりもその顔に彫られている刺青に興味を持ったレイは投降を勧める。
魔法でもなく、魔力を使ったスキルの類でもない。全く未知の存在だったからだ。
だがドレッドヘアの男は、何を言っているんだこの男はとでも言いたげな表情を浮かべてレイを見返す。
右肩から血が噴き出しているというのに痛みを全く気にしていないその様子は、見る者に違和感しか与えない。
ドレッドヘアの男だけがどこか別の世界にいるかのような、そんな印象。
「折角楽しくなってきたんだから、ここからだろ……? なぁっ!」
そう告げながら、数歩移動して地面を蹴る。
普通であれば、土や小石を蹴ってレイの目潰しをしようと思った。そう判断するだろう。
だが、ドレッドヘアの男が蹴ったのは、土や小石ではなく……獣人の男の内臓だった。
胃や腸、腎臓、肝臓といったそれらの内臓は、身体を上下2つに分断されて地面に零れ落ちている。それを蹴ったのだ。
グシャリ、という生々しい音が周囲に響くのを聞いた瞬間、内臓を浴びせられる前にレイは地面を蹴って大きく横へと跳ぶ。
数m程離れた場所に着地し、そのままの勢いで再び地面を蹴り、ドレッドヘアの男の真横に向かって跳んだ。
その姿を見たドレッドヘアの男は一瞬レイが逃げるのかと疑問に思ったが、左手に持ったままだった刃を振るってそれを妨害しようとするものの……次の瞬間、その左手も肩から先が地面へと落ちる。
そう。まるでドレッドヘアの男の真横に足場があるかの如く、三角跳びの要領で距離を詰めてきたレイの攻撃を食らったのだ。
もしレイの情報を詳しく集めていれば、その足に履いているのがスレイプニルの靴という、数歩だけだが空中を歩けるマジックアイテムだというのを知っていただろう。
……もっとも、薬物により判断力が低下しているのだから、前もってその辺の情報を聞いていても今の戦いに活かせたかどうかは微妙だろうが。
「へっ、へへ……え? あれ? 俺の腕、両方ともなくなっちゃったぞ?」
右肩だけではなく、左肩からも血を流しているというのに全く痛みを感じていないその様子は、やはり異様でしかない。
ドレッドヘアの男の左腕を切断し、そのまま再びスレイプニルの靴を使って空中を足場に跳躍して大きく距離を取ったレイは、内心で舌打ちする。
(ちっ、全く痛みを感じていない。となると、痛みで情報を聞き出すのは難しいか? あの刺青に関しても色々と聞きたかったんだが……さて、どうしたものか。……ん?)
両肩から血を流しつつ笑みを浮かべている男から情報を引き出す方法に関して考えていると、ふとこちらに近づいてくる気配を感じ取る。
あるいは目の前の男の仲間か? そうも思ったレイだったが、姿を現したのは警備隊の制服を着た20代程の男だった。
「ここで何をしている! 騒がしいと話を聞いてきてみれば……ん? おい、お前その怪我は……痛くないのか?」
両肩から血を流しながらも、笑っている男。しかも顔には刺青が彫られており、どこからどうみても怪しい相手にしか見えない男に、警備隊の男は思わずといった様子で尋ねる。
だが……
「はは、ははははは……俺の両腕がなくなっちゃったよ」
「……何だこいつは。おい、そこのお前。こいつは……おい」
最初に呼びかけたのとは、また違ったおいという言葉。
その声が低く、どこか警戒するようになったのは、上半身と下半身を真っ二つにされている獣人の男の死体が目に入ったからだろう。
そしてレイはデスサイズを持っている。
それだけで、誰がこの光景を作り出したのかは明らかだった。
「血の臭いがすると思ったら……そこの男だけではなかったのか。おい、話を聞かせて貰うが構わないな?」
「……俺はレイ。闘技大会に出場している者だ。ここで訓練をしようと思っていたら、突然そいつらが襲い掛かって来たので返り討ちにした」
その説明に警備員は小さく眉を顰め、何かを思い出すようにレイの方へと視線を向ける。
「そのフード、ちょっと下ろしてくれ。顔を確認したい」
「ああ、構わない」
特に隠すべきこともない以上、レイは抵抗することもないままフードを下ろす。
そこから出ててきた顔は、確かに警備員の知っている深紅と同様のものだった。
何しろ、男は予選が行われた時に闘技場の警備をしていたのだから、直接レイの顔をその目で見ている。
それだけに見間違う筈がなかった。
「……確認した」
そして、警備兵の顔に一瞬だけ浮かぶ嫌悪。
それに違和感を覚えたレイだったが、そもそもベスティア帝国の……それも帝都の警備兵なのだ。
当然春の戦争でベスティア帝国敗戦の原因を作った自分に対して好意的である筈がないと判断する。
「それで……」
更に警備兵が何かを口にしようとした、その時。ドサリ、という音が周囲に響く。
その音のした方へと視線を向けると、そこではドレッドヘアの男が地面へと倒れていた。
血を流し続けたせいだろう。
素早くドレッドヘアの男の方へと近寄った警備兵は、腰に下げていたポーチからポーションを取り出して男へと振り掛ける。
勿論一介の警備兵に渡されているポーションだ。それ程効果が高い訳ではなく、デスサイズによって切断された腕を繋ぐということは当然出来ず、傷の回復に関しても取りあえずこのまま死ぬまでの時間は延びたといったところでしかない。
「ちっ、しょうがない。おい、悪いが詰め所までいって俺の仲間を呼んでくれ。俺はここでこの男が死なないようにポーションを使って時間を稼ぐ」
「俺が、か? 警備兵に説明するのなら、俺じゃなくて同僚のお前の方がいいんじゃないか?」
そう告げ、デスサイズをミスティリングへと収納するレイ。
ミスティリングの中には幾つかポーションの類も入っているのだが、レイにはドレッドヘアの男にそれを使うつもりはなかった。
あるいはここに警備兵がいなければ、刺青の秘密を聞き出す為にポーションを使っていたかもしれない。だが既に警備兵がここにいる以上、回復したとしても自分がドレッドヘアの男から情報を聞き出すような真似は出来ないだろう。
レイにとって、死にかけのドレッドヘアの男には既にそのくらいの価値しか見いだしていない。
自分を襲ってくる組織に関しての情報は欲しいが、先程からドレッドヘアの男の様子を見る限りではとてもではないが詳しい情報を持っているように見えなかった。
何より、言動や雰囲気が完全に常軌を逸しているというのもあった。
「一応お前はこいつに襲われた被害者だろ。だとすれば、被害者と加害者を2人きりには出来ないんだよ」
「……なるほど」
言われてみれば当然のその言葉に、レイは納得する。
幾ら加害者が既に戦闘不能状態であるとしても……否、だからこそ警備兵としては自分をドレッドヘアの男と一緒にしてはおけないのだろうと。
「分かった。じゃあ行ってくる」
「ああ、頼んだ。俺は何とかこいつが死なないように頑張ってみる」
短く言葉を交わし、早速とばかりにレイはその場を去って行く。
それを見送り、ドレッドヘアの両肩の傷口からポーションの効果が切れる度に再び振り掛けていた警備兵だったが、レイが去ってから数分程。周辺には全く人の姿がないのを確認すると、ポーションを近くに生えていた雑草に向けて全て捨てる。
その表情に浮かんでいるのは、先程までの警備兵然とした表情ではない。いや、そもそも相手を人間とすら思っていない、路傍の小石でも見るかのような表情だった。
「全く、お前達はいつもそうだ。鎮魂の鐘を追い出されたのがそんなに腹が立ったのか? その割には俺達から回される仕事をこなしていたみたいだが……対抗心だけが高すぎなんだよ」
警備兵の……否、鎮魂の鐘に所属している者としての言葉に、ドレッドヘアの男は何も答えない。
両肩から大量の血が流れ出ることにより、既に完全に意識が混濁しているのだ。
それを理解してはいるのだろう。男はドレッドヘアの男の様子を鼻で笑って言葉を紡ぐ。
「そもそも、相手は深紅だぞ? 一軍すら相手に出来る異名持ちの冒険者相手に正面から堂々と挑んでどうする? ……まぁ、奴の従魔であるグリフォンがいない時に襲撃を仕掛けたってのは、お前達月光の弓にしては考えたものだが……いや、あるいは偶然か? ともあれ、奴を襲ったのは失敗だったな。……もう聞いていないか」
ポーションを捨てた以上延命措置が出来る筈もなく、ドレッドヘアの男の命は両肩から流れ続ける血と共に少しずつ、少しずつ消えていく。
その様子を眺めていた男は、ドレッドヘアの目から完全に光が消えたのを確認すると、念の為に首筋へと手を伸ばす。
脈は非常に弱くなっており、最後のトクンッという感触と共に完全に命の炎が消えた。
それを確認し、小さく溜息。
「取りあえずは安泰だな。……ただ、月光の弓だし、またちょっかいを掛ける筈だ。まぁ、その結果こいつらの戦力が落ちるというのは俺達にとっても利益が多いんだが」
半ば持ちつ持たれつに近い関係ではあっても、月光の弓は鎮魂の鐘で扱いきれないような者達が作り出した組織だ。
その成立過程故に、どうしても鎮魂の鐘に対して対抗心を抱いている者も多いし、標的が重なるのも珍しくはない。
それに乗じて鎮魂の鐘のメンバーが傷つけられ、あるいは殺されるのも珍しくはなかった。
それ故、鎮魂の鐘としては月光の弓が弱まるというのは寧ろ歓迎すべきことなのだ。
「まぁ、警備隊に捕まって妙な情報を話されたりしなくて良かったんだろうな」
目の前で死んでいる男は、自分が見つけた時には既に頭の線が半ば切れている状態だった。
そんな状態でもし警備隊に生きたまま捕獲されたりすれば……そう思うと、ここで始末できたのは幸運だったと判断する。
(深紅がいればどうだったかは分からないが、上手く追い払うことが出来たしな)
安堵の息を吐いていると、やがて数人が走って近づいてくる足音が聞こえてきた。
その足音を聞いた瞬間、男は鎮魂の鐘のメンバーではなく警備隊の顔へと表情を変える。
「くそぉっ!」
こちらに近づいてきている者達に聞こえるように、意図的に悔しそうな大声を出す。
その声が聞こえたのだろう。近づいてくる足音が一瞬乱れる。
そのまま両肩から先を失ったドレッドヘアの男の側で拳を地面に叩きつけていると、やがて足音の主達が姿を現す。
まずはレイ。こちらは特に表情に変化はない。元々ドレッドヘアの男から有益な情報を引き出せるとは思っていなかった為だろう。
だがそのレイが連れてきた警備兵達は、自分達が間に合わなかったのだと知り表情を歪ませていた。
「……間に合わなかったのか?」
同僚の言葉に、男は顔を上げると小さく頷く。
「ああ。俺が持ってるポーションだけじゃ現状維持も無理だったよ。もう少しいいポーションなら話は別だったんだろうが」
「そう、か。けど、俺達警備兵に持たされるポーションはな……」
「ああ、分かってる。けど、今回の件の犯人から少しでも情報を引き出せればと思ったんだがな。特に月光の弓の者だろうし」
「……そうだな」
殺しを楽しむような性格の者が多くいる月光の弓は、当然警備隊にとっても不倶戴天の敵といってもいい。
これまで幾度となくぶつかり、その度に少なくない警備隊の命が失われてきたのだ。
それだけに、今回は月光の弓の情報を手に入れられる絶好の機会だったので、応援に駆けつけた警備兵達は残念そうに溜息を吐く。
「このままここにいてもしょうがない。取りあえずこの死体に関してはこっちでどうにかするから、レイ殿には今回起きた騒動の詳しい内容を聞いても構わないか?」
小さく首を振って告げてくる警備兵の言葉に、レイは大人しく頷く。
正直な気持ちではそんな面倒臭い出来事は嫌だったのだが、断る訳にもいかないと判断した為だ。
「にしても……」
呟き、チラリと両肩から先を失っている死体に視線を向ける。
(ポーションを使っても助けられない傷だった……か?)
内心で疑問を感じて首を傾げたレイだったが、警備兵に呼ばれてすぐにその場を後にするのだった。