0412話
地下9階の小部屋。そこにレイやエレーナ達は降りてきていた。
地下8階でマジックテントを使って昼食を食べた後は真っ直ぐ階段へと向かい、遭遇したモンスターを倒しつつもこうして地下9階へと降りてきたのだ。
当然地下9階もこれまで同様に洞窟のようになっており、その様子を見たエレーナが小さく溜息を吐く。
「ま、この階層を入れてあと2階だ。恐らく明日でこの洞窟からは解放されるだろうが……どうする? 昼食を食べてから随分経つし、そろそろ地上に戻った方がいいと思うけど」
「む、そうだな。ちょっと待ってくれ。確かこの階層は……」
レイの言葉にマジックポーチから地図を取り出すエレーナ。
その地図へと視線を向け、納得するように頷く。
「やはりな。……この階層はかなり楽だぞ。何しろ分かれ道の類が一切無い、本当に真っ直ぐに階段まで向かっている」
エレーナのその言葉を聞き、思わず首を傾げるレイ。
「それは……ダンジョンとして成り立っているのか?」
「グルルゥ?」
2人の話を聞いていたセトも同様に思ったのだろう。レイに同意するように喉を鳴らす。
そんな1人と1匹の様子に苦笑を浮かべつつも、エレーナは論より証拠とばかりにレイへと地図を見せる。
そして地図を見たレイは、思わず溜息を吐く。
実際に地図に表記されているのは自分達が今いる小部屋から一直線に通路が描かれており、その先にあるのは地下10階へと向かう階段のみであったのだから。
「……どうする?」
「いや、私に聞かれてもな。それこそ、冒険者でもあるレイの意見はどうなんだ?」
エレーナの言葉に、レイは少し考える。
時計の類は持っていないので正確な時間は分からないが、それでも昼食を食べてからの時間や、体感時間といったもので大体の時間は分かる。
(恐らくは午後3時から4時ってところだろうな)
レイの体感時間によればそのくらいの時間であり、そうであるのならエレーナから借りた地図に間違いが無い場合は問題無く地下9階をクリア出来るだろう。
……ただし、それはあくまでも地図が正しく、そして見つかりにくい罠が仕掛けられていない場合に限るのだが。
(後は、モンスターも関係してくるか)
内心で呟き、リスクとリターンを考え……やがて決断する。
「よし、この地下9階をクリアしてから今日の探索は終わろう」
「いいのか? 時間を考えると結構ギリギリになりそうな気がするが」
「ああ。今は夏だしな。夜になるとモンスターの凶悪性が増すが、今ならまだ少し余裕がある」
「……分かった。レイがそう言うのならそれに従おう。幸い、私としても今はそれなりに余裕があるしな」
レイの言葉にエレーナもまた頷き、そのまま小部屋の外に出る。
勿論何かあった時にすぐに対応出来るように武器を構えたままだ。
そのままレイとエレーナがお互いの顔を見て頷き、そのまま進み出す。
1歩、2歩、3歩……それだけ進みはするが、幸か不幸か敵が出て来る様子は無い。
シンとした静寂に包まれる中、レイとエレーナ、セトとイエロの2人と2匹は進んで行く。
「敵が出てこない、な?」
「ああ」
「グルルルゥ?」
一向に敵が出て来る気配が無いことに疑問を抱いたレイの言葉にエレーナが答え、それを先頭で聞いていたセトもまた小さく首を傾げる。
そのまま進み続け、やがて1時間程。レイやエレーナは正確な時間は分からないままだが、それでも体感時間でおおよその時間は分かる。それ程の時間、結局一切の敵が出ないままに進み続け……やがてレイが不審を覚えたのか、口を開く。
「おかしくないか?」
「何がだ?」
「この通路。1本道だというのはいいんだが、それでもこれだけの時間進んでいながら全く何も起きない。敵が出てこないのはいいだろう。ちょっと厳しいが、偶然という可能性もあるからな。だがこの通路はおかしい。何と言うか……そう、まるで以前に継承の祭壇に潜った時のような……」
「っ!? なるほど、確かに。見て分かる程の罠の類があるようでも無いし、ただひたすらに続く通路そのものが罠だというのか。そうなると空間魔法を使った罠だが……グリム殿のような手練れがいると?」
エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナだが、それでも脳裏を過ぎったグリムの姿には畏怖を覚える。
まともに戦っても勝てる気が全くしないのだ。
だが、レイはそんなエレーナに対して小さく首を振る。
「さすがにあんな化け物級がそう多くいるとは思っていないさ。だが、このダンジョンは未だに成長を続けているんだ。あるいは、俺達が何度か戦った異常種が関係しているのかもしれない。大穴としては、グリム並の大魔法使いが実はこのダンジョンに敵としていることだが……その割には危険を殆ど感じないしな」
「結局何が原因かは分からないということか」
「そうなる。……ただ、このダンジョンを出るのには、やはり基点となる場所を破壊しないといけないだろう」
レイが継承の祭壇での出来事を思い出しながら呟き、それを聞いたエレーナが微かに眉を顰める。
いや、あるいはその脳裏を過ぎったのは自分達を裏切ったヴェルの姿だったのか。
そんな風に思いつつも、レイは早速とばかりに地面へとデスサイズを構えて魔力を集中させる。
「ま、基点となる場所を破壊するってだけなら以前と同じ方法でいけるだろ」
「頼む」
エレーナの短い声に頷き、呪文を紡ぐ。
『炎よ、紅き炎を示しつつ燃え広がれ。我が意志の赴くままに焔の絨毯と化せ』
デスサイズの石突きの先端に炎の固まりが現れ、それを地面へと叩きつけて潰して魔法が完成する。
『薄き焔!』
発動した魔法に従い、潰された炎は通路、壁、天井。その全てに薄く広がりながら進み続ける。
初めてその魔法を見るイエロは興味深そうに燃えている炎へと短い手で触れているが、その炎の温度は20℃程度であり火傷をすることはない。
そのまま炎が広がり続け、通路の先、レイの見えない場所まで燃え広がっていく。
そして……
ピキッ、ピキキキキ……
そんな音が周囲に響き渡り、次の瞬間にはガラスが砕け散るかのような音が周囲に響き渡る。
変わった様子はどこにも無い。だが、それでも確実にどこかが変わったというのは明らかだった。
「何とかなったのか?」
呟きながら、エレーナが壁へと触れる。触った感触で言えば、特にこれと言って先程までとは違いが無い。だと言うのに、それでも間違い無く先程とは何かが違うと感じ取れるものがあった。
そんなエレーナの隣で、レイもまた同じように壁へと手を触れ少しだけ安堵したように笑みを浮かべる。
「仕掛け自体は同じようなものでも、強度的にはグリムの足下にも及ばなかったようだな」
「……どうやらそのようだ」
安堵の息を吐きながら呟くエレーナとレイ。
そもそもグリムという存在の規格外さを考えれば、同じようなレベルのモンスターがそうそう存在されては困るというのがレイの正直な気持ちだった。幸い、ゼパイルとの関係もありグリムはレイに対して好意的に接してくれた。だが、それは極めて稀な例外でしかない。
通常のリッチは生ある者を憎み、あるいは生命力や魔力を吸い取る為の餌としか考えていないのだから。
「とりあえず何とかなったのは事実だし、このまま先を急ごう。思いの外この階層で時間を取ってしまったからな。地下10階に降りてからさっさと地上に戻った方がいい。夜まではもうそれ程時間は無いだろうし」
「そうだな」
レイの言葉にエレーナが頷き、空間魔法を使ったと思われる罠が解除された通路を進んで行く。
「にしても、どうにも微妙だな」
「何がだ?」
罠やモンスターを警戒しつつ進むレイが呟くと、エレーナが聞き返す。
1度罠に嵌まっている以上、さすがに警戒をしながらの会話だが。
「継承の祭壇のダンジョンよりも核が育っているのは事実だと思う。だが、空間魔法を使った罠なんて高度な罠を、何でこんな地下9階に仕掛ける? もし俺がダンジョンの核だとすれば、当然そんなに強力な罠は現在の最下層……33階だったか? そこに仕掛ける。この地下9階は、言うなれば初心者と中級者の間にいる奴等が来る場所だろう? どう考えても厄介なのは精鋭揃いの樹木の縁とかいうパーティ名だったか? そいつらの方だろ」
「……考えられることは幾つかあるが、最悪の可能性としてはダンジョンの核が私達を脅威に思っているということだな。……もっとも、ダンジョンの核に意志があるとしてもそれが私達に理解出来るような意志なのかどうかは不明だが、それでもダンジョンの核という以上はダンジョンの中に入ってくる冒険者の脅威を確認出来てもおかしくは無いと思う」
エレーナの説明を聞き、嫌そうに眉を顰めるレイ。
迷宮都市として成り立つ程のダンジョンの核に目を付けられているというのだから、そうなっても不思議では無い。
そんなレイの様子を横目で見て、口元に小さな笑みを浮かべながら再びエレーナは説明を続ける。
「あるいは単純に、ダンジョンの核にとっては先程のような罠はそれ程重要視していない場合だな。……いや、より正確に言えば、もっと強力な手段がある場合とするべきか」
「つまり、それ程惜しくはないから、取りあえず使ってみたところに俺達が偶然罠には嵌まったと? それはちょっと厳しいような……」
「だろうな。私もそう思う。だが、一応可能性としては考えられる。他にも幾つか考えられるが……パッと考えて可能性が高そうなのがこの2つだ」
呟きながらも、エレーナは周囲を油断無く見回す。
(レイには言わなかったが……可能性としてはもう1つ。空間魔法の使い手が私達のダンジョン攻略を邪魔しているというのもありえる。もっとも、その場合は何故私達の邪魔をするのかという問題になるがな。そして、空間魔法を使われているとしたら間違い無く魔法使いはこの近くにいる筈なんだが……いや、私の考えすぎか?)
周囲の気配を探るも特に異変は感じられず、エレーナは自分の気にしすぎだと判断してそのままレイと共に道を真っ直ぐに進んでいく。
(……行ったか)
1本道の通路の奥にレイ達の姿が進み、見えなくなるとその男は思わず安堵の息を吐いた。
絶対に大丈夫。そう理解してはいたものの、それでも間近で見た2人と2匹の強さというのは自分とは比べものにならないと分かったからだ。
自分が無事だったのは、別に技量でも何でも無い。上司から渡された、姿や気配を隠してくれる隠蔽のローブというマジックアイテムのおかげでしかない。
かつて魔人と呼ばれたゼパイル一門に所属していた錬金術師のエスタ・ノールが作った、間違い無く超の付く一級品。ただし、効果を発動している時に少しでも動けば瞬く間に隠蔽の効果が切れるという、色々な意味で使いにくいマジックアイテムだ。
それだけに隠蔽の性能は一級品であり、レイやエレーナは勿論、グリフォンであるセトの五感や第六感まですらも欺くという性能を持っている。
(絶対にもうこんな仕事はやらねえぞ。空間魔法が使えるってだけで、あんな化け物共を罠に掛けることになるとか……本気で洒落にならん)
内心では色々と呟いている男だが、それはあくまでも内心だけだ。ある程度以上に動けば直ちに隠蔽のローブの効果は切れ、姿を現すことになる。もしそうなれば、既に自分のいる位置からレイ達の姿は見えずとも察知されないとも限らないのだから。
(にしても、なんだってあの深紅を敵視しているのかね? ま、下っ端である俺には理解出来ないことなんだろうけど……それでも使われる身としてはちょっとな)
男が受けた命令は、レイやエレーナが来たら空間魔法を使って道に迷わせること。
その罠を仕掛けるのは別にこの地下9階ではなくても良かったのだが、とにかく今回は時間が無かった。それ故に空間魔法を使って罠を張るには各種条件の定まっていたこの地下9階しか無かったのだ。
(そもそも、ダンジョンに挑んで数日で地下9階までくるとか……どんな速度で潜ってるんだよ)
内心で愚痴を呟きつつも、それでも隠蔽のローブを脱げばすぐにレイやエレーナ達が現れるのでは無いかと、男は仲間が迎えに来るまでずっとその場に留まっていたのだった。
「あっさりとしてるな」
「……ああ」
エレーナの呟きに、思わず同意の声を漏らすレイ。
結局ループ空間から抜けた後は、特にモンスターが出ることもなく、あるいは罠がある訳でも無くあっさりと地下10階へと続く階段へと到着したのだ。
「結局モンスターは1匹も現れなかったけど」
「グルルルゥ」
レイの言葉に、残念と喉を鳴らすセト。
そんな1人と1匹を眺めていると、自然とエレーナの口元には笑顔が浮かぶ。
自分がエグジルで求めていたのはこのような日々だったのだと。
……決して、レイに対する泥棒猫の如く言い寄ってくるヴィヘラの相手をするという訳では無い。
そんな風に考え、2人と2匹は地下10階へと降りて転移の魔法陣で地上へと脱出するのだった。