0532話
黄金の風亭にあるレイの部屋で、閃光の異名を持つテオレームの口から出た第3皇子メルクリオの救出という言葉に、レイは思わず首を傾げて口を開く。
「救出? つまり、何らかの理由で捕らえられているのを助け出すのが目的か」
そんなレイの言葉に、テオレームは冷たい視線を向けて頷く。
「そうだ。ただ、正確に言えば罪を犯して捕らえられているということではないがな」
「そうでしょうね。あの子は馬鹿なことをするような子じゃないわ。……けど、貴方がついていながら、何故そんなことになったのかしら」
ヴィヘラにしても、弟であるメルクリオが捕まったというのは想像していなかったのだろう。
その瞳には微かな動揺が浮かんでいる。
あるいは、レイと会う前にしっかりとテオレームと情報交換をしていれば問題は無かったのだろうが、そもそもヴィヘラが黄金の風亭でレイを待っているところにテオレームがやってきて、その直後にレイやエレーナが帰ってきたのだ。とてもではないが情報交換をする暇は無かった。
そんなヴィヘラの言葉にテオレームの視線はレイへと向けられ、口を開く。
「深紅、その男の行動がメルクリオ殿下が幽閉されるという現状を作り出したのです」
テオレームの言葉に、思わずヴィヘラの視線がレイへと向けられ……すぐに納得したように頷く。
「……そう、なるほど。春の戦争の責任を取らされたのね」
「はい。本来であれば敗戦の責任はカストム将軍、延いては第2皇子派に向けられる筈でした。ですが、向こうの者達に宮廷工作をされた結果、第3皇子派の私にその責が全て負わされ、結果的にはメルクリオ殿下にまで……こちらも対抗策は打ったのですが、手が及ばず」
「その結果が幽閉、か」
「……そうだ」
レイの言葉に、テオレームは奥歯を噛み締めつつ肯定する。
「兄上達はともかく、姉上は?」
ヴィヘラの口から出たのは、自らの腹違いの姉でもある第1皇女。
ヴィヘラと違って武力という面では無力に近いが、その代わりに頭が切れ、これまでに何度もベスティア帝国に有益な国策を進言してきた相手。
柔らかな風貌でお淑やかな性格をしている姉だ。
もっとも優しさだけが全てではないというのは、その経歴が証明している。
テオレームが配下に置いている魔獣兵に関しても、第1皇女の協力があってこそなのだから。
もっとも、その縁でメルクリオと第1皇女の間に繋がりが出来、結果としてミレアーナ王国との戦争が引き起こされて敗戦した責任を負わされたのだから、皮肉な結果とも言えるだろう。
「フリツィオーネ殿下としても、今は動くに動けない状況になっています」
瞳に沈痛な表情を浮かべつつ、テオレームは小さく首を横に振る。
もしも第1皇女であるフリツィオーネの協力を得られるのであれば、密かに大量の人と金を使って調べていたヴィヘラの下へと協力を要請しに来ることもなかっただろう。
テオレームにしても、一騎当千とも言える戦力を持つヴィヘラという存在は、メルクリオを皇帝の地位に就ける上での奥の手にもなり得た存在だったのだから。
「……それで私に何をして欲しいのかしら。 面倒くさい言い回しはいいから、単刀直入に用件だけ言ってちょうだい」
その言葉を聞いたテオレームは、言葉を発する前にヴィヘラから視線を外してレイの方へと向ける。
「ヴィヘラ様、その前にお聞かせ下さい。ヴィヘラ様と深紅……いえ、レイとはどのような関係なのでしょうか?」
予想とは違った方向での単刀直入な問い掛けに、ヴィヘラは薄らと頬を赤く染めながら口を開く。
「その……私が好きな人よ」
その言葉にエレーナの頬が僅かにピクリと動くが、ヴィヘラはそれに気が付いていないのか、あるいは気が付いてもそのままにしているのか。ともあれ、テオレームへと話の先を促す。
「そうですか。まだ決まった恋人同士という訳ではないのですね?」
「当然だろう」
即座に断言したのは、レイの隣で黙って話を聞いていたエレーナ。
本来であればベスティア帝国のお家事情ということもあって口を出すつもりは無かったのだが、ヴィヘラがレイの恋人という認識をされているのであれば話に口を出さずにいられない。
「……君も、随分と魅力的な方々に好かれているようだな」
そう告げつつも、テオレームの視線には薄い同情の色が浮かんでいる。
エレーナにしろヴィヘラにしろ、確かに両方とも絶世の美女と言っても誰も文句が言えないだろう美貌を持っている人物だ。
だが、同時に片やミレアーナ王国で第2の勢力を持つ貴族派の中心人物であるケレベル公爵家の令嬢にして、周辺諸国に姫将軍の異名が知れ渡っている人物であり、もう片方はこのミレアーナ王国と長年の宿敵で、春には戦争をしたばかりの敵対国家の皇族であり、他に類を見ない程の戦闘狂。
どちらもその美貌とは裏腹に、癖のありすぎる人物だった。
だが、レイはそんなテオレームの言葉に小さく肩を竦め、口元に笑みすら浮かべて口を開く。
「俺としては別に問題無いさ。……それよりも、いい加減に話を進めてくれ」
「うむ、そうだな。話自体はそう難しくはない。現在私達第3皇子派と呼ばれている者達は、先にも言った通り現在幽閉されているメルクリオ殿下を救出しようとしている」
テオレームがそこまで告げると、レイがそこに口を挟む。
「そこだ。何故無理にここで動く必要がある? 確かにメルクリオとか言うのが……」
「メルクリオ殿下、だ」
「俺はベスティア帝国の人間じゃないんだけどな。どっちかと言えばそのベスティア帝国と敵対しているミレアーナ王国の人間なんだが……まぁ、いい。これ以上話が逸れても時間の無駄だし」
小さく溜息を吐き、取りあえずそれで満足するのならとレイは言葉を続ける。
「そのメルクリオ殿下が幽閉されているというのは、確かにお前にとっては面白くないだろう。だが、だからと言って強引にことを起こす必要があるのか?」
「そうだな。確かに普通であればそうだろう。だが、こちらが掴んだ情報によると今年の末にでもメルクリオ殿下を廃嫡させるように動いている者達がいる。ただの幽閉、あるいは謹慎であれば私としても耐えただろう。だが、廃嫡となればさすがに黙って見過ごせん」
そこまで告げ、言いにくそうにヴィヘラの方へと視線を向けるものの、それでも言わなければならないとしてテオレームは口を開く。
「……その廃嫡の件を進めているのが、メルクリオ殿下の兄上のカバジード殿下とシュルス殿下のどちらかとなれば尚更に……な。それに裏の組織を動かしているという裏もとってある」
「待って、テオレーム。それは事実なの? 間違いなく?」
2つの名前が出たことに思わず声を上げたのは、レイやエレーナではなくヴィヘラ。
「そんなに驚くような相手なのか?」
そうして尋ねるレイに、ヴィヘラは自らを落ち着けるように果実水を一口、二口と飲んでから話し始める。
「テオレームが殿下と呼んでいるんだから、大体予想が付くでしょう? 第1皇子と第2皇子よ」
「……なるほど」
ヴィヘラの説明に、思わずといった様子で納得の表情を浮かべるレイ。
皇族同士の権力闘争であれば、確かに身内にも……いや、身内だからこそ容赦しない残虐な行動に出る者もいるのだろうと。
「幽閉されているメルクリオ殿下とやらを助けないと命が危険なのは分かった。それにヴィヘラの力が必要だということや、その原因が俺だというのも。……で、それをわざわざ俺に聞かせる理由は? ここまで深刻な事態なんだ、俺が聞かせて欲しいからと言ったところで、普通は話さないだろ? それも、ミレアーナ王国の貴族のエレーナがいる場所で」
普通であれば、幾らレイが事情を聞きたいと言ってもここまで詳しい話はしないだろう。
だが、レイの前に座っているテオレームはそれを口にした。
そうである以上、間違い無く何らかの理由があるのは必然だった。
それはテオレームにも伝わっているのだろう。小さく頷き、一瞬だけヴィヘラの方へと視線を向けてから口を開く。
「第3皇子派は、はっきり言って勢力としては小さい。……そうだな、ミレアーナ王国における中立派のような感じだと言えば理解しやすいだろう。そうである私達が幽閉されているメルクリオ殿下を救出する為には、何らかの隠し球が必要だ。それも、ちょっとやそっとではどうにも出来ない程に大きな隠し球であれば尚都合がいい。更に言えば、それが私達と協力関係に無いと向こうに思わせられれば最良だ」
そこまで言われれば、さすがにレイにもテオレームの言いたいことは分かった。
巨大な隠し球であり、第3皇子派……より正確にはテオレームとは協力関係にない者。
自分のことを示しているのだと。
「本来であれば、その役目はヴィヘラ様に負って貰えるように頼む為に私はエグジルまでやってきた。だが、そこにいたのがレイ、君だった」
「……で、俺の方が都合がいいと」
呆れた様な問い掛けに、テオレームは無言で頷く。
「正直、俺としては他国の揉めごとに首を突っ込むつもりはないんだが……」
そう告げたレイに、ヴィヘラは持っていた果実水のコップをテーブルの上に置き、深く頭を下げる。
重力に従って紫の髪が零れ落ちる様子を見るとはなしに見ていたレイへと、ヴィヘラは頭を下げたまま口を開く。
「私の身分の件はともかく、メルクリオは私にとって可愛い弟なのよ。それを助ける為に……力を貸してちょうだい。当然私もこの件には協力するわ。でも、私は色々と目立つのよ。元皇族だけあって、帝都まで行けば私の顔を知っている貴族も多いしね」
下げていた頭を上げて物憂げに呟くヴィヘラの言葉に、それはそうだろうとレイは頷く。
ミレアーナ王国でも姫将軍の異名を持つエレーナに勝るとも劣らぬ程の美貌を持ち、その強さにしてもエンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナには及ばないものの、普通の人間として考えれば破格の強さを持つ。
その上で皇族という地位にあるのだから、目立たない訳がなかった。
ヴィヘラの言葉の後に、テオレームが付け足すように言葉を続ける。
「更に言わせて貰えば、君の身分は冒険者だ。そちらのケレベル公爵令嬢とは違い、ミレアーナ王国の人間という訳でもない。で、あるのならベスティア帝国での仕事を受けても問題は無いと思うが」
「大ありだ」
鋭く言葉を挟んだのはエレーナ。
言葉同様に鋭い視線をテオレームへと向ける。
「確かにレイは冒険者だ。それは間違いない。だが、春の戦争でベスティア帝国軍を大量に殺している。そうであれば、レイがベスティア帝国に入れば間違い無く怨恨を持った奴が襲い掛かってくるだろう。貴様としてはそれで自らの主君を幽閉している者達の目を逸らせることが出来るからいいのかもしれないがな」
「……正直な話、戦争に参加した者でレイに対してちょっかいを掛ける奴はいない。寧ろその姿を見れば即座に逃げ出すだろう」
「戦場に出て、直接レイの実力を知っている者ならそうだろう。だが、それ以外……それこそ遺族や死んだ者の知り合いであれば、恐怖よりも憎しみが勝るのではないか?」
そこで一旦言葉を止めたエレーナは、改めてテオレームへと鋭い視線を向けたまま言葉を続ける。
「それに、今のレイはミレアーナ王国の中では実質的にラルクス辺境伯の持つ最大の武力という風に見られている。そんなレイがベスティア帝国に出向いたりすれば、間違い無くダスカー殿に迷惑を掛けることになるだろう」
そこまで告げると、エレーナは違うか? とテオレームからレイへと視線を向けて無言で尋ねる。
その問い掛けに一瞬迷ったレイだったが、ダスカーから受けた恩を思えば否とは言いがたいのも事実だった。
「もし本当にレイがヴィヘラやテオレームに協力してメルクリオ殿下の救出を行うというのなら、最低限ダスカー殿にその旨を報告してからにした方がいい。中立派という存在の協力はあって損はない」
「……え?」
思わず、と言った様子でそう口にするレイ。
どこか間の抜けた声だったが、エレーナはそれを受けてどこか呆れた様に言葉を続ける。
「何だ? もしかして私が反対すると思っていたのか? まぁ、確かに賛成か反対かで言えば反対だが、レイは止めても止まらないだろう?」
その問い掛けに、レイは無言で頷く。
レイにとってヴィヘラはエグジルで出来た新しい絆だ。向こうからの気持ちも理解しているし、それに答えられるかと言えば言葉を濁さざるを得ないが、それでもレイ自身としてヴィヘラに好意を抱いているのは事実だった。
「それに私人としてだけではない。貴族としての私としても、ベスティア帝国が国力を落とすというのは歓迎すべきことだからな」
「……ありがとう、エレーナ」
「感謝する」
ヴィヘラとテオレーム、2人の感謝の言葉が部屋の中に響き渡る。