0589話
圧倒される程に巨大。
それが視線の先に見えてきた光景を前に、レイが感じていたことだった。
辺境にある唯一の街ギルムや、ミレアーナ王国でも最大級の港町エモシオン、迷宮都市エグジルといった、レイが知っている中でも最大級の大きさを誇る街が10や20集まったそれよりも、尚大きい。それがベスティア帝国の帝都だった。
その巨大な都市をこれまた巨大な……重厚とすらいえるような城壁が取り囲んでおり、その城壁を作るだけでどれ程の労力を必要とするのか、レイには想像も出来ない。
まだ随分と帝都までは距離があるというのに、地平線一杯に広がっているようにすら見える光景。
開いた口が塞がらないというのを初めて感じていた。
「これは……凄いな」
そんなレイの隣では、ダスカーの護衛をしている騎士もまた同様に呟く。
騎士の中でも何人かはミレアーナ王国の王都にダスカーの供として行ったことがあったが、この騎士はその経験がなかったらしい。
「まぁ、ベスティア帝国の帝都だからな。唯一の都ということで、帝都以外の名前を付けない程の徹底ぶりだ。それだけ自信があるんだろうよ」
別の騎士が呟いたその言葉に、周囲の他の騎士もまた納得したように頷く。
ミレアーナ王国の王都を知っている者もこの中には大勢いるが、それと比べても尚巨大としか言いようがなかったからだ。
確かにこの光景を見れば帝都こそが唯一の都であり、敢えて帝都以外の名前を付ける必要も無いだろうというのは理解が出来る。
そんな風にレイも含めて呆然と帝都を見ている横を、他の馬車や商人、冒険者が通り過ぎていく。
立ち止まっている訳ではないのだが、少しでも急いで帝都の中に入りたいと思う者達が多いのだろう。
その理由は帝都の近くまで行けばすぐに分かった。
正門前にかなりの行列が出来ているのだ。
それこそ、1000人規模の行列が。
「……なぁ、聞きたくないけど一応聞かせてくれ。あの行列って、もしかして帝都に入る順番待ちか?」
聞きたくない。しかし聞かなければならない。そんな複雑な思いで口を開いたレイの言葉に、騎士が苦笑を浮かべて頷く。
「そうだ。俺もベスティア帝国の帝都に来るのは初めてだから何とも言えないが、恐らくは闘技大会の客が多いんだろうな」
「まぁ、ベスティア帝国を挙げての祭りのような感じだからな。当然それを楽しみにしてベスティア帝国中から観光客が来るんだろうし、他にもダスカー様みたいに周辺諸国から招待されている賓客も大勢いる」
「いや、けど……この人数を今日だけで審査するのは、どう考えても無理だろ?」
呟くレイの言葉通り、今でさえ1000人を超えると思われる程の行列が出来ているにも関わらず、次から次へと新たに行列の後ろに並んでいくのだ。
ここがどこか田舎にあるような村ならともかく、ベスティア帝国の首都である帝都だ。当然中に入る際のチェックに関しても厳しくなるのは当然であり、自然と手続きに時間も掛かるようになる。
それを考えると、レイにはとてもではないが現在並んでいる人物全てが今日中に手続きを完了出来るとは思えなかった。
だが、そんなレイの言葉に騎士はあっさりと頷く。
「そりゃそうだろ。だからほら、ああいうのを持っている奴もいる」
騎士の視線の先にはテントを用意している者の姿があった。
「つまり、ここに並んで明日まで待つ訳か。……辺境ではとてもじゃないが出来ない方法だな」
夜中になれば多種多様なモンスターが跳梁跋扈するギルム周辺でこのような真似をすれば、恐らくは大勢が命を落とす。
帝都周辺で安全を確保されているからこその光景だった。
もっとも、確実に安全だというわけでもない。ゴブリンのようなモンスターに時々襲撃される者も出てくるのだから。
半ば感心、半ば呆れといった表情を浮かべているレイに向けて、騎士の説明は続く。
「それにミレアーナ王国の王都もそうだが、審査は複数の警備兵でやっているから一度に捌ける人数は結構多い。冒険者や商人、旅人といった風に列が分けられたりもしている」
「……俺達の場合は?」
騎士の口から出た言葉が冒険者、商人、旅人といった風に分けられてはいたが、その中に貴族は無かった。
ならダスカーが率いている自分達はどうするのかという問いに、騎士は笑みを浮かべて口を開く。
「貴族は全く別だよ。ほら、あっちだ」
そう告げた騎士の視線の先には、帝都に訪れた者達が並んでいるものよりも一回り程大きい門が存在していた。
そこにも警備兵らしき人物がいるのだが、御者と数秒言葉を交わすとそのまま素通りさせている。
貴族用の門ということでそちらに向かう人数も一般の場所に比べると圧倒的に少なく、更に荷物を調べたりといったこともしていない為か非常にスムーズに門を通り過ぎていく。
「……また、随分と差があるんだな。いや、分かっていたけど」
片や下手をすれば数日野宿する必要があり、片や殆ど素通りに近い。
その待遇の差に思わず呆れたように呟くレイだったが、騎士は当然だとばかりに頷く。
「貴族と平民だ。それは当然だろ。それに、自分達が招待した貴族をわざわざ何日も帝都の外で待たせるのか? そんな真似をしたら、間違いなくベスティア帝国の面子を潰すことになる」
「なるほど、それもそうだ。……まぁ、そんな光景を見てみたくないかと言えば嘘になるが」
ふと脳裏を過ぎった、華美に着飾った貴族がテントで寝泊まりしている光景に思わずそう呟く。
騎士もレイと同じような想像をしたのだろう。無理矢理笑みを押さえるように頬をヒクリとさせていた。
そんなレイ達へと、先に進んでいた騎士の一人が声を掛ける。
「おーい、行くぞ! 時間にまだ余裕があっても、なるべく早く帝都の中に入っておきたいからな!」
「あ、ああ。分かった……す、すぐに行く……」
笑いの発作を押し殺しつつ告げる騎士。
鎧の上から腹を押さえても意味はないと思うレイだったが、そうせざるを得ない程に騎士は笑いの発作に襲われていたのだろう。
「……セト、行くか」
「グルゥ?」
自分が乗っているセトの首を撫でながらそう告げると、セトはいいの? と小首を傾げる。
色々と思うところはあったレイだったが、このまま遅れては後で注意されないとも限らない。
その為、あっさりと笑いの発作を堪えて苦しがっている騎士を見捨て、前方にいるダスカー一行へと追いつくのだった。
「あいつ、どうしたんだ?」
追いついてきたレイに、先程声を掛けてきた騎士が尋ねる。
その視線が向けられているのは、自分達よりも後方で奇妙な踊りのような真似をしている騎士。
勿論踊っているのではなく、笑いの発作を何とか抑えている状態なのだが。
「色々と溜まってるものがあるんだろ」
「……なるほど。ただ、帝都に入ったら俺達はミレアーナ王国の代表として見られることになるから、娼館とかには行かない方がいいんだけどな」
「そもそもそんな暇があるのか? 護衛だろ?」
「別に全員が全員、常に護衛をしていなきゃいけないって訳でもないさ。恐らく三交代制くらいになると思う。……それに護衛って意味ではエルクがいるし」
エルクがいる。その時点で、護衛に関しては殆ど心配はいらないと告げる騎士。
実際、ランクA冒険者というのはそれだけの実力と評判を持っている。
しかも、今回の場合は一番有名なのが雷神の斧の代表でもあるエルクだが、その妻のミンにしてもランクA冒険者の魔法使いなのだから、色々な意味で心強いと思っても無理はなかった。
(油断とかにならなきゃいいんだけどな)
そんな風に思いつつ、レイは全く別のことを口にする。
「それで、帝都の中に入ってからの予定は?」
「まずは宿だな。これから暫く……闘技大会が終わるまで帝都に滞在する事になるんだから、宿は重要だ」
「……この人混みで、今から宿を取れるのか?」
視線の先には、先程も見た帝都の中に入る為の手続きをしている無数の人々。
今日、急にこれだけの人が集まったのではない以上、当然帝都の中には既に大量の観光客やら商人、冒険者といった者達が入っているのは当然であり、それらの人々にしても知り合いの家があるといったような特殊な事情でもない限りは宿に泊まることになる。
既に宿は完全に埋まっているんじゃないか。そんな意味を込めて口に出したレイに、騎士は一瞬目を見開くも、すぐに納得したように頷いて口を開く。
「心配いらないさ。そもそも俺達は……正確にはダスカー様はこの国から招待を受けている身だ。そうである以上、宿泊施設の類は向こうで用意してくれているんだよ」
「……そうなのか?」
「そりゃあ当然だろ。そもそも、自分達で招待しておきながら自腹で宿を取って下さいなんてことになってみろ。帝国の面目は丸潰れだぞ。それに……」
言葉を濁す騎士に、レイは小さく首を傾げる。
同時に、自分の背の上で首を傾げたレイの真似をしたかのように、セトもまた首を傾げていた。
だが、騎士はそれに答えることなく何でもないと首を横に振る。
(戦勝国のミレアーナ王国からの賓客でもあるダスカー様にそんな真似をすれば、それこそ外交問題になる。……ただ、ダスカー様はともかくレイはなぁ。何らかのちょっかいを出してくる相手がいるのは間違いない。特にレイやセトはここに来るまでにも随分とその手の視線を向けられてきたし、ちょっかいを出されてきたからな)
「とにかくだ。まず帝都に入ったら城の方から案内が来る筈だ。その案内に従って宿に移動する。……まぁ、高級な宿になるのは間違いないから安心しろ。前に雨宿りの時に立ち寄った時の村のように、厩舎が空いていなくてセトが入れない、なんてことはまずないから」
「グルゥ!」
騎士の言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
幸い一般人の行列からは離れていたので特に注目されなかったが、もし近くであれば無数の視線を浴びせられただろう。
……いや、グリフォンに乗っているという時点で既に色々と視線が向けられてはいるのだが。
だが、ベスティア帝国に入ってから向けられるこの手の視線は、レイにとっては既に慣れていた。
手を出してくるのなら話は別だが、ただ視線を向けているだけの相手をどうこう出来ないという理由もある。
その為、多少は不愉快に思いつつも、レイは騎士と共に貴族専用の門へと向かっていく。
尚、先程まで笑いの発作を堪えて不思議な踊りをしていた騎士もようやく発作が収まったのか、慌てたように馬を走らせてレイ達へと追いついていた。
それ以降は特に何の問題もないまま門へと到着し、すぐに警備兵が先頭にいる馬車へと歩み寄る。
「失礼しますが、どちらの貴族の方でしょうか?」
当然だが尋ねる口調は丁寧だった。
相手が貴族である以上、無礼な真似をすれば最悪その場で斬り捨てられる……という可能性もあるのだから、そのように対処するしかなかったのだろう。
ただし、警備兵が口を開く前にレイとセトを視界に入れていたことから、大体の予想はついていたのだが。
「ミレアーナ王国のラルクス辺境伯です。闘技大会に招待されてやってきました」
馬車に乗っている御者が、警備兵に言葉を返しながら持っていた幾つかの書類を手渡す。
そこにはベスティア帝国から出された招待状と、この馬車がラルクス辺境伯のものであり、その一行の所属する者の名前が明記されており、この時期に帝都に入る他国の貴族としては一般的なものだ。
その書類に素早く目を通す警備兵。
ここで貴族を待たせると相手によっては何を言われるか分かったものではないし、かといって書類を偽造してくるような犯罪者の類がいないとも限らない為に、招待状や書類の確認も厳重にしなければならない。
厳重に確認しながら急ぐという矛盾した能力を求められる警備兵だったが、幸いこの警備兵は能力的にも優秀であり、レイとセトのようにこれ以上ない程に目立つ組み合わせを見ていたので、1分程度で確認を終わる。
「はい、確認させて貰いました。そちらの方は従魔を連れているようですので、これを掛けてください」
そう言った警備兵が取り出したのは従魔の首飾り。
レイがセトから降りて警備兵に近づき、それを受け取る。
「こちらについての説明は必要ですか?」
「いや、別に国によって違うという訳でもないんだろ?」
「はい、そうなります。……では、えーっと……はい、案内人の方が来たようですので、帝都の中に入ってからのことはあの方に聞いて下さい」
警備兵の視線の先には、門の内側で礼儀正しく一礼している50代程の初老の男の姿があった。
「では、ラルクス辺境伯ご一行様、ようこそベスティア帝国の帝都へとおいで下さいました。良き時間を過ごせることを祈っております」
こうして、ダスカー一行はようやくベスティア帝国の帝都へと足を踏み入れることになる。