0493話
エセテュスとナクトの2人をシルワ家に紹介した翌日、レイ達一行はダンジョンの地下17階へとやってきていた。
周囲に見えるのは、昨日見たのと同じような一面の緑。どこまでも繋がっている、深い森だ。
昨日と違うのは、アンデッドの階層を通らずに直接この地下17階へと転移してきた為、ゾンビの腐臭によりモンスターを集めていないということか。
降り注ぐ日差しは眩しいが、それでもダンジョンの外の35℃を超えるような暑さと比べれば寧ろ優しいとすら言ってもいい。
特に今レイ達が立っているのは、森の中にポツンと存在している空間の中にある小部屋のすぐ外である為、森の中へと入ってしまえば密集するように生えている木々の葉が太陽の光を遮るというのは確実だった。
「セト、こっちを窺っている敵の姿は確認出来るか?」
「グルルゥ」
レイの問い掛けに首を横に振るセト。
レイ達自身は前日この階層に降りてきた時にすぐに撤退したので問題はなかったが、実は地下16階から地下17階へと降りてきた時にモンスターの襲撃に遭い大なり小なり怪我を負う者は少なくない。
その最大の理由が、アンデッドの階層を通り抜けたことにより身体に染みついた腐臭だった。
地下17階層に存在している嗅覚の鋭いモンスターが、腐臭を嗅ぎつけるとすぐに集まって獲物の隙を狙う。
この階層に降りてきたばかりの冒険者達は地下16階の強烈な腐臭で鼻が麻痺しており、自分の身体からモンスターを引きつけるのに十分な臭いが染みついているというのは理解していない者も多く、この階層に降りてきてそのまま森の中へと足を踏み入れるような者はモンスターの洗礼を受けることになる。
そういう意味では、前日のレイ達の行動は正しかったのだろう。
「森の階層だから、初お目見えのモンスターはかなりいそうだな。そういう意味では、俺とセトにとってはかなり有意義か?」
「私としては、森の階層と言えば継承の祭壇のダンジョンでウォーターモンキーの集団に消耗戦をした記憶しか無いから、あまり嬉しくは無いけどな」
小さく笑みを浮かべつつ告げるエレーナ。
だが、その口元には言葉と裏腹にどこか好戦的に見える笑みが浮かんでいる。
「地図は……この階層だとしっかりとした道がある訳でも無いから、大まかな位置しか確認出来ないか」
「うむ。この階層は冒険者としても旨味の多い階層だから、自然と冒険者の踏み固めた道が出来ても良さそうなものだが、草木は踏みしめられても自然と回復するらしい」
「キュウ!」
パタパタと羽を羽ばたかせてレイ達の周囲を飛んでいたイエロが、不意に鳴き声を漏らす。
セトへと視線を向けると、こちらでも森の中へと視線を向けながら喉を鳴らしている。
「腐臭がなくても、こっちのお出迎えは万全ってことか」
「だろうな。だが、昨日とは違って敵の数は驚く程少ない。これならばそれ程手間取らずに対処出来る。……さて、では行こうか。階段のある場所は地図だと南西の方角だ。そちらに向かうとしよう」
視線を南西の方へと向け、歩み出すエレーナ。
レイとセト、イエロはその後に続く。
そして、実際に1歩を森の中に踏み入れれば木々が無数に生え、足下の草は背の高い種類になれば腰の辺りまで伸びているものもある。
蔦が巻き付き、あるいは細い木の中には棘が生えているものも多い。
自然に生えたというよりは、明らかに冒険者が進むのを邪魔するようにして生えている。
「継承の祭壇のダンジョンで入った森の階層よりも厄介だな。一応歩けないことはないというのが唯一の救いか。……セト、大丈夫か?」
「グルゥ……グルルルルゥ」
生えている木の間によっては、セトが通り抜けるのが不可能な場所もある。だが、そのような隙間もセトがサイズ変更のスキルを使って身体の大きさを変えれば、何とか進むことも可能だった。
その様子に安堵しながら、レイ達一行は森の中を進んでいく。
「野山の知識があれば、素材という意味では豊富なんだろうけどな」
目の前に伸びている蔦を、解体用のナイフを使って切断しながら呟く。
木の根元や、あるいは日陰。大きめの石の裏や、あるいは倒木付近には幾種類ものキノコが生えているのが見える。
山で育ったレイだけに、キノコについてはある程度の知識を持っている。だが、それはあくまでも日本の山に生えているキノコだけであり、同じ地球でも外国に生えているキノコは当然安全かどうかは判断出来ないし、それが異世界ともなれば見覚えのあるキノコであっても食べられるかどうかは分からない。
(あのキノコなんか、ハナビラタケに見えるんだけどな)
視線の先にあるのは、日本にいる時に何度も採ったことのある紙をクシャクシャと丸めたかのような姿をしているキノコによく似ていた。
だが、それに毒があるのか無いのかも分からない為、採りたいと思う気持ちを押さえて森の中を進んでいく。
「グルゥッ!」
そんな、道無き道を進んでいると突然セトが鋭く鳴く。同時に丁度レイ達の進路上にある木の枝が破裂したような音を出し、視界を遮っていた葉が空中へと散っていく。
セトのスキルでもある、衝撃の魔眼だ。
そうして木の葉が散った後で残っていたのは、尾を抜いても体長1.5m程の豹のようなモンスターだった。
通常の豹と違うのは、毛の色が緑でより森に溶け込めるようになっているということか。また、額に3つめの目が存在しており、尾がかなりの長さを持ち、足場にしている枝へ幾重にも巻き付いている。
「フォレストパンサーだな」
モンスターの本に書いてあった内容を思い出しながら呟くレイ。
フォレストパンサー。ランクDモンスターで、名前通りに森の中を主な活動のテリトリーにしている。
毛皮が緑色で木々に溶け込みやすくなっており、通常の豹とは違って自ら積極的に獲物を狩るのではなく、樹上の待ち伏せに特化している。
待ち伏せの手段は、枝に尻尾を巻き付けて自分の下を獲物が通った時に勢いを付けて落下しながら獲物の頭部へと鋭い前足の一撃を叩き込むというもの。
その一撃はランクBモンスターですらも一撃で倒せる威力を持つが、その代償として豹特有の素早い動きは一切出来なくなっている。
また、額にある第3の目は魔力を操って毛皮の色を周囲の景色に溶け込ませるように変えるという能力を持つ。
討伐証明部位は右耳。素材としては錬金術の素材となる第3の目の眼球、武器や防具としての素材に使える長い尾や牙、爪。食用として根強い人気を持つ肉、そして金持ちがこぞって欲しがる毛皮がある。
フォレストパンサーは何故かレイがエレーナへと情報を話している間も身動きをする様子は無い。
ランクBモンスターですらも一撃で殺せる力を持つフォレストパンサーだが、一度その隠蔽を見破られれば為す術がない。だからこそ高い攻撃力とは裏腹に、モンスターランクはDとなっていた。
「……なるほど。見つけることさえ出来れば、倒すのはそう難しくないのか」
レイの説明に頷きつつ、鞘から連接剣を引き抜くエレーナ。
無数の木々が生えている森の中では、巨大な大鎌であるデスサイズや炎の魔法を得意としているレイよりも、エレーナの方が圧倒的に戦闘力は高かった。
もっとも、レイにも槍の投擲といった攻撃手段はあるのだが。
「ふっ!」
エレーナの鋭い叫びと共に、鞭状になった連接剣が木の枝の上でじっと自分を睨み付けているフォレストパンサーへと向かって真っ直ぐに伸びる。
空中を斬り裂くような速度で飛んだ剣先が、フォレストパンサーの緑色の毛皮へと突き刺さろうとした、その瞬間。
「ゴルルルルルルッ!」
高く響いた唸り声と共に、そのままフォレストパンサーは枝の上から落下し……枝に巻き付いている尻尾にぶら下がるような形で連接剣の切っ先を回避する。
「何!?」
その行動に驚きの声を上げつつも、連接剣を手元に戻すエレーナ。
それを見届けると、フォレストパンサーは軽い反動を付けて再び枝の上へと戻る。
「……随分と器用に回避する奴だな」
予想外の行動に、エレーナはどこか呆れたように呟く。
だが、その口調の中には殆ど脅威を感じている様子は無い。
何故か。その理由としては至極単純なものだった。
回避する方法が尻尾を巻いている枝を中心に回転するしかないのなら、枝の上と下にタイミングを合わせて攻撃をすればいいだけなのだから。
勿論フォレストパンサー自身もそれを理解はしている。だが、豹のモンスターであるにも関わらず動きが非常に鈍いフォレストパンサーは、待ち伏せと奇襲に特化したモンスターだけあって、一度見つかってしまうとその長所は全て短所となる。
一撃で敵を沈める程の剛力を得た前足は、それ故に動きが鈍くなり敵の攻撃を回避出来ない。自らの体重を支えている尻尾にしても、幾重にも枝へと巻き付けられている以上はそう簡単に解くことは出来ない。
(つまり長所が転じて短所となる、か)
「レイ」
「分かっている」
内心で呟いていたレイは、エレーナの一言で何を要求しているのかを理解し、ミスティリングから槍を取り出す。
穂先が半分程欠けており、普通に使うのであれば全く使い物にはならない槍。
だがそのような槍も、レイの手に掛かれば使い捨てではあるが強力無比な武器となる。
「俺が先に行く」
「ああ。では私が下を」
短く言葉を交わし、数歩の助走を経て右手で持っていた槍を身体の捻りを加えて投擲する。
レイ自身の膂力と、投擲するタイミングの全てが一致した一撃。空中を貫くかのように放たれたその槍は、真っ直ぐに枝の上に存在しているフォレストパンサーへと目掛けて飛んでいく。
「ゴルルルルル!」
再び先程同様の鳴き声を上げ、まるで鉄棒でもしているかのようにその場で一回転をしようとして……頭部が枝の真下に位置した瞬間、エレーナの手から放たれ鞭状になった連接剣の切っ先が、額へと突き刺さる直前にエレーナの手首の返しで急激に方向転換して側頭部へと突き刺さった。
「ゴルゥッ!」
その断末魔が最後の叫びとなり、フォレストパンサーの命は潰える。
だが、枝を中心にして回っていた状態で死んだ影響か、本来であれば枝に巻き付いていた強靱な尾がそのまま外れ、フォレストパンサーの死体は地面へと激しい音を立てながら落下した。
同時に、自らの体重により首の骨が折れるゴキリとした音が周囲へと響き渡る。
予想外の成り行きに、呆然とするレイとエレーナ。
「あー、このままここでこうしていてもしょうがないし、取りあえずモンスターを回収するか。素材の剥ぎ取りに関しては森だし、血の臭いがするから止めておいた方がいいか。……俺としてはフォレストパンサーの魔石は期待出来るんだけどな」
レイの視線が向けられているのは、額にある第3の目。
毛皮を周囲の光景に溶け込ませる……つまり迷彩効果を発揮する能力を持っているのだから、セトへと使えば光学迷彩のスキルレベルが上がるのではないかと判断したのだ。
セトが幾つも持っているスキルの中で、自らの姿を消す光学迷彩というのは異彩を放っており、それだけにかなり有用性が高い。
それ故に、レイとしてはなるべくその手の能力を持っているモンスターの魔石は集めておきたいところだった。
フォレストパンサーの死体をミスティリングへと収納すると、再び森の探索を開始する。
「フォレストパンサーみたいに上手く周囲に紛れるようなモンスターが多いみたいだが……幸い、こっちにはセトがいるからな。敵に不意打ちされる心配はいらないだろう」
「グルルルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセト。
「キュウ、キュキュキュ!」
セトの背の上では、自分も役に立つとばかりにイエロもまた鳴き声を漏らす。
「ああ、任せた……っと」
そんな2匹の様子にどこかほんわかとしたものを覚えながらも、レイはナイフを振るって行く手を遮るようにして伸びている蔦を切断する。
切断された蔦が木の枝から垂れているのを見て、ふと気が付く。
「そう言えば新しいスキルを使ってなかったな」
地下16階で習得したスキルで、まだきちんと効果を確認していないデスサイズのペインバーストを思い出す。
他にも、セトの持つスキルの嗅覚上昇は森の中だと高い効果を発揮するだろうと判断してセトへと視線を向ける。
「セト、嗅覚上昇を使ってみてくれるか?」
「グルゥ」
レイの言葉に小さく頷くと共に、スキルを発動するセト。
鋭くなった嗅覚により、幾つも臭いを嗅ぎ分けることが出来るようになる。
「グルルルゥ、グル……」
周囲の様子を嗅覚で感じ取りながら、モンスターの臭いを嗅ぎ分けていくセトだった。