0606話
闘技大会に深紅が出場したという話は、瞬く間に帝都中に広がっていった。
そうなれば当然春の戦争においてレイに対して恨みを持っている者達や、あるいは長年の敵対国でもあるミレアーナ王国に異名持ちの冒険者が新しく生まれたことを喜ばない勢力が活動を始める。
公の場にレイが姿を現したことから、これまで流れていた情報――筋骨隆々の大男――が間違っていたという話も広がっていく。
闘技場で直接レイを見た者が多いのだから、その情報が広まるのは早かった。
特にレイ自身の顔が繊細な印象を受ける女顔であるという影響もあり、闘技大会を見に来ていた女、あるいはそれよりも少ないが男にしてもレイを好むという者も少なくなく、結果的に深紅という人物がどのような人物なのかは瞬く間に広がっていく。
そうなれば、当然帝都に存在している他国の情報員、あるいは帝国内部の不穏分子にしても情報を得ることは難しくなく……それは自らの主君を軟禁されている第3皇子派と呼ばれる集団であっても同様だった。
「あら、随分とレイも派手にやってるわね。もうここまで情報が聞こえてくるなんて」
その情報を聞いて嬉しそうに笑ったのはヴィヘラ。
帝国内の人気や実力の関係もあり、今では第3皇子派の旗頭に据えられている人物だ。
ヴィヘラ本人としては弟の派閥の旗頭になるつもりはなかったのだが、テオレームに要望され、更には自分の熱心な信奉者でもあるティユールにも要望されては断りきれなかった。
特にティユールは第3皇子派と合流してからは自らの伝手を使って多くの情報を集め、まだどこの派閥にも属していない者、あるいは派閥に属してはいるが、能力がありながらも上に睨まれている者達を得意の弁舌で引き込み、あるいは第3皇子派に所属させるのは無理でもその派閥から抜けさせて中立とし、結果的に他の派閥の戦力を幾らかでも弱めることに成功している。
それもこれも、全ては自らが敬愛するヴィヘラの為。そんな思いで活動していたティユールにしてみれば、入って来た情報でヴィヘラが喜んでいる理由に首を傾げざるを得なかった。
「テオレーム、ヴィヘラ様のあの喜びようは……」
ティユールの視線を向けられ、一瞬言葉に詰まるテオレーム。
だが、このまま事情を隠しておいて最終的に事態が混乱するのは避けた方がいい。そう判断して口を開く。
「深紅の異名を持っているレイとヴィヘラ様は、ミレアーナ王国にある迷宮都市エグジルで出会った。その際に色々と事情はあったのだろうが、最終的にはお互いに本気で戦い……ティユールも知っているだろう? ヴィヘラ様が自らより強い相手を求めている、というのは」
「それは勿論。だが、それはあくまでも実力に関してであって、ああまで嬉しそうな顔をなされるというのは……」
まさか。そんな嫌な予感が胸を過ぎったティユールだったが、不幸なことにその嫌な予感というのはこれ以上ない程に当たっていた。
「そうだ。ティユールの予想通り、自分と互角以上に戦うレイを相手にして、ヴィヘラ様の中ではあの者の存在が大きくなってしまってな」
「……ほう」
最悪の予想が当たった、とばかりに短く呟くティユール。
その声は低く、テオレームにして嫌な予感を抱かざるを得ないものだった。
「ティユール、もしレイに妙な真似をするようなことがあった場合、ヴィヘラ様がどんな行動をとるかは分からないぞ」
春の戦争が起きるまではレイという規格外の存在を危険視し、何とか排除しようと暗躍していたテオレームのものとは思えない言葉。
だがそれも当然だろう。去年までであれば、レイとヴィヘラは全く何の繋がりもなかったのだから。
しかし、今は違う。レイとヴィヘラの間に確固とした繋がりが出来てしまっている状態だ。それも、どちらかと言えばヴィヘラの方がレイに対して強く好意を抱いているという形で。
そんな状態で自分の部下がレイに対して手を出したりすればどうなるか。下手をすれば、第3皇子派の壊滅という結末すら脳裏を過ぎる。
戦って負けるのならまだしも、恋愛関係のゴタゴタで内部崩壊。そんな結末を迎えることは、テオレームにしても絶対に避けたかった。
「なるほど、確かにそうかもしれませんね。ですが……一度その者と直接会ってみてから決めるとしましょう」
「……私としては、あまり勧められないが」
レイという存在は、良くも悪くも個性が強い。あるいは我が強いと言い換えてもいいだろう。
それ故に、合う人間は非常に友好的な関係を築けるが、合わない人間は嫌悪感すら感じさせる。
そして、ティユールは恐らく合わない人間だろうというのがテオレームの予想だった。
元々ヴィヘラの人間的な大きさに惚れ込んでいるティユールだけに、そのヴィヘラに対してのレイの態度を見ればまず許せないだろうと。
(面倒なことにならないといいんだが……まず無理だろうな。せめてもの救いは、レイと合流するのは今回の救出作戦が終わった後の出来事になるだろうということか。忙しい時に仲間内で争うという愚を犯さずに済む)
ティユールはヴィヘラに心酔しているだけに、当然強さを求めるというヴィヘラの嗜好に沿うかの如く、本人もかなりの実力を持つ。
それこそ、その辺の冒険者や騎士といったものでは手が出せない程の実力であり、そんな人物だけにレイと戦ったりすれば間違いなく周辺の被害が凄いことになる。
「……そうなると、なるほど。では……いや、しかし。ああ、その流れでいけば……」
何やら呟いているその内容は、第3皇子派としての活動のものなのか、あるいはレイに関係するものなのか。微妙に怖くて、聞くに聞けないテオレームだった。
だが、そんな内心の懊悩を消すかのようにテオレームに対して声が掛けられる。
「失礼します、テオレーム様。ゼーオッター男爵がこちらに対して行動を共にしたいとのことです。詳しいことに関してはこちらの手紙に」
伝令の兵士からの報告と手紙を受け取ったテオレームは微かに眉を顰める。
「ゼーオッター男爵が? 彼は第1皇女派だった筈。それが、何故私達に」
呟きつつ手紙の封蝋を確認するが、そこにあるのは確かにゼーオッター男爵家の家紋の封蝋。
一瞬迷いつつも、テオレームは少し離れた場所でレイの報告を聞いて機嫌を良さそうにしているヴィヘラの下へと向かう。
「ヴィヘラ様、ゼーオッター男爵からの手紙です。こちらと行動を共にしたいとのことですが……」
言葉尻を濁して呟くその様子に、手紙を受け取ったヴィヘラは一瞬考え、すぐに思い出す。
「確か姉上の派閥の人、よね?」
「はい。なのに、私達と行動を共にしたいというのは色々とおかしいかと。ヴィヘラ様がいるからとも考えられますが、そうなると他の問題も出てきます」
「他の問題って……何かしら?」
「この機会にヴィヘラ様に危害を加えようとしている可能性は十分にあります」
「姉上がそんな馬鹿な真似をするかしら? ああ、別に私を可愛がっていたとかそういう問題じゃなくて。もしこの状況で私に手を出すような真似をして、それで失敗でもしたら私は確実に姉上の敵に回るわ。私の力を知っている姉上が、そんな真似をすると思う?」
ヴィヘラの口から出た言葉に、テオレームは数秒程考えた後で頷きを返す。
「確かにあの方がそんな危険性の高い策を取るとは思えませんね。では、どのような理由でゼーオッター男爵を送ってきたとお思いで?」
「そうね、意外と姉上も純粋にあの子をどうにかしようと思っているんじゃないかしら」
「……そう、でしょうか?」
実の妹であるヴィヘラの言葉でも……いや、実の妹であるからこそ、信じられない。
そんな思いでテオレームは言葉を濁す。
実際、第1皇女はその柔和さで有名だ。だが、そんな優しさを重視している存在が自らの派閥を作って皇位継承権の争いに首を突っ込むか? と問われれば、テオレームとしても首を傾げざるを得ない。
納得出来ない様子のテオレームを眺めていたヴィヘラは、面白そうな笑みを浮かべて口を開く。
「確かに姉上は色々と多面性を持つ人だけど、別に冷酷無比って訳じゃないわよ? 基本的には善意の人と言ってもいい。だからこそ、今回の件に関してもやり過ぎだと判断して私達に手を貸してくれているんだと思うわ」
「……それでしたら、このような迂遠な真似をせずとも直接私達に助力してもよいのでは?」
ヴィヘラが喋っているということで、レイに関しては一先ず置いておくことにしたのだろう。ティユールがそう尋ねてくる。
「そうね。確かに普通はそう思うでしょうけど、姉上が本気で皇帝の地位を狙っているというのもまた事実なのよ。もっとも、その理由はこのままだと兄弟同士で血みどろの争いになるという思いからでしょうけど」
「しかし、結果的に三つ巴……いえ、我々を合わせると四つ巴になってしまっていますが」
「兄上達の権力欲を考えると、それがいいと考えているんでしょうね。恐らくは最も良い形でどうにか落ち着かせようとしている。私はそう考えているわ」
ヴィヘラの言葉に、テオレームとティユールの2人はそれぞれ考える。
テオレームの場合は、自分達の狙いが軟禁されている第3皇子の救出であるというのを知られていること。それを知った時には一瞬胆が冷えたのだが、協力して貰えるというのであれば寧ろ好都合であると考え直す。
(けど……その為に帝都に混乱を起こしたとして、それでも私達に協力してくれるのか?)
自分達の行動は、傍目から見れば第1皇女の掌の上なのではないか。そんな思いが浮かぶが、すぐにそれは別の感情によって塗りつぶされる。 即ち、だったらどうした、といったものだ。
確かに自分達の行動は今は第1皇女の掌の上なのかもしれない。だが、自分が皇帝に相応しいと判断し、忠誠を誓っているのはあくまでも第3皇子だ。
第1皇子でも、第2皇子でも、そして第1皇女でもない。
自分達の行動が掌の上の出来事であるというのなら、その掌から抜け出せばいい。
罠があるのなら、食い千切ればいい。
それでも邪魔をしようとする者がいるのなら、その掌の持ち主の喉を食い千切る。
そんな風に考えている自分に気が付き、テオレームは内心苦笑した。
(何だかんだと言っても、私もレイに大きく影響を受けているのかもしれないな)
罠を力ずくで何とかするという時点でレイを連想する辺り、テオレームの中ではやはりレイはそのようなイメージなのだろう。
もっとも、実際に以前何度も仕掛けてきた罠をレイに力ずくで破られている以上、決して言い掛かりではない。
そんなテオレームの様子を眺めていたヴィヘラは、手を叩いてこの場にいるテオレームとティユールの注意を集める。
「さて、何をするにしてもまずは戦力が必要になるのは事実よ。いざ、ことを起こした時には、帝都にいるレイやラルクス辺境伯を始めとした人達も協力してくれることにはなっているけど、最初からそれを当てにするというのはちょっとどうかと思うしね」
「そう、ですね。正直私としては、話に出てくる深紅という人物との面識はありませんからそちらに関しては何とも言えません。ですが、他国の者と協力してことを起こすというのは、色々と外交的に不味いのも事実です」
「……確かに」
ティユールの言葉にテオレームが同意するように頷き、いざという時に備えて戦力を増やしておくという結論で話は纏まった。
「けど戦力を増やすだけというのも、有象無象になるかもしれないわね。訓練の方もきっちりとやる必要があるわよ?」
「その辺は私にお任せ下さい。……それと戦力に関してですが、何人か魔獣兵をこちらに引き入れることが出来るかもしれません」
「へぇ。シアンスがいないと思ったら、そういうこと?」
テオレームの副官であるシアンスの姿がないのを不思議に思っていたヴィヘラの言葉に、ティユールもまた納得して頷く。
「確かにここ数日彼女の姿を見ませんでしたね。しかし、魔獣兵は現在厳しい監視の下にあるという話を聞いたのだけどね?」
「……幸い、私に対して好意的な者が多くてな。向こうから接触してきた。困ったものだ」
そう口にしつつも、決して嬉しくない訳ではないのだろう。
テオレームの口元には紛れもない笑みが浮かんでいた。
「魔獣兵、聞いた話によると粗暴な者が多いという話だが……その辺は大丈夫なんだろうね?」
魔獣兵の素体とされた者達の大半が犯罪者であったりするのを思えばティユールの心配も無理はなかった。
強力な戦力かもしれないが、それ故に内部で暴れられては堪ったものではない。
そんな危惧を抱くティユールに、テオレームは頷きを返す。
「私としても、一応こちらに対する攻撃の可能性も考えてはいる。もし何かあったとしたら、この手でその始末を付けさせて貰おう」