0559話
「えーっと、確かあの村がゴトで間違いない、よな?」
ギルムを旅立ってから11日。視線の先に見える村の姿を、春の戦争が行われた時に通った記憶と手の中にある地図を頼りに呟く。
「グルゥ?」
どうするの? と喉を鳴らしてくるセトの首筋を撫でながら口を開く。
「そうだな、間違っていたらその時に聞けばいいか。この前みたいに盗賊がどうこうって訳じゃないし」
本来セトの空を飛ぶ速度を考えれば、レイ達が目的とするゴトにはもう数日早く到着してもいい筈だった。だが、結局はレイの予想通りに道を間違えることになり、あるいは盗賊のアジトへ、あるいは冒険者がモンスターとの戦いで苦戦している場所へといった具合に意図しない寄り道が何回かあった。
もっともレイにも言い分はある。以前にセレムース平原へと向かった時には地上を移動したのだ。当然セトが飛ぶように空を移動するのとは大きく違い、その差もあって道に迷ったのだと。
(まぁ、盗賊のアジトではある程度の武器や金を入手出来たし、盗賊も全滅させてきた。冒険者の件も危なかったから助けてセレムース平原への道を聞けたんだから、結果的には問題なかったよな)
そんな風に考えている間にも、セトが滑空するかのように地上へと向かって降下していく。
最後に軽く翼を羽ばたかせ、同時に衝撃を吸収するように着地する。
ゴトからはまだ少し離れているが、それでもグリフォンが降下してくるような光景は見過ごすことがなかったのだろう。
セレムース平原の近くにある村ということで、その辺の警戒が強いのかもしれないが。
ともあれ遠くから見ている限りでも村の中が騒がしくなっているのが見えたが、それでもどうせセトを連れて行けば同じことだろうと判断したレイは、ゆっくりセトと共にゴトへと近づいていく。
村の周辺には小麦が既に収穫寸前と言ってもいい程に実った畑があり、一面の小麦の絨毯を作り出している。
そんな小麦畑を見たレイは、日本にいた時に毎年見ていた黄金の稲穂が広がっている光景を思い出しながら村へと進んで行き……
「と、止まれぇっ!」
村の門へと近づいたところで、そんな裏返った声が聞こえてくる。
その言葉通りに足を止め、視線を声のした方……門の近くへと向けると、そこには5人の男が鍬や棍棒といった簡単な武器を持ってレイに警戒の視線を向けている。
ただしセトのようなグリフォンを見るのは初めてなのだろう。完全に腰が引けており、恐らくセトが鳴き声を上げただけで逃げていくのは確実に思えた。
レイとしても別にゴトを制圧するとか、あるいは脅すといったつもりはないので、セトと共に歩みを止め、5人と10m以上の距離を開けて向かい合う。
「お、お前……グリフォンを連れているってことは、深紅か?」
男達の代表なのだろう。一番先頭に立っている30代程の男が鍬を手に叫ぶ。
10m程離れている為に叫ばなければ声が届かないのだが、その行為が逆に村の中の住人やレイに気が付かずに畑仕事をしていた者達の注意を引き、恐る恐るとではあるが村の入り口へと村人が集まってきた。
見る間に増えていく人数に安心したのだろう。レイに質問してきた男はようやく落ち着きながらレイの方へと改めて視線を向ける。
確かにグリフォンを連れている。だが、それを従えているのはまだ15歳程の少年でしかないことに気が付き、安堵の息を吐きつつも疑問に思う。
本当にあの子供が深紅なのか、と。
ゴトという村はセレムース平原の近くにあり、それだけに春の戦争での情報は詳細に入ってきた。その中でも一際目立ったのが、ベスティア帝国の先発隊を丸ごと焼き滅ぼし、大鎌を振るってその身が血の色で塗れたところから深紅の異名を付けられたという人物のもの。
だが、村の前にいる人物は確かにグリフォンを引き連れてはいるが、その特徴的な大鎌を持っている様子もないし、何よりもその見た目が若すぎた。
(もしかして全くの人違い?)
そんな風に思った村人達だったが、レイはセトの背を撫でつつ頷く。
「そうだな、確かに俺は深紅と呼ばれている。一応ミレアーナ王国軍側として戦争に参加したんだから、そこまで怖がる必要はないんじゃないか?」
「そ、それは……いや、けど噂と全然違うぞ。大鎌も持ってる様子はないし!」
「ん? ああ、ほら、これでいいか」
男の言葉に、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
柄の長さだけでレイの身長を優に超える程の大きさを持ち、刃も1mと巨大だ。その姿は、まさに死神の大鎌と呼ぶに相応しい存在感を放っていた。
「これで疑問は晴れたな?」
「……あ、ああ」
現物を見せられては、村人達としても信じない訳にはいかなかったのだろう。デスサイズから受けるプレッシャーに頷く村人達を見ながら、レイはその大鎌をミスティリングの中へと収納する。
「あ、あんたが深紅だっていうのは分かった。けど、こんな小さな村に何の用件だ?」
「その前にちょっと聞きたいんだが、ここはゴトでいいのか?」
「ああ。ここはゴトの村だ。……で、用件は?」
「どうやら今度は当たり、か。いや、ちょっと待ち合わせにな」
「待ち合わせ?」
レイの言葉に、集まっていた村人達が其処此処で不思議そうに呟く声が聞こえてくる。
(……ん?)
だが、レイはそんな村人達の中で1人だけ奇妙な態度を取っている男がいるのに気が付く。
待ち合わせ。そう告げた途端に不自然に視線を逸らした、その男を。
外見は20代程か。それなりに整った顔立ちをしており、農作業のおかげか体つきもしっかりとしている。
少なくてもレイとその男を2人並べた場合、殆どの人物が男の方を冒険者だと判断するくらいにはガッシリとした体格をしていた。
そんな体格をしている男だけに、一瞬の動揺は余計にレイの目を引いたのだが。
「おい、待ち合わせってこの村でか?」
村人の言葉に、レイは頷き口を開く。
「ああ。とは言っても、時間的にはもう少し掛かるだろうが……」
レイ自身はセトに乗って空を移動したが、待ち合わせ相手のヴィヘラとテオレームは地上を移動しているのだ。それを考えれば、ゴトに到着するのはもう暫く先になるのは確実だった。
「……おい、どうする? 本当に深紅だとしたら、ここで断るのは不味いんじゃないか?」
「噂で聞いたようにグリフォンを連れて大鎌を持っていたんだし、本当だと判断してもいいと思うけど……」
「けど、もう暫く掛かるって言ってるんだろ? どうするんだよ。村に宿屋なんか無いってのに」
「じゃあ誰かの家に泊めるってのか? 冗談じゃねえ。俺はごめんだぞ。大体無駄飯を食わせるような余裕はないんだ」
「とにかく村長に……」
村人同士が小声で相談する。
それでもレイに聞こえないようにと小声で話している辺り、それなりに気を遣っているのだろう。
もっとも、レイの聴覚がそれを聞き逃すことはなかったが。
そんな中で1人の村人が口を開く。
先程レイを見て挙動が不審になった人物だ。
「もしよければ僕の家に泊めようか? 幸い僕は1人暮らしだから、部屋も余っているしね」
「……いいのかよ、ルチャード。1人ってことは、何かあった時に誰も呼べないってことなんだぜ?」
「ま、こうして見る限りだと、とても悪い人には見えないし。それに……」
ルチャードと呼ばれた男は、そこで一旦言葉を切ってレイの方へと近づいてくる。
「初めまして、僕はルチャード。一応君を泊めてもいいとは思ってるんだけど……条件というか、お願いが1つあるんだ」
「何だ?」
「その、見ての通りこの村はそれ程裕福じゃない。君はともかく、君の連れているグリフォンが満足出来るような余裕はちょっとないんだ」
「グルゥ?」
ルチャードの口から出た言葉に、首を傾げるセト。
そんなセトの可愛らしい仕草を見て、村人達の顔が緩む。
相手がランクAモンスターであるというのを一瞬忘れてしまったかのような態度だったが、それもすぐに元通りになる。
それでもレイやセトに向けられる視線は、若干ではあるが一瞬前よりも間違いなく柔らかくなっていた。
その様子にほっと安堵の息を吐きつつ、レイは問題無いと首を振る。
「セトは見ての通り賢いから自分で自分の食料は調達出来るし、俺もセトの食べ物は十分に持ってきている。ああ、ちなみに俺の分の食事に関しても考える必要はない。自前で用意してあるからな」
正確には、村で食べているような食べ物よりも遙かに美味い料理がミスティリングの中に大量に入っているというのが正しい。
だがそれを知らないルチャードは、首を傾げて不思議そうに呟く。
「特に何も持ってるようには見えないけど?」
筋肉質な身体で首を傾げるという行為は、どこか見ている者の笑みを誘う光景があった。
だが本人はそれに気が付いていないのか、不思議そうにレイへと視線を向けるだけだ。
「さっきもデスサイズを出して見せただろ。あれと同じようなものだと思えばいい」
「……なるほど。最後にもう1度確認するけど、この村にはそれ程余裕がないから、君達に対して出せる食事とかは基本的に無いし、あっても僕たちが食べてるのと同じような粗末なもので、とてもじゃないけど異名持ちの冒険者が食べるような料理じゃない。それでも構わないんだね?」
最後の確認の意味を込めて尋ねられたその質問にレイが頷くと、ルチャードは安心したように頷き、周囲の者達を見回す。
「今見て貰ったように、彼は食事も自分で用意するらしい。宿に関しては僕の家を貸すし、セトとかいうそのグリフォンもこうして見る限りでは誰彼構わずに襲うようには見えない。……とは言っても、さすがにグリフォンを村の中で堂々と放しておくのは色々と不味いから、出来れば村の外で行動して貰うってのでどうかな?」
ルチャードの言葉に村の者達が小さく囁き合って相談するが、やがて意見が纏まったのだろう。
最初にレイへと声を掛けてきた男が代表して口を開く。
「分かった。食料の類も渡さなくてもいいと言うし、何よりルチャードがそこまで言うのなら信用してもいいと思う。けど、お前は本当にいいのか? その……見ず知らずの相手を家に泊めて」
「ああ、僕は問題無いよ。それに深紅と呼ばれる程に実力のある人だ。もし彼が何かを力ずくでどうこうするつもりがあるなら、そもそもこんなに友好的に話し掛けてきたりはしないと思うし」
ルチャードの口から出た言葉は、その話を聞いていた村人達を安堵させる。
実際、その通りなのだ。
もしレイが力ずくで何かをしようというのなら、その力はこの村にいるような者達でどうにかなるものではない。
それこそ春の戦争でベスティア帝国軍が多大な被害を受けたように、一方的に蹂躙されるだけだ。
それを理解したからこそ、村の者達も警戒を解いたのだろう。
「さ、僕は彼を家に案内してくるから、皆は仕事に戻って欲しい。まだまだ日は高いんだから、休憩時間までは頑張ろう」
ゴトの中でも逞しい肉体と穏やかな気性から一目置かれているルチャードの言葉に、皆が散っていく。
それを見送ったルチャードは、レイの方に振り向くと数秒前とは違ってやや硬くした表情で話し掛ける。
「さ、付いてきて下さい。僕の家に案内しますから」
「……」
そんなルチャードの様子を訝しそうに見ていたレイだったが、やがてついてこない理由を勘違いしたのだろう。小さく、だが確実にレイにだけ聞こえる声で口を開く。
「詳しい話に関しては、僕の家でお話しします」
「……分かった。セト」
「グルゥ?」
どうしたの? と首を傾げてくるセトに、レイはそっと頭を撫でながら口を開く。
「悪いが、暫く村の外で遊んでてくれ。今はまだセトの姿に驚いて、村人達と遊んだりは出来ないし。……そうだな、腹ごしらえでもしてきてくれ」
「グルルルゥ……グルッ!」
少し残念そうにしながらも、セトは小さく頷くとそのまま数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて空中を駆け上がって行く。
それを見送ったレイは、これでいいだろとルチャードへと視線を向ける。
「では、ご案内します」
小さく頷き、レイの先頭に立って歩き続け……やがて村の中でも外れに近い場所にある家へと到着した。
特に際立って大きな訳ではなく、あるいは小さい訳でもない。
この規模の村に住んでいる村人の住居としては一般的な大きさの家。
1人暮らしをしていると考えれば確かに大きいかもしれないが、ルチャードにしても生まれた時から1人で暮らしていた筈もない。
「さ、どうぞ。数年前に両親が死んでからは僕1人だから、遠慮しないで上がって下さい」
「そうさせて貰おう」
言葉を返し、家の中へと上がっていく。
確かに1人暮らしなのだろう。広さの割には掃除が行き届いていないのか、若干散らかっている印象があった。
そんな家にレイを上げ、念の為とばかりに玄関から外を見回して誰もいないのを確認する。
そうしてレイと向かい合い、口を開く。
「改めて、初めまして。僕はルチャードと言います。それで質問なのですが、レイさんが待ち合わせをしているという人物について教えて貰えますか?」