0554話
領主の館での用事を済ませたレイは、依頼の完了を報告する為にギルドへと向かう。
結局レイが先行してゴトへと向かう件については、エルク達雷神の斧がギルムに戻ってきてから事情を話してから旅立つということに決まり、そのことがレイを微かに困らせていたのだが……その件も結局はミンに丸投げをすると決めてしまうと、それ以降は悩む必要はないとばかりに気楽な心中になっていた。
「グルルゥ?」
そんなレイに対して、隣を歩いているセトが喉を鳴らしながら何があったの? とばかりに視線を向けてくる。
「いや、面倒臭い……というか適材適所って言葉がこれ程素晴らしいと思った時はなくてな。それよりも、ほら。少し早いけど昼食用に結構な屋台が出ているし、何か食っていかないか?」
「グルルゥ!」
やった、と嬉しそうに鳴き声を上げるセトを引き連れ、色々な屋台に寄りながらギルドへと向かう。
エルクの件はミンに任せると決めたので、機嫌が良かったのだろう。レイはいつもよりも多くの食べ物を屋台で買っては、セトと共に味わいつつ大通りを進んでいく。
「お、どうしたセト。今日は機嫌がいいな。ほら、上手い具合に串焼きが焼けてるぞ」
「こっちのサンドイッチは、夏の食材を多く使っているから今だけだよ。ほら、セトも食べたがっているのを見れば、どれだけ美味いのかが明白だろう?」
「待ってよ、なら私の……」
『夏に熱いスープは駄目だろ』
最後の1人のスープを売っている屋台の店主の言葉に、周囲の屋台の店主達が声を揃えて告げる。
そんなやり取りをしながら、更に屋台で色々と購入し――スープも勿論買った――たレイとセトはギルドへと到着した。
(夏だからこそ熱い食べ物や飲み物で暑気払いするって日本で聞いたことあるけど、こっちではそういう風習はないのか?)
そんな風に考えつつ、早速とばかりにセトへと群がっていく子供や数少ない大人を眺めながらレイはギルドへと入っていく。
さすがにギルムに戻ってきてから2日程が経てば、一時期程のセトに対する熱狂的とすら言ってもいい人気は落ち着いてきており、今ではセトと遊ぶのが好きな子供が殆どとなっている。
勿論セトの愛らしさに衝撃を受けた大人もいるが、ミレイヌ程に我を忘れてのめり込む者はそうはいない。
……それは、極少数はいるということなのだが。
「わーい、セトちゃんセトちゃん。遊ぼうよ!」
「あ、干し肉持ってきたけど食べる?」
「僕は果物貰ってきたよ!」
そんな声を背中で聞きながら、レイはギルドへと入っていく。
当然の如く既に朝の最も混み合う時間は過ぎているのでギルドにいる冒険者の数は少なく、併設されている酒場もこの時間帯から酒を飲んでいる者は数少ない。
……それでもいないと言い切れないところが、冒険者が冒険者たる由縁か。
そんな風にギルド内部を軽く見回し、知った顔もいなかった為か特に気にせずカウンターの方へと向かう。
そこで待っていたのは満面の笑みを浮かべた猫の獣人ケニーと、どこか心配そうな表情を浮かべているレノラだった。
勿論受付嬢は他にも何人かいるが、ケニーやレノラ以外とはあまり親しくないレイはまっすぐにケニーの方へと進み……丁度そこへ狙ったように依頼ボードを見ていた冒険者が向かうのを見て、レノラの方へと向かう。
その様子にケニーは一瞬鋭い視線を自分に向かってくる冒険者へ向けるが、冒険者は意図してケニーとレイの会話を邪魔しようとした訳ではなく純粋に依頼を受ける為だったので、ケニーは営業用の笑顔を浮かべてその冒険者と話を進める。
「おはようございます、レイさん。……まぁ、ちょっと遅いですが。とにかく無事に帰ってきたようで何よりです。レイさんの実力を思えば、盗賊を相手にして怪我をするということは心配していませんでしたけど、相当に腕の立つ盗賊だという話を聞いてましたから……」
カウンターの上に置かれた、ダスカーのサインが書かれている依頼書を見て安堵の息を吐くレノラ。
レイがそのランクに相応しい……あるいはそれ以上の実力を持っているというのは知っているのだが、レイがギルムに来て右も左も分からない時から担当のような位置にいたレノラにしてみれば、レイがどれ程腕が立とうとも弟のように感じていた。
もっとも、それはレノラが末っ子で上にしか兄弟がいないというのも関係しているのだろう。
そんなレノラだったので、最近ギルムの近くに出没するという、腕が立ち、更には襲った相手は皆殺しか攫っていくという盗賊達の討伐隊にレイが参加したと事後承諾的に依頼を発注したことになっていた為、どうしても心配していたのだ。
「ま、何とかな」
「幾らレイさんが強いとは言っても、相手も相当の腕利きらしいですからね。特に盗賊だけあって、罠とかも仕掛けますから。……無事で良かったです」
改めて安堵の息を吐くレノラに、レイもまた小さく笑みを浮かべて頷く。
「では依頼書の方、受け取らせて貰いますね。今回の報酬に関しては既に受け取っているという認識でいいんですよね?」
「ああ。幸い向こうがいいものを溜め込んでいたからな。そっちから貰った」
「そうですか、では少々お待ち下さい。こちらで依頼終了の手続きをしてきますから」
小さく頭を下げ、奥の方へと引っ込んでいく。
普通の依頼であればレノラの方で依頼の完了を受理することが出来るが、今回の依頼はギルムの領主でもあるラルクス辺境伯のダスカー直々の……しかも緊急の指名依頼だ。そうなれば当然受付嬢の権限で受理出来るものではなかった。
そんなレノラの後ろ姿を見送って暇になったレイは、何となくギルドを見回す。
その途端、ギルドに入ってから向けられていた視線が外されていくのを感じる。
(ま、もう慣れたけどな)
自分の外見やその能力が異質だというのは理解している。そして前日に行われた新人達との模擬戦でも、自分がどんな風に思われているのかを改めて理解していた。
事実、自分に向けられている畏怖や恐怖といったものが多分に混ざっている視線だったのだから。
「レイ君、どうしたの?」
それだけに、こうして自分に気安く声を掛けてきてくれるケニーには救われることがあった。
依頼の受理を終え、冒険者がギルドから出て行ったのを確認したケニーの言葉に、レイは小さく首を振る。
「こうしてギルドを見回すと、帰ってきたなって気がしてな」
「そう? 普通冒険者が想像するギルドと言えば、朝とか夕方の混んでる時間帯だと思うんだけど。……もっとも、レイ君がそんな時間帯にギルドに来ることは殆どないか」
ケニーのどこかからかうような言葉に、レイは小さく肩を竦めて言葉を返す。
「迷宮都市のエグジルにいた時は、何度か混んでいるギルドに行った経験があるぞ」
「へぇ……レイ君にしては珍しいわね」
「何しろダンジョンだからな。どうしても時間帯を考えるとそうなる時もあるんだよ」
酒場の類が併設されていない、純粋にギルドとしての機能だけを持ったエグジルの冒険者ギルドを思い出しながらケニーと話していたレイだったが、やがてカウンターの奥からレノラが戻ってくるのに気が付くとそちらへと視線を向ける。
どこか浮かない顔をしたレノラに、レイは内心首を傾げた。
盗賊の……より正確には盗賊行為を行っていた傭兵団、血塗られた刃の討伐補助という役目はこれ以上無い程に達成した筈だ。
寧ろレイが主力になったと言っても言いすぎではない程に。
そして依頼主のダスカーにしてもそれは認めていた。
なのに何故浮かない顔をしているのかと。
ケニーもそれに気が付いたのだろう。不思議そうな表情を浮かべつつ口を開く。
「どうしたのよ? 何か不味いことでもあったの?」
「あったって言うか……レイさん、ギルドマスターがお呼びです」
「マリーナが?」
レノラの言葉に、レイはギルムのギルドマスターであるマリーナ・アリアンサの姿を思い浮かべる。
銀髪と褐色の肌を持つダークエルフで、長い寿命を持つだけあって人間では出せない程の色気を放つ人物。
何故かパーティドレスのような服を好んで着るという趣味があり、これまで幾度かレイが会った時はいつも胸元や背中が派手に露出しているパーティドレスで、エレーナやヴィヘラに勝るとも劣らない程のボディラインを包み込んでいた。
レイが脳裏でマリーナの姿を思い浮かべているのを察知したのだろう。見る間にケニーの機嫌が悪くなる。
自らの最大の利点でもある色気、あるいはセックスアピールだが、それが自分よりも上であると分かっているからか。
「……ふーん、でもなんでギルドマスターが?」
「さぁ? 私は呼んできて欲しいって言われただけだし。ってことでレイさんをちょっと借りていくわね」
「分かったわよ」
丁度冒険者がカウンターに向かってきたのを見つけた為か、特にそれ以上何を言うでもなくケニーは大人しく引き下がる。
そんな悪友の姿にちょっと驚きつつも、レノラはカウンターの中へと入るようにレイを促す。
「さ、どうぞ。レイさんもギルドマスターの執務室がある場所は知っているでしょうが、一応案内させて貰いますね」
そう告げるレノラだったが、その時に冒険者の相手をしながらケニーが目でレイとギルドマスターを2人切りにしないように訴えているのには、きっちりと気が付いていた。
「失礼します、ギルドマスター。レイさんをお連れしました」
「入ってちょうだい」
扉の向こうからの声に従い、レノラが執務室の扉を開ける。
中には以前何度かレイが足を運んだ時と特に部屋のレイアウトが変わった様子もない。
「ご苦労様、下がっていいわよ」
マリーナは部屋に入ってきたレノラとレイを確認すると、再び書類に目を通しながら口を開く。
「え、ですがその……」
このまま下がってはケニーに何を言われるか分からない。そんな思いで思わずレノラが口籠もるが……
それだけでレノラが……より正確にはケニーが何を心配しているのか理解したのだろう。読んでいた書類を執務机の上に置きながら楽しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫よ。別に誘惑したりはしないから」
小さな笑みと共に艶やかな唇から出たその言葉に、レノラは思わず下を向く。
自分の考えが見抜かれていると理解した為だ。
「えっと、その……失礼します」
結局それ以上は言い募ることが出来ず、レノラは執務室から出て行った。
それを見送ったレイは、どこか呆れた様に口を開く。
「あんまり苛めるなよ」
「あら? これは可愛がっているって言うのよ? ……それよりも座ってちょうだい。ちょっと話しておかないといけないことがあるから」
そう告げ、執務机から立ち上がりソファの方へとレイを誘う。
今日のマリーナは、深緑色のパーティドレスを身に纏っており、胸元と肩が派手に開いている。
もっともマリーナと同レベルの美しさを持ち、踊り子や娼婦の如き衣装を身に纏っていたヴィヘラと行動を共にしていたレイだ。以前程照れた様子もなく、マリーナの向かいにあるソファへと腰を下ろす。
それを見たマリーナは何かに気が付いたように小さく笑みを漏らすが、それ以上は何を言うでも無くレイへと視線を向ける。
両者共が何も口に出さず部屋の中に沈黙が広がるが、2人はその沈黙を特に気にした様子もなく……いや、寧ろ沈黙を楽しむかのように時が過ぎていく。
だが、そんな沈黙もやがて破れる。
「ねぇ、レイ。ベスティア帝国に行くって聞いたんだけど、それは本当なのかしら?」
「耳が早いな」
自分の言葉を遠回しに認めるその発言に、マリーナは小さく溜息を吐く。
「一応聞いておくけど、レイが春の件でベスティア帝国ではどう思われているのか知っているわよね?」
「その辺に関しては、ダスカー様の護衛ということで付いていくからそれ程心配はいらないと思うけどな」
「確かにそうかもしれないけど、所詮それは表向きでしょ? 裏ではどんな手を使ってくるか分からないわよ? 大体、なんでそうまでして帝国に行きたがるのよ」
マリーナの口から出た言葉に、レイは目の前にいるダークエルフの女が今回の件を全て知っている訳ではないと判断する。
もっとも、ダスカーにしても言えることと言えないことがあるのは当然だろう。
「情報の入手先はダスカー様か?」
「ま、そんなところね。今回の盗賊の件の指名依頼をダスカー様からされた時に大まかには聞いてるわ」
小さく肩を竦めながら呟くマリーナの言葉を聞き、レイは内心で納得する。
ベスティア帝国に出向くのだから、行って戻ってくるのにそれなりに時間が掛かるのは事実だ。そうである以上、ギルムの中でも腕利きのレイを暫くダスカーが占有するということになり、その辺の事情を説明したのだろうと。
(もっとも、さすがにヴィヘラやテオレームに関しては説明していないらしいけどな)
そんな風に思いつつ、レイとマリーナは会話を続ける。