4021話
イレギュラーモンスター。
それは、本来ならその階層に出る筈がない、別の階層に棲息するモンスターが何故か別の階層に姿を現すことを言う。
基本的にはもっと下の階層に出てくるモンスターが上の階層に出てくるのを指す言葉だ。
実際には上の階層にいるモンスターが下の階層に出るといった意味でのイレギュラーモンスターもいるのだが、そのようなモンスターは他のモンスターに殺されるか、あるいは冒険者によってあっさりと殺されたりして、イレギュラーモンスターとは認識されない。
また、下の階層のモンスターという訳ではないが、十階でレイが戦ったリッチもイレギュラーモンスターの一種だろう。
レイが戦った巨大カブトムシも、そのイレギュラーモンスターではないかと、そう防具屋の父親は言う。
防具屋で店番をしていた店員の息子は、そんな父親の言葉に先程値段交渉しないでレイとの取引を終えた父親に不満を持っていたのを忘れたかのように、巨大カブトムシの甲殻を見る。
「これが、イレギュラーモンスターの甲殻? 親父、それ本当なのか?」
「恐らくは、だがな。俺も十六階にいるモンスターの全てを知ってる訳じゃねえ。そもそも十六階まで行ける冒険者の数が少ないんだ。だが……これまでダンジョンのモンスターの素材で幾つも防具を作ってきたが、この甲殻は見たことがねえのは間違いない」
「……さっきの甲殻とそこまで違うようには思えねえけど……痛ぇっ!」
息子の言葉に、父親は拳を振るう。
筋肉に包まれた腕によるその一撃は、息子に悲鳴を上げさせるには十分だった。
「この馬鹿息子が。しっかりと見ろ。同じ甲殻でも、存在感がそもそも違うだろうが」
「存在感って言われてもよぉ……うーん……そういうものなのか?」
殴られた頭を擦りながら、改めて甲殻を見る息子。
だが、息子の目にはモンスターの甲殻であるというのは分かっても、それがどれだけのモンスターの甲殻なのかというのは、分からなかったらしい。
息子の不甲斐なさに、父親は大きく息を吐く。
とはいえ、それ以上は何も言わないでレイに視線を向けてくる。
「それで、この甲殻を使った防具も作るってことでいいのか?」
「ああ、この防具については俺が受け取る。……値段についてはどうなる?」
「そうだな、これだけの大きさの甲殻だと……鎧が一つは確実だが、二つとなると難しい。手甲や足甲、兜といったような部分なら作れるかもしれないが、その分の値段を考えると……」
父親が出した値段を見て、再び息子は何かを言いたそうにしているものの、口を開くことはない。
ここで自分が口を開けば、再び父親の拳が飛んでくると思ったのか、それともイレギュラーモンスターの甲殻である以上、息子の知識ではどういう風に値段を付ければいいのか分からなかったのか。
ともあれ、口を挟むことなく父親とレイの交渉を見守っている。
とはいえ……
「分かった、じゃあその値段で」
父親が示した値段に、レイはあっさりと頷く。
こちらもまた、交渉をする様子はない。
(えー? もしかして、これって俺の認識が変だったりするのか? いや、でも……)
息子にしてみれば、ここで交渉をしないでいつ交渉をするのだといったように思える。
思えるのだが、視線の先にいる二人は交渉もなしにとんとん拍子に話が進んでいく。
「余った甲殻については、こっちで使っても構わないか?」
「ああ、それは別に構わないけど……使い物になるのか?」
レイはこの甲殻で防具を作って、どのくらいの余りが出るのかは分からない。
勿論、父親が防具を作る時にわざと作る量を減らし、甲殻を多く余らせる……といったようなことをするとは、レイも思ってはいない。
しかし、それだけに甲殻の少ない余りで何をするのかと気になってしまう。
「いや、知り合いの錬金術師にちょっと見せてやろうと思ってな。イレギュラーモンスターの素材……初めて見るモンスターの素材だ。錬金術師にしてみれば、興味深いんじゃないかと思ってな」
「錬金術師か。……なるほど」
「レイ?」
錬金術師と聞いたレイの様子に疑問を抱いたのか、父親は不思議そうに声を掛ける。
「いや、その錬金術師……腕はいいのか?」
「あ? あー……まぁ、そうだな。悪くはないと思うぞ」
「例えば、魔法発動体を作れたりは?」
「……魔法発動体? それってつまり、魔法使いの杖だろう?」
「俺の場合はデスサイズだけど、そうだな」
「大鎌が魔法発動体ってのもどうかと思うが、ともあれ魔法発動体は持っているんだろう? なら、他にはいらないんじゃないか?」
それは魔法使いについてある程度知っていれば出てくる、当然の言葉。
寧ろレイにしてみれば、魔法使いは決して多くはないこのガンダルシアでそのことを知っていたことに感心する。
「まぁ、そうだな。ただ、それは普通の場合だ。俺の場合はちょっと違うんだよ」
「……違う?」
「ああ。簡単な魔法なら無詠唱で使える。……とはいえ、それでも魔法発動体は必要なんだが、その度にデスサイズ……これを出すのは、ちょっとな」
そう言い、レイはミスティリングからデスサイズを取り出す。
柄の長さは二m、刃の長さは一m……その大鎌は、見る者を圧倒するだけの迫力を持っていた。
「っ!?」
「お……おお……」
息子は間近で見たデスサイズに思わず後ろに下がり、父親は目の前にあるデスサイズに目を奪われる。
親子の様子を見つつ、レイはデスサイズをミスティリングに収納する。
目の前からデスサイズが消えると、それでようやく親子は我に返った。
「見ての通り、デスサイズはかなりの大きさだ。魔法を使う際に毎回デスサイズを取り出すのはちょっとどうかと思ってな。それに俺の戦闘スタイルは今見せたデスサイズに加えて、槍を同時に持つ二槍流だ。無詠唱魔法を使う際には右手を空ける必要もあるから、槍……黄昏の槍を地面に突き刺すなりなんなりして、左手でデスサイズを持って無詠唱魔法を使うしかない。それがちょっと煩わしいし、敵との戦い……それも強敵との戦いの中では、そのちょっとした動きが命取りになる」
「……なるほど」
デスサイズが消えて何もなくなった空間を見ていた父親だったが、レイの言葉で我に返る。
「その甲殻の余りを見せる錬金術師が、もし今のデスサイズは勿論、杖とは違う魔法発動体を作れるのなら、頼みたいところなんだが」
「あー……どうだろうな。そいつの得意分野は武器や防具をマジックアイテムにするというのだ。魔法発動体を作るというのはちょっと無理かもしれないな。……あ、いや。でも、ちょっと待てよ?」
レイとの話の途中、父親は何かを思い出そうとするかのようにし……十秒程が経過したところで、口を開く。
「レイは十六階まで行ってるんだ。あの猫のマジックアイテム屋には行ったことがないか?」
「猫の? ……猫店長のか?」
猫のマジックアイテム屋と言われてレイが思い浮かべたのは、猫の着ぐるみを着た猫店長の店だった。
店に入るのに複雑な手続きが必要だが、実際その店には結構な商品が売られているのをレイは知っているし、実際に買ったこともある。
「ああ、それだ。……猫店長ね、言い得て妙だな。取りあえず、何日か前にこの店に来た冒険者が、魔法発動体になる指輪をダンジョンの宝箱から発見して、猫店長に売ったらいい金になったと、そう言っていたぞ」
「……それは、また」
随分とタイムリーな。
そう言いたかったレイだったが、今はそれよりも話を聞くのが先だと判断し、口を開く。
「じゃあ、猫店長の店に行けば、魔法発動体があるのか?」
「まだ売れてないのなら、あるんじゃないか?」
「……分かった。じゃあ、悪いが俺はこの辺で失礼する。猫店長の店に行ってみる必要があるしな。代金はどうすればいい? 全額前払いか?」
「いや、半額だけでいい。品が出来上がったら、もう半額を貰う」
「完成までどのくらいだ?」
「あー……悪いがそれはちょっと分からねえな。ビッグセンティピードの甲殻の方はそれなりに貴重な素材だし、数が数だからそれなりに時間が掛かると思う。……十日くらいは見ておいてくれ。ただ、こっちの……俺も見たことがねえモンスターの甲殻はちょっと分からねえな」
そう言い、父親は改めてレイが取り出した巨大カブトムシの甲殻に触れる。
素材の質を確認するようにゆっくりと触れ、次にコンコンと軽く拳で叩く。
「間違いなく上物だし、イレギュラーモンスターの素材だけあってビッグセンティピードよりも上質な素材なのは間違いない。だが……実際に色々と試してみねえと、どうなるか分からねえってのも事実だ」
「つまり?」
「どのくらいの時間が掛かるか分からない」
「……分かった。なら、取りあえず十日後に来る。その時になれば、そっちの素材についても多少は何か分かってるだろうし、その時にどのくらいの時間が掛かるのかを聞かせてもらうよ」
「悪いな」
そうレイに言う父親の言葉には、悔しさがある。
レイがアニタに紹介されたように、この店はギルドにも優良店であると認識されている。
それは売っている商品……防具の品質がいいからということが大きな理由での話だ。
だというのに、素材を見ても具体的にどのくらいで防具を作ることが出来るといったことを断言出来ないのだから、職人としてのプライドが傷ついた。
とはいえ、そんな父親の言葉はレイを失望させるようなことはなく、寧ろ好感を抱かせる。
職人の中には自分の腕を過信し、出来もしないことを自分なら出来ると言うような者もいるのだ。
それで実際に何とかしてしまう者もいるが、大半の者はどうにも出来ず、誤魔化すことになるのだが……この男は、堂々とそれを認めた。
それがレイにとっては好感を抱かせ、この店になら任せてもいいという思いを抱くには十分だった。
……息子の方は、少しどうかと思わないでもなかったが。
「気にするな。急がなくてもいいから、しっかりと納得出来るような品質の防具を作ってくれればそれでいい」
もしレイが自分の防具を……自分が直接使う防具を頼むのなら、また少し話は違っていたかもしれない。
だが、今回防具を作って貰うのは、自分の為ではなく他の冒険者の為だ。
巨大カブトムシの甲殻で作った防具も、レイが持つ……正確にはミスティリングに収納することになるが、それも自分で使う為の物ではない。
だからこそ、レイとしては完成までそこまで急ぐ必要はなかった。
「悪いな」
再び同じ言葉を口にする父親。
だが、その一言に宿っている感情は、先程とは違う。
レイの気遣いに感謝し、自分の腕で出来る限り性能の高い防具を作ろうという思いが込められている。
「じゃあ、悪いが俺はこれで失礼する。猫店長の店に行くから」
「おう、またな」
「ありあとっしたー」
やる気満々の父親と、全くやる気が感じられない息子。
そんな二人の声に見送られ、レイは店を出る。
……何だか店を出たところで、店の中からまた息子が痛いと叫ぶ声が聞こえたが、それについては気のせいだったということにしておく。
「グルゥ」
「あ……またね、セトちゃん」
レイが出て来たのを察したセトが、遊んでくれていた数人にまたねと、喉を鳴らす。
そんなセトの鳴き声の意味を理解したのか、それとも店から出て来たレイを見つけたのか、その数人は素直にセトと遊ぶのを止めて、若干名残惜しそうにしながらもその場を立ち去る。
「グルルルゥ」
どうだったの? と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトを撫でながら口を開く。
「予定通り防具を作って貰えるようになった。それにちょっと……いや、かなりいい情報も聞かせて貰った」
「グルゥ?」
いい情報? と喉を鳴らすセトを撫でながら、レイは言葉を続ける。
「猫店長の店に、もしかしたら俺が欲しがっているマジックアイテムが売ってるかもしれないんだ。……まぁ、まだ売れてなければの話だが」
防具屋の父親から聞いた話によると、冒険者達がダンジョンで見つけたマジックアイテム……魔法発動体を売ったのは数日前ということだった。
であれば、もしかしたら既にそのマジックアイテムが売られている可能性は十分にあった。
「だから、まずは猫店長の店に行ってみよう。時間は……もう夕方近いけど、まだ店はやってるだろうし」
レイが思ったよりも防具屋の中で時間を使ってしまったらしい。
そのことに失敗したか? と思いつつも、店の中で時間を使った結果、猫店長の店に魔法発動体として使える指輪が売られたという情報を知ることが出来たのだから、それは仕方がないと思い直し……そして、レイはセトと共に猫店長の店に向かうのだった。




