0439話
ざわり。
レイが昨夜の件と口にした瞬間、門番を務めている2人の男の気配が強まる。
殺気とまではいかないが、何かあったら自分達が仕留める。そのような決意が宿ったような気配を纏ったまま門番の1人が口を開く。
「昨夜の件、というと倉庫が襲撃された件に関してで間違いはないですね?」
子供が見たら驚くような、そんな凶暴な面相をしている割にはその口から出てくる言葉は丁寧なものだった。
だが、それだけに受ける違和感は強くなる。
ある種の怖さとすら呼べる迫力を発しつつ言葉を返してくる門番。だが、レイはそんなのは関係ないとばかりに頷く。
「ああ、俺達が倒した異常種の死体を運び込んだその日にあんなことになったって話を聞いてな。さすがに気になったんだ」
「……分かりました、少々お待ち下さい」
短く返事をし、そのまま2人のうちの片方が屋敷へと向かっていく。
「随分と物々しい雰囲気だな」
屋敷へと向かった方の門番の後ろ姿を見送って呟くレイに、門番の男は小さく頷く。
「ご承知の通り、昨日の襲撃で皆が神経質になっておりますので。申し訳ありません」
「いや、気にしなくてもいい。仲間が死んだんだ。そうなる気持ちも分かる」
「グルルゥ」
レイが呟き、その言葉に自分も同感だとでも言いたげにセトも喉を鳴らす。
グリフォンという存在がいるというのに驚きの類を表情に出さないのは、それだけ今回の件で思うところがあるからなのだろう。
それ以降は男も門番として特に何を言うでも無く佇み、レイやエレーナも周囲に広がっている雰囲気の中でじっと佇んでいた。
そして5分程が経過し……
「お待たせしました。ボスク様がお待ちですので、どうぞ中へ。ただ、グリフォンに関しては……」
戻ってきた門番が一礼して告げてくる話に、レイは分かっていると頷く。
「セト」
「グルルゥ」
レイの呼びかけに、何も言わずとも分かっているとばかりに喉を鳴らし、背中にイエロを連れたまま庭の方へと向かっていく。
基本的には訓練場と化している庭だが、それでもまだ多少の自然の類は残っているので、そこで時間を潰すつもりなのだろう。
シルワ家の者としては、自分達の屋敷を好き勝手に動かれることに多少思うところもあったのだが、ボスクから直々に好きにさせるように言われている為、それ以上は何も言わずに再び門番の仕事へと戻っていく。
「ようこそおいで下さいました」
屋敷の中に入ったレイとエレーナを出迎えたのは、20代後半から30代程の男。切れ長の鋭い目と緑の髪が印象強い、シルワ家の執事長、サンクションズだった。
以前にギルドの廊下で初めてレイ達と会った時同様、表情は冷静なままだ。
それだけに、屋敷の周辺で警護をしてる物々しい雰囲気の冒険者達と比べると差異が目立つ。
(……いや、それでも以前に比べると余裕が無くなっているな)
表情には出ていないが、サンクションズの身体からはどこか疲れたような雰囲気が発せられている。
それを見たレイやエレーナは、無理もないと内心で呟く。
2人が知っている限り、シルワ家というのはボスクそのものが武闘派として活動している。何度かレイが見たように書類仕事の類もきちんと処理してはいるが、それでもやはりボスクの本質は武闘派なのだ。
そして、シルワ家に仕えていたり、協力していたり、恩がある者達。これらも基本的にはボスクを慕っているだけに似たような性格の者達が集まっている。
そんな中で、唯一といってもいい知性派がサンクションズなのだ。ある意味ではボスク以上にシルワ家を支えている人材であると言ってもいいだろう。
それだけに、現状でサンクションズに掛かっている負担は相当なものである筈だった。
「用件については言わなくても分かってると思うが」
「はい。昨夜の件ですね。こちらとしてもなるべく早くお二人と連絡を取りたいと思っていたので、寧ろ好都合でした」
「連絡を?」
サンクションズの口から出てきた予想外の言葉にレイが思わず問い返すと、サンクションズは頷く。
「はい。ただ、詳しい話に関してはボスク様からお聞き下さい。こちらです」
そう告げ、早速とばかりにレイとエレーナを先導するかのように廊下を進む。
一瞬だけ視線を合わせたレイとエレーナだったが、このままここでこうしていてもしょうがないと、そもそも事情を聞く為に来たのだと判断してサンクションズの後を追う。
そして廊下を歩くこと10分程。屋敷の中でもかなり奥まった位置にある部屋へ到着すると、サンクションズは扉をノックする。
「ボスク様、エレーナ様、レイ様がいらっしゃいました」
「入れ」
短い返答。
だが、その短い言葉だけでも言葉に込められた怒気を扉越しに感じられた。
(当然だろうけどな)
シルワ家の面子をこれでもかとばかりに潰し、泥を塗り、虚仮にしたのだ。あるいはまだ暴走していないだけマシだったと言えるかもしれない。
ともあれ、サンクションズによって開かれた扉から中に入ったレイとエレーナは、ボスクが自分の身体に合わせて作らせた大きな椅子へと腰を掛けているのを見て意外に感じる。
確かに怒気は発しているのだが、何故か不思議な程にその表情は穏やかだ。
だが、それがすぐに勘違いだと気がつく。
確かに表情は穏やかと言ってもいいのだが、その目の奥には激しい怒りの色が浮かんでいる。
獲物に食らいつく寸前の肉食獣が、その気配を殺して身を潜めているような、そんな気配を発していた。
あるいはボスクがこのような状態だからこそ、サンクションズは部屋の中に入らなかったのかもしれない。
「よう、来るのが早かったな。てっきりこっち関係にはあまり首を突っ込まないと思っていたんだけどよ」
聞く者が聞けば背筋を震わせるような、そんな穏やかな声。
だが、今この部屋にいる2人はそんな状態のボスクにも特に何を感じた様子も無く小さく頷いた。
これまでに潜り抜けてきた修羅場の種類や数はボスクに勝るからこその態度だ。
「何、俺達が異常種を運び込んだその日の夜に襲撃されたって話を聞けば、さすがにな」
特にレイの場合は、異常種に関する情報を色々と欲しているという事情もある。
何故デスサイズでは魔力の逆流が起こったのに、セトはソード・ビーの女王蜂の魔石を吸収しても何も起きなかったのか。
何故異常種という存在がダンジョンの色々な階層に現れているのか。
何故異常種は他のモンスターと違って数段上の力を持っているのか。
それらに関して、少しでも情報を得られればと思ってシルワ家の倉庫でスピア・フロッグの異常種を渡したというのに、その結果がこれなのだ。
「そうか。まぁ、そうだろうな。安心しろ。犯人は分かっている」
レイの言葉に、肉食獣の如き獰猛な笑みを口元に浮かべつつボスクが言葉を返す。
その言葉を聞き、レイは思わず目を見開く。
街中であれだけシルワ家に連なる者達が犯人捜しをしている以上、まだ今回の件に関しては殆ど情報が集まっているとは思ってもいなかったからだ。
もっとも、レイはそんな状況でも他に情報を手に入れられる当てが無い為にシルワ家へとやって来たのだが。
だが、そうなればそうなったで、1つの疑問が残る。即ち……
「なら、街中にいる奴等は何だ?」
そう。現在街中で少しでも犯人の手掛かりを探そうとしている冒険者達だ。
もし既に襲撃犯が判明している場合、あんな真似をする必要は無いだろうと尋ねるレイに、ボスクは再び口元に獰猛な笑みを浮かべつつ口を開く。
「誰が犯人かを俺達が気がついていると知られないようにする為だよ。向こうも、まさかこんなに早く自分達の仕業だと俺達に知られるとは思ってもいないだろうからな。俺達が犯人捜しに躍起になっていると向こうに思わせておいて、その油断を突かせて一気に今回の落とし前を付けさせて貰う」
「そんなに簡単にいくか?」
「恐らくは問題無い。向こうは自分がミスを犯しているとは気がついていない筈だ。俺達が奴の仕業だと判断した証拠にしても、偶然に近い形で手に入れたものだしな」
目に物見せてやると言わんばかりのボスクに、レイはこれ以上何を言っても無駄だろうと判断する。
それに、レイにしても決してボスクを止める為にシルワ家までやってきた訳ではないのだ。異常種に関係しているだろう相手の情報を得る為に来たのだから、ここで無理にボスクを止めるというのも変な話だった。
そんな中、今までの話を黙って聞いていたエレーナが口を開く。
「ボスク、その証拠がどのようなものなのかを聞いてもいいか?」
「いや、悪いがこの件に関しては知ってる者は極力少なくしたい。証拠があるということを知ってる者は少ないしな。あんた達2人に教えたのだって、今回の件にはまず確実に関わっていないと判断できたからこそだ。だが、さすがにこれ以上の情報はやれないな」
「……私の頼みでも、か?」
ケレベル公爵令嬢でもあるエレーナの言葉。
それがどれだけの意味を持っているのかを承知の上で、ボスクは一瞬の躊躇も無く頷く。
「そうだ。例えあんたの頼みでもだ。今回の件は俺の弟分達が大勢殺されている。それも殆ど奇襲のような形で一方的にだ。俺を慕ってくれた奴等の無念を晴らす為にも、絶対にここは譲れねえ」
ギリリ、と歯を噛みしめる音が部屋中へと響く。
エレーナも、これ以上言っても無駄だと判断したのだろう。やがて小さく溜息を吐く。
そのまま再び口を開こうとしたエレーナだったが、その機先を制するかのようにボスクが言葉を続ける。
「だが、あんたら程の腕がある冒険者がこっちの味方になってくれるのなら、俺としても願ったり叶ったりだ。秘密を漏らす必要の無い、安心出来る味方になら証拠に関しても教えても構わないが……どうする?」
その問いに、数秒の沈黙の後、エレーナは小さく首を振る。
「いや、私はエグジルの権力闘争に関わる気は無い。私の立場が明らかになれば色々と面倒な事態になるだろうしな」
「確かに。じゃあ、レイの方はどうだ? お前なら別に家が公爵家とか、そういう面倒な関係は無いだろ?」
エレーナが断るというのはボスクにとっても半ば予想通りだったのか、すぐにそのままレイへと尋ねてくる。
最初からエレーナが自分達の戦いに手を貸すとは思っていなかったが、貴族との関係が無いレイならばあるいはと思ったのだろう。
レイにもギルムの領主であるダスカーとの関係のように、ある程度貴族との関わりはある。だが、確かに本人はあくまでも普通の――腕は非常にたつが――冒険者であり、実家が公爵家であるエレーナと比べれば圧倒的に貴族との関係は薄い。
だが……数秒程考え込んだ後、レイは首を横に振った。
「いや、止めておこう。確かに色々と思うところはあるが、ここでシルワ家に味方をするとエレーナが言ってるように後で色々と面倒な事態になりそうだ」
「……そうか。残念だが仕方が無いな。なら悪いが今日のところは帰ってくれ。こっちはこれから忙しくなるから、お前達に構っている時間は無いんでな」
ボスクの言葉に、レイとエレーナは目を合わせてから小さく頷く。
「分かった。確かにこのまま私達がここにいても手間を取らせるだけになるだろう。……だが、いいか? 権力闘争だろうが、報復だろうが、もしもエグジルにいる一般市民に被害が出るようなことになれば……」
そこで言葉を止めたエレーナは、鋭い視線でボスクの巨体を睨み付ける。
強烈な……それこそ物理的な圧力でも存在しているかのような視線に、一瞬身体をピクリと動かしたボスクだったが、やがて小さく頷き口を開く。
「当然だ。俺だって腐ってもエグジルを治めるシルワ家の当主だ。無闇に民を傷つけるような真似はしない。それは約束しよう」
「そうか。ならばいい。……レイ、行こう。今の私達に出来ることはもう無い」
「ああ」
踵を返し、背中にボスクの視線を感じつつも部屋を出て行く。
そんな2人の背を見送ったボスクは、エレーナとレイが消えた瞬間、額と背中に大量の汗が浮き出る。
身体が冷たく、だというのに汗を掻いている額や背中には熱く、それとは全く相反した悪寒。
「姫将軍の異名は飾りじゃ無い……か。だが、俺は止まる訳にはいかねえ。死んでいった奴等の無念を晴らすまではな」
萎えそうになる身体へと必死に力を込めつつ、自分のやるべきことに意識を集中する。
「……そうでしたか、やはりボスク様は止まることはない、と」
部屋から出たレイとエレーナを屋敷の外まで送りつつ、サンクションズは小さく溜息を吐く。
その様子に、思わず不思議そうな表情を浮かべるレイとエレーナ。
ボスクに従う人物にしては、報復を行わない方がいいと言いたげだった為だ。
「何かあるのか?」
「確かに襲撃犯が誰なのかの証拠はあるのです。ですが、私にはどうもそれが意図的に残されたもののように感じられて……いえ、確かにその証拠が見つけにくい場所にあったのを考えると、私の考えすぎのような気もするのですが……ですが、どうしても、誰かの手のひらの上で踊らされているように感じるのですよ」
「なら、ボスクを止めた方がいいんじゃないか?」
思わず口に出したレイの言葉に、サンクションズは首を横に振る。
「いえ、それこそ証拠のようなものはない、私が勝手に感じていることですから。それにボスク様は身内に対して情が厚いので、それが無残にも皆殺しにされたともなれば……」
無念そうに呟くサンクションズの言葉を聞きながら、レイとエレーナは自分達がどうするべきなのかを考えざるをえなかった。