0580話
今回の襲撃の黒幕と思しき存在を感知してセトと共にその場へと向かったレイだったが、そこには既に誰も存在していなかった。
一応周囲を確認し、それでも手掛かりが見つからなかったということもあり、レイとセトは結局宿へと戻ってきたのだが……
「レイ、手掛かりは……その様子だとないみたいだな」
「ああ。一応少し前まで黒幕がいたらしい場所は見つけたんだが、一足遅かった」
宿の外で待っていたロドスに対し、小さく肩を竦めて答えるレイ。
そんなレイに対しロドスは一瞬何かを言いかけようとしたのだが、すぐに首を横に振る。
自分では絶対に見つけられなかった相手を察知しただけでも凄いのだから、それに文句を言う資格はないだろうと。
「ダスカー様が待ってる。それと、一応警備兵の人達にも声を掛けておけよ。街中でのセトでの飛行は本来禁止なんだから」
「グルルルゥ」
ロドスへと不機嫌そうな視線を送ったセトだったが、レイが首を撫でると大人しく厩舎の方へと戻っていく。
その後ろ姿を見送り、宿に入ろうとしたところで……
「うっ、うわああああああ!」
そんな声が厩舎の方から聞こえてきた。
「まだ何かあったのか!?」
叫びつつ厩舎の方へと向かったレイだったが、そこで見たのは腰を抜かしている1人の警備兵と、どこか困ったように首を傾げているセトの姿。
その光景を見ただけで、レイはこの場で何が起こったのかを理解する。
確かに夕暮れの小麦亭や、あるいはエグジルにあった黄金の風亭のつもりでセトと別れたが、ここではセトを初めて見る者の方が多いのだ。
ランクAモンスターのグリフォンが単独で夜の闇の中から現れれば、それは叫び声も上げたくなるだろうと。
これに関しては完全に自分の配慮不足だったと溜息を吐き、地面に座り込んでいる警備兵へと声を掛ける。
「驚かせてしまったようだな、悪い。けど、このセトは自分から他人に対して危害を加える奴じゃないから、出来れば怖がらないでくれ……というのは無理か。まぁ、気にしない方がいい」
春の戦争であれだけの人数のベスティア帝国軍の命を奪った深紅の片割れだ。怖がるなという方が無理だろうと考えつつレイは警備兵へとそう告げ、一瞬手を伸ばそうかと思ったが、すぐに意味は無いと知り手を引っ込める。
セトを怖がるのであれば、その相棒であり深紅と呼ばれている自分もまた当然怖がられるのだろうからと。
それを理解した訳ではないだろうが、警備兵も小さく頷き、何とかその場で立ち上がる。
「い、いや。こちらこそ叫び声を上げて悪かった」
周囲には他の警備兵も何人かいるが、それぞれがどこか落ち着かない表情を浮かべつつレイやセトへと視線を向けていた。
色々と分かってはいても、それでもやはりこれまでの経験がある為、どこか忌避感が出てくるのはしょうがないのだろう。
セトもそんな周囲の雰囲気を感じ取ったのか、少し残念そうに喉を鳴らしてから厩舎へと戻っていく。
警備兵達も、そんなセトの様子に多少思うところはあったのだろう。複雑な表情を浮かべつつ、気絶している暴徒達を縛り上げる。
その手際がいいのは、やはり警備兵として働いている経験からか。
「……レイ、行くぞ」
そんな様子を見ていたレイの肩に軽く置かれる手。
そちらへと視線を向けたレイが見たのは、ロドスの顔だった。
先程の悲鳴を聞いた時、すぐに移動したレイを追ってきたのだろう。
「そうだな。じゃあ頼む。それと宿の中にも何人かいたが、痛覚を麻痺させられているような奴がいるから、そいつに関しては気をつけた方がいい」
「そ、そうだな。うん、情報感謝する」
取り繕うようにそう口を開いた警備兵へと軽く手を振り、レイはそのままロドスと共に宿へと戻っていく。
「あまり気にするなよ」
その途中、隣を歩いていたロドスが不意にレイへと向かってそう告げる。
一瞬何を言われているのか分からなかったレイだったが、すぐにそれが先程の警備兵の態度についてを言っているのに気が付いた。
まさかロドスから慰めの言葉を掛けられるとは……そんな風な内心の思いが表情に出ていたのだろう。レイの顔を見ていたロドスの機嫌が見るからに悪くなる。
「ふんっ、まぁ、お前の場合は多少ああいう態度を取られても気にはしないだろうけどな。お前を励まそうとした俺が馬鹿だったよ」
そう告げると、その場にレイを残してさっさと先へと進んでいく。
レイもすぐにその後を追い、感謝を込めてロドスの肩を叩く。
「ほら、悪かったって。ちょっと意外だっただけだから」
「……ふん」
そんなレイの言葉でも多少は機嫌を直したのか、ロドスの雰囲気が若干柔らかくなる。
その状態を見逃さず、レイは口を開く。
「ほら、ダスカー様のところに行って今回の件の報告をしないとな。お前もだろ?」
「分かってるよ!」
嫌々だというのを表情に出しつつ、それでもレイと共に宿へと入っていく。
もし誰かがその様子を横から見ていれば、恐らくは素直になれない友人同士……という思いを抱く者もいたかもしれない。
もっともそれがセトの場合は、断じてロドスとレイが友人だというのを認めはしなかっただろうが。
「なるほど。痛覚が麻痺していながら、戦闘力もそれなりの存在か」
レイとロドスの報告を聞いたダスカーが呟く。
既に部下の騎士からある程度の報告は受けているのだが、それでも冒険者の視点からの報告を聞くというのは色々と参考になることもあった。
「そうですね。それと洗脳……というよりは、感情を増幅されているといった感じを受けました。特に俺に対する憎しみはかなり強かったですし。その辺に関しては、四肢の関節を破壊したのを含めて生け捕りに出来たので、そこから何とか情報を入手出来れば……」
そこから今回の黒幕を辿れるかもしれない。
そう口にしようとしたレイだったが、戻ってきたのはダスカーが表情を変えずに首を振るのと、エルクの苦々しい表情。そして微かに眉を顰めたミン。他にもダスカーの泊まっている部屋にいる護衛の騎士が、皆似たような表情を浮かべている。
「ダスカー様?」
それに気が付いたのだろう。レイの隣で同じく報告をしていたロドスがそう口を開く。
レイとロドスの、どこか戸惑ったような疑問に答えたのはエルクだった。
「お前達がくる少し前に報告が来た。食堂とロビーで捕らえた暴徒のうち、問題の数人が全く意識を取り戻さないってな。回復魔法を使ったり、ポーションを使ったりもしたらしいが、全て無駄だったらしい」
「なるほど。情報漏洩を防ぐ為……あるいは、単純に強化した悪影響か。出来れば後者であって欲しいけどな」
情報漏洩を防ぐ為なら、昏睡させるのが目的である以上はまず目を覚ますことはない。だが強化した悪影響であるのなら、何らかの切っ掛けで目を覚ますかもしれない。
そんな思いで呟いたレイだったが、すぐに首を横に振る。
どちらの理由であったとしても、今回の件の黒幕がそれを考えに入れていないとは思えない、と。
「ああ。ま、少なくても俺達がここを発つ明日までに事情が判明するってことはないだろうな」
エルクが吐き捨てるように呟き、ガリガリと頭を掻く。
そんな自分の護衛に視線を送りつつ、ダスカーは改めてレイに向かって尋ねる。
「それで、今回の向こうの目的は何だったと思う?」
「恐らく、こちらの戦力調査といったところでしょうね。生憎とそれを仕掛けてきた奴等は取り逃がしてしまいましたが」
セトと共に黒幕と思しき者達に肉薄したということは既に報告してある。
それを聞いたダスカーとしては、出来ればここで相手をどうにかしておきたかったというのが正直な思いだった。
だが、それが難しいというのも理解せざるを得ない。
今回の襲撃が自分達の戦力調査を目的としたものであるのなら、裏で糸を引いていた者達は間違いなく何かあった時にすぐにでも逃げ出せるように準備を整えていたはずなのだから。
そして実際、レイとセトという存在を前に逃げ延びているのだ。
「厄介な相手に目を付けられたもんだな」
ダスカーの口から出たその呟きは、間違いなく本心を表していた。
「ですがダスカー様、誰が私達を狙っているのかは分かりませんが、ベスティア帝国の目をこちらに引きつけるという役目はこれ以上ない程に果たしているのではないですか?」
「まぁ、確かにミンの言う通りだ。自分達が招待した相手が夜に襲撃を受けたんだ。ここの代官と領主は間違いなく何らかの罰を受けるだろうな。何しろ、思い切り面子を潰されたんだから」
ダスカーを慰める……というより、正直に思ったことを告げたミンに、エルクが同意だというように頷く。
それがかえってダスカーの気持ちを楽にしたのだろう。身体に入っていた力が抜けて、座っていたソファの背もたれへと体重をかける。
「そうだな、確かに人目を引くという意味ではこれ以上ない程に役目を果たしている、か。寧ろレイが闘技大会に参加するよりもこのまま旅を続けていた方が役目を果たせそうな気がしてきた」
「さすがにそれは……闘技大会ならレイが1人苦労するだけで済みますが、旅を続けるとなると他の面子も苦労をすることになります」
「おい、それは俺だけが苦労するのはいいってことか?」
ロドスの言い分を聞いていたレイは、思わずといった様子で口を挟む。
だが、その当の本人のロドスはといえば、全く躊躇なく頷く。
「当然だろう。大体お前のような人外の存在が、闘技大会に出ただけでどうにかなる筈もないだろ? ならその人外さを活かして、こっちの負担を減らしてくれてもいいだろうに」
そう口にしつつも、ロドスの内心は正直微妙だった。
確かに自分が口にしたように動けば、楽に帝国の目を引くという仕事は出来るだろう。
だが、そうなれば間違いなくヴィヘラの視線もまたレイへと向けられるのだ。
いっそ、自分が闘技大会に出てみるのもいいのでは? ふとそう思い……それ程悪くない考えのように感じる。
確かに自分はレイと比べると知名度は低い。
だが、それでもランクAパーティの一員でもあり、同時に年齢を考えるとランクC冒険者で、それなりに腕が立つと言っても過言ではないのだからと。
そして何よりも、もしかしたら……本当にもしかしたら、あのヴィヘラという人が自分を見てくれるかもしれない。
ゴトで初めて会った時には、魅了の魔法でも使われているのではないかと思う程に目を引きつけられた。
勿論ロドスにしても美しい女というのはそれなりに接したことはある。ランクAパーティで行動しているのだから、それは当然だった。
ギルムのギルドマスターや、姫将軍のエレーナ、そして何よりも自分の母親のミンといった風にだ。
それでもあれ程に意識を引きつけられたのは、初めての経験だった。
しかしその魅力的な相手は、恋愛に疎いロドスから見てもレイに惹かれているのが分かる程であり、またレイにしてもそれを拒否する訳でもない。
(俺が闘技大会で活躍すれば……もしかしたら彼女は俺にも目を向けてくれるかもしれない。なら……)
内心で意を固めるように呟いたロドスは、ダスカーに向かって口を開く。
「ダスカー様、闘技大会ですが……俺、いえ私も出場しても構いませんか?」
「何?」
いきなり何を言い出すんだ? そんな視線をロドスへと向けるダスカーだったが、その生みの親でもあるエルクとミンはやっぱりか、とでも言いたげな表情を浮かべる。
ただし、エルクは面白そうな笑みであり、ミンは感心しないといった表情であったが。
「ベスティア帝国の目を引きつけるのなら、確かにレイがいれば十分でしょう。ですが念の為ということで、そこに雷神の斧のメンバーでもある私が出場すれば、より注目を集められるかと。それに護衛に関しては母さんと父さんの二人がいますし」
ロドスの口から出た言葉を聞いて数秒考えたダスカーは、確かにと頷く。
「第3皇子派の狙いは、あくまでも自分達の主君の救出。だとすれば、向こうの注目を引きつける要素は少しでも多い方がいいのは間違いない」
一旦ロドスの言葉を認めるかのようにそこまで告げたダスカー。それを聞いたロドスが安堵の息を吐いた、その瞬間。
「だが、ベスティア帝国の目を引きつけるともなれば、当然予選敗退では意味がない。それは理解しているな?」
「勿論です。予選を勝ち抜き、無事に決勝トーナメントまで勝ち進んでみせます」
ダスカーとしては、ロドスの提案は一長一短だった。
確かに決勝トーナメントまで出場すれば帝国の目を引きつけることも出来るし、ミレアーナ王国の冒険者が高い能力を持つと知らしめることも出来る。同時に、その冒険者を雇っているダスカー自身の株も上がるだろう。
ロドスという冒険者が、雷神の斧というランクAパーティの威光ではなく自身の力を示せるというのもダスカーにとっては都合がいい。
だが……それも全ては決勝トーナメントまで残ることが出来ればこそ、だ。
予選で負けるようなことになれば、その全てがマイナス評価へと反転する。
「……エルク」
「決勝まで残れるかどうかってのは分からないが、相応の実力があるというのは保証するよ」
短い問い掛けで戻ってきた答えに、数秒考え……やがて頷いて口を開く。
「分かった、ロドスの闘技大会出場を認めよう」