0487話
「……ほう。私が1人でマースチェル家へと出向いていたというのに、レイは随分と楽しそうだったようだな」
夜、宿屋のレイの部屋で今日あった出来事をそれぞれに報告している時、レイの説明を聞いたエレーナから出た第一声がそれだった。
いつもはセトと共に厩舎で寛いでいる筈のイエロにしても同様で、どこか不満そうにエレーナの座っているソファの背もたれの上からレイへと視線を向けている。
「キュウ……」
不満そうな声を漏らすイエロだったが、その声を聞いたレイは思わず呟く。
「イエロも飛竜の肉を食いたかったのか?」
「キュ!」
勿論! と鳴き声を上げるイエロだが、それを聞いていたレイの口元に浮かぶのは苦笑だ。
「一応飛竜も竜種なんだから、同族みたいなものだろうに」
「キュ?」
言っている意味が分からないとばかりに尻尾を振るイエロ。
その愛らしい仕草に一瞬気が抜けたが、小さく溜息を吐いてから再び口を開く。
「安心しろ。飛竜の肉は確かに殆ど食ってしまったけど、それでも全部食べたって訳じゃない。イエロやエレーナが食べる分くらいは残っているよ」
「キュ!」
「……別に私が不満を覚えたのは、そこではないのだが」
嬉しげに鳴くイエロとは別に、エレーナはそう呟いてから気を取り直すように言葉を続ける。
「それで、剥ぎ取りに関しては全て片付いたのだな?」
「ああ。さすがに本職の冒険者だな。素材の剥ぎ取りの手際はかなりのものだった」
自分でもそれなりに剥ぎ取りや解体に関しては経験を積んで、多少ではあっても自信が出てきたレイだったが、冒険者達の手際を見るとまだまだ自分では及ばないものだった。
特にティービアが指示を出し、皆がそれに従って素早く、そして無駄なく連携してモンスターから素材を剥ぎ取っていく様子は、今の自分では絶対に出来ないという確信を抱かされる。
……そもそも、レイとエレーナの2人で素材の剥ぎ取りをやるのが基本なのだから、連携出来ないというのはある意味でも当然なのだが。
「そうなると、明日は魔石の吸収だな」
エレーナのどこか期待するような言葉に頷き、ミスティリングの中から魔石を取りだしていく。
アースクラブ、ブラッディー・ダイル、コボルト、スパイラル・ラビット、デザート・リザードマンの5種類。その中でもブラッディー・ダイルとコボルトは2つずつの魔石がある。
デザート・リザードマンに関しても、魔石の数は1つであるが既にセトが吸収を終えているのだから、今目の前にある分はデスサイズの分だ。
尚、ワイバーンの魔石が無いのは、春の戦争で既に吸収している為に素材と共にギルドへと売ったからだった。
「……コボルトは色々と期待出来ないだろうけどな」
元々がゴブリンのような低ランクモンスターと同等レベルの強さしか持たないのだから、恐らくは無理だろう。そんな思いを込めて呟くレイに、エレーナは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「そもそも、魔石を吸収することで強さを増すことが出来るという時点で私としてはかなり羨ましいよ。……なぁ、イエロ?」
「キュ!」
自分の保護者的な存在でもあるセトが強くなるのは、イエロにしても嬉しい。だが自分もセトと同様に強くなりたいという思いは、小さな竜の身体の中にも確かに存在していた。
だが、セトとイエロは魔獣術で生み出されたモンスターと、竜言語魔法で生み出された使い魔という似て非なる存在だ。
イエロがセトのように成長していくのは不可能だし、逆にセトがイエロのように成長していくのも無理だった。
「さて、こっちの報告に関してはそれでいいだろう。……それで、そっちは? マースチェル家の当主はどんな感じだった?」
そんなレイの言葉に数秒程迷いの表情を浮かべたエレーナだったが、やがて口を開く。
「そうだな。一見すると怪しいところは無いように見えた。取り繕い方に関して言えば完璧に近いと言ってもいい。……だが」
一旦言葉を止め、イエロへと手を伸ばして自らの膝の上に移動させ、言葉を続ける。
「恐らく……いや、間違いなくマースチェル家は異常種の出来事に関わっている。ただ、それが本当の意味で黒幕かと聞かれれば、首を傾げざるを得ないのも事実だ」
エレーナの脳裏を過ぎったのは、プリの宝石へ向ける偏執狂的、あるいは脅迫的とすらも言えるような執着。
少し見せて欲しいと頼んだだけで半ば戦闘態勢に入った様子が、逆にエレーナの中でマースチェル家から戻って以降、プリが異常種の件も黒幕ではないのではないかと、首を傾げざるを得なくなっていた。
異常種が宝石と何らかの関わりがあるのであれば、素直にプリが異常種の件の黒幕であると理解していたかもしれない。
そしてもう1つ。エレーナがプリが今回の件の黒幕であると判断出来ない理由の1つに、マースチェル家に仕えている者の少なさもある。
シルワ家、レビソール家と同じくらいの大きさの屋敷ではあったが、人の気配は驚く程少なかった。それこそ、その人数であの大きさの屋敷を維持出来るのかどうか分からない程に。
それだけの人数しか仕えている者がいないというのに、あれだけ大規模な騒ぎを起こせるのか。あるいはレビソール家が表立って行動をしていた時であればそちらの人員を使えたのだろうが、今はそのレビソール家もシルワ家にしっかりと押さえつけられている。
そんな中でもレイとエレーナが遭遇した3人組や、あるいはシルワ家所属の冒険者が言っていたように別口で異常種を作り出していると思われる者達の目撃証言もあった。
(もっとも、家に仕えている者全員が屋敷の中にいなければいけないという理由も無いが……)
疑問に感じつつ、小さく首を振ってからレイへと向かって口を開く。
「とにかく詳しいことは分からないが、色々と不気味な存在であるのは事実だな。ボスクもそれを知っているからこそ迂闊に動けないのだろう。それと、エグジルをこれ以上騒がせたくないというのもあるか」
「……なるほど。ともあれ、マースチェル家が怪しいのは確定か」
エレーナの言葉を聞き、思わず溜息を吐くレイ。
何も自分達がダンジョンに挑むためにやって来た時に騒ぎが起きなくても……というのが、正直な気持ちだった。
そんなレイの気持ちを理解した訳でも無いのだろうが、エレーナは笑みを浮かべて言葉を続ける。
「何、それ程心配する必要は無いだろう。確かにマースチェル家が異常種の騒ぎに関係しているのは確実だろうが、その辺についてはボスクに任せればよい。何しろエグジルを治めている1家のシルワ家なのだからな。私達はダンジョンを攻略して、何かあったらそれを教えればいいだけだ」
「そうだな、それが一番いいか」
エレーナの口から出た言葉で多少は楽になったのか、レイは座っていたソファへ寄りかかるようにして体重を預けて深く息を吐く。
だが、次の瞬間に聞こえてきた言葉に思わずその身を硬直させる。
「どれ、たまには私が紅茶を淹れてやろう」
何故か上機嫌そうに、部屋の中に用意されているお茶の容器が置かれている場所へと向かうエレーナ。
(……紅茶を淹れる? エレーナが? いや、待て。日本でもお茶というのは習いごとにあった。それを思えば、エレーナが紅茶を淹れることが出来ても別におかしくはない筈だ。実際にエグジルに来る途中でもお茶を淹れていたし。……結局盗賊の騒動で飲めなかったけど)
内心で呟きつつも、エグジルへと向かっている時にはエレーナの代わりにレイが淹れたことを思い出す。
そんなレイの視線を女としての勘で素早く感じ取ったのか、エレーナはどことなく自慢げな色を浮かべた視線をレイへと向けて口を開く。
「私がいつまでも出来ないことをそのままにしておくと思うか? 道中の他に、エグジルに来てからもツーファルが宿を出るまでの間は教えて貰ったから、それなりには出来るようになっている筈だ」
その言葉はレイにとっても余程に予想外だったのか、思わず目を見開いてエレーナの方へと視線を向ける。
だが、それがエレーナにとっては面白くなかったのだろう。一瞬だけ視線を鋭くした後で小さく頷く。
「いいだろう。レイの今のその態度は私に対する挑戦と受け取った。……こう見えて、私もそれなりに女らしいことが出来るのを、しっかりと見て貰おうか」
まるでこれから決闘でも行うかのように言い捨てると、そのままお湯を温めるマジックアイテムへと手を伸ばし、魔力を通して茶葉の用意を調え、流れるような仕草……とまではいかないが、それなりに慣れた動きでお茶の用意をしていく。
エグジルへと来る途中での出来事を考えれば、その様子は段違いと言ってもよかった。
そして最終的にテーブルの上に出されたお茶は、確かに言うだけあってレイの舌を楽しませる。
勿論ある意味では本職と言ってもいいアーラが淹れるお茶に比べれば大分味は落ちるし、あるいは食堂で専門的に淹れている者からすればまだまだといったところなのだろう。だが、レイにしてみれば、エレーナが淹れてくれたということで舌を楽しませるには十分な味だった。
「美味いな」
「だろう? こう見えて、私もそれなりに女らしいことは出来るのだと理解したか?」
「ああ、脱帽だ」
紅茶を飲みながら素直に称賛の言葉を口にするレイに、してやったりといった表情を浮かべたエレーナは、そのまま自分の分の紅茶も用意してソファへと座る。
紅茶を飲みながら、レイとゆっくりと過ごす時間。それはエレーナにとってもレイにとっても、掛け替えのない時間だった。
エグジルの西にあるマースチェル家の屋敷。月明かり以外にも明かりを灯すマジックアイテムでそれなりに明るい中、2人の男が庭を歩いて屋敷へと向かっていた。
2人掛かりで大きな袋を持っており、その重量は袋の様子からかなりのものであることを暗に示していた。
「にしても、何だって俺達があんなイカレた女の為に働かなきゃ……」
袋の中に入っているものの重量と、夏の夜特有の蒸し暑さにより男の内の片方が苛立たしげに吐き捨てる。
「おいっ、馬鹿! ここでそんなことを口にしたら……」
「マスターニナニカアルノデスカ?」
最後まで口にすることなく、周囲にそんな声が響き渡る。
その瞬間、思わずビクリと2人の男の足が止まり、周囲を見回す。
周囲に広がっているのは月明かりやマジックアイテムで照らし出されている夜の光景のみで、その他には何もない。
だが、たった今聞こえてきた声は間違いなく実在のものであり、間違っても空耳の類ではなかった。
「だっ、誰……っ!?」
「オトナシクシテクダサイ。マスターノメイワクニナリマスカラ。ソレヨリモマスターヲイカレタ、トイッタノハアナタデスネ?」
不満を口にしていた男が、いつの間にか……そう、本当にいつの間にか自分の肩に乗っている存在に目を見開く。
人形程度の大きさしかないが、それでもこれ程の大きさの物が自分の肩の上に乗っていれば普段なら必ず気が付いた筈だった。
だが、耳元で囁かれるまでは一切気が付かなかったのだ。
「マスターヲブジョクシマシタネ?」
その言葉と共に、人形の手が振り上げられ……そして男はいつの間にか人形の手に包丁が握られているのに気が付く。
本来であれば包丁を持っている敵と遭遇しても、何とでも対処出来る力は持っている。だが、全く自分に気が付かせずにここまで近づかれると、男の取れる対応は回避するしかなかった。
「くっ!」
持っていた袋から手を離しつつ、肩にいる人形を払って距離を取り、腰の鞘から剣を抜いて薙ぎ払う。
そのつもりでいた男だったが、肩の人形は自らを払おうとした手を軽く跳躍して回避し、そのまま包丁の先端を男の眼球へと目掛けて突き刺そうとし……
「やめろっ!」
もう1人の男が、剣を鞘に収めたままで大きく振るう。
さすがにその一撃は回避しきれないと判断した人形は、振るわれた鞘を蹴って大きく跳躍。距離を取る。
「くそっ!」
命の危機が去ったと判断した男は、慌てて腰の剣へと手を伸ばそうとし……
「そこまでにしてくれるかい?」
周囲に聞き覚えのある声が響く。
そして現れたのは、宝石という宝石をその身に飾り立てた40代の女。マースチェル家の現当主、プリ・マースチェルだった。
「全く、うちの敷地内で血なまぐさい真似は困るね」
「っ!?」
お前の人形が原因だろう! そう叫びそうになった男の腕を、もう片方の男が咄嗟に掴んで首を横に振る。
これ以上の騒動は不味い。無言でそう言われ、男は悔しげに唇を噛み締めながらいつの間にか人形を抱いているプリへと声を掛ける。
「それで、この中身はどこに?」
「ああ、地下の実験室に運んでおくれ。……まだ殺してはいないんだろう?」
「もちろんだ。片腕を失ったばかりだというのに、俺達を手こずらせる程度の強さは持っていたが何とか気絶で済ませたよ」
「……へぇ。それは随分と活きがいいね。さて、新しい贄はどのような色に輝いてくれるのか。青? 緑? 赤? ……楽しませておくれよ。ふふっ、これも聖なる光の女神のお導きかね」
呟き、うっとりとした視線を袋へと向けるプリ。
その様子を見ていた男2人は、微かに嫌悪の表情を浮かべるのみで、何を口にするでも無く袋を屋敷の中へと運び込むのだった。