0425話
「……良かったのか?」
レビソール家からの帰り道、隣を歩いているセトの頭を撫でながらエレーナへと声を掛けるレイ。
そんなレイの言葉に、エレーナは口元に笑みを浮かべつつ問題無いと頷く。
「直接会ってみて分かった。奴は己の利益にしか興味の無い典型的な権力の亡者だ。それこそ貴族派や国王派に多くいる貴族のように……な」
そんなエレーナの言葉をレイは否定出来なかった。事実、そのような貴族を幾度となく目にしているのだから。
レビソール家での食事である程度時間が経ったとはいっても、まだ夕方に入りかけといった時間帯。空には真っ赤に染まる夕焼けが見て取れる。
夕方になったとしても……否、夕方だからと言うべきか、なお暑い空気がエグジルを包み込んでいた。
「それにしても暑いな。やはり馬車で送って貰った方が良かったか?」
夕日へと忌々しげな視線を送るエレーナ。
一応レビソール家から出てくる時に、ダンジョンの前まで迎えに来た冒険者が馬車で送ると言ってはきたのだ。
だが、シャフナーの提案を問答無用で断った身としては馬車の世話になる訳にもいかず、こうして街中を歩いている。
レビソール家はエグジルの東にあるので、そのまま真っ直ぐ西へと向かって歩いている訳だが……さすがに20万人以上が住んでいると言われているだけあって、エグジルは非常に広い。このままでは日が暮れるまでに、ギルドはともかく宿に戻るのも不可能だろうと判断したレイは、辻馬車へと視線を向けて口を開く。
「馬車に乗っていかないか?」
「ふむ、私としては構わないが……セトはどうする? さすがに……いや、大丈夫そうだな」
視線の先を走っている馬車を眺め、苦笑を浮かべつつレイの言葉に同意する。
馬車の背後を歩いているビッグボアやバイコーンといったモンスターの姿があったからだ。
恐らくは馬車に乗っている人物がテイムしたか、あるいは召喚魔法で呼び出したモンスターなのだろう。
(召喚魔法なら一旦元の場所に戻せば問題は無いだろうから、恐らくはテイムされたモンスターだろうが)
内心でそう呟きながら。
だが、そんなエレーナの考えは合ってはいるものもいたが、間違っているものもいた。
召喚魔法というのは、召喚する時だけではなく送還――元の場所に対象を戻す時――にも魔力を消費する。つまり魔力の消費を考えれば、一度呼び出したモンスターは余程のことが無い限り呼び出したままにしておく方が魔力の節約にもなるし、いざという時すぐに対応出来る。
……もっとも、そうなれば当然召喚したモンスターに掛かる餌代や厩舎の使用料が必要になるが、その辺はその者の判断次第だろう。
とにかく、多少多めに料金を支払うことでセトが辻馬車の後についてくるのを許可して貰い、レイとエレーナはそのまま辻馬車に乗ってギルドへと向かう。
辻馬車の後ろをついてきていたモンスター達も、さすがに迷宮都市で活動している従魔だけあってか最初は怖がってはいたものの、やがて慣れてきたらしい。
それでもまだ多少動きがぎこちないのは、やはりグリフォンに対して完全に慣れるというのは難しいからだろう。
辻馬車を降りてギルドへと向かったレイ達は、幸いまだ完全に日が暮れる前にギルドへと到着することが出来た。
ただし、当然ながら夕方という時間帯である以上はダンジョン帰りの冒険者達がそれぞれの素材や魔石をギルドで買い取って貰っていたり、あるいはそれとは別に依頼を受けた冒険者が報酬を受け取ったりしていた為に酷く混んでいたのだが。
そしてこれまでレイ達がギルドを利用していたのは基本的に人の少ない時間帯であった以上、レイの名前や深紅という異名を知っている者は多かったが、逆にその姿を直接見た者はそれ程多くは無かった。
エレーナに関してはギルドやエグジル上層部――シルワ家、マースチェル家、レビソール家――の意向もあって正体が隠されているので、姫将軍だというのは知られていないのが幸いと言えば幸いか。
だが、エグジルから春の戦争に傭兵として参加した者がいる以上はエレーナの姿を見知っている者は当然いる。それでもエレーナの正体が広まらなかったのは、公爵家令嬢という存在に迂闊に関わるとどんな目に遭うが分からないという恐怖心を抱いた者が多かったことや、あるいはギルドの方から釘を刺されたせいだろう。
とにかくレイを見知っている冒険者がレイの存在に驚き、それを見てレイを初めて見た者が理解するというような、連鎖的にレイの顔と名前が広まっているのを尻目に、真っ直ぐに買い取りカウンターの方へと向かう。
ギルドの方でも書き入れ時とあって多くの職員が対応していたが、それでもやはり処理は仕切れずに行列が作られる。そんな行列の一番後ろへと並んだレイ達に、数人の冒険者が近づき……
「おい、馬鹿! やめておけって!」
その冒険者達の狙いを悟った知人の冒険者達が、慌てて止める。
レイ達に近づいていった男達の口に浮かんでいた笑みが、嗜虐的なものだったからだろう。
「何だよ、深紅だ云々って言うからどんなに強面な奴かと思えば、ガキじゃねぇか。その割には分不相応な程にいい女を連れているんだし、ちょっと恥を掻かせてやるだけだよ」
「いいから、やめとけ! 確かに外見で見ると単なるガキにしか見えないが、実力は本物なのは間違いないんだ」
「何? お前あんなガキを怖がってるの?」
「ああ、怖いね。春の戦争に参加した奴から話を聞いているからな。ベスティア帝国の先陣部隊を丸々燃やしつくしたって噂は事実だって話だ。それに……こっちはまだ噂程度だけど、シルワ家と関わりがあるって話もある」
「……マジか……」
レイを見ていた冒険者達がそんな風に話している時、40代程に見える男のギルド職員がレイとエレーナへと近づき、それを証明するかのように声を掛ける。
「エレーナ様、レイ様、ボスク様が以前と同じ部屋でお待ちになっています。至急2階へ行って下さい」
まるで周囲でレイの様子を窺っていた冒険者達にわざと聞かせるような大きさの声。
(いや、実際その意図があったのは事実だろうな)
ギルド職員の行動の意図を何となく理解し、エレーナに視線を向けてから頷く。
エレーナが誰なのかというのを知っている者――当然ギルドも入る――にとって、事情を知らない冒険者がレイに絡み、その結果エレーナを怒らせるというのは是が非でも阻止したいだろう。
かと言って、エレーナの素性を隠すように要求されている以上はそちらを表に出す訳にもいかない。その結果が、レイとエレーナがシルワ家と親しい関係にあると言外に周囲へと告げることだったのだろう。
(ま、雑音が消えるなら構わないけど)
数秒前まで聞こえてきていたざわめきの声が小さくなり、特に自分に絡もうとしていた冒険者がシルワ家に睨まれるのはごめんだとばかりに離れていくのを見ながら、レイはギルド職員へと頷く。
「分かった。エレーナ」
「うむ、了解した」
以心伝心とばかりにレイの言葉に頷き、そのまま列を離れてギルドの2階へと上がっていく。
そのまま階段を上がりつつ、レイは隣を歩いているエレーナへ視線を向けて声を掛ける。
「今日は随分とエグジルの上層部に縁のある日だな」
「いや、違うな。恐らく最初はシルワ家……ボスクこそが私達に用件があって、以前にも会ったギルドで待っていたのだろう。それを察したシャフナー・レビソールが横からちょっかいを出したというのが正確な流れだと思う」
エレーナの口から出た言葉に、小さく驚きの目を向ける。
だが、確かにダンジョンから出てすぐにレビソール家に仕えているという冒険者が接触してきて、丁寧な態度ではあっても殆ど有無を言わせずに馬車に乗せられたのだ。
「なるほど、それなら辻褄は合うか。だが、そうなると魔石を売って欲しいというのも単なる口実だったと思うか?」
隣を歩いているエレーナへと問いかけたレイだったが、それに言葉を返してきたのは全く予想と違う方からの声だった。
「いえ、違いますね。何を目的としているのかは分かりませんが、レビソール家とマースチェル家が血眼になって魔石を集めているのは事実です。更に言えば、当主の力量の差でレビソール家はマースチェル家よりも権勢が弱いですから、それをどうにかする意味でもお二人に対してレビソール家だけに魔石を売って欲しいと要請したのでしょう。ボスク様の邪魔をして、更には自分達に足りていない魔石をより多く集めるというのを狙ったのでしょうね」
その声は、レイとエレーナが向かっていた扉の前に立っていた人物からもたらされたものだ。
年齢にして20代後半から30代前半といったところで、切れ長の鋭い目とオールバックにしている緑の髪が見る者に強く印象づける怜悧な雰囲気を出している。
着ている服がいわゆる執事服であるのを見れば、目の前にいる男がどのような人物なのかは容易に想像がついた。
もっとも、執事が冒険者ギルドにいるというのはどこか違和感があるが。
レイとエレーナが自分へと視線を向けていることに気がついたのだろう。執事の男は胸に手を当てて優雅に一礼する。
「初めまして、エレーナ様、レイ様。私はシルワ家の執事長を務めているサンクションズと申します。この度は我が主人でもあるボスク様の招きに応じていただき、ありがとうございます。ボスク様は既に中でお待ちですので、どうぞお入り下さい」
「……分かった。そうさせてもらおう。レイ、行くぞ」
「ああ」
短く頷き、レイと共にエレーナは扉へと近づく。すると一礼したままだったサンクションズは素早く元の態勢に戻り、扉をノックする。
「ボスク様、エレーナ様、レイ様がおいでになりました」
「通せ」
中からの声に従って扉を開けると、レイやエレーナの邪魔にならないように横へと移動して佇む。
そんなサンクションズの横を通り過ぎて会議室の中に入ったレイとエレーナが見たのは、何らかの書類へと目を通しているボスクの姿だった。
本来であれば己の武器でもある巨大なクレイモアを振り回しているのが相応しいだろう巨漢が、書類を読み、サインをするという行動にどこか違和感を覚えつつ、レイが口を開く。
「で、何だってわざわざ呼び出すような真似を?」
「その前にちょっと聞きたいんだが……」
ボスクはそこで一旦言葉を切り、読んでいた書類をテーブルの上に放り出してからレイとエレーナへと視線を向ける。
その目つきが鋭いのは書類仕事に精を出していたからか。あるいは、レイとエレーナがギルドにやってくるのが遅かったからか。
そんな風に思っているレイに鋭い視線を向け、ボスクの口が開かれる。
「ギルドに来る前にレビソール家の老いぼれに呼ばれたらしいな。……どうだった?」
にやり、とまるで牙を剥き出しにするかのような肉食獣の如き笑みを浮かべて尋ねてきた問いに、レイは被っていたフードを下ろしながら小さく肩を竦める。
「さすがに他人の情報をそう簡単に喋るわけにはいかないな。で、用件は」
レイの答えが期待外れだったのだろう。いや、あるいは期待通りだったのか。ボスクは肉食獣の笑みをうかべたまま鼻を鳴らす。
もっとも、廊下で話していたのをサンクションズに聞かれていたのだから隠す意味もそれ程無かったのだが。
「ふんっ、まぁ、そう簡単にお前が口を割るとは思ってなかったよ。ただまぁ、予想するのは難しくない。恐らく魔石を優先的に自分達に売れって名目で、お前達を待っていた俺に対する嫌がらせってところだろ」
あるいは廊下で話していた内容が聞こえていたのかもしれない。それとも単純に見かけによらず鋭いのか。どちらにしろ、ボスクはシャフナーの考えなどどうでもいいとばかりに再び鼻を鳴らす。
「ま、あんな老害はどうでもいい。どのみち奴に出来るのは俺やプリの婆に対して細々とした嫌がらせをするくらいだ。最低限エグジルを治める仕事をやってさえいればな。……で、早速本題だ。お前等、今日地下11階層を通ったよな?」
「は? ああ、まぁ」
レイはいきなり飛んだ話の内容に首を傾げつつも、こちらに関しては特に隠すべきことも無いと頷く。
だがボスクにとってはそれこそが本題だったのだろう。鋭い視線をレイへと向ける。
「で、だ。地下11階で妙なこと、何か気がついたことは無かったか? 出来れば具体的に教えてくれ」
「……何があった?」
自分を見つめる視線に、半ば殺気に近いものを感じて思わず尋ね返すレイ。
ボスクはそんなレイと視線を合わせ、やがて事情を隠したままでは話が進まないと判断したのだろう。小さく息を吐いてから口を開く。
「地下11階層で異常種が確認された。それも、俺の弟分が数人襲われるという形でな」