0543話
「なんつーか、お前も忙しいな」
「いや、全く。俺としても、もう少しゆっくり休みたかったんだけどな」
「グルルゥ」
正門の警備兵から呆れたように言われた言葉に、レイは小さく肩を竦めて言葉を返す。
そんなレイの横では、セトもまた同意するかのように鳴き声を上げていた。
領主の館を出て、いつものように庭で遊んでいたセトと合流したレイは、そのまま夕暮れの小麦亭に向かって女将のラナに依頼で数日程ギルムを留守にすると告げ、早速とばかりに正門までやってきていた。
数日分の宿を取っているのに何故わざわざ街を留守にするとラナに告げたのかと言えば、純粋にセト目当てに来た客に対しての伝言の為である。
元々レイは夕暮れの小麦亭を定宿にしてはいたのだが、荷物の殆どはミスティリングに収納されている。
その為、普通の冒険者であれば定宿を引き払う時にはそれらの荷物を運び出したり、処分したりといった手間が必要なのだが……レイに限ってはその辺の心配がいらないので、気軽に宿を引き払うことが出来ていた。
もっとも、今回の場合はあくまでも数日程留守にするだけなので、そこまで神経質になる必要はないのだが。
「ま、何にせよレイとセトが盗賊退治に出張ってくれるんなら、こっちとしては文句が無いどころか嬉しい限りだけどな」
レイに向かって言葉を掛けてくる警備兵の表情には、深刻そうな表情が浮かぶ。
警備兵として……そして何よりも辺境にあるギルムの住人として、商人達への襲撃が続くということの深刻さを理解しているのだろう。
勿論商人も護衛の冒険者を雇っている以上、全員が全員襲われる訳ではない。
襲われて撃退する者も多いが、晩夏に向かっている今の季節は、その分ギルムに向かってくる商人の数も多かった。
その中には辺境を甘く見ている者も多く、そのような者達の場合は護衛代を支払わないような者も多い。
結果的に、盗賊に襲われる商人が増えることになってた。
更に今問題とされている盗賊は、襲った相手を皆殺しにして自分達の手掛かりを極力隠すような狡賢さを持っている。
「ランガ隊長によろしくな」
「ああ」
手続きを済ませたレイは警備兵に見送られて門の外に出る。
「あ、セトだ。相変わらず可愛いわね」
丁度ギルムに入る為の手続きをしていた冒険者がセトを見かけて小さく微笑むのを見ながら、レイはそんなセトと共に街道から少し離れた場所まで歩いて移動する。
(セトも大分周知されてきたし、もうこの決まりはなくなってもいいと思うんだけどな)
そんな風に思いつつ、レイは十分に正門や街道から離れたのを確認してからセトの背へと跨がる。
「さて、行こうかセト」
「グルルルルゥッ!」
レイの言葉に鋭く鳴き、数歩の助走の後、翼を羽ばたかせて空中を駆け上がって行くのだった。
「……グルゥ?」
空を飛んでアブエロへと向かっている途中、セトが訝しげな鳴き声を上げる。
その声を聞き下を向いたレイは、地上で驚くべき光景……いや、ある意味では予想して然るべき光景を見つけた。
3台程の馬車と、それを追っている馬に乗った集団。
この世界では良くある構図ではあるのだが、何よりも驚くべきはその馬に乗った集団の数だった。
上空からざっと数えてみたところ、30騎近くはいるだろう。
それは既に盗賊団がどうこうという数ではない。寧ろどこかの国の軍隊や、傭兵団といった方が正しい。
「いや、なるほど。傭兵団か」
不意に浮かんできたその言葉に、レイは酷く納得するようなものを感じる。
実際に仕事の無い傭兵団が盗賊団に鞍替えするというのは珍しいことではない。
ただ、この辺境付近では強力なモンスターがいる為に、盗賊団になったとしても強力なモンスターや、あるいはそれらを倒す冒険者が大勢いるのですぐに壊滅させられるのがオチだが。
「けど、もしもそれをどうにか出来る程の戦力を持った傭兵団だったら? そうなれば、当然街の警備隊の戦力では荷が重く、あるいは騎士ですらアブエロに派遣されている少人数では厳しいかもしれない。……あくまでも、俺の推測でしかないけどな」
「グルゥ?」
どうするの? と後ろを見ながら尋ねてくるセトに、レイは少し考えて馬車の方へと向かうように頼む。
その頼みを聞き、死に物狂いで後ろから追いかけてくる騎馬の集団から逃げている馬車の横へと向かって降下していくセト。
最初にセトの存在に気が付いたのは逃げるのに必死になっている3台の馬車ではなく、背後から追ってきている騎兵の方だった。
距離を考えれば当然であっただろう。
そうして、降りてきたのがグリフォンであると知るや否や、先頭を進んでいた騎兵が何かの合図をする。
瞬時にそれに反応して、騎兵は馬車を追いかけるのではなく大きく曲がるようにしてレイやセト、馬車から離れていく。
(統率された動きだな。これでただの盗賊って可能性は低くなった。……いや、実は規律の正しい盗賊だったりするかもしれないが)
そんな風に考えつつ、レイはセトの上から未だに必死になって馬車を走らせている御者に向かって声を掛ける。
「おい、もう盗賊はいなくなったぞ」
「え? ……ひっ!」
突然自分の真横から掛けられた声に、御者が驚愕の声を上げる。
それも無理はないだろう。背後から馬に乗った盗賊達に追われていた時、突然馬車の隣からそう声を掛けられたのだから。
しかもセトは御者とレイの視線を合わせる為に空を飛ぶのではなく、地上を走っていた。
その状態では、普通に考えれば背後から襲ってきた盗賊達に追いつかれたと思っても当然だろう。
レイもすぐに御者の引き攣った顔に気が付つき、更には馬車の荷台から自分の方に向けて震えながらも弓を構えている40代程の商人の男を視界に入れて小さく溜息を吐く。
「安心しろ……って言っても安心は出来ないかもしれないが、俺は盗賊じゃない。ギルムの冒険者だ」
そう告げ、自分を乗せて馬車の隣を走っているセトの首筋を撫でる。
「聞いたことがないか? ギルムにはグリフォンを従魔にしている冒険者がいるって」
「……あ」
その一言で記憶が刺激されたのだろう。商人が一言呟き、弓を下ろす。
そうして馬車の速度が落ちていくと、周囲を走っていた他の馬車もまた同様に速度を落としていくのだった。
「すいません!」
レイに向かって頭を下げる商人。
先程、荷台からレイに向かって弓を構えていた男だ。
「いや、気にするな。あの状況だと俺を盗賊と見間違えてもしょうがないさ。……にしても、随分人数が少ないな」
3台もの馬車が共に行動していた為に、てっきり全部で15人程度はいるのかと思ったレイだったが、降りてきた商人の数は全部で5人。
とても3台もの馬車を所有している商隊とは思えなかった。
「……ええ、その……」
レイに向かって弓を構えたのとは別の商人が、言いづらそうに口を開く。
「まさか盗賊があれだけの馬を持っているとは思わなかったので。数騎程度の騎兵なら、何とかなると思って……」
「護衛を用意しなかった、か」
「……はい」
商人達にも色々と理由があるのだろうが、大規模な盗賊が出没しているという今の状況で、護衛も無しにこれだけの馬車を引き連れて移動するのは、鴨が葱を背負い、更には鍋や包丁、まな板、箸といった調理器具勢揃いで歩いているようにしか見えなかった。
(もっとも、あれだけの数の盗賊団だ。妙に規律も取れていたし、護衛が2人や3人いたところでどうにかなったとは思えないけどな)
そんな風に考えていると、商人の1人が言いにくそうに口を開く。
「それで、その……出来ればアブエロまで護衛をして貰えると助かるんですけど、どうでしょう? 勿論報酬はきちんとお支払いします」
「おいっ、俺達に金の余裕は……」
「けど護衛の代金をケチって、その結果全部失ったら意味がないだろ!」
「……くそっ」
そんな風に言い合いをしている商人達を眺めつつ、レイもまたどうするべきか迷う。
今の会話から何らかの特殊な事情があるというのは理解したが、自分もまたなるべく早くアブエロにいるランガ達と合流しなければいけないのだ。
そこまで考えた時、ふと思いつく。
(そもそも今回の件は、あの傭兵団だと思われる盗賊団を倒すのにここまで手こずっている訳だ。なら、別にランガと会う前にでも盗賊団の戦力を削っておくのはそう悪い話じゃない、か。あるいは上手くいけば一網打尽にしてしまうことも可能だろうし)
レイを護衛として雇うかどうかで未だに揉めている商人達に向かって声を掛ける。
「こちらの条件を呑むのなら、無料で護衛をやってもいいが……どうだ?」
無料という言葉に、商人達の口論が止まって全員の視線がレイへと向けられる。
そうして、レイに向かって弓を引いた商人の男が恐る恐るといったように口を開く。
「その条件というのは……何でしょうか? 申し訳ありませんが、私達には支払える物が殆どありませんけど」
「別に金の代わりに何か他の物を寄越せって訳じゃない。実は俺はアブエロに向かっていたんだが、その理由がさっきこの馬車を襲っていた盗賊団に対処する為だったんだよ。で、どうせなら後の為に少しでもあの盗賊団の戦力を減らしておきたいと思ってな」
「けど、あんたがいれば襲ってこないだろ?」
別の商人の言葉に、レイはセトを見ながら頷く。
尚、肝心のセトはといえば、いつものように街道の脇にある草原に寝転がって目を閉じ、周囲を警戒していた。
何も知らない者……例えばレイの前にいる商人達が見れば、恐らくただ日向ぼっこをしているようにしか見えないだろう。
30℃を超える暑さの中ではあるが。
「ああ。確かに俺が……と言うよりも、セトがいれば盗賊団は姿を現さないだろう。だから、セトには離れてついてきてもらう。で、俺は馬車の中に隠れて盗賊団が来るのを待ち受ける訳だ」
「……ちょっと待て。それってつまり、俺達を囮にして盗賊団を誘き寄せるってことじゃないのか?」
「そうだな」
商人の言葉にあっさりと同意するレイ。
それに対して商人の額に血管が浮き出て、大声で怒鳴りつけようとしたのを制するように言葉を続ける。
「俺が護衛を引き受けないよりは、囮として使われても護衛として俺がいた方がいいと思わないか? 盗賊が出てくれば、当然返り討ちにするというのは約束しよう」
「ぎっ、そ、それは……」
叫ぼうとした男が声を詰まらせる。
確かにそうなのだ。報酬を払ってレイを雇うというのが無理な以上、取れる手段としてはレイの護衛を諦めるか、あるいは自分達を囮にするというレイの言葉に従うか。
前者は命の危険があるが、後者は自分達が盗賊を引きつける為の餌にされるという屈辱を味わわなければならない。
「商人なら自らの利益となる選択をするものだと思うんだが?」
レイの言葉に皆が黙り……そんな中、レイに弓を向けてきた気弱な商人が口を開く。
「分かりました、その提案に乗らせて貰います」
「おい!」
商人の1人が思わずといった様子で叫ぶが、その言葉が口に出される前に気弱な商人は首を横に振る。
「彼が言っていることは正しい。こちらに報酬を支払う余裕が無い以上、盗賊から身を守る為にはどうしても彼の力が必要だ。深紅と呼ばれている冒険者の力が」
「それは……」
商人というのは情報が命だ。
そしてギルムではレイが……より正確にはセトが帰ってきたという情報がそれなりに広がっており、商人達も当然その話は聞いていた。
グリフォンを従魔にしている冒険者はレイ以外には存在していない以上、目の前にいるのがその人物であるというのは簡単に特定出来る。
「それに、考えようによってはこっちを狙ってくる盗賊達を一網打尽に出来るってことなんだから、それ程悪い話じゃないと思うよ。彼がいる以上、さっきの連中がまた襲ってきたとしてもその時点で向こうの全滅は確定するんだろうし。……ですよね?」
「こっちとしてはそのつもりだ」
レイとしても目の前にいる商隊を囮として使うつもりではあるが、当然傷つけるつもりはない。
「……本当にお前さんを信じてもいいんだな?」
商人の言葉に小さく肩を竦めたレイは、口を開く。
「別に信じないなら信じないでもいいんだけどな。こっちとしてはそこまでお前達に拘る必要もない。ギルムとアブエロを行き来している商人や商隊って意味では、他に幾らでもいるんだから」
「それは……」
言葉に詰まる商人を一瞥し、この商隊のリーダーであろう気弱な商人へと視線を向け、最後の意思の確認も込めて尋ねる。
「それで、俺の提案を受けるってことでいいのか?」
「はい、お願いします」
気弱な性格とは裏腹に、即断して商人は頭を下げる。
その様子に多少驚きつつも、レイはそんな商人の様子に好感を抱くのだった。