0513話
何を聞かされた。何を言っている。分からない、分からない、分からない……分かりたくない。
ただ分かっているのは、目の前にいる存在が自分が愛し、そして限りない愛情を注いでくれた両親を殺したという決定的な言質。
許せない、許せない、許せない。
ならばどうする? あのような存在がここにいることは絶対に許せない。自分の目の前で息をしているのが許せない。笑みを浮かべているのが許せない。存在そのものを許すことが出来ない。
そう、ならばその間違った存在をこの世から消滅させてしまえばいい。そうしてこそ初めて自分のこの激情は収まるのだから。
「ん……あ……ああああああああああああああああああああああああああああっ!」
いつもは一言しか口にしないビューネが、雄叫びの如き声を上げる。
その声に宿っているのは、底が見えない程の憎悪と憤怒。そして微かな悲哀。
表情を殆ど変えることのないビューネの顔は憎悪に染まり、オレンジがかった赤と水色の宝石を愛おしげに撫でているプリへと向けられる。
だが、プリはと言えばビューネを全く気にした様子も無く、笑みすら浮かべて口を開く。
「あら、どうしたのかしら? 折角の親子再会の場なのよ? そんなに怒らないでもっと喜びなさいな」
「あ、あ、あ、あ……ああああああああああああああっ!」
プリの口から出たその一言が、最後に残っていたビューネの一線を超えさせる。
短剣を両手に、真っ直ぐ床を蹴ってプリへと向かう。
そう、その途中に立ちはだかっている人形など関係ないとでもいうように。
だが、人形達にしてみれば当然そんなビューネを黙って通す筈もない。自らの創造主の元へと向かうビューネの横からそれぞれの武器を繰り出し、傷を付けていく。
それでもビューネは止まらない。……否、止まれない。
振るわれる刃が腕を、足を、顔を、胴体を傷つけ、殴り、抉り。
そんな状態になっても全く痛みを感じた様子も無く、ただひたすらにプリの下へ……自らの両親を犠牲にして生み出されたという宝石をこれ見よがしに見せつけている憎むべき相手へと憎悪の刃を届ける為だけに走る。
それこそがプリの狙っていた瞬間だと、気が付く筈もなく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
突き出された槍がビューネの脇腹を貫く。
だが関係ない。いや、寧ろ自らの肉体で敵の武器を絡め取ったことにより、プリの下へと向かうのに邪魔をするものが1つ減る。
自らの身体の痛みすらも無視して床を疾走するビューネ。
本来であればこれまでに受けた傷の数々は、その歩みを止めるのに十分な程のものだった。だが、精神が肉体を凌駕している今のビューネにとって痛覚はほぼ麻痺しており、そのままプリへと向かって突き進む。
「トメロ! マスターノモトニムカワセルナ!」
人形の1体が叫び、矢が、長剣が、短剣が、再び振るわれる。
だが、脇腹に穴が空いている状態であるにも関わらず、その全てを邪魔だとばかりに弾き、回避し、あるいは自らの身体で止めながら進み……幾多もの剣戟の嵐を抜けた先、ようやく目の前にプリの姿を捉えることに成功する。
……ただし左手が向けられている状態のプリを、だが。
『雷の檻よ在れ』
その言葉と共にプリの左手の腕輪に嵌まっていた大きなアメジスト。そこに封じ込められていた魔法が瞬時に発動する。
発動したのは雷の魔力。だが、指輪で使われた一条の雷が走るような魔法ではなく、雷によって形作られた檻がプリの視線の先に生み出され……
「きゃああっ!」
部屋の中に悲鳴が響き渡る。
それを目を見開き、じっと見つめるビューネ。
……そう、雷の檻が完成するその一瞬前にどこからともなく現れて自分を突き飛ばし、結果的に自分の代わりに雷の檻に閉じ込められて身体中に無数の雷を食らっているヴィヘラの姿を。
「あ……あ…………あああああ……」
何が起きたか分からない。ビューネはそんな状態で雷の檻に取り込まれ、止むことの無い雷を浴び続けているヴィヘラへと手を伸ばす。
だが……
「な、にを、してる……の! 戦闘、中……に、頭に血を……上らせちゃ駄目だって……言った、でしょう!」
身体中を雷に焼かれながらも、悲鳴は最初のものだけで自分へと視線を向けているビューネに対して苦言を口にするヴィヘラ。
「あ……ああ……う゛ぃ、う゛ぃへ、ら……」
何年ぶりかで口に出したその言葉。
だが、ヴィヘラにはそれを聞いているような余裕はない。
身体中を苛み続ける雷の痛みに耐えながら、身体に宿る魔力を限界まで手甲へと集中させていく。
同時に、注ぎ込まれる魔力に反応した手甲は魔力によって生み出された爪をより長く、鋭いものへと変えていく。
「ああああああああああっ!」
雷を浴びながら、それでも強引に身体を動かして雷の檻そのものを魔力によって生み出された1m程まで伸びた爪で切断。同時にそのままの勢いで爪を振るい、茫然自失としているビューネを捕らえようとして迫っていた人形の身体が上下2つに分断される。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
息を切らせながらも、そのまま床に倒れ込むような真似はせずビューネへと歩み寄るヴィヘラ。
プリの狙いはあくまでもビューネを生きたまま捕らえることだった為に、致命的といえるダメージは受けていない。だが、それでも動けなくなる程度のダメージを与えるつもりだったのは事実であり、更にヴィヘラの防具は手甲と足甲以外には薄衣を幾重にも重ねた踊り子の如き衣装しかない。
その踊り子の衣装にしても見かけ以上に防御力の高いマジックアイテムの一種ではあるが、それでも雷で出来た檻の中に閉じ込められたダメージ全てを無効化出来る程の物ではなかった。
「あ……あ……」
「全く、しっかりしなさい……よね。私が助けたんだから……もっと冷静に、なりなさい」
近づきながらそう告げるヴィヘラは、よろめきながらもビューネの側まで移動する。
何を思ってか、今が攻撃するには絶好の好機だというのにプリはただそれをじっと見つめるだけで、手を出す様子は無い。
それどころか人形達に攻撃をしないように合図すらしていた。
……だが、プリが決して慈悲の心を持っているが故に成り行きを見守っているのではないのは、その口元に浮かぶ歪んだ笑みを見れば明らかだっただろう。
「ほら、私はもういいから……ビューネの両親の仇、なんでしょ? なら、もっと冷静になりなさい。……頭に血が上っては……駄目よ」
「う゛ぃへら」
長らくきちんとした言葉を話してこなかったせいだろう。ビューネの口から出た言葉はどこか聞き取りにくいものがある。だが、ヴィヘラはそれを気にした様子も無く微笑んで口を開く。
「ふふ、ビューネ……お父さんとお母さんの仇をしっかり、取りなさい。残念だけど、今の私はこれ以上の戦闘は無理みたいだから……」
ヴィヘラの負った傷は決して致命傷ではない。だが、戦闘に支障が無い程に軽いというものでもなかった。
それ故に自らの傷を後回しとして、ヴィヘラはビューネの腰のポシェットからポーションを取り出し、人形の攻撃で最も大きなダメージとなっている脇腹へと掛けていく。
いざという時の為にビューネが購入しておいたとっておきのポーションだけに見る間に傷が癒え始め、少なくても外側から見る限りでは傷があったことすら分からなくなる。
「ほら……いってらっしゃい。女の子なんだから……痕になるような傷を貰っちゃ、駄目よ」
「う゛ん」
そんなヴィヘラの言葉にビューネが頷く。
いつもは変化が殆ど無いその表情が今は悲痛なまでに歪み、両目の端には涙の雫が浮き上がっている。
床へと座り込んだヴィヘラをその場に残し、目を擦りながらビューネはプリの方へと振り向く。
その時には、ビューネの視線は先程までと一変していた。
力強い視線であるのは間違いない。だが、憎悪に塗りつぶされていた先程までとは違い、その視線に宿っているのは決意。
「ん!」
一声、自分自身に力を入れるようにして呟くと、そのまま再び地を蹴ってプリへと向かう。
「ふふっ、憎悪に染まった視線も美しかったけど、今の瞳もいいわ。今の貴方の状態なら予想以上の宝石が出来上がるでしょうね」
プリは呟きつつ、軽く踵で床を叩きながら口を開く。
『風の如く』
その瞬間、プリの右足首の足輪についていた黄色の宝石が光り、内部に溜め込まれていた魔法が発動する。
軽く後ろへと跳躍しただけで、通常では考えられない程の飛距離を生み出し、プリとビューネの距離が大きく開く。
「っ!?」
それに軽く驚きに眉を動かしつつも、ビューネの足は止まらない。
既に投擲用の武器として愛用している針は手元になく、短剣にしても今持っている2本が最後だ。
ここに来て、自らの身軽さを最大限に活かすために軽装だったのが大きく響いていた。
それでもビューネの足は止まらない。短剣を両手に持ちながら、プリとの距離を縮めていく。
ただし先程と違うのは、それを妨げようとする人形を無視していないことだ。放たれる攻撃を回避し、弾き、受け止め、極力ダメージを食らわないようにしながら突き進む。
「ふふっ……全く、世話が焼けるんだから。……でも、残念ながらこっちを見逃してくれそうには、ないわ……ね」
ビューネが突き進む様子を眺めつつ、呟くヴィヘラ。
その視線の先には、自分へと近寄ってくる数体の人形の姿。
本来のヴィヘラであれば、どうということのない相手。だが、今は致命的なまでに状況が悪かった。
雷の檻で受けたダメージは痺れとなってヴィヘラの身体にしつこく残っており、精密な動きはとても出来そうにない。当然戦闘の類は以ての外だ。
現状を思えば、先程ビューネのポシェットからポーションを取り出せたことそのものが、ある意味では奇跡に近いと言えるだろう。
「それでも……私が、こんな場所で死ぬ訳には……いかないのよ」
よろめきながらも起き上がりつつ、痺れのせいで魔力の爪を作り出せないままの手甲を構える。
確かに手甲の最大の特徴ともいえる魔力によって生み出された爪を使えないのは痛いが、それでもヴィヘラは黙って大人しくやれるつもりはない。
「トラエルゾ!」
その言葉と共に突き出される2本の槍。
捕らえると言っている割には狙われているのは胴体であるのを考えると、取りあえず死ななければいいという人形達の認識が明らかだった。
「飛斬!」
不意に聞こえるそんな声。同時に何かが砕ける音と同時に、身体の各所に感じる冷たい何か。
それが何なのかというのは、雷の檻によって受けた傷が見る間に癒えていくのを見れば明らかだった。
「レイ……?」
先程の声の主へと素早く視線を向けるが、そこでは相変わらずオリキュールとやり合っているレイの姿。
だが、先程までと違うのはオリキュールが押し返しているというところか。
床に落ちている容器の破片を見てその理由が何だったのかを理解し、力を失っていた足で床を踏みつける。
「全く……ポーションの容器を投げて私の上で破壊して私に中身を掛けるなんてね。普通、考えてもそんなことはしないわよ?」
誰にともなく呟きつつ、相手の傷が回復したのを見て警戒を強めて距離を取り始めた人形を見下ろす。
そこにいるのは、つい先程までの身体中を負傷してまともに立ち上がることすら出来なかった女ではない。
雷の檻からのダメージを最小限に抑える為に魔力の多くを薄衣へと使用し、更にはビューネに迫っていた人形を倒す為に手甲へと必要以上に魔力を流して長大な爪を作り出した為に魔力の多くを失ってはいたが、それでも身体の傷は癒え、体力もまた残っているヴィヘラだった。
自分の傷を癒やす為……例えそれが自分達の戦力が今より減るというのを避ける為だったとしても、自分に有利な戦闘の流れを断ち切ってまで回復させてくれたのだ。自らが戦闘狂と言われる程に戦いを好むヴィヘラだからこそ、それに恩を感じない訳がなかったし、強く印象に残る。
トクン。
オリキュールの放つレイピアとソードブレイカーの攻撃をデスサイズの刃や柄、石突きで弾いているレイを見て、不意に胸の音で小さく感じた鼓動を意識する。
(これは……何? 分からない。でも、今の私がこんな人形に負けるような気は……)
自らの中にある不思議な何か。暖かい何か。
それを意識した瞬間、不思議とヴィヘラの身体から力が湧き上がる。
「全くしないわね!」
内心の言葉の続きを口に出し、そのまま床を蹴って自らを捕らえようとしていた人形達へと向かって突き進む。
振るわれるのは拳と蹴り。
ヴィヘラの得意とする手甲から伸びる魔力の爪、あるいは足甲の踵から伸びる刃は魔力不足により使うことが出来ないが、それでも放たれる攻撃は人形の身体を粉砕し、あるいは胴体を掴んで手足を引きちぎる。
そんなヴィヘラに、人形達は戸惑いつつも周囲を囲むようにして動き……
次の瞬間、どこからともなく飛んできた何かにその胴体を貫かれ、斬り裂かれる。
鞭のように空中を自由自在に動き回りつつ、その鞭についている刀身はヴィヘラの背後へと移動しようとしていた人形を斬り裂き、そのままビューネの方へと向かっていた人形をも斬り裂く。
それがどんな武器なのか。それをヴィヘラは知っていた。
そして当然その武器を使う者の名前も知っている。
故に口を開き、その名を叫ぶ。
「エレーナ!」