0414話
空が青く高い。雲1つ無く、どこまでも真っ青な空と燦々と降り注ぐ太陽の光。
まさに夏の盛り。それだけしか言えないような、それこそ30℃近い気温の中でレイとエレーナはエグジルの大通りを歩いていた。
珍しくセトとイエロの2匹もいない、完全に2人きり。
昨夜の約束通り、地下11階以降のダンジョンでもある砂漠対策の道具を買いに来たのだ。
「でも、よく考えたらまずは地下10階を攻略しないといけないんだよな」
近くの店で買ったサンドイッチを口へと運びながら呟くレイ。
そんなレイの言葉に、降り注ぐ太陽の光に対抗するかのような黄金の髪を掻き上げつつエレーナが苦笑を浮かべる。
「確かに明日は地下10階からだが、その地下10階だけを攻略してから地上に戻って砂漠に必要な道具を買って……という訳にはいかないだろう?」
小さく肩を竦めるエレーナの言葉に、確かにと頷く。
あるいは普通の冒険者パーティなら持っている荷物の量を考えてそのような手段をとっていたかもしれない。だが、レイにはミスティリングがあるし、エレーナもマジックポーチを持っている。マジックポーチの方は持ち運べる量がミスティリングに比べてかなり少ないというのもあるのだが、それでも砂漠で使う道具一式くらいなら全く問題なく収容出来る。
「で、場所は分かったのか?」
サンドイッチを食べているレイへと尋ねるエレーナ。
レイは何の意味も無く屋台でサンドイッチを買った訳では無い。勿論朝食を食べてから2時間程経つので小腹が空いているというのもあるのだが、最大の目的は屋台の店主からお勧めの道具屋を聞くことだった。レイの口に運ばれている焼いた鶏肉と辛みの強いソースが具となっているサンドイッチは、その情報料として購入したものでもあるのだ。
「ああ。この大通りを真っ直ぐに進んで、ギルドの前を過ぎてから10分程歩いたところに岩とハンマーを描いた看板があるらしい。そこで地下11階からの砂漠で使う道具を売っていて、道具の質もいいそうだ」
「岩とハンマー? まるでドワーフを表しているかのような看板だな」
「実際、店主はドワーフらしいから無理も無いだろ。ただ、店主自身は近くにある鍛冶場に籠もっていることが多いらしいが」
呟き、最後の一口となったサンドイッチを口の中に放り込む。
焼かれた鶏肉が具という、ちょっとボリュームのあるサンドイッチだったのだが、レイにとってはおやつ代わりでしか無い。
そのままエレーナと共に大通りを歩き、ギルドの前へと通りかかる。
「ふざけるなよっ! この俺を誰だと思っていやがる!」
ギルドの前でそんな声が聞こえてきたが、2人は特に気にした様子も無くギルドの前を通り過ぎる。
普段であれば、あるいは物見高い感じでトラブルへと顔を出していたかもしれない。だが、今は2人の買い物という半ばデートに近いイベント中なのだ。そんなトラブルに顔を突っ込み、下手をしたら警備兵辺りにトラブルの聞き取りやら何やらで時間を消費する可能性もある。それを考えれば、とてもではないが顔を突っ込む気は2人共無かった。
(そもそも、俺の場合は妙にトラブルに好かれているからな。わざわざ自分から顔を突っ込む必要も無いだろ)
そんな風に考え、エレーナと共にギルドの前を通り過ぎ……やがてサンドイッチを売っていた屋台の店主から聞いた通りの岩とハンマーの描かれた看板を発見する。
店の規模としては小さくも無く大きくも無く、ごく普通の店といったところか。店の前は綺麗に掃除されているのがレイやエレーナにとって好印象だった。
「ほう、中々にいい店だな。……では、早速入るか。こうも直射日光を浴びては、暑くて敵わん」
そう言いながら太陽を睨み付けるエレーナだが、その額からは汗は全く流れていない。この辺もエンシェントドラゴンの魔石を継承したおかげなのだろう。
レイから見ればそんなエレーナだけに、砂漠でも問題なく活動できるような気はしているのだがそれでも念の為というのもある。それに何より、我慢出来ることと不快に感じないというのは全く別の話なのだから。
尚、レイに限って言えば簡易的なエアコンでもあるドラゴンローブがあるので、砂漠でも全く問題は無い。
「さて、どのような物があるのか楽しみだな」
普段は凜々しいといった表情のエレーナが、小さく笑みを浮かべてレイへと声を掛ける。
その笑顔に一瞬心臓が高鳴ったのを感じつつ、それを誤魔化すように扉へと手を伸ばす。
扉が開かれた瞬間、店の中に涼しげな鈴の音が鳴り響いた。
店としては客が来た時すぐ分かるようにという考えでドアベルをつけたのだろうが、レイにしてみれば夏と鈴の音で風鈴が脳裏を過ぎる。
「いらっしゃいませ。何かお探しですかー?」
語尾を伸ばす口調で問いかけてきたのは、この世界の人間としては背の低いレイの胸程までの大きさしか無い女の姿だった。
だが、年齢が幼いというわけでは無い。不思議と成熟した女の艶のようなものを感じさせる女だ。
「あー、ダンジョンの地下11階以降の砂漠で使う各種道具が欲しいんだが」
「何人分ですかー?」
「そこにいるエレーナの分だ。あと、一応良さそうな物があれば俺も欲しい」
「はいはい、では一揃えこちらで用意しますねー」
そう告げ、レイよりもかなり背の低い女はカウンターの奥へと入っていく。
その後ろ姿を見送ったレイは、隣で珍しそうに自分たちの他に数人しか客のいない周囲を見回しているエレーナの腕を軽く引いて尋ねる。
「あの店員はドワーフ……でいいんだよな?」
レイの知識によると、ドワーフ族は男も女もかなり背が小さい。ただし非常に頑丈で力も強いとある。
事実、レイがこれまで何人か見てきたドワーフはそのイメージ通りのものだった。
ただしレイが見てきたドワーフは全てが男であり、女のドワーフは見たことが無かったのだ。
あるいはギルムの中ですれ違ったり、ベスティア帝国との戦争の時に見たかもしれないが、全く記憶には残っておらず、それ故に今初めてしっかりとその目で見た女のドワーフと思しき相手のことをエレーナに聞く。
「うん? レイは女のドワーフを見たことが無かったのか?」
「ああ」
「本人に聞かなければしっかりとは分からぬが、恐らくはドワーフで間違いないだろう。男のドワーフと違い、女のドワーフは当然ながら髭は生えていない。それ故に外見的には背や体つきで確認するしか無い。もっとも、基本的にドワーフ族は己の種族に高いプライドを持っているからな。本人に聞けば基本的には教えてくれるだろう」
「酒好きってのは? 俺が以前会ったドワーフは、極端に酒好きだったが」
レイの脳裏を共にハーピーの討伐をした、ランクCパーティ砕きし戦士のブラッソが過ぎる。
暇さえあれば酒を飲んでいるような人物で、普通の人間としては小柄なレイと比べても更に小さい。そんな体躯であるにも関わらず、ドワーフ族特有の剛力で身の丈以上の大きさを持つマジックアイテム、地揺れの槌を楽々と振り回す人物。
「確かに私達ドワーフは酒好きが多いですけど、その辺はやっぱり個人で違いますねー」
レイの言葉に応えたのは、エレーナではなくカウンターの奥からやってきたドワーフと思しき店員の女だった。
手に持っている外套や水筒、小さく畳まれているテント、火を起こすマジックアイテム、砂漠で必要な薬をコンパクトに纏めた薬箱といった品々だ。
大の男でも何度かに分けなければ運べないだろう荷物の量を1度で持ってくる辺りの膂力は、さすがにドワーフなのだろう。
その荷物を纏めてカウンターの上に置きながら再び口を開く。
「ドワーフでも酒が嫌いな人もいますしねー。ああ、私はお察しの通りドワーフですよー」
「そ、そうか」
どことなく語尾を伸ばすその口調がレイのテンポを狂わせる。
自分がどれ程に珍しい真似をしているのかというのを知らぬまま、女はまず最初にカウンターの上から外套を取り出す。
茶色……と言うより砂色のその外套は、身体だけではなく頭をもすっぽりと覆う外套だ。
「まずはこれですねー。知っての通り、砂漠だと日差しがきついので、それを遮る外套は必須ですよー」
「やっぱりダンジョンの中でも砂漠だと日差しがきついのか?」
レイやエレーナがかつて挑戦した継承の祭壇があったダンジョン。そのダンジョンでは森の階層があり、ダンジョンの中だというのにきちんと太陽が存在していたのだ。しかも、夜になれば沈み、朝になれば再び昇ってくるという、どう考えても不自然極まりない太陽。
それを思い出しながら尋ねたレイに、ドワーフの女は当然とばかりに頷く。
「何しろ砂漠ですから、その太陽光も当然の如く凄い暑さを伴っていますー。噂では場所によっては50℃近くになる区画もあるとかー。……なので、まず地下11階以降の砂漠の階層を攻略する為には日の光を遮ってくれるような外套が必要になりますー。この外套は、すごく簡易的なものですが錬金術を使って耐暑の効果を付与しているんですよー。……とは言っても、あくまでも簡易的なものなので、精々温度を5℃程下げる程度のものですがー」
「5℃、か。なら俺はいらないな」
レイの言葉に、ドワーフの女は首を傾げてから口を開く。
「どういう意味でしょうー?」
その、どこか調子を狂わせられる物言いが気になりつつも、自分の着ているドラゴンローブを軽く叩いて見せる。
「このローブはちょっと特別なマジックアイテムでな。温度管理の類も付与されている」
「ほう、ほうほうほう。それは凄いですねー。じゃあ、そっちの美人さんはどうでしょうー?」
レイの言葉を信じたのか、あるいはどうでもいいと思ったのか。とにかくドワーフの女はレイからエレーナへと視線を向けて砂色の外套を差し出す。
「そう、だな。なら私はそれを貰おう。他には何がある?」
「そうですねー。砂漠だとどうしても必要なのが、水分補給ですから水筒はいかがですかー?」
「水筒か……」
呟き、カウンターの上に置いてある水筒を手に取るエレーナ。
確かに何らかのモンスターの革で作られているその水筒は、普通に売っている物よりも品質は上だろう。だが、水に関して言えばレイが持っている流水の短剣以上の飲料水は存在しない。更に魔力がある限り水を生み出せるというのだから、水筒の類を持って行っても無駄に場所を取るだけだけだろうと判断して、首を横に振る。
「水に関しては、こっちで何とか出来るから必要は無い。次を頼む」
「そうですかー? この水筒は頑丈なので咄嗟の時には簡易的な盾にも出来る優れものなんですけどねー。残念ですー」
「……盾?」
ドワーフの女の言葉に、思わず尋ね返すレイ。
何しろ、水筒とは言っても何らかの金属で作られたようなものではない。モンスターの革を使って作られた、どちらかと言えば水袋とでも表現すべき水筒だ。それが盾になると言われても、レイにしてみれば首を傾げざるを得なかった。
「そうですよー。オーガの革を使って作ってあるので、かなり頑丈なんですー」
「オーガの革、か。なるほど。それなら確かに頑丈であるのは間違いないだろうな。……とは言っても、先程も言ったように私達には必要ないのだが。次を頼む」
オーガの革を使った水筒には余程に自信があったのだろう。ドワーフの女は、残念そうに小さく溜息を吐いてから小さく畳まれているテントを取り出す。だが……
「それもいらないな」
マジックテントという、テントの中では最上級に近いものを持っているレイはあっさりとそう告げる。
「うむ、確かにそうだな」
レイと共にエグジルへと向かう途中や、あるいはダンジョンの中で幾度となくマジックテントを使ってきたエレーナも、あっさりとレイの言葉に同意する。
「えー、これもいらないんですかー?」
溜息を吐きながらそう口にするドワーフの女。
無理も無いだろう。何しろ、砂漠の階層で使う物を一式持ってきて欲しいと言われて持ってきたというのに、その殆どがいらないと言われるのだから。
だが、ドワーフの女にもこの店の店員としての意地がある。
言葉遣いからそのように見られることは少ないが、こう見えて意外とプライドが高いのだ。
目の前にいる2人の客、1人は凜として人目を惹き付けてやまない程の美貌をした女。そしてもう1人は女よりも年下の少年。最初に店に入ってきたのを見た時は、恋人、夫婦、姉弟、パーティ仲間といった風に色々考えたのだが、答えは一向に見えない。それでもこれまでのやり取りで少年の方はマジックアイテムを大量に持っているのは理解できた。それ故、もしダンジョンの中で夜を越すことになった時……気温が下がる中で必須の火を起こすマジックアイテムでは無く、最後の切り札とばかりに薬の詰め合わせが入っている箱へと手を伸ばす。
「砂漠には毒を持つモンスターが多くて、しかもその毒の種類がモンスターによって極端に違っていたりするんですよー。なので、一般的な毒消しの類は効果が無い……とは言いませんけど、薄いので、こちらの薬箱の中には砂漠のモンスターの毒に特化した毒消しが入ってますー。他にも砂漠で必要そうな薬を纏めてありますが、こちらはどうしますかー?」
「へぇ。……確かに毒消しの類はあった方がいいかもしれないな。レイ?」
「ああ、問題ない。薬の類はあって困ることはないからな。頼む」
勝った。ドワーフの女はレイとエレーナの言葉に何の脈絡も無くそう思い、より多くの便利グッズを売りつけるべく口を開く。
その後、なんだかんだでレイとエレーナは銀貨数枚分の買い物をさせられることになるのだった。